宮脇淳子のレビュー一覧
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共著者3名が、カンボジア訪問を機にアジア史、特にカンボジアを中心としたインドシナの歴史について書いた本。宮脇氏が、古代から英仏の植民地になるまでの歴史を概説し、江崎氏が、残留日本兵の助けを借りながらカンボジアが独立を果たす経緯を記し、福島氏が、カンボジアにおける中国の影響力について書いている。3者とも内容は深く、かつ3者がうまくマッチしていて読みやすい。とても勉強になった。最後の対談でも繰り返し述べられているが、中国が今まで国際政治や覇権争いの中で繰り広げてきた残虐な行為とそれをリードする中国人リーダーたちの人間性を、日本人はよく理解する必要があると強く感じた。
「インドシナは、インドとシナの中間地帯だからインドシナというわけだが、インドシナ半島の大部分は、歴史的には古代インド文明の影響を強く受けており、シナ文明の影響下にあったのは、独りベトナム、それも長い間、今のベトナム北部だけだった」p25
「東南アジア史は、内部で書かれた史料がほとんどないため、世界史の教科書で取り上げられることが少ない」p27
「17世紀のチャンパにはイスラム教徒の王がいた。カンボジアに住むチャム人はほとんどがイスラム教徒である。現在でもベトナム中部から南部にかけて、約10万人のチャム人が、集団としてまとまって暮らしている」p32
「(カンボジアとラオスでは)フランス人を補佐する下級官吏や警察官として多数のベトナム人を登用した。かつて宗主国としてラオス、カンボジアに君臨したベトナムは、今度はフランスの植民地支配のもとに、新しいよそおいをまとった支配者として現れたのである。カンボジア人、ラオス人とベトナム人のあいだの民族的憎悪は増幅され、両者の不信感は一層高まった」p54
「現在、日本から見ると、カンボジアにおける中国の存在感は増すばかりで、ほとんど属国ではないかと危惧するほどであるが、現地で話を聞くと、中国よりもベトナムのほうがもっと危険だし、ベトナム人の方が嫌いだという。それは、ベトナム戦争のはるか前からの歴史的背景と直接の経験から出たものである」p55
「三野正洋氏は、ベトナム戦争に介入したアメリカと、カンボジア戦争に介入したベトナムは、まったく同じ立場であり、ベトナムにとってのアメリカは強大な国家であるが、カンボジアにとっての統一ベトナムも大国なのだ、と指摘している。現地を見、カンボジア人に話を聞いた私たちも同意見である」p88
「日本の不在と、米中の進出が、アジアに混乱をもたらしている」p100
「防衛省の防衛研究所が残留日本兵の歴史を調べ、このように記録を残そうとしてくれていることは極めて重要だ」p120
「ベトナムの独立運動は共産党主導であったのに対して、カンボジアのソン・ゴク・タン政権は非共産・反仏・親日であり、その政治イデオロギーはまったく異なっていたが、フランスという共通の敵と戦うためにベトミンと手を組んだのだ」p121
「日本軍による義勇軍の創設と只熊さんの活躍がカンボジアの独立に大きな影響を与えた。そしてその影響の大きさを理解していたから、独立を果たしたカンボジアは日本に対する賠償を放棄したわけだ。過去の歴史を直視し、将来に向けて語り継いでおきたいものである」p134
「(1965年インドネシア・スカルノ大統領)「北京・ジャカルタ枢軸」という言葉が登場するようになる」p158
「戦時中に日本軍によって指導された経験を持つスハルトらが1967年8月、反共を掲げたASEANを結成したことから、アジア共産化の危機は辛うじて回避されることになった」p160
「どこの国でも、正義感の強い若者は美辞麗句に弱い」p171
「(カンボジア)ポル・ポト政権下の3年8か月に、飢餓、疫病、虐殺などで100万〜200万人以上ともいわれる犠牲者を出した。この死者数は人口の13%〜29%に当たる」p177
