谷垣暁美のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
共感覚者、ゾンビ、マッドサイエンティスト、死者、詩人、魔術師……。物質世界と精神世界の境界線上で生きる者たちに取り憑かれた短篇集。
直前に読んだエリック・マコーマックの『雲』と驚くほど共通要素を感じる作品集だった。マッドサイエンティストの人体実験で女性がめちゃくちゃにされるところをはじめ、「エクソスケルトン・タウン」の愛とセックスの関係性なども近いと思う。フォードなら一つ一つ短篇として結実させるアイデアを、ゆるく繋げて長篇化するのがマコーマックという感じ。以下、印象に残った作品の感想。
◆「アイスクリーム帝国」
カフェインが齎す創作的なインスピレーションを擬人化して、共感覚と結びつけている。音楽のために描かれた共感覚的スケッチが抽象画として評価されるというのは実際ありそう。お菓子がでてくる小説が好きなので、タイトルから想像するほどアイスクリームの話じゃなかったのはちょっと残念。
◆「トレンティーノさんの息子」
水辺の幽霊譚。迷信が蔓延る漁師町の薄雲った閉塞感が淡々と描かれ、ひんやりしっとりとした語りで進行していくが、一番の恐怖を感じる場面で主人公の行動が語りにじわっと温もりを灯す。派手なところはないけど、どんな姿でも助けを必要とする人に手を伸ばす主人公が記憶に残る。
◆「恐怖譚」
昔話のなかに、反魂の術を解く呪文を生みだす役目として詩人のエミリ・ディキンスンが召喚される。詩の源泉を描いたゴシックホラー。実在作家を主人公にする怪奇譚はよくあるけど、異界の住人とアグレッシブに渡り合うエミリが魅力的。ディキンスンの詩は未読だけれど、会話に織り込まれた引用に惹かれた。高原英理の『詩歌探偵フラヌール』的でもあるな。
◆「ナイト・ウィスキー」
今作で一番好き。まず死人から生える「死苺」から作られるお酒があって、それを飲むと死者に会うことができるのだが、口にできるのは村の祭りの日にくじで選ばれた住民だけ。死苺の酒で酔っ払うとみな木に登ってそこで眠りこけてしまうので、村には特製の釣竿で彼らを地上へ落とす「酔っ払いの収穫」という役目があり、そんな名誉職に選ばれた主人公が人形を竿で突いている場面から話は始まる。架空の村の不思議な風習が描かれ、ダークだけどにぎやかでハロウィンの空気をまとったファンタジーだ。ナイト・ウィスキーの幸福な儀式がある事件によって恐怖に転じる原罪の物語なわけだが、牧歌的な田舎の空気感が心地いい。「タイムマニア」も含めて、フォードのアメリカン・カントリー・ホラー(こんな言葉あるのか知らんが)は好感度高い。
◆「星椋鳥の群翔」
19〜20世紀初頭くらいの植民地をモデルにした架空の都市で、毎冬発生する猟奇殺人事件を追う幻想怪奇ミステリ。脳をいじって人間を野生動物化しようとするマッドサイエンティストが登場し、マコーマックを思い出さずにはいられない。ファム・ファタルものかと思いきや、というラストも割とよくある感じではあるんだけど、ラストシーンが美しい。
◆「エクソスケルトン・タウン」
虫が嫌いなのでビジュアルを思い浮かべないようにしながら読んでしまったが、B級映画を愛する虫型異星人と彼らの糞を催淫薬として求める地球人の世界を、パルプ小説風に書く試みが面白かった。 -
Posted by ブクログ
大好きジャンルの幻想小説。
不勉強ながらYahooで書評を読むまで存じ上げませんでしたが、この方は世界幻想文学大賞に7回、シャーリィ・ジャクスン賞に4回、MWA賞、ネビュラ賞など数々の受賞歴を持つ作家さんらしいのです。
表題作は幻想奇想的でありながら、中盤以降のサスペンス味も楽しい作品。
個人的に心に残ったのは「ナイト・ウイスキー」。
この設定からして奇想味満点なんだけど、生物の死骸に生える「死苺」という植物があって、その果実から作られるナイト・ウイスキーは飲むと亡くした大切な人と夢で会えるという不思議なウイスキーなんですよ。
これを飲むと、なぜか樹に登って眠り、その夜の夢で今は亡き人との逢瀬が楽しめるんだけど、翌朝、その人達を回収する専門業者(?)がいて、その見習いの少年がこの物語の語り手。
