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一二一九年、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が暗殺された。朝廷との協調に努めた実朝の死により公武関係は動揺。二年後、承久の乱が勃発する。朝廷に君臨する後鳥羽上皇が、執権北条義時を討つべく兵を挙げたのだ。だが、義時の嫡男泰時率いる幕府の大軍は京都へ攻め上り、朝廷方の軍勢を圧倒。後鳥羽ら三上皇は流罪となり、六波羅探題が設置された。公武の力関係を劇的に変え、中世社会のあり方を決定づけた大事件を読み解く。
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Posted by ブクログ
鎌倉幕府三代将軍 源実朝(サネトモ)と後鳥羽院による朝幕体制は協調の関係だった。 ところが、幕府内の権力闘争で実朝が暗殺されると、幕府は後鳥羽院のコントロールから外れてしまった。 後鳥羽院は、北条義時追討の院宣を下す。そこには、従来言われていたような倒幕の意思はなかった。 しかし、幕府首脳部は、これ...続きを読むを幕府存続の危機にすり替え、御家人を結束させた。 攻めの姿勢に出たチーム鎌倉、一方、予想外の展開で選択を誤るワンマン後鳥羽。 日本史上初めての、朝廷の敗北。 後鳥羽院、土御門院、順徳院の三帝が配流となる前代未聞の事態。 そして、その後の天皇・院を幕府が決めた。 公武逆転の画期。 面白かった! 院政や実朝時代から丁寧に活写されていて、赤線を引く手が止まらなかった。 後鳥羽院側に感情移入してしまって、鎌倉武士に対しては微妙な気持ち。今まで北条政子の演説は胸熱ものとポジティブに捉えていたけどちょっと印象変わったな。
承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱 著:坂井 孝一 中公新書 2517 鎌倉初期、東国は、鎌倉幕府、西国は、朝廷という、2重の権力構造をとっていた ■承久の乱の結論 源実朝死後に、東国の朝廷への巻き返しをはかったが、敗北、日本全国が、鎌倉幕府のもとに統一された ①朝廷の暴走を監視するため...続きを読むに六波羅探題を強化 ②西国にも、東国地頭がおかれ、鎌倉幕府の全国統一がなった 恩賞として、東国武士へ ③平安から続く、土地問題などの紛争処理を円滑に処理するため、御成敗式目が作られて、武士の朝廷への優位が明文化された ■承久の乱に至る概況 1199 頼朝急死 1203 頼家危篤、北条比企の確執により、頼家殺害される 実朝征夷大将軍へ 執権北条時政により、政敵の排除続く 1205 畠山重忠 滅亡、北条時政失脚、尼将軍政子、実弟北条義時政治を主導 1209 実朝親政へ 1213 和田合戦 ~この間、鎌倉幕府、後鳥羽上皇との協調関係すすむ~ 実朝の後継将軍をめぐって、幕府と朝廷との確執 後鳥羽の息子を将軍へとの思惑 1219 三代将軍源実朝暗殺 1221 承久の乱勃発 倒幕ではなく、北条義時への追討が名目 尼将軍政子の名演説 朝廷vs北条 ⇒ 朝廷vs鎌倉幕府へと争点が変化 東国武士は北条へ味方 鎌倉幕府軍は 19万の大軍に 3ルートから京都へ ①東海道ルート 10万 ②東山道ルート 5万 ③北陸道ルート 4万 06/05尾張・美濃の合戦 06/13 瀬田の合戦、宇治の合戦 06/15 入京 東軍の圧勝となる この年 1221 は日本の政治の実権が、朝廷から、鎌倉幕府へ完全に移った、歴史的な年である ■乱後 天皇家、摂関家の人事 後堀川天皇践祚、後高倉上皇院政 九条道家から前関白近衛家実へ 敵対貴族の処分 後鳥羽院、順徳帝などの配流 以後朝廷勢力は、鎌倉幕府がおいた、六波羅探題の監視下に置かれることとなる 