「シハヌーク国王が自らの権力を維持するため、民主主義を否定し、中国共産党やベトナム共産党と組んだことがその後の内戦と外国による軍事介入を生み、結果的にカンボジアをベトナム共産党の影響下に置く事態を生んでしまった。しかも近年、カンボジアは中国共産党の影響も強く受けている。その悲劇の歴史を理解している人がどれほどいるのだろうか。カンボジア復興に協力している日本側は理解しているのだろうか」p182
「その実現のために身を粉にして働き、中共の理想を信じて忠誠を尽くしたのはカンボジア華人、そしてベトナム華人らが形成した僑党、華運であった。だが、中共はその華人たちをも見捨てるのである」p206
「(カンボジア)日本の関係者も、あそこで命を落としているわけですから、もっと日本の足跡というか、影響力が残っていると思っていたのですが、もう、完全に中国に上塗りされていて、プノンペンを含めて、町の至る所が、チャイニーズの影響下にある」p239
「今回カンボジアに行ってみた感想ですけど、カンボジアといえば、ポル・ポト派による大虐殺、つまり「キリング・フィールド」みたいなものと、「ストリートチルドレン」という、貧しくて、悲惨な国で、発展途上国でというイメージを持っていたのですが、実際に訪れて、少なくとも首都のプノンペンとか、アンコールワットのある地方都市のシェムリアップを見ていると、日本の地方都市より発展しています」p242
「安倍首相が中国に軟弱なのは、ビジネスマンから圧力を受けて、そう言ってくれ、中国とうまくやってくれということだと思います」p256
「東南アジアというのは、商売、ビジネスとメディアに対しては、中国の影響力が圧倒的に強いんですよ。特にメディアなどはスポンサー企業の意向もあって軒並み親中派。華僑メディアは中共の資金が直接入って宣伝機関化していますね」p263
「私は、華人・華僑の特徴に、チャンスに乗る、強いものになびく、多数派に加わるという性質があると思っています」p264
「(中国人)「相手を平らげてはじめて、紛争のない世界ができる、というのが我々の考え方なのだ」それなら、どうしたらあなた方は共存を認めるのかと尋ねると「自分たちはかなわないと思わされるなら、日本と共存ができる。それ以外の道はない」と」p271
「日本が大好きな中国人、「精日」を増やすということが、日本にとってもっともよい防衛なのです。それは確かに、評論家の石平(せきへい)先生みたいな人が1万人ぐらいいると、日本はかなり強くなりますね。個人的な感覚ですけれど、どちらが多いかというと、在日華人には、むしろ石平さんみたいな人の方が多いですよ」p278
「全部、習近平が悪い。習近平イコール中国共産党だから。できるだけ、中国人が悪いというふうに言わないほうがいい」p282 -
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暗黒のヨーロッパ中世、略奪主義の近世ヨーロッパ、第2次世界大戦後の歴史を捻じ曲げてきたアメリカ、そして中国、ロシアー彼らの作る世界史も自己中心的なものであり、今こそ大局から見ることのできる日本が世界史を書くべきだという論旨である。
いくつか、そうかと思ったところを書き抜いてみる。
・①白人は略奪主義だった②キリスト教はそれを正当化する道具にされた③略奪主義の300年間にどんなことが行われてきたかーこの3点をしっかり書き切るだけでも、多くの人がイメージしている世界史とは全く違ったものができる。
・アメリカ人が自作自演したハワイ王党派のクーデターにかこつけて、無理やり女王を退位させ、アメリカにハワイを併合してしまった。
・コミンテルンは天皇の下で団結している日本が目障りで、こういう国家をなくそうとする運動であった。
・王の財産目当てだった「市民革命」「文化大革命」
