ジョーン・G・ロビンソンのレビュー一覧
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ネタバレ面白かった!!
終盤でさまざまな出来事や伏線が回収されていき、それを受けて改めて序盤からのやり取りや言葉を思い返すと、まったく違った印象で見えてくる作品だった。
観る前はシンプルな少女の成長物語なのかと思っていたが、実際には多くのテーマを内包しているように感じた。
自分が愛されていたことに気づく物語でもあり、本当の友達とは何かを問いかける物語でもある。また、孤独だと思い込んでいたアンナが、さまざまな人との出会いを通して少しずつ変化していく物語でもあった。
特に印象的だったのは、アンナが救われるのが「特別な力」や「劇的な出来事」によってではなく、自分を取り巻いていた人たちとのつながりや、自分が受け取ってきた愛情に気づくことによってだった点だ。
マーニーとの出会いは不思議な体験として描かれているが、その先にあったのは、過去と現在、家族の記憶と今を生きる人々とのつながりを見つめ直すことだったように思う。
観終わったあとには、「自分は一人だと思っていても、本当は多くの人とのつながりの中で生きているのかもしれない」という静かな感覚が残る作品だった。
誰かが残した記憶や物語に触れることで、自分自身の見え方が変わっていく。その意味では、家族の歴史や写真を通して自分を見つめ直す営みにも通じる作品だと感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ下巻を読んでみた。上巻の「よくわからない」を取り消したいくらい面白かった。
マーニーがいなくなって、それが幻だとアンナが気が付く。
しめっち屋敷の新しい住人『リンゼー家』の人々との交流が下巻のメイン。
アニメはマーニーとアンナの交流がメインで、マーニーが実は祖母だったという事までは分かったけど、『寂しい少女が見た幻』という認識しか持てず、バタバタと終わってしまった印象だった。見終わっても「だから、何?」と思ってしまった。
原作はマーニーとの交流の上巻。それと比較して下巻は『リンゼー家の人々』との交流がメインで、単なる『寂しい少女が見た幻』というだけではない事が分かってよかった。
アニメでは『自分が普通ではないと思っているアンナ』という描かれ方だったけど、原作は『自分は外側にいて、内側には入れないアンナ』が描かれている。
アニメはエンタメだからわかりやすく『普通』という単語を持ってきたのかなとも思うけど、私は『外側』という言葉の方がしっくり来た。
自分と外の世界との繋がりの物語。
「普通という誰かが作った枠」ではなくて、「自分が作ってしまった『内側』と『外側』」が原作の物語。
マーニーは『内側』の物語として語られていて、最終的に「マーニーが祖母で、祖母が元々しめっち屋敷に住んでいた」という繋がりが『外側』であるリンゼー家の人々と繋がっていく。この繋がりに読んでいて、震えてしまった。アニメではそこがなかった。
アニメではしめっ地屋敷の新しい住人「彩香」という少女が日記を見つけて、アンナに見せてくれる。それを見て、アンナはマーニーの存在に疑問を持つ……となっていたけど、原作ではマーニーとの出会いが終わってから、しめっち屋敷の新しい住人達との交流が始まる。だから、アンナは最後までマーニーの存在は疑っていない。二度と会えなくなるまでは。
新しい住人たちは『5人の子供たち』と『その母親+父親』で、彼らを通してアンナは「心をすり減らさずに人と接する事」を学んでいく。
日記を見せてくれたのは「プリシラ」という変わった少女。彼女の他に4人の兄弟たちがいる。どの子たちも魅力的に書かれている。人数が多いので若干うるさくも感じるけど、それもまた「一人きりのマーニー」との対比のような気がする。