西国武士の処分、東国武士が地頭権を得て移住することに、鎌倉幕府の西国支配の完成 1232 御成敗式目 法令の明文化により、鎌倉幕府の政治方針が確定した 文化面への影響 軍記物の成立・成長 保元物語 平治物語 平家物語 愚管抄 吾妻鏡 が当時の同時代的記録 新古今和歌集の成立 目次 はじめに 序章 中世の幕開き 1 院政の成立 2 武者の世の到来 3 豪奢にして多彩なる文化 第1章 後鳥羽の朝廷 1 源頼朝の幕府草創 2 文化の巨人 3 君臨する帝王 第2章 実朝の幕府 1 三代将軍源実朝 2 鎌倉激震 3 朝幕協調の平和 4 将軍惨殺 第3章 乱への道程 1 実朝横死の衝撃 2 妥協から敵対へ 3 承久の大内裏造成 4 乱に向けて 第4章 承久の乱勃発 1 北条義時追討へ 2 動揺する幕府、反撃する幕府 3 進撃する鎌倉方 第5章 大乱決着 1 最後の攻防 2 大乱後の京都 3 敗者の運命 第6章 乱後の世界 1 新たな時代の政治 2 新たな時代の文化 終章 帝王たちと承久の乱 あとがき 主要参考文献 関係略年表 ISBN:9784121025173 。出版社:中央公論新社 。判型:新書 。ページ数:304ページ 。定価:900円(本体) 。発行年月日:2018年12月 。発売日:2018年12月20日
傑作。皆それぞれの立場があって、命をかけてそれを全うしていたんだろうなと想像して号泣した。当時も人が死んだらちゃんと悲しい。
朝廷と武士との関係に変化を与えた、承久の乱。 それに至るまでの経過を、平安時代の院政の始まりと 武士が台頭から、乱後の情勢まで、粛々と説明してゆく。 序章 中世の幕開き 第一章 後鳥羽の朝廷 第二章 実朝の幕府 第三章 乱への道程 第四章 承久の乱勃発 第五章 大乱決着 第六章 乱後の世...続きを読む界 終章 帝王たちと承久の乱 国名地図、主要参考文献、関係略年表有り。 文中に適宜、略系図、地図等有り。 承久の乱へ至るまでとその後の情勢と歴史の変遷について、 史料を駆使し、学者や作家の様々な説を考察し、 或いは引用しながら、時代の流れを簡潔に語り、 特に節目にあたる和田合戦のような事件や 政治にも関わる和歌等の事項は、詳細に記述されている。 最初に朝廷。 院政の始まりから権力が絡む対立と武士の台頭。 平氏と源頼朝の動向に関わる後白河法皇。 正統の王とは何かを模索する後鳥羽の、マルチな才能と院政。 次いで鎌倉幕府の将軍、源実朝。 和歌での後鳥羽との繋がりと統治者としての姿。 朝幕協調の平和は、後鳥羽の支援と実朝の将軍親裁の強化。 後鳥羽の子を将軍にして後見する実朝の幕府内院政の夢は、 後鳥羽の日本の帝王への夢とも繋がる・・・はずだったのが、 実朝暗殺により空しく散る。更に大内裏の焼失。 大内裏再建への造内裏役への大抵抗への嵐。 幕府をコントロール出来ないことへの後鳥羽の憤り。 そして承久の乱。 後鳥羽の布石、万全の戦略ではあれど、未来予想図は予測不可。 後鳥羽ワンマンチーム対チーム鎌倉の戦いの状況と決着、 戦後処理とその後までは、かなり詳細に綴られている。 結果、公武の関係が劇的に変わり、武士の世と成る。 本郷和人氏の「承久の乱」は分かり易く簡潔な印象でしたが、 坂井氏は、より詳細で重厚な専門書の印象。 承久の乱とその後について詳しく知りたかった自分としては、 大いに欲求を満たされた内容の本でした。
後鳥羽や実朝、義時といった当時の人々の人間像がつぶさに浮かび上がり、読み応えがあった。承久の乱は巷間伝わるような滅びつつあった王権が仕掛けた無謀な戦争ではなく、鎌倉方・京方ともにギリギリの判断が勝敗を決した側面がリアルに跡づけられ、当時の社会に及ぼした影響の大きさを実感した。