・中国はモンゴル族、チベット族を大量虐殺した。ウイグル族の地区に入り込み、漢族は資源を奪い農地を広げた。ウイグル族を大量に強制労働させ、その上核実験まで行って、急性被曝で9万人を死亡させた。
・第1次世界大戦後、国際連盟は南洋諸島を日本に任せたが、新渡戸稲造は「委任統治」を提案し、日本は学校を作って住人たちに勉強させ、将来の独立を約束した。
・植民地の住人に学校に行かせると厄介ということで、欧米の列強は学校を作らなかったが、日本は韓国・台湾などで学校を作り、ライフラインも整えた。
・1945年に日本軍が撤兵する前に、南北朝鮮の代表を集めて話し合いをさせようとしたが成立せず、統治権が米軍に移った。これが南国分裂の始まりである。
・始皇帝が行った「焚書坑儒」は、統一前の戦国七国のうち他の六国で使っていた漢字を廃止して、漢字を国有化しようという狙いがあった。
・中国は、日本についてまじめに書く気なんてもとからない。正史の中ではちゃんとしているほうだといわれる「明史」にしても、「信長が阿奇支を秀吉に討たせたから明智に殺された」と書いてあるぐらいだ。「魏志倭人伝」にしても信用性に乏しいというか、今でいうと、誰かのTwitterみたいのものだ。
・歴史を書くときに、相対評価は大変だがやるべきである。例えば、ペリーが日本に来た時、日本人が驚いたというのは絶対評価だが、他の国が初めて黑船を見た時の反応と比べたらどうなのか?黑船を見て、スケッチしておいて自分たちも作ろうなんて考えたのは、有色人種では日本人だけであった。そういう発想を持つことができたから、有色人種の国の中で唯一、植民地にならなかった。
・313年にローマ帝国がキリスト教を公認した瞬間からヨーロッパの堕落が始まった。キリスト教は一神教なので、異教のロ-マ神の祭典だからとオリンピックを廃止した。聖書にすべての知識があるということから、上下水道といった古代ローマの科学技術を潰していって、人糞が道に溢れるようなことになった。
・この後、ひたすら殺し合いの1300年が続き、その果てに30年戦争があり、勝ったほうのスウェーデンのクリスティーナ女王が「異教徒だって殺さなくていいじゃない」と画期的なことを言った。それまでは「殺さなければならない」であった。ここからやっと近代が始まった。それがウェストファリア体制であった。
・古代、中世、近代は右上がりではない。中世で滝に真っ逆さまに落ちていった。やっと上がっていくのがルネッサンスであった。
・江戸時代まで日本は世界史に入らなくてよかった。世界史は殺し合いの歴史であったから。
・日本はこの千年間、ずっと先進国だったので、この千年間を書けば、そのまま世界史の頂点を尾根伝いに書くことになる。そうできたのは、日本が賢かったからで、内部争いをせず、唐や天竺の教えを消化して、追い越したからである。
・アメリカが正しいとか、イギリスが正当というものだけを世界史にするのは偏っている。中学校の教科書では、イギリスがインドを支配して文明を教えたとか、ヨーロッパにアメリカ大陸が発見されてよかったとか、ただ戦争が理由もなく始まったようになっているとかで、日本が加わった戦争だけは日本が悪かったと書いてある。戦後に日本がしたことも、すべて下から目線で書いてある。はっきり言って、岩倉使節団に言った連中の舶来崇拝がひどすぎた。江戸時代の人間は、自分の頭で考えていて、インテリジェンス能力は高かった。だから、ペリーが来たとき対応できた。
・ロシアは本当に悪辣非道な国で、条約は破るわ、日本人を皆殺しにしたりシベリアに連れて行ったりするわで、皆分かっていてやっている。いまのプーチンにしても、力関係を見ながらやっている。やはりヨーロッパでもまれた国であった。
・アメリカはグローバリゼーションと思って悩むことはない。アメリカこそが自分たちの歴史を書き換えて正当化を図っている。どこの国の国史もそんなものだともいえるが、アメリカのはひどすぎる。ほとんど架空の話である。
