砂川秀樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ独身未婚中年男性(ヘテロではない、ゲイ寄りのアロマンティックだがアセクシャルではない)の自分が読んでみました。
もう10年ぐらい前の本で、いつか読まねばと思いやっと読み、もっと早く読んでおけばよかったとも思いましたが、年を取った今だから受け止められる内容でもあったかな、と思いました。
本の中で、息子にゲイだとカミングアウトされたお母さんが、「僕、人を殺した」と告白されたような衝撃だったと以前仰っていたとあり、これに自分は結構ショックを受けました。そんな、犯罪と一緒にされてしまうなんて、と。
ですが、自分は自分がヘテロではないからこそ、もし子どもからヘテロではないとカミングアウトされても衝撃はないですが、ヘテロこそという価値観で、それ以外の性志向が許せない、という考え方の人も当然いるわけですし、そういう人の心の動きまでは自分は考えが及ばなかったと、少々反省しました。
あと、他人はいいけど、親族にヘテロでない人がいるのは嫌だ、というのも、あるあるかもしれないなと思いました。
自分は女性嫌いではないのですが、苦手なことはたしかです。
小学生の頃、知的障害のある女の子に好かれた(likeではなくlove)ことがありました。その子は、自分に対する好意を隠そうとしなかった(できなかった)ですし、そういう子なので、自分はそれを拒否できなかった。今思うと、拒否してもよかったのかもしれません。ただ、拒否してしまうと、それが障害者差別になってしまうかもしれない、という思いはあったような気がします。クラスで公然でしたし、そのことでクラスメイトからからかわれたこともありました。先生はある程度かばってくれたものの、対処を取ってくれるまでには至りませんでした。
このことを親に話せたのも、50歳近くになってからでした。
その子に非はないですが、自分の心には結構深い傷だったのだなと、精神科でのカウンセリングを通して認識したのでした。
また、自分が好きな男性俳優さんが、BLは理解できないと言っていたのも少しショックでした。おそらくそれでもその俳優さんはオファーがあればBLものもやるとは思うし、できるとは思うのですが、もうその作品は「でも本心ではBL嫌いなんでしょ」と見てしまいそうです。もっとも、自分がおそらくその俳優さんが好きなのは、そういったガチヘテロなところが好きなんだろうなと。なので、自分はゲイ寄りでも、ゲイ男性を好きになれるかどうかは未だによくわかりません。今までいいなと思った男性はみなヘテロでしたので、まあ成就はしないですよね・・・。
ただ、そうした好みの男性と成就はしなくても、彼らと同じ「友人」の範囲には容れて欲しいなと思ったりはします。
最近は多様性が難しく感じられるようになってしまいました。
差別は良くないのですが、ヘテロの人たちのホモフォビアも、真の多様性としてはそういう人たちがそういうことを思う(思ってしまう)自由は保障されないといけないだろうなとも思いました。
まあ、思っても良いけど、言ったらアウトなのは、これは受け容れてください・・・。
なんとか、いろんな人にとって、生きやすい世の中になってほしいものです。
全方位に気を配った、非常によい本でした。若い当事者にはぜひ読んで欲しいですし、やはり親御さんや親族にも読んで欲しいです。 -
Posted by ブクログ
タイトルの通り、セクシュアルマイノリティの「カミングアウト」に関して扱っている。カミングアウトとはどのようなものか、カミングアウトする理由、する側/される側の葛藤や受容までの事例からの考察など丁寧に説明される。
このテーマは、当事者にとって様々な葛藤の種になると思う。でも、なぜ困難なのか、自分はどうしたいのかを明確に表現するのは案外難しい。自分の言葉で表現するための良い材料になってくれるように思う。
各章で「カミングアウトストーリー」と題して、カミングアウトした人/された人の話があり、それを元にして話が進む。このストーリーは当事者なら心に来るものがあると思う。この形式が素晴らしく、内容が頭に入りやすい。また、本書の著者である砂川秀樹氏は文化人類学者だ。さすが研究者だけあって、理路整然とまとまっている(ただし、図は少なく文字主体なので、そこは少し苦労するかもしれない)。
・著者はカミングアウトに関して、以下のように述べている。
『カミングアウトは、伝える側と伝えられた側との関係が作り直される行為だ。いや、作り直される行為の始まり、という方が正しいだろう。なぜなら、カミングアウトは伝えればそれで終わり、というものでもないからだ。』
これは本文中で繰り返し説明される。このことは自分自身も痛感している。うまく言葉にしてくれたとありがたく思う。
・なぜ、性自認や性的指向が「特別」なのか?
