村松友視のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ北の富士流
著者 村松友視
新広社
2016年7月10日 発行
九州場所が始まった記念に、こんな本を読んでみました。
なかなか、面白かった。
現在の解説者でも断トツ人気の北の富士。
私が小中学生のころ、現役時代も人気ありました。
貴ノ花(若貴の父親)との「かばい手」の一番、よく覚えています。みんな貴ノ花の味方でしたが、北の富士も人気でしたね。
北の富士も若い頃、あまり強くなかったようです。しかし、三段目でもたついていた昭和35年夏、名古屋場所後の北海道巡業。両親のいる旭川の前、釧路の親戚に呼ばれてご馳走になってすっかり酔っぱらって朝帰り。それがうるさい兄弟子に見つかり、土俵に引っ張りだされてリンチされた。いわゆる“かわいがり”。
顔は腫れ上がり、足腰は寝返りがうてないほどの痛み。急性盲腸炎にもなり、蹴られたところが悪く腹膜炎を併発して危うく命を落とすところに。
しかし、仕返しをするのではなく、「土俵の上で見返してやるんだ」と決意して、それから出世街道を歩んだとのこと。
また、北の富士といえば夜の帝王。どうやら、親友の龍虎と一緒に遊び歩いたらしい。2人の浴衣姿は群を抜いてカッコよかったそうだが、オンナについては龍虎の方が上だったとのこと。
いやあ、あんな風に見えて、やっぱり凡人とは違うなあ。 -
Posted by ブクログ
『私、プロレスの味方です』で有名な村松友視の短編小説集。『当然プロレス』も昔買ったけど、プロレス話が深すぎて1作しか読んでない。実家に有るんだっけな。
グレート東郷を筆頭に、戦後活躍した日系悪役レスラーたちの足跡を追うために、なんとなくハワイに降り立った主人公。ひょんなことからつきまとってきた現地の運転手か、その知り合いかは定かではないが、とてつもなくプロレス人脈を持っており、ハロルド坂田に会わせてもらうことになる…。
前半数作は、プロレスサークルの覆面レスラーの話が若干変わっているが、プロレス中心の話。後半数作は、プロレス関係ない話で意外であった。
もともと編集者ということで、語彙がしっかりしており、言葉選びも相当細やかなところは好感が持てるし、同僚の観劇担当編集者が、「奈落を見せてやる」と裏方を覗きに行ったっきり失踪するなど純文学としてもドラマとしても完成度の高い作品が詰まっている。
ただまあやっぱり、プロレスに思い入れがないとのめり込めない部分が有るのは、若干ハードルが高いかな。クレイジータイガー(ジェットシン)やアラブの暴れん坊(ブッチャー?)が、パイプ椅子を相手の顎めがけて打ち下ろすなんていうのは、プロレスから離れている人にとっては、痛いとしか感じないわけで、あれはそういう演出だという情景が見えないと辛い。
また、タイガーにしろ覆面レスラーにしろ、情景でもあり、人生の比喩でもありという表現で、プロレスを見ている人にとってはうまくはまるのかもしれないが、そうでない人にはどっちつかずの印象になるのではないか。
高度成長期の日本、アメリカにとって、仮想的としての特定国や文化があり、プロレスがそれにうまくマッチしていた時代であったということを知るには非常に良い作品であろう。
あ、プロレス以外の話も面白いよ。 -
Posted by ブクログ
表紙に「アントニオ猪木 X 村松友視」とあったので、猪木と“プロレス界の住人”である村松の対談本と思って安心して手にしたのだけれど、さにあらず。
よく見ると、二人の名前の下に、スポーツ報知の記者が「構成」として載っている。村松の「<あとがき>のようなもの」で明らかにされているが、本書はこの記者が二人に個別にインタビューした内容を対談形式に構成し直したもの。そして、どうにもこれが消化不良の元になっている。
村松の興味深いコメントに猪木がどう反応するのかと思ってページをめくると、そこに登場するのはこの記者のあまり意味のない解釈や解説(もどき)。村松の前著「アリと猪木のものがたり」の一節を引用したり、一般読者に向けての解説であることは理解するけれども、果たしてこの本を手にするのは一般読者なのか、と考えるとそれは疑問。前著を読んだワタシのようなプロレス者を対象とした、割り切った作りにした方がよかったのではないかと思う。