・日本人が上から目線に立った世界史を書くべきである。「日本が平和にやっていたとき、ローマではこんな殺し合いをしていた」「中華世界ではこんなころしあいをしていた」ということをきちんという。統一した世界観を作るということは難しいが。
・清朝のアヘン戦争前段階で、実質GDPの世界シェアは32.9%であった。このときの状況を考えれば、GDPの高い国が強国だったわけではなく、軍事力を整備し、相手を人間とも思わないようなやり方ができる国が強かったということだ。
最後に、どのような項目建てで世界史を書くべきかの提案がある。うーん、なんだかぴんと来ないものだが、こちらの勉強不足なのか、まだまだ練れていないのか。なんか無味乾燥ぽいのだが。 -
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雑誌への投稿エッセイをまとめたもの。モンゴル、中国、朝鮮の歴史の専門化が、一般読者向けに書いたものだけあって、読みやすく説得力がある。既出の著書にはなかった新たな記述もあり、参考になった。
「(ロッテワールド裏の屈辱碑)「愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の滞在を許してくれた。良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また、清国に逆らった愚かな罪を反省するためにこの石碑を立てることとする」という嫌がらせそのものの内容で、これを清朝の公用語である満州語、モンゴル語、漢語の3カ国語で巨大な石に刻ませたのである」p19
「(日本の改竄といわれた「広開土王碑」)2005年になって、1884年の日本の調査隊以前に採られた拓本が中国で発見され、それが日本の拓本と完全に一致すると中国社会科学院が発表した。ところが韓国人は、今度は中国が改竄しているかのように言い出し、(日本の主張を)絶対に認めようとしない」p29
「(韓国ドラマ)韓国の場合、歴史ドラマは歴史認識論争と表裏一体である。確信犯的に過去を美化し、自分たちの歴史の正当性を主張するためのドラマを国策として送り出す傾向がある。そのことを念頭において観なければいけない」p30
「韓国人には史実を追求しようとする意思もないし、歴史的にどれほど不正確でも韓国人はまったく気にしないから、歯止めがきかないのである」p35
「朝鮮の身分制度は、両班・中人・常民・賤民・奴婢の5段階に分かれている。支配階級の両班は1割にも満たず、中人は両班の下で漢字を使う仕事をする、シナでいえばショ吏階級である。常民は一般的には農民で、それ以下が奴隷階級だった」p40
「日本で歴史は「ヒストリー」、シナでは「プロパガンンダ」、韓国では「ファンタジー」」p47
「(朝鮮には文化が根付かない)朝鮮から日本に文化が伝わったというのはとんでもないまちがいである。朝鮮は新幹線の停まらない駅と同じ。ただの通過点に過ぎない」p49
「韓国は国民に一体感がない。稼ぐだけ稼いだら自分だけ外国に出ていくという人が多いのである」p52
「これまで日本から数え切れないほどの恩恵を受けていながら、李明博元大統領の行動と発言は恩を仇で返すものだ。礼節の国であるわれわれ日本の国民の感覚からすればそういうことになるが、もともと韓国には「恩」という発想がないのである」p67
「満州人の王朝である清朝の第一公用語はもちろん満州語である。第二公用語はモンゴル語。第三公用語が漢文であった」p91
「(中国の歴史)朝日・岩波に象徴されるジャーナリスト、知識人が漠然と信じているのは毛沢東が書き換えた歴史に過ぎない」p130
「20世紀までルビを持たず漢字を使用してきた漢人にとって、話し言葉と文字のギャップはいまだに非常に大きいままである。これこそが、シナ文明と日本文明の差なのである」p133 -