→これはネット上なんかで時々目にする、『LGBTに配慮するなら、熟女好きみたいな「他の性に関係する好み」も同様に配慮すべきだ』という声への反論だ。気になるテーマだけども、この部分は難しかった。
なぜ「特別」なのかの理由は、それが「性別に関する問題」だから。現代社会で、「性別」は人を区分する最も重要な軸になっており、それ以外の軸とは分けて議論する必要があるとしている。
もし著者と会話できるなら、直接詳しく聞いてみたいなと思った。
・カミングアウトする理由
→カミングアウトしたいけれども、なぜしたいのかをうまく言葉にできなくてモヤモヤすることがある。挙げられている中の一部を書くと・・・
- プライベートなことだから、わざわざ職場や友達にいう必要はない。
- 家族に言うことで悲しませてしまうかもしれない。
- 自分が我慢していれば、それで丸くおさまる。
それぞれについて丁寧に述べられている。異性愛が当たり前の社会では、当事者もそれが当たり前だと思ってしまう。我慢するのが普通になっていて、負荷を認識できない。
当たり前から抜け出して、自分がどうしたいのかを考える良い材料になる。
・カミングアウトされた側のこと
→実際にカミングアウトされた側の話が載っていて、リアルに感じられる。カミングアウトされた側が、それを受け止めるには時間がかかることが多い。当事者が自身の属性を受容するのに時間がかかったのと同じ。それを意識した上で臨めば、心の準備ができる。 -
Posted by ブクログ
「カミングアウト」とは一般的に、LGBTの当事者が自らのセクシュアリティを周囲に告白する行為だと理解されており、そこでは告白する主体にフォーカスがあたる。しかし、8人のカミングアウトストーリーを元にまとめられた本書では、カミングアウトをこう定義する。
「カミングアウトは、伝える側と伝えられた側との関係が作り直される行為だ。いや、作り直される行為の始まり、という方が正しいだろう。なぜなら、カミングアウトは伝えればそれで終わり、というものでもないからだ。」
(本書p3より引用)
本書で語られるカミングアウトストーリーはいずれも、カミングアウトを受けた家族や友人という周囲の人間が、それをどう理解し、当事者との関係を再構築していくか、というプロセスを丹念に追っている。最初は驚き、否定的な反応が出る場合があれど、徐々に受容し、そこには新たな相互理解が生まれるストーリーの様子は、強く心に迫るものがある。
一般論として、我々は他者を理解できないかもしれない。それでも、その断絶を感じつつも他者を理解しようとしてそこに寄り添っていく行為を丹念に続けていくしかない。LGBTやカミングアウトといった個別の問題から、本作はそこに人間のコミュニケーションを考える上での深い示唆があることを教えてくれる。 -
Posted by ブクログ
特別な人たちではない「生活者」の人々の手紙。
たくさんの葛藤、困惑、痛み…の先にあるのは、誠実で真摯な思いだった。
セクシャルマイノリティが「特別」と括られている訳じゃなく、当たり前にそこに存在している人であった。同じ目線の高さで当事者と家族や先生が話していて、これこそ「社会の多様性」だ、と感動した。
一方、最後の対談で、どこか理解したくない部分を持つ一人のお母さんがでてきたが、全てを理解をすることは単純じゃないな、と感じた。でもそれを否定することは違う。
理解しようとしてくれる、そうまでいかなくても否定しない。それだけでも多分良いんだと思う。
現代は「多様性」がキーワードとなっている。
この問題に興味がある人以外の人にもぜひ読んでもらいたい。「多様性」とそれへの向き合い方がわかるはず。
若いうちに読めてよかった一冊だ。 -
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セクシュアル・マイノリティは、国や宗教や階級階層に関わらず、どこでもぽつんと生まれてくる。多くの場合家族はセクマイじゃない。自分がマジョリティじゃないことについて、言っちゃいけないことと思って育ってきたこどもたちが、ついに親や教師にそれを言うと、セクマイじゃないにも関わらず?そのことを真摯に考えなくちゃならなくなった大人はびっくりしたりするのだが、本人も家族も、社会の中で頭の中身を作ってくるから、まぁ大変なわけよ。この本には、テレビに出てくるようなんじゃないふつー?の人たちの往復書簡が収められてるだけ!なんだが、考えるべきことの多さったらないぞ。
