入不二基義のレビュー一覧

  • 相対主義の極北

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    私の好みとしては本書の第6章がすこぶる良かった。デイヴィドソンについての本を最近読んだばかりのせいかもしれない。

    ただ解説者の野矢茂樹さんが言っている通り、分岐の可能性もあったと思う。つまり、理解不能なものが一つであることはできなくてゼロ個以上のどこかであるとも考えられる。物質を分割しても一種類の素粒子とは限らないように。

    私は私がいなくても世界は存在していて、むしろ私が、いるのが邪魔だと思っていたこともあった。最近はどちらかというと、私なしではこの世界が存在しなくなるという方向に向かっていた。反復していくという発想はなくもなかったが、元気づけられたことは確かだ。

    永井均さんがネッカーキ

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    2022年03月13日
  • 足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想

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    かなり充実したエッセイであった。 
    『私たち』に外はない
    足の裏に影はあるか?ないか?
    無関係という関係
    あらかじめ失われた
    一回性と反復

    メタについて考えるかなりたくさんの題材が眠っていた。
    ないよりもっとない。ある人にとってない人はないことが分かる。1番目はすでに2番目…本当に面白かった。

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    2020年08月08日
  • あるようにあり、なるようになる 運命論の運命

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     本書は単独作としては6年ぶりとなる入不二基義の哲学書である。前作『足の裏に影はあるか? ないか?』が随想集であったことを思えば、『時間と絶対と相対と』以来実に8年ぶりの哲学書ということになる。しかし待った甲斐があり、入不二本人があとがきで「主著」と位置づけているくらい、量的にも質的にも入不二哲学の集大成とも言うべき内容に仕上がっている。
    『時間と絶対と相対と』の最終章「運命論から何を読み取るべきか」をさらに展開し徹底したこの作品は、もともと講談社の月間情報誌『本』に連載されたものであったが、単行本化の過程で大幅な加筆・修正がなされており、入不二哲学初心者はもちろんのこと、連載を読んでいた読者

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    2019年07月09日
  • 足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想

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     哲学者入不二基義氏による初のエッセイ集である。既刊の序文を中心に構成された第ⅰ部、時間論的な哲学エッセイを集めた第ⅱ部、時事ネタを含む日常的エッセイの第ⅲ部、そして付録のプロレス論、どこから読んでも入不二哲学の魅力に触れることができる。
     同氏の既刊書はよくもあしくも本格的な哲学書がほとんどだったため、その分かりやすさとは裏腹に一般読者にとっては不当に馴染みの薄い哲学者であったが、本人をして「こういう本をずっと書きたいと思ってきた」と言わしめた本書は、読者を選ばぬ読みやすさと哲学ファンをも納得させる深さを兼ね備えた好著となった。
     個人的には第ⅱ部の書き下ろし三篇が最も刺激的であり眩暈すら覚

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    2019年07月09日
  • 相対主義の極北

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     哲学者入不二基義氏のデビュー作でありながら入手困難の状態が続いていた幻の名作が、ちくま学芸文庫に殿堂入りして帰ってきた。春秋社版を読み損ねていたわれわれファンにとっては待望の文庫化である。
    「あらゆる真理は相対的である」という相対主義の考え方を、相対主義自身に適用するとどうなるか。相対主義もまた相対的にのみ真であるということになってしまい、自己論駁に陥るのではないか。
     ここで「枠組み」という概念が重要になってくる。「Sは枠組みXにおいては真であり、枠組みYにおいては偽である」という主張が成り立つためには、枠組みXでも枠組みYでもない、両者を俯瞰する枠組みZが必要であろう。しかしその枠組みZ

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    2019年07月09日
  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか

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     本書は単なるウィトゲンシュタインの入門書ではない。『相対主義の極北』と『時間は実在するか』で確立された入不二哲学の手法を自我論に適用した、オリジナルな哲学書である。
     入不二はウィトゲンシュタイン哲学を「私」の問題に限定し、「独我論」「無主体論」「私的言語論」の三つの側面に切り分ける。そのそれぞれに入不二製の哲学メスが入れられる――「独我論」には「正反対の一致」が、「無主体論」には「ないよりもっとないこと」が、「私的言語論」には「拡張するわれわれ」が――。ウィトゲンシュタイン哲学の入不二的解釈であると同時に、入不二哲学のウィトゲンシュタイン的解釈でもあり、読者は双方の哲学を味読できるというお