本来は今は亡き大切な人と夢の中で会うだけの筈が、その愛の深さ故なのか、愛妻を亡くした男がなんと病死した妻を黄泉の国から連れ帰ってしまって…。
というのがあらすじ。
このお話、よかったなー。
あとは「イーリン=オク年代記」。
こちらは浜辺で子供たちが作る砂の城に棲む妖精の話なんですけどね、この妖精の寿命は城が作られてから満ち潮で城が壊れるまでの間。
この妖精の一生が綴られた日記が後世に見つかって…という話。
この短編集は2冊目みたいで、1冊目の「言葉人形」もぜひ読んでみたいと思いました。
-
Posted by ブクログ
作品紹介・あらすじ
魔法は破られるようにできているの。
でも、約束はそうじゃない。
世界幻想文学大賞に7回、
シャーリイ・ジャクスン賞に4回、
MWA賞、ネビュラ賞など数多の賞に輝く
現代幻想文学の巨人による
郷愁と畏怖と偏愛に満ちた14篇
アコースティックギターの調べは、ぼくの目の前に金色の雨として現われる。指で絹をなでたときには、レモンメレンゲの風味とねっとりした感触を舌に感じる。ぼくは「共感覚」と呼ばれるものの持ち主だった――コーヒー味を通してのみ互いを認識できる少年と少女の交流を描くネビュラ賞受賞作「アイスクリーム帝国」、エミリー・ディキンスンが死神の依頼を受けて詩を書くべく奮闘する「恐怖譚」、マッドサイエンティストが瓶の中につくりあげたメトロポリスの物語「ダルサリー」、町に残される奇妙なしるしに潜む魔術的陰謀を孤独な男女が追う表題作ほか、繊細な技巧と大胆な奇想に彩られた全十四篇を収録する。
*****
名前だけは聞いた事があったけれど作品を読んだことがなかったジェフリー・フォード。書店に最新の短篇集があり、面白そうだったので購入。
最初の「アイスクリーム帝国」は共感覚を扱った作品。共感覚の持主同士が対峙し、どちらが幻覚でどちらが実在か、といった割とありそうな内容なのだけれど、これがかなり面白かった。なので期待して読み進めた。
ミステリーあり、ファンタジーあり、SFあり、ホラーあり、と結構幅広い内容の短篇集になっていて、ジュブナイル的作品も2本。どの作品も「おお、面白いじゃん」と時間を忘れて読み進めることが出来た。特に「アイスクリーム帝国」「タイムマニア」「最後の三角形」「ナイト・ウィスキー」が好き。 -
Posted by ブクログ
〈白い果実〉三部作の著者による、めくるめく奇想とイマジネールに彩られた短篇集。
ジェフリー・フォードの幻想小説はやっぱり唯一無二のヴィジュアルイメージの強さがある。「創造」の冒頭、どんなに注いでもジョッキから溢れないビールのネオンサインと生命のメタファーにはじまり、「光の巨匠」の首だけが浮かんでいる男の額に嵌め込まれたエメラルドの栓だの、「私の分身の分身は私の分身ではありません」のホワイトチョコに漬けられて姿を表す透明ドッペルゲンガーだの、「レパラータ宮殿にて」の小さな雲が浮かびグラスのなかに天気雨が降る〈プリンセス・チャンの涙〉という名のカクテルだの。緻密で妄執的なリチャード・ダッドの妖精画を思わせる読書体験。
『白い果実』のクレイもそうだけど、フォードは医者が嫌いだとしか思えない医者キャラをよくだしてくる。医者のことを絶対に"医術と称して他人に取り返しのつかない傷を残していく奴ら"だと思ってる。作中で科学者キャラが振りかざす似非理論の"オメーは何を言ってんだ"感も読みどころで、「光の巨匠」の心的光学の話は特に印象に残った。
男たちが創造主の真似事をしてさまざまなやらかしをする一方、女たちは男主体の物語に抗い、ともすると小説という構造からすら逃げようとする。「巨人国」は読んでて頭がクラクラした。訳者あとがきで言われているけど、唐突な場面転換が実は同一モチーフの反復になるというフラクタル構造の小説になっている。どこへつれていかれるのか最後までわからない。
ハイファンタジーと騎士道物語を掛け合わせた「珊瑚の心臓」もフェミニズム的に読めて面白かった。半身不随で空飛ぶ椅子生活を強いられている女の創りだした思念体がめちゃくちゃ強いのカッコ良すぎる。美文調の訳文もいい。
