宮脇淳子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
島国の日本ですが外国から攻められた有名なものとして、元寇があると思います、蒙古襲来と言われることもあるようですが、この本を読むことで、フビライ=汗が日本へどの程度の興味を持っていたのかがよく分かりました。
遠征軍の構成内容を見ると、フビライの本当の狙い(征服したエリアの兵士を消耗させる等)も見えてきた気がしました。すると、秀吉が晩年に行った二度の朝鮮への出兵も、彼の狙いも見えてきた気がしました。
更には、元寇でかなりの被害を受けた「対馬」の位置付けも再認識できました。将来時間が取れた時に、是非一度訪れて、自分の目で見てみたいと思います。
以下は気になったポイントです。
・シナの歴史でいう五胡十六国「五胡」とは、匈奴・鮮卑・かつ・てい・きょうの5つの遊牧民を指す、5つの遊牧民が16の王国を建てた時代である。鮮卑族が北シナに「北魏」を建て、華北を統一し(439)その時代が終わる。(p66)
・フビライと、その弟のアリク・ブガも同じ母から生まれた兄弟なのに弟は兄に降りて(1264)軟禁されて、2年後に亡くなった。この争いをきっかけに、モンゴル帝国は大きく4つのウルス(国家)に分裂する、フビライ・ハーンの元朝、チンギス・ハーンの長男ジョチの子孫の「黄金のオルド=キプチャクハーン国」、チンギス・ハーンの次男チャガタイの子孫の、チャターン・ハーン国、そして、イル・ハーンである(p89)
・モンゴルは最初から税金さえ徴収できて自分たちが儲かればそれでいい、と思っているので、支配した土地のやり方は伝統を否定して、変えようとしたことはない。その方が摩擦も少なく氾濫も起こらないから、支配地の人々が使う言葉・宗教・税金の徴収の仕方でさえそのままにして、代官を置くだけの「代官制」である(p96)
・史実としては高句麗の成立が一番古く、次に百済、そして新羅が一番遅れて誕生したが「三国史記」では、あたかも三国の中で最初に成立したのかのように書いている。これは作成した金氏が、新羅王国の一族に連なる人だから(p102)
・任那は漢が朝鮮半島から退いた後、南部にできた弁辰12国の後身で、3世紀にも12の城郭都市が連合して弁辰王を戴いていたが、5世紀末になっても共通の加羅王がいた。日本府という字面は、「百済本紀」から「日本書紀」に転載されるときに「和府」が「日本府」に書き直されたのではないか。府とは将軍府のことで、軍団の司令部のこと、また司令官に直属する部隊のことでもある(p103)
・煬帝は漢の武帝に匹敵するような積極性を持つ皇帝で、そのめざましい大事業の1つが今も残る大運河の開鑿である。長江と黄河をつなぐこの大運河のおかげで、江南の物資が隋の首都大興(西安)まで直接運ばれるようになった(p106)
・668年、中大兄皇子が大津で即位して天智天皇が誕生、同時に我が国初の成文法典である「近江令」が制定された、そこで「日本」という国号が初めて採用され、倭国は「日本」と名乗ります(p108)
・第二代執権に就いたのが政子の弟、北条義時である、義時の法名「徳宗(とくそう)」から、北条氏の嫡流が「得宗家」と呼ばれるようになり、多くが得宗家から就任した(p136)
・時宗が連署(副執権、ナンバー2、他の人の署名に連ねて署名するという意味)に就任したとき、異母兄の北条時輔は京都の六波羅探題南方に就く、これは鎌倉幕府の出先機関で、北と南に設けられ、京都にあって公家を監視する役目を担っていた(p142)
・元軍の二回の日本侵攻が敗退したにもかかわらず、フビライ・ハーンは帰国した総司令官、副司令官などの責任者たちを誰も殺していない(p229)
・元軍に負けなかった日本側の私たちこそが「蒙古襲来」は決して、モンゴルが主になって攻めてきたのではなかったという視点を持つことから始めるのが大事である(p235)モンゴルの中央にいたのは、羊を飼って遊牧する草原の人、であるモンゴル人にほとんど関係のないところで行われた遠征である(p237)