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    2019年07月09日
  • 足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想

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    日常のモチーフを徹底的に考察し、自然に哲学の世界にいざなってくれる本。平易にして難解、穏やかながら問題提起もある。全編豊かな情緒に満ちている。

    かつてぼんやりと空想にふけっていた自分。今でも歳のわりに何事も上手く流せずいちいち引っかかりあまり生き方上手でない人間なもので、こういう本は知のストレス解消になる。

    (蔵書につき引用省略)

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    2018年10月18日
  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか

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    私と世界の深淵をのぞき込む体験をした。言葉に出来ないものを言葉で表す野心作。ウィトゲンシュタインの思考の深まりも追っている。冒頭の維摩詰の導入から引き込まれた。

    ・限界という概念 P39
     0.限界とはあるものごとが、それでありうるぎりぎりの条件である。
     1.限界とは、部分ではなく、全体に関わる。
     2.限界とは、全体の外にある何かではなく、全体を成り立たせている不在というあり方をする。
     3.限界とは、境界線なき全体であり、その全体の中身は別様でありうる。
     4.限界とは一つ限り、一回限りという唯一正を示唆する。
    ・類比的な以降の観点から見るとき、隣接項を持たない側面としての私と隣接項を

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    2016年05月07日
  • 相対主義の極北

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    「なんかよくわからんが凄い」これがこの本の印象で、論理的に思考展開するという行為の凄まじさを実感する本である。
    そういう意味ではまさに「私たち」の存在が無限の反復の中に存在するという本書の主張の延長線上にある感想となってしまった。
    「私たち」という絶対的な存在が立ち現れるという事をイメージする為には、その背後に無限の論理的反復による宇宙が存在し、その無限に生まれては消える反復こそ「私たち」という絶対的な存在の源になっているのではないか、という風に咀嚼してみた。

    私は本書が文庫化されていて本当に良かったと思う。それは解説がついてるからだ。解説が良い本はそれだけで読むに値すると思う。

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    2016年01月11日
  • あるようにあり、なるようになる 運命論の運命

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    2015.12 2度目の通読終了 面白かった。もしかして茶化しているのかとも思えてくる。
    あとがきに「もしレスリングを始めていなかったなら‥」とあるのも可笑しい。

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    2015年12月26日
  • 相対主義の極北

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     クラクラする入不二ワールド全開。理解が不十分な点も多々あるけど,分析系も突き詰めると,空や無というところに行き着くという感じでしょうか。認識論と存在論の関係とか,ゾクゾクします。

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    2012年07月19日
  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか

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    [ 内容 ]
    「すべて」と「無」は一致する。
    私は強力で特異だからこそ、無と化していく。
    独我論から私的言語論まで、正反対のものが折り重なる不思議な世界に分け入る。

    [ 目次 ]
    序章 不二の法門に入る―補助線として(この本のテーマ;正反対の一致 ほか)
    第1章 独我論―「限界」としての「私」とは何か(『論理哲学論考』―自らを消し去るべき本;いわゆる独我論 ほか)
    第2章 無主体論―独我と無我は一致する(いわゆる無主体論;ウィトゲンシュタインの無主体論 ほか)
    第3章 私的言語論―「ない」ままで「あり」続ける「私」(私的言語とわれわれの言語;私的言語への接近とその不全 ほか)

    [ POP 

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    2010年06月07日
  • アントニオ猪木とは何だったのか

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    面白かった。それぞれ面白かったが、
    やっぱりターザンの文章が1番面白い。
    これはもう「すりこみ」なのだと思うけど。
    テレビの古舘伊知郎、雑誌のターザン山本、
    この2人に言語能力は鍛えられた気がする。
    吉田豪がトリ、
    というのもパンクで猪木的でした。

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    2024年03月13日
  • あるようにあり、なるようになる 運命論の運命