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LGBTの当事者(ここではLGの方々)が親や恩師にカミングアウトし、相手が当事者にその返信をする往復書簡。
手紙の前に口頭でカミングアウトを受けているが、ここに出てくるどの親も(皆、母親)その瞬間、かなりショックを受けた様子がわかる。
長年、子育てしてきても、我が子がLGBTであることに気づけないということなのか、と受け取った。
ということは、当事者は、そんなに身近にいる人にさえ、分からないように、気づかれないように、隠して生きてきたということでもあるのか。
昔は、ゲイやレズビアンは、笑いのネタ、蔑みの対象として見られていて、テレビでもバラエティーなどで面白おかしく取り上げられていて、実は自分もそれを見ても何も感じなかったということに、読んでいて気付いた。
自分で直の言動がなかったとしても、これも『無関心』という間接的な差別だったのではないか、と。
当事者から母親や恩師に充てて書いた手紙には、自分の苦悩やアイデンティティーについて書かれていて、その苦悩の深さが垣間見えた。
親からの返信は、当事者からのカミングアウトを受けた時の心境、混乱、悲しみなどが素直につづられているが、子どもを理解したい、という気持ちも見られる。
恩師からは、気づけなかったことの詫びとともに、教師が生徒を温かく見守るスタンスがみられる。
ここには、何人かの親子、教師と生徒の書簡があるが、一番印象に残ったのは、授業のレポートのテーマで性的マイノリティーについて選択した生徒とその指導に当たった教師との書簡。
その教師はキリスト教を信仰しており、キリスト教の精神をもとに生徒を本当に温かく見守り、そのままの存在を受け入れてくれていて、これを受け取った生徒は、どれほど勇気づけられただろうか、と思う。
まだまだ偏見が残る(あからさまではなくても、知らずに傷つけているかも)世の中であるから、自分のアイデンティティーに悩み苦しみ、知られないように隠して暮らしている人はたくさんいると思う。
どの姓を愛すか、ではなく、どんな「人」を愛すか、いち人間として、人間を愛すというスタンスが広く定着していけば良いと思う。 -
Posted by ブクログ
前半の親子の間でのカミングアウトの往復書簡を読んで、同性愛のことよりもお互いを思い合う親子の絆が印象的だった。同性愛者だということは、それ以外にもたくさん存在するマイノリティなことの一つに過ぎず、誰しもが何らかの特性においてマイノリティでありえるから、当事者も周囲も同性愛について特段気にしなければいいんじゃないか、と思った。
けど、おわりに のところを読んでその認識を改めた。世の中の仕組みから他愛無い日常会話に至るまで多くのことが異性愛を前提に回ってしまっているので、当事者は同性愛者であることによる生きづらさを感じるし、自分がそうであることに嫌でも意識がいってしまう。確かに誰しも名前を間違って呼ばれていたら気持ち悪くて訂正するように、同性愛者なのに異性愛者の前提で他者から認識されたら居心地が悪くて気になるな、と思い直した。カミングアウトというのは確かにとても勇気がいることになってしまうなということがわかった。
そういうことが、最初の感想に戻って、他のあらゆるマイノリティ特性にもあることなんだな、気にしなければいいのに なんてことじゃあないんだな、と、ちょっと想像力を働かせれば当たり前のことだけど、気づきになりました。
自分の視野がいかに狭かったか、自分はけっきょくだいたいの局面でマジョリティにいてマイノリティの抱く感情を想像できてなかったんだな、と思い知りました。 -
Posted by ブクログ
NHKの書籍紹介で3度も見て、じわじわと「あ、これ読んだほうが良さそうだなぁ」と思い、拝読。
やっぱり読んでよかった。
ジェンダー問題については身近に当事者もいるが、往復書簡を読むのは初めてだが、手紙をやり取りする、親と子、生徒と教師はお互いを尊重し、想い合っていることがわかる。
知人(知人とも呼びたくないが)が面白おかしく学生のアウティングをする場面に立ち会ってまったことがあってから、モヤモヤしてその人と会うたびに嫌な気分になっていたが、「自分のことではないけど、あのとき私は傷ついたんだな」とこの本を読みながら振り返られた。
この本が発行されたころと比べて、セクシャル・マイノリティーへの理解は少しずつ深まってきているが、ステレオタイプの世代から抜け出せていない人種も少なからずいる。
それでも前進している。
否定する・拒絶するひともいるけど、少なくとも後退はしていないと信じたい。
『キュービィロップ』