2022年大河ドラマ「#鎌倉殿の13人」の予習として読んだのだが(気が早い)、非常にわかりやすく、一気に読み終えてしまった。 第一次出演者発表後の人物相関図を横にして読むとよりわかりやすい。 著者が時代考証を担当されるとのことなので、今から22年の放映が待ち遠しい。
何となく、後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を潰そうとしたけど、反対に潰されて、島流しになった、ぐらいにしか理解してなかった「承久の乱」 白川上皇による院政誕生から、堀川、鳥羽、近衛、崇徳、後白河への流れを通して中世の始まりを説明してくれ、平治の乱、保元の乱、頼朝の鎌倉幕府までを丁寧に解説してくれる。その上で...続きを読む、三代将軍源実朝の暗殺、幕府に対する不信による後鳥羽上皇の承久の乱への流れを淀みなく教えてくれる。 とっても面白かった。 実朝は思っていたよりもずっと優秀な政治家であったりとか、後鳥羽も意外とまともな人物だった。 白河上皇は孫の(後の鳥羽天皇)15歳に、藤原公実の娘璋子17歳を入内させる。璋子は父亡き後、白河の養女になっていた。璋子は入内しても鳥羽と同衾せず、白河の御所に戻ってしまった。璋子が産んだ子は、白河の子だと噂される。当時白河65歳。その子は後の崇徳天皇だった。という話がなぜか心に残った。
認識を改めたのは、後鳥羽上皇がただ戦に負けた愚かな君主ではなかった事。承久の乱の顛末だけを見ればそう見えるのだが、実は朝廷の権威を高めようと足掻いていた事を理解した。 源実朝の暗殺がなければ、武士の世の到来はまだまだ遅れていただろう。
2022年度の大河ドラマ、三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」(北条義時=小栗旬、北条政子=小池栄子、源頼朝=大泉洋)は大ヒットとなった。 かつての大河ドラマ「草燃える」(北条義時=松平健、北条政子=岩下志麻、源頼朝=石坂浩二)のリメイクで、主役は、史上最も人気の無い(と言われる)北条義時だ。 一体誰がこん...続きを読むな地味で暗く陰湿な男のドラマなど見たいだろうか? しかし、そんな予断を見事に裏切って、この大河ドラマは、三谷幸喜の絶妙の演出と、優秀なキャストによって、一年間高視聴率をキープしてみせた。 お見事!と言いたい。 大河ドラマ「鎌倉殿」のクライマックスは承久の乱だった。 それまで天皇家は戦争で負けたことがなかった。 天皇家と戦うというだけで、相手は戦闘意欲を失い、腰砕になってしまうのが常だった。 承久の乱もそうなる筈だった。 後鳥羽院は、鎌倉幕府に戦争を仕掛けるが、戦争で勝とうなどとは思っていない。 相手を朝敵と名指すだけで十分だと考えたのだ。 案の定、朝敵と名指しされた鎌倉方は腰砕けとなり、まともに天皇家に弓引こうなどと言う武士はどこにも居なかった。 義時にしても、全軍を任された義時の嫡男、泰時にしてもそうだ。 ビビる鎌倉武士を、ただ一人叱咤したのが、鎌倉殿の役を務めていた北条政子だ。 出陣することに決まったものの、ビビった泰時は出陣前に、父である義時にお伺いを立てる。もし、敵の陣に後鳥羽院がいることがわかったらどうしたら良いか、と。 その時は、全員、馬から降りて土下座して謝れ、と言うのが義時の回答だった、と言う。 幸い(?)、後鳥羽院が出陣しなかったがために、泰時は思う存分戦うことが出来、鎌倉方は勝利を収めた。 これが、日本史上、初めて無敗神話を誇った天皇家 が、敗北した戦争なのだ。 本書は、その「承久の乱」を主題として、「鎌倉殿」の主人公、北条義時が、時代の巨大な転換を行ったことを十分に理解させてくれる。 承久の乱が、日本史上、途轍もなく大きな意味を持ったこともよく分かるのだ。 著者の坂井孝一は、「鎌倉殿」時代考証も務めた。 