村上道夫のレビュー一覧

  • 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

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    国民の安全を守る基準値。食品,環境,事故の各分野で定められる基準値のしくみを詳しく解説。「基準値の〇倍!」という叫びに何の意味もないことが分かるし,およそ基準値というものが科学のようでいて科学だけでは決まらない「レギュラトリーサイエンス」であることも丁寧に教えてくれる。大筋・大枠は科学でも,基準値を決める際の数値の使い回し,リスクだけでなく達成可能性をも加味する必要性,決めた後になかなか変更できないという硬直性などの実例を見ると,科学が社会を律するというイメージは打ち砕かれ,まさに社会と科学の相互作用でやっているんだなと感じる。こういうことは社会の側にいる我々市民も,前提として共有しておかなく

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    2014年08月18日
  • 世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか

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    前著「基準値のからくり」が好評であったろうからの続刊。大体こう言うのはうまくいかない。
    ネタが切れるし、前と同じでいいのか、オリジナリティを出せばいいのか迷って、自然体でなくなるからじゃないかなあと思う。いいのもあるけどね。

    この本は微妙。

    前と同じ主題であるが、項目が減って、深掘りをしてる感じで。
    ブルーバックスだから仕方ないのだろうが、結局、個別の基準値について一個一個検証しない我々は、一つ一つのエピソードを楽しみたいのであって、そこんとこどうすかねと思った。

    いくらかリスクを組み込みながらも、守らなければいけないことがあるなら、こんこんと理屈を説明するより宗教のように、こうやねん、

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    2025年11月13日
  • 世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか

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    ネタバレ

     タイトルの通り、世界は基準値でできているかどうかは眉唾だけど、コロナ禍以降というか、昨今の異常気象だからか、大地震のあった後だからか、たしかに、やたらた基準値という言葉は耳にする。

     そもそも、なぜ基準値が必要か? というと、要は「安全」「安心」のためだというのが、本書の主旨(そのわりに、最初はスポーツ界におけるジェンダー問題、女子選手の”基準値”の話から入るのだが)。

     ともかく、その基準値は「科学的な評価」のみならず、今や社会・経済・文化など、さまざまな要素も加味され、それゆえに、”基準値の根拠を探ることは「世の中の意思決定のしくみ」を探ることでもある” という論の展開は、見事。

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    2025年11月07日
  • 世界は基準値でできている 未知のリスクにどう向き合うか

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    「基準値は社会の約束事」だそうだ。

    OK か NG かの判断基準となる数値だ。

    基本的には人にとっての安全を担保するために科学的根拠を前提にして数値を決める。
    だが高血圧の値などは、医者や製薬会社、健康食品メーカーの儲けを鑑みて数値を決めているように感じる。
    日本人の3人に1人が高血圧って、高血圧の基準がおかしいんじゃないの?

    同様にメタボの基準も日本人の3割をメタボにする値が設定されている。
    ちょいメタボが長寿という報告が世界中から挙がっているので、基準値が変わるかもしれない。
    男性はBMI25~27、女性はBMI23~25、が死亡リスクが最低というデータもある。
    体重を落として、BM

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    2025年10月09日
  • 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

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    面白かったし、結構怖い話。
    いろんな基準値って、実は必ずしも「化学的に」きまってるわけやなくって、達成できそうな数字だとか、ぼくはこう思うなあ、とか、そういうことで決まってしまう。
    オマケに一旦決まると思考停止になるし、少なくとも日本では変更するのむっちゃ大変そうやし。

    理由って、なんつか、なんかあった時に責められないように、じゃないかという気がしてしょうがない。
    日本人の、無謬信仰と、腐ったマスコミは、怖いからな。

    ここの基準値を決めるときの細かい数字の記載もあったが、その辺読み飛ばしても十分了解できる。

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    2022年10月04日
  • 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

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    いろいろな場面で登場する「基準値」と言うモノ。
    様々な基準値がありますが、そのいくつかについて決められれるまでの経緯やら、その意味やらを掘り下げて解説されている一冊です。

    意外と、いい加減な基準もあったり、時代にそぐわないものもあったりと、基準値の種類によってずいぶん変わるものなのだなぁと。

    17ページと106ページに登場する、米国の疫学者であり衛生工学者のウィリアム・セジウィック先生の
    " Standards are devices to keep the lazy mind frm thinking. "
    (基準と言うものは、考えるという行為を遠ざけてしまう格好の道

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    2018年12月15日
  • 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

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    安全とは受け入れられないリスクのないこと

    基準というものは、考えるという行為を遠ざけさせてしまう格好の道具である(ウィリアム・セジウィック)

    暫定基準値の根拠となった原子力安全委員会の指標値は、一度の放出しか想定していない

    基準値は数年ごとに見直さないと、現状と乖離する可能性がある

    レギュラトリーサイエンテイストが日本には足りていない

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    2018年11月25日
  • 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

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     リスク評価とか、それをどう社会に導入するのか、とかについて、基準値を足がかりにいろんな具体例にそって解説した本。
     基準値の決め方(あるいはリスクの評価方法)というのは対象によって実にいろいろで、何か一つ決まったやり方というものがあるわけではない。一つの対象についても、立場によっていろんな評価の仕方が提案できるんだろう。そういう意味で、絶対的な真実を追求する科学とは違うものであり、わざわざ「レギュラトリーサイエンス」と名付けていわゆる科学とは区別したりする。人類の歴史においては比較的新しい分野なんだろう。特に、分析技術の進展によってそれまで測れなかったような微量成分の定量が可能になり、リスク

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    2015年03月14日
  • 基準値のからくり 安全はこうして数字になった

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    食品に限らず、行政が設定するいろんな基準値について、その根拠と考え方が説明されている。

    一番気になるのは食品に関する放射性物質に関する基準値。他の記載はなんとなく分かった気になれるが、この部分だけはうまく理解出来ない。いったいどう読めば自分なりに安全かどうかを判断できるのか、自分なりにどう折り合いをつけることができるのか、自分の考えを持つことが出来ない。
    読み手の理解力の問題も多分にあるだろうが、基準そのものに想定要素が多すぎて、私達が考えているほど確定的に決めることが出来ないからだろう。

    著者は現在流通している食品の摂取は許容できるリスクと考えているようだが、それは事故以来放射性物質が放

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    2014年08月16日