リンゼー家の人々はすごく優しくて気さくで、アンナが「ボートの小さな錨」を黙って持ち帰っても怒ったりしなかった。何か理由があると考えてくれる思慮深い人たち。アンナは後からちゃんと謝って、錨が実は「マーニーのもの」と確定した時点でそれはアンナが所有してもおかしくないものとして、「キレイに塗り直す」ことまで提案してくれる。
リンゼー家の人々の優しさが、アンナの心を解いていくのが読んでいてわかる。そして、「おばちゃん」も彼女たちに会って、アンナに真実を話そうと決心する。実は「アンナはマリアンナという名前だという事」を。
この辺りはアニメでは一切なかった。(お金の話はあったけど)名前が実は変えられていたなんて……日本版で名前を変えるのは無理だろうけど。おばちゃんはアンナを「自分の子供にしてしまいたくて、元の名前の半分を消した」と。正直、それはないだろとは思うけど、そのありえない事をしてしまうくらいに「アンナが欲しかった」という気持ちは分かる。
アニメはなんだか、「アンナの自力と運」だけで「祖母の事を知って自分も頑張ろうと思った」と言う風に見えたけど、原作は「たくさんの人と関わる事で変わっていくアンナ」が描かれている。
最終的には「みんな自分が外側の気分になる事もある」という事にアンナ自身が気が付いてる。
「自分は一人ではなかった」という着地点ではなくて、「みんなそう思っている」「人と繋がれる瞬間はある」「そして、一人きりの気分の時もある」というのが原作だった。
私はこっちの方が好きだ。
安易な「みんな繋がっていて、一人ではない」というものよりも、「一人きりの気分(外側)のときもあるけど、繋がっている(内側)の時もある」のほうが感覚として分かる。でも、エンタメとしてはそんな中途半端な作りにしたら、売れないのかな……とは思うので、アニメはアニメで刺さる人には刺さるのだろうとは思う。私は無理だっただけで。
アニメにモヤんとした人は、原作読んで。特に下巻。マーニーと別れた後が本当に面白いし、アンナが成長していくから。とお勧めしたい。
素敵な物語、ごちそうさまでした。 -
Posted by ブクログ
物心ついた時から、夕方という時間帯は怖かった。明るくもなければ暗くもなくて、あの薄暗さが不気味で大嫌いだった。緊迫感、焦燥感、迫りくる何かへの言いようのない不安な気持ち。夕方になると、部屋の明かりは必ずつけていないと落ち着かない。
まさかその夕方に、わたしの中で懐かしいという感情が芽生えるなんて、あのころは思いもしなかった。
街がオレンジ色に染まると、気分がどうしようもなく塞ぐ。ただただ悲しくて、気がついたら声も立てずにぼろぼろ涙が溢れてきていることも度々あったし、計り知れない絶望感のようなものが押し寄せてくることもあった。
どうしようもない孤独感、終わりゆく一日を悟っての虚無感、襲いかかる自己嫌悪。そして、毎日がそれの繰り返し。
小学校高学年のころ、この本に出会った。スタジオジブリによって映画化されるとの告知があり、内容がうろ覚えだったので、もう一度読んでおこうと、去年の春ごろに再び手にとった。
まるで目の前に浮かび上がってくるように描かれた情景描写。夕方の海の満ち干が、繊細に美しく書かれていて、その場面だけはあの当時から今でも、くっきりと鮮明に頭の中に焼きついているのだ。
この本を読んで以降、わたしの夕方への感情はガラリと変わった。切なくて寂しくて、それだけが襲いかかってくる夕方。黄金色の夕陽が、目にしみるほど迫ってくる。あまりにも美しすぎて、怖いくらいだった。逢魔時、なんて言葉があるけれど、この時間帯は本当に未知で何か、別の次元に引き込まれ連れ去られてしまうような……そんな不思議な何かがある。
西陽が傾きはじめ、オレンジの光が街に降りそそぐ。そんな時ふと、今やもうない失くしてしまった何かを思い出しては、この夕方のベールのどこかに、わたしの探している場所があるのではないかと思ってしまう。
夕方が怖いのは、もう戻れないことを心のどこかでは知っているから。わたしを待つ人などいないと分かっているから。もう帰れないと気づいているから。そうしてわたしは、そういう大事な感情を消えてゆく夕闇の狭間に置いてけぼりにして、忘れてゆくのだろう。 -