・朝鮮半島において、敵対勢力を押しとどめておくのは、朝鮮半島の39度線まででなければダメである、そのあたりまでが沿海州や満州から人間が陸続きで行き来のできる、大陸の文化圏だからである、明治時代の元老たちはそれがわかっていたので、なんとか朝鮮半島を自立させようと日清戦争で清と戦い、北清事変でロシアが満州に居座るようになると、その結果として日露戦争を戦う羽目になった(p241)
2022年2月26日作成 -
Posted by ブクログ
この本は共著ですが、その一人である日下氏の本は今まで何冊もお世話になってきました。今回の本のタイトル「日本人がつくる世界史」に惹かれました。
予約をして届いたらすぐに読み始めて、出張に向かう飛行機の中で読み終えてしまいました。歴史は勝者がつくる、というのは「逆説シリーズ」で有名な、井沢氏の言葉ですが、私達が世界史の授業で学んだものも、まさにその通りで、光の部分しか強調されていませんね。
影の部分を強調して非難するのではなく、過去に置かれた環境において、その当時の人間がどのように考え、どう行動したかを知りたいものです。そして、過去の先輩の成功も失敗も本当の姿を学んで、未来に活用していきたいですね。
そのような歴史を書くことができるのは、日本人しかいない、と日下氏はこの本で述べています。今回も楽しい読み物でした。
以下は気になったポイントです。
・以下の点をしっかり書き切るだけでも、多くの人がイメージしている世界史と違うものができる、1)白人は略奪主義、2)キリスト教はそれを正当化する道具、3)略奪主義の三百年間になにが行われたか(p17)
・4通りに分けられる歴史の見方、1)進歩史観、2)末法思想、3)循環史観、4)最後の審判(p23)
・歴史に必要なもの、1)視覚的な情報となる「ピクチャー」、2)登場人物たちの「キャラクター」、3)起きたことに対する解釈を含めた「ストーリー」(p28)
・一人で書くからこそ、縦糸と横糸を自由に操ることができ、歴史に筋道をつけられる(p29)
・日本では子供を殺す代わりに、長男と長女は残して、あとは間引いた。男の子は山に捨てて、女の子は川に流した。それを、山に芝刈りに行き、川に洗濯に行くと言っていた(p37)
・マラソンの起源が「マラトンの戦い:紀元前490年」だが、これは初めてヨーロッパがアジア(ペルシア)に勝利した戦い(p39)
・教会を潰して財産を取り上げて金持ちになって、自分たちは「市民」といった(p42)
・中国人は、四書五経によって漢字の語彙と使い方を学んでいた。漢字が分かれば地方の行政官として派遣されてもその土地の知識人と話が通じる(p52)
・ナポレオン軍が強かったのは志願兵による国民軍で、自分たちの財産と権利を守るために戦った。ほかの国は傭兵だったから弱かった(p60)
・いまも続く、ロシアとウクライナの衝突にしても、ロシア正教とカトリックのぶつかり合いと見ることができる(p72)
・クリミアに住んでいたのは、クリミア・タタール人で、モンゴル帝国の末裔。1783年にエチュカリーナ2世のときにロシアに併合された(p75)
・2014年にクリミアでロシア編入の住民投票で90%以上の賛成があったとされるが、クリミア・タタール人の票は入っていない(P76)
・国際連盟はドイツが支配していた地域を任せることにしたが、日本は「委託統治」という提案をした。住民が自分で国がつくれるようになったら独立国にするという制度で、日本が模範を示すことになった。例として、学校をつくって勉強できるようにした(P90、91)
・フィリピンは、アメリカの植民地支配を受けたが、第二次世界大戦中に1943年に日本が独立を認めた、戦後アメリカ植民地になったが1946年に再独立を認められた(P96)