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世界史は今から遥か昔になりますが高校2年生の時に勉強しました、と言っても年に5回あった定期試験の直前に教科書を丸暗記して臨んでいたので、試験終了後にすべて忘れてしまっています。
そんな私ですが、歳と重ねるにつれて日本史だけでなく、世界史、それも近代にいたるまでの欧州以外の歴史にも興味を持つようになりました。アンテナを張っていると目に飛び込む様になるのでしょうか、この本をネットで見つけました。
今までとは異なった視点で世界史を見直すことができる本です。そのポイントは、歴史から意図的に消された「2つの帝国:モンゴル帝国と大日本帝国」というのがこの本の著者の宮脇女史は述べています。大日本帝国が活躍できたのは、モンゴル帝国に比べれば短期間なのは残念ですが、この2つの帝国がアジア・欧州に与えた影響は大きいようです。
特に、何もなかったかのように思われる中世におけるモンゴル帝国の位置づけは、見直されても良い様に思いました。今後、深堀していきたい分野がこの本によって明確になった記念すべき本となりました。
以下は気になったポイントです。
・西洋史の根幹をなす哲学の一つは、世界は変化するものであり、その変化の歴史を語るものが歴史、一方で東洋史の場合は、天は不変であり、現実の世界の変化は重要視しない、天命によって天子が交代する、まったく真逆の考え方(p4)
・歴史が書かれるための条件、1)時間がまっすぐに過去から現在に流れてきているという観念、2)年月日が計測される、3)書き留める文字、4)過去の出来事の因果関係を物語る思想(p5)
・日本の場合、紀元前660年の神武天皇の即位は神話だが、1350年前の7世紀には、日本という国号と天皇という君主号を持っていたのが事実(p6)
・歪な成り立ちの上にある世界史を超克し、本当に現在の世界の真実がわかるための世界史を手に入れるには、中央ユーラシアから見た草原史観である(p8)
・ヒストリアイ、に書かれているのは、ギリシア人の話ではなく、大半は現在のイランを中心に成立していたペルシア帝国。当時の地中海世界を取り巻く地域の共通言語はギリシア語であったが、ペルシアの存在が大きい。ギリシアままだ都市国家レベル(p24)
・今の日本の世界史は、明治時代に始まった西洋史の枠組みを根本的に見直すことができていない(p38)
・モンゴル帝国が建国されたのは、1206年、モンゴル部族の長であったテムジンが、大集会・クリスティで最高指導者に選出されて、チンギス・ハーンと名乗ったときから(p48)
・モンゴル軍が世界最強であった理由として、1)勝つと分かっている戦争に参加するのは権利、2)軍隊規律に厳格、一人の十人長が百人長を兼任、他の部隊に属する兵士を自分の部隊へ収容不可能、部隊から離れたものは死刑、3)掠奪品の分配は公平、4)包囲戦、5)全員が騎馬兵で何頭もの替え馬を持ち機動力に優れていた、6)複合弓等、最先端の戦争道具を採用、7)最後の輜重軍は兵士の家族が家畜を連れて本軍を追いかける(p57)
・始皇帝は、それまで「国」と呼ばれていた各地の都市を皇帝直轄の「県=首都に直轄するという意味」、遠方の県を統括する「郡」を36か所置いた、郡は軍と同音で、駐屯軍を意味する(p82)
・焚書とは、紀元前221年に秦が統一する前の7国がすべて文字が違っていたため、秦の文字だけを残してあとの書物を焼かせた、これなくして統一は不可能であった(p83)
・魏呉蜀の三国時代が決着がつかず百年近くも続いたのは、生き残った漢人たたいが定まった土地に囲い込まれ、その外側には人家が絶えた土地が広がって、敵を叩きのめすほどの総力戦をする力がなかったから(p87)
・司馬炎が、魏から禅譲を受けて晋(西晋)を建て、黄巾の乱からおよそ百年後の280年に三国を統一するが、その20年後には八王の乱と呼ばれる内戦が起きる。これに乗じて5つの民族(鮮卑、匈奴、けつ、てい、きょう:五胡)が16国を建てた。最後には鮮卑族の建てた北魏が華北を統一、534年に北魏は東魏と西魏に分裂(p89、90)
