上遠恵子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
初めてレイチェル・カーソンを読む。
名前を知ったのは高校の授業の副教材的なもので『沈黙の春』をちょっと取り上げられたこと。
レイチェル・カーソンは『沈黙の春』執筆中に癌を発症しつつも完成し、そして最後の本として『センス・オブ・ワンダー』を書いた。死後友人たちが原稿をまとめて、写真家たちの写真を入れて出版した。
読んでの感想は、若干美しさが先立ったと感じたのだけれど、レイチェル・カーソンの遺言のようなものだと思えば世界がより輝いていたのかなあ。
本書では、当時住んでいたメイン州の別荘に夏に遊びに来ていた姪の息子ロジャー(姪が亡くなったあとは養子として引き取る)とともに、海辺や森を散策した時の過ごし方や感じ方を書いている。
センス・オブ・ワンダーは「神秘さや不思議さに目を見張る感性」と訳されていて、エッセイはその神秘さや不思議さを感じた気持ちを書き取っている。
例えばエッセイの冒頭では「嵐の夜の海辺に立ったときに、心の底から湧き上がるあがる喜びを感じた」というようなこと。広大な自然と今ここにいる自分とのつながりとか、自分は自然の中の一部だと感じたとかそんな感じでしょうか。
レイチェル・カーソンは幼いロジャーと海辺、夜の森、雨上がりの森を歩く。子供はすべてが新鮮で驚きに満ちている。子供の経験は大人になっても残る。そして世界への驚異を忘れてしまった大人も、子どもと一緒にまた触れれいい。「感じる」ための機能は視覚が大きいけれど、嗅覚など他の感覚も心に残り、後で思い出すきっかけになる。名前を覚えることは重要ではない。語り口が優しく穏やかで瞬間瞬間の情景が浮かぶようです。
そのため…、本書に収録されている自然を写した写真は…私としては無くてもいい…レイチェル・カーソンの文章を読むだけでいいし、カーソンも「感じるのは視覚だけではない」って書いてあるし…。
そして私としては、日常に目に入る自然の中にも驚きや美しさを改めて感じることはあっても、子供の頃に触れたけどもう触れない虫をまた触れるようになったり、子供の頃は平気で入っていた汚いトイレ(ですらないような場所)を使用できるようになるかというと、なかなかハードルが高い気がする(^_^;)
エッセイは80ページ程度で、後半は翻訳者のあとがき、福岡伸一、若松英輔、大隅典子、角野栄子による「私のセンス・オブ・ワンダー」エッセイになっている。
私は『センス・オブ・ワンダー』だけ読んだのだが、それだと「はい、たしかにそのとおりですよね」としか感想を持てず…やっぱり『沈黙の春』も読もうかな…。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ川内倫子さんの写真が好きなのがきっかけで購入した。
『沈黙の春』を読んだことがあったり、レイチェルの人生についてもう少し知識があった方が、彼女の伝えたかったことの真意がわかったのかもしれない。
大人になり、街の中心部に引っ越してきて、気がついたら子供のときに庭や畑で見ていた虫に出会うことが少なくなった。自動車での移動が増え、高校生のときのように自転車で帰宅しながら星を見ることもなくなった。意外とそういう変化は小さくて、こういう本を読んだりしないと、いつの間にか自然から離れていることに気付けないのだと実感した。
レイチェルが言うように、センス・オブ・ワンダーは大人になるとやってくる倦怠と幻滅、つまらない人工的なものに夢中になることへの解毒剤なのだと、社会人として生きてきて感じる。
もう一度新鮮な気持ちで自然と触れ合う機会をもちたい。