最後に置かれた「レパラータ宮殿にて」は、海賊の孫が築いたはぐれ者だけのユートピアが崩壊していく物語。本書で一番ウェットな感じの作品だが、これにも人の耳から芋虫をつっこんで悲しみを食わせるヤバ医者がでてくる。悲しみの繭から生まれた巨大な蛾というモチーフは目新しくないが、道化師や泥棒や娼婦だったアウトサイダーたちが実のない肩書を与えられて平和に暮らしていた王国のイメージは懐かしい人形劇のようで静かな余韻を残す。
どの短篇にも豊富なアイデアが惜しげもなくドバドバと盛り込まれている満足度の高い作品集。パラレルワールドの宇宙物理学を描いた「理性の夢」も面白かったので、SF系の作品も訳されてほしいなぁ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレジェフリー・フォードの短編を読むのは初めてのはず(長編は『シャルビューク夫人の肖像』を読んだが例によって何も憶えていない)。訳者があとがきに書いているように《現実的なものから幻想的なものへ》と配列された作品のうち、後のほうの「珊瑚の心臓(コーラル・ハート)」や「巨人国」「レパラータ宮殿にて」などが面白かった。より奇想小説ふうの作品群からはエリック・マコーマックを思い出した。いずれにしても、物語は忘れても、特徴あるイメージがきれぎれのままおそらく長く私の頭に残ってときどきよみがえったりするだろう。一冊通して読んで、なんとなくこの著者らしい世界の感じはつかめたと思う。そのうえで、名高い長編三部作などは自分にはおそらく重すぎてしんどいだろうなという気がする。『シャルビューク夫人…』はどんなだったかしら、若くて気力体力のある時分に読んだから…
-
Posted by ブクログ
ル=グヴィンの生前最後のエッセイ集だと本屋で見て購入。
でも、最初だけ開いて以降、数年、続きを読む事ができなかった。気力がないという理由で。
それが久しぶりに開いて見ると、するする読めるようになっているのは、ようやく、人の話をちゃんと聞ける自分になって来たせいなのかもしれない(だといいな)。
そんな風に、この人のエッセイは軽い話でもどこか「ずん!」としている。読んでいると、エッセイという定義が判らなくなってくる。辛うじて印象でまとめるなら、文学者のというより、それは学者や科学者の書くものの雰囲気がある。それでいて、けして難しい内容で読み手を煙に巻くというところは微塵もない。でも、一文一文で考えさせられてしまうのだ。彼女はそうさせるつもりはないのだろうけれど。
最初は老いや女性問題などについてのエッセイ。それも事情通の人にはとても響くだろう、ウィットに富んだ筆致でも、他の今まで私が読んだどんな人のエッセイよりも、軽妙なのに中身が濃い。
後半になってくると、この「ずん!」が「うん!?」に変わる。猫の話など、もっと身近な、でもそれもとても深くワクワクするような思考の広がりにつながっていく。なので、今から読もうという人は是非、最後の方を愉しみにしてもらいたい。
特に私は、第2部の『世の中を理解しようとすること』の「未完の教育」(グヴィンの猫がネズミを捕る話)、第4部の『報酬』の章の、「その木」(クリス●ツリーについての話)に惹かれた。さらに同じ第4部の「二階のお馬さんたち」については、思考の道筋が面白すぎて、楽しくて足をバタバタ鳴らして喜んでしまった。
この本は基本的にはグヴィンのブログの文章を再編したものからなっているとのことだけれど、最後まで読んで、さらに訳者の後書きまで読んで、感じていた印象の理由が「あぁ!」と明らかになった気がした。
彼女と同じ国で、語る元になった事件や本などを身近に知っていたら、もっともっと楽しめたのだろうと思ったし、訳者後書きに、彼女の講演の話や他のエッセイの事などが書かれているのを見ると、自分が英語圏にまったく造詣がないのに悔しさを感じた。いまからでも英語の勉強始めるかな(喋れなくても、読めればいい。笑)
カッコイイ人だなぁとつくづく表紙を見て、ため息が出る。同じ人間に生れて、光栄だと感じた。心から。
-
Posted by ブクログ
ファンタジーを愛するすべての子どもと大人へ。