・皇帝が派遣する県知事が納める行政区分は細か過ぎたので、元朝の行省は11に分けた、これが現在の中国の省の起源となる(p95)
・1368年に、紅巾軍の朱元璋が大都を攻めて、元朝皇帝はモンゴル高原に退却した、シナ史では元朝が滅びたことになるが、モンゴル人にとっては植民地の漢地を失っただけ(北元)、明はモンゴル高原に遠征したが、ついに支配できなかった、つまり明代は、元朝の領土の半分を継承した明朝と、元朝の後裔の遊牧民政権の南北朝であった(p98、99、156)
・イングランド王ジョンは、フランク王に負けて大陸の領土の大半を失ったのみならず、教皇インノケンティウス3世に破門、1215年には王の権限を制限する「マグナカルタ」を承認して翌年死去する(p104)
・1054年に、キリスト教世界は、教皇を首長とするローマ・カトリック教会と、ビザンツ皇帝(東ローマ皇帝)を首長とするギリシア正教の2つに完全に分裂した(p107)
・教会から破門された貴族にとって、破門を取り消してもらって社会に復帰する唯一の機会は、十字軍に加わること。(p118)
・当時の国際通貨は「銀」であったが、持ち歩くのは重いので、フビライ時代には、中統元宝交鈔・至元通行宝鈔という不換紙幣が発行された、さらなる高額紙幣である塩引も発行されている(p125)
・988年、ルーシのキエフ大公ウラジミール1世は東ローマ皇帝の妹と結婚してキリスト教に改宗、ギリシア正教を受け入れたが、教会の公用語はギリシア語ではなく、スラブ語を採用したので、多くの古典は翻訳されなかった。これが、ロシアと西欧文明の違いに大いに関係した(p132)
・清朝皇帝の直属旗は、正黄旗、鑲黄旗、正白旗の三旗で、これを上三旗と呼び、それ以外の5旗は旗王が分有していた(p169)
・大清帝国の公用語は、満州語・モンゴル語・漢語の3つで、1912年までの正式な記録は三種類の文字で書かれている(p174)
・清朝における「藩部」は、王朝の発祥の地である満州、清朝が直接統治するシナ本土以外の住民のこと、建国時は南モンゴルのみだが、北モンゴル、青海省・四川省西部を含めたチベット、新疆を含む(p178)
・1871年に、日本は清と平等条約である日清修好条規を締結、7世紀に国号と天皇という称号を持って以来、初めての正式な条約、1876年には日鮮修好条規(不平等条約)を結んだ(p215)
・遼東半島を三国干渉で返還したが、その報酬として、ロシアは旅順・大連、ドイツは膠州湾、フランスは広州湾、イギリスは、威海衛・九龍半島を99年の期限で租借した、99年の九九とは、久久と同じ音で永久にという意味があった(p217)
・1897年にロシア公使館から王宮に戻った朝鮮王高宗は、国号を韓と改め、皇帝を名のった、ここからが大韓帝国となる(p219)
・清国は1905年に、1300年間続いた科挙を廃止し、留学生を官吏に登用することに決めた、留学生が最も多かったのは日本であった(p223)
・満鉄の初代総裁になった後藤新平はロンドンで社債を発行して2億円を調達、合計4億円は1906年度の日本の国家予算と同額、日露戦争の臨時軍備費は17億円、関係費用あわせて20億円、英米での調達は10億円以上、これを全て完済したのは、1986年である(p225)
・満州国は日本の傀儡国家であったが、当時60あまりの世界の独立国のうち半数が満州国を国家承認していた、モンゴル人民共和国はソ連の第一衛星国であったが、それを承認していたのはソ連一国のみ(p233)
・1951年2月に大連港がソ連から中国へ返還、52年12月には中国長春鉄路も中国の単独管理となった(p251)