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    運命のベクトルを変えていくのが主旨。

    以下、あくまでも、私の考える結論だけ。

    運命を受け入れることは無力であることを意味している。しかし、ただ受け身になるのではなく、波に乗るような、つまり、意に介さぬ波がありながら、それを活かすというのが、無力の中から自由を獲得する方法なのだ。運命と自由はこのようにしてお互いを助けあってくれている。

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    2022年04月03日
  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか

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    『論考』が「私」「世界」「言語」をどのようなものとしてとらえているか。そこに焦点を絞って説明してくれているのでありがたい。本書を読み進めていくと、著者が引用する『論考』の文が何だか理解できた気がするのがうれしい。特に60頁あたりの、「「言語」は、「世界」や「思考」や「論理」とは違って、その中で「限界」を引くことができる唯一の領域」という指摘は、なるほどと思った。が、本書後半の『論考』以降の議論は難しかった。

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    2018年12月27日
  • あるようにあり、なるようになる 運命論の運命

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    大学生の頃、「運命の赤い糸はあるのか」について考えたのを思い出しました(笑)その時の考え方としては、「赤い糸が、あるならば云々」と、「赤い糸がないならば云々」という「ある/ない」の二分法を用いていたのですが、これが排中律だったとは夢にも思っていませんでした。
    「運命はあるか?」、その問いの答えは、本書のタイトルにあるように、「あるようにあり、なるようになる」とのことで……、確か僕が考えた「運命の赤い糸」の答えもそんな感じだったように思います。有るにしても無いにしても都合が悪いんですよね……

    21世紀哲学者の運命論の答えはこんなもんか~なんて若干思いました。馬鹿にしているわけではないですが、大

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    2016年10月22日
  • あるようにあり、なるようになる 運命論の運命

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    タイトルが全て。入不二哲学の到達点であり、おそらく主著となるであろう一冊。私のレベルでは一読しただけではついていけませんでした。。。またじっくり楽しもうと思います。

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    2016年04月27日
  • 足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想

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    ネタバレ

    哲学書とはいえ、内容はエッセイなので取り付きやすい。
    ただ入り口はそうであっても、さすがは哲学家、そこから施策の迷宮に彷徨うことになる。
    書いてある文章は読めるし分かるが、内容は複雑で理解できないところもある。しかし一方で、今まで自分が感じていながら表現(説明)出来ないことが見事に論理的に説明されてスッキリするところもある。
    このレベルであれば、もう少し楽しんでみたい。

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    2016年02月14日
  • 相対主義の極北

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    『相対主義の極北』というタイトルに惹かれて購入。

    「地平線と国境線」と「足の裏の影」の話から入る。ここに相対主義の枠組みと実在の関係と、相対主義の無限後退と実在の関係を想像するべきなのだろうか。

    著者は本書の考察を「円錐形」になぞらえる。絶対的な真理や正しさはなく、枠組みや観点に依存するという相対主義は非常に広い。カントの物自体に対する哲学的枠組み、プロタゴラスの人間尺度説、人間原理、ルイス・キャロルの亀とアキレスのパラドクス、などは円錐のたとえにおいて、これは円錐の底面に相当する。ただし、その論考を煮詰めるとすべての相対主義の議論は核心とも言うべき一点に縮減される。これが円錐の頂点に当た

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    2015年10月19日
  • 足の裏に影はあるか?ないか? : 哲学随想

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    哲学での旅
    足の裏に影はあるのか?
    平等な競争とは何か?
    未来はやってくるのか?

    日常ではあまり考えることのないことを考える。
    先の一問目は、あるというのもないというのも正解だがないということにも二つの言葉があって......。
    と終わりを見ない。
    二問目は、平等というものを押し進めていくと、そもそも競争など必要ないではないか、という答えに繋がり、競争を競争として成り立たせるためには、些末な不平等はないものとして扱う、ということになる。
    しかしそのどこまでが些末な不平等なのか、ということにまで考えを及ぼすと、やはりこれも万人がな得する終着点は見えない。
    三問目も大変興味深い。
    未来はやってく

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    2015年03月18日