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イギリス児童文学でもあり、以前から読んでみようと思っていた作品の一つであったことを、ジブリの最新作の特集(月刊MOE)で思い出し、ようやく手にした。題名も『思い出のマーニー』でしたが(笑)原作タイトルは“WHEN MARNIE WAS THERE”
岩波少年文庫では、上下巻に分かれているので、感想は、こちら下巻の方に。
物語は、養父母の元を離れて、ひとり転地先に向かうアンナの列車旅から始まる。ここで、心を閉ざした感のある孤独なアンナの思いといきさつが少し語られ、後書きで訳者の松野正子さんが、この出だしがとっつきにくいのでは案じていらしたが、心象的にも深みのある作品らしいと感じた。
アンナは、常々、他の人たちが興じたりする物事の“内側”の輪に入れない“外側”の、いわば疎外感を持っていたが、周りの大人からは、“やってみようともしないこと”(意欲のなさ?)など問題視されており、喘息を起こした後の転地であった。
行先は、養母の友人夫婦が住むノーフォーク州、海辺の村。アンナは、その入り江の湿地に佇む古い屋敷の裏で、誰も知らない金髪のマーニーという不思議な少女と出会い、友だちになるのだが…。
この物語のクライマックスとなる風車小屋での出来事からの後半、下巻に入って、物語は一気呵成に面白くなる。マーニーに置き去りにされたと思ったアンナが、その後、だんだん現実の生活感と人々にもなじみ、物語の伏線から謎ときの形で、マーニーの秘密を知り、やがて気がついてみれば、身丈だけでなく、心的にも大きく成長し、自身も、周りの世界の感じ方も変わっていたのだった。
私も、気がつけば、あっというまに読みおわり、イギリスの風土に根ざした素晴らしい物語を味わえた。
ちなみに、岩波少年文庫の挿絵のペン画は、パディントンでもおなじみのペギー・フォートナム。
ジブリのマーニーも素適な出来上がりだったそうですが(家族談)、やはり、活字=原作を読むのが好きな私です(笑) -
Posted by ブクログ
とある出来事から心を閉ざしがちになった少女の成長の物語。
とても面白かった!
上巻を読んだ時に、表現面(情景、心理描写など)がいいと思っていた。
しかし、最後まで読んでみて、ストーリーの質も高いことが解った。
大人であっても十分楽しめるものになっている。
(逆に言えば、児童文学としては、若干難しいかもしれない。)
このような素晴らしい作品を読めたことは、原作者はもちろん、翻訳者の力量によるところも大きい。
ありがとうございました!
映画を見る予定がある人は、映画の後に読んでみるといいかも知れない。
映画とはひと味違った角度から、再び思い出のマーニーを楽しめると思う。 -
Posted by ブクログ
とても面白い!
ある出来事から、心を閉ざすようになってしまった少女が、自分と近い感性の少女との出会いを通して成長していく物語。
ジブリで言えば、「魔女の宅急便」や「耳をすませば」に少し近い雰囲気を持っている。
児童文学ということもあってか、情景描写がとても丁寧である。
おかげで、イギリスを舞台としているにもかかわらず、ノイズを感じることなく読み進められる。
これは原作者はもちろんだが、翻訳者の力量によるところも大きいのだろう。
また感情の表現も多彩であり、かつ感情をもろに書くだけではなく、その表出としての行動を書く感情チラリズムも多く、大人でも十分楽しめる。
解るように書くということはとても重要だと思う。
この本を読んでいると、谷崎潤一郎が言っていた、白楽天(白居易)の話を思い出す。
それは、白楽天は自分の作った詩を発表する前に、近くにいるおじさんおばさんに読んで聞かせて、わからない言葉があった場合には躊躇なく平易な言葉に置き換えたというエピソードである。
解りよいからと言って陳腐な作品とは限らないのである。
まだ上巻しか読んでいないため、それに限ったレビューとなるが、早く下巻を読みたい。