・1948年8月15日に大韓民国が建国されたが、韓国は日本から独立したのではなく、アメリカの軍事占領下から独立、国連も大韓民国を朝鮮半島唯一の合法政府として認める決議案をしている(p254)
・新しい世界史を作るときに注意すべきこと、1)善悪二元論を持ち込まない、2)自虐史観は歴史ではなく政治である、3)大日本帝国を日本史として扱わないという思想は日本書紀に起源がある、4)日本列島には独自の文化があったとする思想も政治的なもの(p269)
・大日本帝国が崩壊したとき、台湾・朝鮮半島・満州・中国・樺太・東南アジア・南洋諸島から内地に引き上げてきた日本人は、660万人であった(p275)
2017年5月1日作成 -
Posted by ブクログ
中国美女の正体を知りたくて読書。
やや偏った印象も受けるが、中国を熟知している日本人女性が中国人女性を語るコンセプトはユニークだと思う。
文中に中国はEUとアフリカを一緒したくらいの多様性があると紹介されているが、中国へ来たことなく知らない日本人が一元論的に中国はこうだと決めつけるのはのは、現実が見えなくなるので危険だ。大連しか住んだことない私でも同感。外へ出たがらない人が増える傾向にあるという現代日本にはそんな人も少なくないように感じる。多種多様な情報や知識を学び複眼思考で考えられるようにしたい。
著者の1人の福島さんがワイフワークが夜やアングラ世界をフィールドにしてきことが感じられる視点が面白い。
中国を知るためにはまずは風俗からなのかもしれない。
漢民族と少数民族を比較しているくだりも興味深く読ませてもらった。
読書時間::約1時間15分
本書はお借りしています。有り難うございます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
歴史の表舞台から消滅して六十年。
日清・日露戦争を通じて「一〇万の生霊、二〇億の国帑」によって購われた大地―。
なぜ満洲に日本人が大挙して向かうことになったのか。
清朝中国、モンゴル、朝鮮、そしてロシア。
さまざまな利害と思惑が生み出した満洲帝国とは、いったいなんだったのか?その数奇な運命を詳細にたどる。
政治的立場や道徳的価値判断をいっさい排し、あくまでも歴史学的に満洲を位置づけようとした最初の試み。
日中韓で事あるごとに巻き起こる歴史認識問題を理解するための必読書である。
[ 目次 ]
第1章 満洲とは何か
第2章 満洲の地理と古代
第3章 東アジアの民族興亡史
第4章 元朝から清朝へ
第5章 ロシアの南進と日露関係
第6章 日本の大陸進出―日清・日露戦争
第7章 日露戦争後の満洲と当時の国際情勢
第8章 満洲帝国の成立
第9章 日本史のなかの満洲
第10章 日本敗戦後の満洲
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
イマイチ。
結局、日本人が作る世界史とは何か。
結論らしきものはない。
世界史と呼ばれるものの問題点は分かったし、日本という国の「特殊性」が却って公平性の高い視点から世界史を再構築出来るのでは、というのもわかった。
この本は10年以上前の出版である。では、その後どうなったか。何が変わったか。日本の視点からの世界史が書けたのか。
ないような気がする。
そうすると、この本もこの時期にたくさん出てた、日本て実は「素晴らしい」んだよという本と、あまり差がないように見えてくる。
対談本は苦手だなと改めて思って、やっぱり情報量が少ないし、論に深みが出ない。
特別ゲストの倉山満先生の、日本は世界史を跳ね除けてきた、というのはじんと来たがそれとて倉山先生の単体本を読んだ方がいいわけで。
大学の劣化も書いておられました。
今後減っていくだろうと。
なんと、補助金使って外国人を受け入れて生き延びてます。
掛け算九九を教えるような学校が、大学として存在しています。
日本は、劣化しました。
その辺から過去に向かって逆算して歴史を著してもいいんじゃないすかね。