ゲド戦記のル=グウィンがファンタジーについて語ったエッセイ集。ファンタジーをよく読む人はぜひ手に取ってもらいたい。なぜ子どもはファンタジーを愛するのか、ファンタジーは子ども向けなのか、ファンタジーとは何か。よくあるファンタジーへの問いかけにル=グウィンが真摯に答えている。
ハリーポッターから起きたファンタジーブームによってたくさんのファンタジーが手に入るようになったと思う。特にあの頃まさにティーンエイジャーだった自分に、たくさんのファンタジーが流れ込んできたのはよかった。確かにペラペラなものもあったに違いない。けれど自分は力を持ったファンタジーをたくさん読むことができた。もしかしたらそれはハリーポッター以前に書かれたもので、ファンタジーブームと関わりなかったとしても。とにかくファンタジーを読むことで、自分の生きる世界とは違う社会を知り、自分とは違う価値観で生きる人とどうやって手を携えていくのか、自分はどのように何を守って生きていくのかを考えられたと思うから。
ファンタジーにおけるジェンダーや人種の問題に関して、少なくとも人種に関しては日本語のファンタジーだとアジア系なので著者が指摘する白人の問題は感じない。しかし日本の中ではやはり差別される人種の問題があり、ファンタジーにはそういう人の問題が描かれていたと思う。ジェンダーや善悪に関して、例えば守り人、勾玉三部作や十二国記を思えば、日本のファンタジーは著者が指摘したところからやや進んだところにあるのではないかと思った。
ところで最近の異世界転生モノとかは英米でもあるのだろうか。なんちゃって中世ではあるけど。あれらはペラペラのファンタジーなのだろうか。それともあの中から力あるファンタジーが生まれて読み継がれていくだろうか。
動物の出てくる物語についても面白く読んだ。人間が動物をどのように扱っているのか、動物寄りから人間寄りのスペクトルで分類された物語をもう一度見直したいと思った。『ソロモンの指環』で語られていた動物の習性を理解して描かれた物語のことを思い出した。
日本はファンタジーに恵まれた国だと思う。日本人はアメリカ人ほどドラゴンを怖がっていないのではないか。それでもやはり日本文学研究者の中でファンタジーは認められていないのだろうか。それを語る人の言葉を今度は読みたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレローマの詩人、ウェルギリウスの『アエイーネス』に発想を得た作品。トロイアから逃れたアエイーネスがローマの建国の前史に関わったというが、本作のタイトルとなっているラウィーニアという女性については詩人ウェルギリウスの言及は少ないという。ラティウムの王女のラウィーニアは兄弟を失い、否が応でも王国の後継者としての役割が期待され、あまた求婚者が現れるなか、お告げによってアエイーネスと結ばれる。男優位の社会の中での彼女の主体的な選択の模索が未来につながるという物語となっている。
そのきっかけになったのが、ラティウム王家の神託の森でラウィーニアがウェルギリウスの死ぬ間際の霊魂に出会ったことにあった。ということは、ローマ詩人のウェルギリウスが死の間際に過去にさかのぼり、自ら作品に登場させた人物に、ローマ建国の未来あるいは自らの作品の内容を知らせたという伏線があるということだ。この作品はタイムトラベル物でもあるのだ。
著者のル・グウィンは、もともと欧米の教養人たちの共通の知識であった『アエイーネス』を始めとする古典が失われていくという状況も題材をここに見出した理由があったという。関連して思い出すのだが、オーストラリアの友人たちとの会話の中で、聖書やシェークスピアなど、彼らが知っている知識との落差に驚いたことがある。もちろん、ストーリーとしては知らないわけではないが、それを英語を使って話しをするとなると、厄介なことになる。語学の点では、タイトルや内容について、英語で話すことができるか、聞き取ることができるかということについて、これは、もちろんやむを得ないということではあるかと思う。しかし、ひるがえって、日本人同士の会話の中でこうした共通する教養といったものが成立するのか、ということが気になったことを思い出した。はたして、日本人としての共有する(あるいは、共有すべき)基礎知識的な教養というのは、いったいなんだろう。