・日本の敗戦後、満鉄は最初はソ連が押さえて、それを中国に譲ったが共同経営にしていたが実権はロシア人が握った。本当に返したのは、朝鮮戦争の後(P98)
・イギリス、フランス、アメリカもODAを配っている相手は、元の植民地。利権が残っていて、それを接収されたくないから。日本のODAにはそのような性格がない(p100)
・教科書問題で非難されたのは日本のように見えるけれど、じつは鄧小平であった、とも取れる(p102)
・始皇帝が行った「焚書坑儒」は言語弾圧にみえるが、統一前の7国のうち他の6国で使っていた漢字を廃止して、国有化しようとした狙いがある(p108)
・漁民の社会では舟に乗って漁に行った場合、だれも帰ってこなくなることもある。そういうとき残された女性は人口を回復する必要がある(p115)
・1648年に締結された、30年戦争の講和条約がウェストファリア条約で、それにより、プロテスタントとカトリックの同権が認められた。条約締結国は相互の領土を尊重し内政不干渉となった(p175)
・人間、不潔になると凶暴になる。精神面の退廃と物質的な不潔さが重なり、1300年間ひたすら殺し合った。313年にローマ帝国がキリスト教を公認してから(p176)
・軍国主義の反対語は、ファシズム(一国一党)であり、国家の上に独裁党が乗っかっている体制である(p194)
・リンカーンは、黒人差別も奴隷制もどうでもよく、南部を分裂させたくなかったのが本音(p203)
・産業革命を通過した国は、イギリス・ドイツ・フランス・アメリカ・日本くらい。それ以降も何かを作り続けているのは、ドイツと日本くらい(p209)
・中国のGDPはすごく、清朝アヘン戦争前段階(1820)で、シェアは32.9%、そこに目を付けたイギリスは、同時期に5.2%程度であったが、戦争後の1870年には9.0%に上がった(p212)
・日本のGDPは、1600年ころで、2.9%もあり経済大国である、同時期のイギリスは、1.8%、ドイツが3.8%、フランス4.7%(p214)
2015年6月28日作成 -
Posted by ブクログ
本書を読み始めた当初、著者が言う「いま現在、存在する国家や個人にとって都合のいいように過去を解釈しなおすのは、岡田英弘にいわせれば、「悪い歴史」である。「よい歴史」というのは、史料のあらゆる情報を、一貫した論理で解釈できる説明のことである。文化の違いや個人の好みを超えて、国家の枠組みや書かれた時代を離れても、なるほどそういうことだったのかと、多数の人が納得できる普遍性をもつことが、「よい歴史」である。」という部分に疑問をもった。
歴史研究の元ネタとなる歴史書とは本来その時代時代の施政者の都合、正当性を図るために編纂されたものでしかない。近世となり国民国家が台頭してきたからといって普遍性をもった歴史が語られることも無いということは、昨今の大陸の両国の姿勢をみるまでもない。
ただ、「満州国」「満州帝国」という国家?が当時現在の中国東北三省のエリアを中心に存在していたのは事実である。
国策や政策を抜きに、とりあえず満州国設立にいたるまでの通史や前後満州国解体からそこになだれ込むソ連、中国共産党やモンゴルがどう動いて、今の東北三省まで落ち着いたのかという通史としては非常に参考になる本である。
まさに、誰も教えてくれなかった日本現代史の一部にいたるまでの歴史を知ることができた。
が、通読して思うのは現在の中国でさえとても国民国家とは思えないのだが、当時の満州地域というものは関東軍が「五族共和」を唱えたごとく、国民国家などという思想もない状況であった中、ロシア・ソ連や清国・中国も国民国家などという現代的な括りではなく、ただ帝国主義の範疇でそれぞれ主権を主張していたに過ぎず。あれこれと文句注文をつけてくる姿勢は、かの国の体質はやはりいまだ国民国家たりえないのだろうなと。