この本は共著ですが、その一人である日下氏の本は今まで何冊もお世話になってきました。今回の本のタイトル「日本人がつくる世界史」に惹かれました。
予約をして届いたらすぐに読み始めて、出張に向かう飛行機の中で読み終えてしまいました。歴史は勝者がつくる、というのは「逆説シリーズ」で有名な、井沢氏の言葉です
...続きを読むが、私達が世界史の授業で学んだものも、まさにその通りで、光の部分しか強調されていませんね。
影の部分を強調して非難するのではなく、過去に置かれた環境において、その当時の人間がどのように考え、どう行動したかを知りたいものです。そして、過去の先輩の成功も失敗も本当の姿を学んで、未来に活用していきたいですね。
そのような歴史を書くことができるのは、日本人しかいない、と日下氏はこの本で述べています。今回も楽しい読み物でした。
以下は気になったポイントです。
・以下の点をしっかり書き切るだけでも、多くの人がイメージしている世界史と違うものができる、1)白人は略奪主義、2)キリスト教はそれを正当化する道具、3)略奪主義の三百年間になにが行われたか(p17)
・4通りに分けられる歴史の見方、1)進歩史観、2)末法思想、3)循環史観、4)最後の審判(p23)
・歴史に必要なもの、1)視覚的な情報となる「ピクチャー」、2)登場人物たちの「キャラクター」、3)起きたことに対する解釈を含めた「ストーリー」(p28)
・一人で書くからこそ、縦糸と横糸を自由に操ることができ、歴史に筋道をつけられる(p29)
・日本では子供を殺す代わりに、長男と長女は残して、あとは間引いた。男の子は山に捨てて、女の子は川に流した。それを、山に芝刈りに行き、川に洗濯に行くと言っていた(p37)
・マラソンの起源が「マラトンの戦い:紀元前490年」だが、これは初めてヨーロッパがアジア(ペルシア)に勝利した戦い(p39)
・教会を潰して財産を取り上げて金持ちになって、自分たちは「市民」といった(p42)
・中国人は、四書五経によって漢字の語彙と使い方を学んでいた。漢字が分かれば地方の行政官として派遣されてもその土地の知識人と話が通じる(p52)
・ナポレオン軍が強かったのは志願兵による国民軍で、自分たちの財産と権利を守るために戦った。ほかの国は傭兵だったから弱かった(p60)
・いまも続く、ロシアとウクライナの衝突にしても、ロシア正教とカトリックのぶつかり合いと見ることができる(p72)
・クリミアに住んでいたのは、クリミア・タタール人で、モンゴル帝国の末裔。1783年にエチュカリーナ2世のときにロシアに併合された(p75)
・2014年にクリミアでロシア編入の住民投票で90%以上の賛成があったとされるが、クリミア・タタール人の票は入っていない(P76)
・国際連盟はドイツが支配していた地域を任せることにしたが、日本は「委託統治」という提案をした。住民が自分で国がつくれるようになったら独立国にするという制度で、日本が模範を示すことになった。例として、学校をつくって勉強できるようにした(P90、91)
・フィリピンは、アメリカの植民地支配を受けたが、第二次世界大戦中に1943年に日本が独立を認めた、戦後アメリカ植民地になったが1946年に再独立を認められた(P96)
・日本の敗戦後、満鉄は最初はソ連が押さえて、それを中国に譲ったが共同経営にしていたが実権はロシア人が握った。本当に返したのは、朝鮮戦争の後(P98)
・イギリス、フランス、アメリカもODAを配っている相手は、元の植民地。利権が残っていて、それを接収されたくないから。日本のODAにはそのような性格がない(p100)
・教科書問題で非難されたのは日本のように見えるけれど、じつは鄧小平であった、とも取れる(p102)
・始皇帝が行った「焚書坑儒」は言語弾圧にみえるが、統一前の7国のうち他の6国で使っていた漢字を廃止して、国有化しようとした狙いがある(p108)
・漁民の社会では舟に乗って漁に行った場合、だれも帰ってこなくなることもある。そういうとき残された女性は人口を回復する必要がある(p115)
・1648年に締結された、30年戦争の講和条約がウェストファリア条約で、それにより、プロテスタントとカトリックの同権が認められた。条約締結国は相互の領土を尊重し内政不干渉となった(p175)
・人間、不潔になると凶暴になる。精神面の退廃と物質的な不潔さが重なり、1300年間ひたすら殺し合った。313年にローマ帝国がキリスト教を公認してから(p176)
・軍国主義の反対語は、ファシズム(一国一党)であり、国家の上に独裁党が乗っかっている体制である(p194)
・リンカーンは、黒人差別も奴隷制もどうでもよく、南部を分裂させたくなかったのが本音(p203)
・産業革命を通過した国は、イギリス・ドイツ・フランス・アメリカ・日本くらい。それ以降も何かを作り続けているのは、ドイツと日本くらい(p209)
・中国のGDPはすごく、清朝アヘン戦争前段階(1820)で、シェアは32.9%、そこに目を付けたイギリスは、同時期に5.2%程度であったが、戦争後の1870年には9.0%に上がった(p212)
・日本のGDPは、1600年ころで、2.9%もあり経済大国である、同時期のイギリスは、1.8%、ドイツが3.8%、フランス4.7%(p214)
2015年6月28日作成