また、本書の後半は、またしてもアリにまつわる話。前著で書き切れなかったと思われるアリとアリ対猪木への想いを村松が語る。村松さん、ちょっと引っ張りすぎではないかな。 -
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42歳で死去した歌手、水原弘の伝記。読みやすいのだが、当時の芸能週刊誌や、政治から芸能、ヤクザなど多岐にわたってフィクションなのかノンフィクションなのかよくわからない独自の世界を築いている大下英治による水原に関する著書からの引用が多すぎる。かなり重要な場面でもそれらの丸写しであり、著者は単にそれらをまとめただけ、という印象だ。
まあこれも、村松がそれらを読んでから「アレンジをして」文章を書いたりしたら、逆に盗作と呼ばれてしまうからかも知れない。そういう意味ではアザーピープルズフンドシでスモウレスリングを取る形にせざるを得ないのかも知れないけれども、例えば村松が会ったという複数の関係者について、そこからの具体的なエピソードや明確なセリフが入っていると、まだ印象が違うのではないかと思う。 -
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「老人の極意」(2015.10)を読み、次いで「大人の極意」(2016.7)を読みました。「大人の極意」がとても面白かったので、あらためて「老人の極意」を読みたくなりましたw。ここでも第26話「幸田文さんの千代紙のマッチ箱」が光っています(^-^)銀行のマッチ箱に四季折々の千代紙を貼る習慣、幸田文さんおしゃれですね!この「極意」の2冊、著名人のエピソードが沢山登場する「大人の極意」が断然面白いと思います(^-^)
「老人って何?」: ①辞書では、年寄り ②老人福祉法では、65歳以上 ③いろんなことをいっぱい見てきた人 ④まだまだ若いものには、まだまだ〇〇くらいは、と言い始めたら ⑤硬軟自在、かわいくてユーモアのある人。そして、古きものの価値は、見る者、感じる者、思う者の心の中にある。 -
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今宵も猫本を1冊。内田百?『ノラや』とはちょっと趣向を変えて(失礼、かな?)、これを読み返して、寝ます。『ノラや』から町田康『猫にかまけて』『猫のあしあと』というライン(私が勝手に引いた)があるとすれば、年代的にも状況としてもその間に置かれるべき1冊。とはいえ、そのラインからはちょっと逸れるかな、というのが個人的な感想です。私がそう感じる理由は……。いくつかあるし、詳述すれば長くなりそうだし、ちゃんと綴れるかどうか心許ないし、控えます。敢えて、一言。「伴侶」であるアブサン(猫の名)が死んだとき、著者の「カミさん」は「辰吉丈一郎の十二ランウド目」と綽名されるほど泣き腫した、……と述べられているけれど、私が「泣いた」ことは書かれていない、ということ。敢えて言えば、そこが内田百?・町田康との違い、かな。勝手な感想で申し訳ない。でも、猫の大往生(と言っていいのでしょう)を看取ることのできた幸せ、というものも感じます。私は、ここに書かれているような事態が、実は嫉ましいのかもしれません。突然いなくなる、不慮の事故でなくす、よかれと思ったことではあるが僅かな時間で他人に託す、…、そういう猫との別れ方の多かった私は、最期を時間をかけて看取ることを許されたい、と思ってしまいます。いずれにしても、こちらの身勝手なのでしょうけれど。猫が、幸いなれば十数年から二十年余は長生きするとして、私が「その一生」に寄り添うには……、もう残されたチャンスは少ない?そんなことも考えて、また別な意味でせつない。この本自体の感想になっていませんね、再度陳謝します。「アブサン」は言わずと知れたお酒の名。「不在(absens, absentia)」とは直接関係ないけれど、どうしても「不在」の一語をイメージしてしまいます。それが私にはせつない理由のひとつでもあります。それにしても、羨ましい!こんなふうに一猫と添い遂げてみたい。