承久の乱を日本史の画期と見做すのは、社会学者、大澤真幸も同様だ。 大澤真幸は、「日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」において、日本史上、唯一成功した革命が、承久の乱とその乱後の処理(貞永式目の制定)にあったと断定している。 大澤真幸は、それを主導したのが、義時の嫡男、泰時であったと、革命のヒーローを北条泰時であるとする。 本書では、それを批判し、大澤が「日本で唯一の革命」と呼ぶ承久の乱とその乱後の処置を決定したのは、泰時でも義時でもなく、政子であったと述べる。 鎌倉殿の地位にあったのが政子であったことを勘案すると、坂井説に軍配があがるのではないか。 坂井は、また、後鳥羽院が起こした承久の乱について、「後鳥羽院は討幕まで考えていなかった」と主張する。 その意味では、時期を合わせて発行された本郷和人「承久の乱」の見方を否定するものとなっている。 本郷説は、承久の乱の目的は、明らかに討幕にあったというものだからだ。 坂井は、後鳥羽院が倒幕を目指したという本郷も与する「謬説」がどのように一般化したのか、「文献」と「思い込み」の二点で説明してみせる。 中々、説得力がある。 「文献」とは、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」だ。 ここには、後鳥羽院の意図を「倒幕」とすることで、鎌倉方の団結を図った、と述べられている。 「倒幕」と見做すことで、メリットあったのは鎌倉幕府だったのだ。 その記述に、歴史家が引っかかったというのだ。 「思い込み」とは、後醍醐天皇による討幕の過去への投影、ということだ。 承久の乱から100年後、後醍醐天皇による倒幕計画が成功し、鎌倉幕府は崩壊する。 この倒幕という歴史的事実を過去に投影することで、後鳥羽院の意図も、後の後醍醐天皇と同様、討幕にあったと誤認した、というのだ。 歴史的闘争はすべて土地を巡るものであることが 本書を通して、つくづく理解出来る。 土地の取り合いはオセロゲームのようなものだ。 承久の乱で鎌倉幕府が得たのは、 平家領500+天皇領3000=3500領 という膨大な領地だった。 天皇家の土地ばかりか、それまで手の届かなかった西国の平家領まで手にしているのだ。 これが、源氏鎌倉幕府による全国支配に繋がっ た事が分かる。 承久の乱が無ければ、鎌倉幕府は、東国の地方政権で終わったという事だ。 その意味では、源氏三代の将軍は、全国の支配者ではなく、鎌倉を中心とした地方政権の主人(あるじ)に過ぎなかったのだ。 真の全国政権は、承久の乱後のことであり、初めて全国支配を成し遂げた鎌倉殿は、誰あろう北条政子であったということになる。 承久の乱は、兼ねてから議論のポイントになってきた。 今や葬り去られた戦前の皇国史観学者、平泉澄の理論を社会学理論のモデルに作り変えた小室直樹も承久の乱を日本史の画期と見做している。 それは、古来から日本にあった「予定説」が「因果律」に転換した思想的画期であるというものだ。 この理論モデルによって、日本史の思想的展開、承久の乱の持つ途轍もない影響の意味が分かる。 (小室直樹「論理の方法」) 坂井孝一は、源実朝に関する研究で実績を上げた。実朝像の転換を図り、教科書の記述まで変えた業績は大きい。 教科書の記述も歴史学者の研究の進展によって、次々と書き換えられて行っているのだ。
後鳥羽上皇は、多芸を嗜んだバランス感覚のある人物であったんだろうなあと勝手に想像しています。 世が世でなかったら、色々な方面で功績を残せたんだろうに。 でも、どこの時代でもこういう人はたくさんいるんでしょうね。
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