松元崇のレビュー一覧
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日本語の思考で世界と戦う 英語の議論と日本語の議論を使い分ける
主語と自己主張 英語 中国語 韓国語
人を思いやる 日本語
日本語 相対敬語で主語が無くてもわかる 主語=世間での自らの位置を示す主体
中国では漢字と読みの統一 日本では独自の訓読み 中華文明に埋没しなかった
同音異義語は創造力を養う 臨機応変の大阪弁 掛け合い
型から入る文化 論理ではなく直観 世間で相互の感情を共有
英語 ズームアウト 証拠より論 音声言語 複雑で数千ある音節
日本語 ズームイン 状況説明してから結論 文字言語 110程度の音節
英語型の議論には 正面から論理的に対応し それ以外は日本流の対応で
全体を大まかな把握から 具体的に問題をズームインしていく
中国語 唯一残る象形文字 筆談で意思疎通
名刺と動詞の区別も語尾変化なし 建前と本音の乖離 受け手に論理的探究
天命思想 易姓革命 事実の検証をしない
韓国語 証拠より論
主語ウリ 自分中心の世界 相手の身になっての表現がない 謙虚は卑屈
ハングル=訓民正音 儒教の漢籍を正しく発音させるもの 近代化で言文一致
漢字禁止で表音文字になり発信力を強める
日本「迷惑をかけるな」 中国「騙されるな」 韓国「負けるな」
英語 啓蒙思想の17世紀から主語 主語を使う言語は少数派
宗教改革から デカルト「割れ思うゆえに我あり」 自然同列から人間上位へ
日本人 仏教の縁起=自我がない 自我を求められる不安が日本人の自殺の原因?
水に流す から 徹底的に叩くへ変わりつつある・・
ネガティブ ケイパビリティ 日本語の「寄り添い機能」
事実や理由をせっかちに求めず不確実性や懐疑の中にいられる能力
「鈍感力」 「スルースキル」 「知らんけど」
人間みな平等 自分を主張しない心地よさ 人格が柔らかくなる -
Posted by ブクログ
最近ふと思うのは、今日本は「戦時下」にあるんじゃないかと。
また日本は再度、無謀な「戦争」へと突入しているのではないかと。
以前の戦争は「敵]がいましたが、今回の戦争は、「敵」がいません。
今の「戦時下」という状況は、以前と様相がかなり違います。
以前は、ABCD包囲網より、物資がありませんでしたが、
今は、外国に依存しながら、物資があります。
しかし、多くの人が「何か」が足りないと感じています。
以前は、みんな貧しく、国から好き嫌い関わらず、
団結するように強制されましたが、
今は、国民間で経済的かつ心理面での2極化が急速に進み、
もう互いに助け合うことも、繋がることも、団結することもできなくなりつつあります。
以前は、国のために命まで捧げていましたが、
今は、自分のために、他人の命を犠牲にするようになりました。
このあまりに違う「二つの戦時下」ですが、方向性は同じです。
それは、着実に日本は「崩壊」へと向かっていることです。
以前は、300万人以上の犠牲者を出しましたが、
今は、生きていることに絶望感を感じている人がどんどん増えていっています。
ある見方では、以前より、今のほうが、より深刻かもしれません。
なぜなら、「苦しみ」が長期化しているからです。
黒船来航から日本は外部からの圧力により「変化」せざるを得なくなりました。
日本は自力で「変化」するのを得意としていません。
かならず、外部要因で「変化」する国です。
日本は、明治維新を経て、日清、日露戦争に突き進み、絶望的な太平洋戦争に、
進みました。多くの人が、あの戦争に反対しました。
なぜなら、「必ず敗ける」と、多くの首脳部が知っていたからです。
そして多大なる国民の命と財産を犠牲にして、
再度外部からの強制的圧力で日本は「変化」しました。
今、日本が最後に「変化」してから、70年以上経ちました。
そして、最近再度「外部圧力」が起こりました。
東日本大震災による福島の原発事故です。
原子力発電は、戦後日本の経済発展と技術の象徴です。
その象徴が実は国民の安全と生活を脅かす、凶器とわかりました。
この「原発事故」が、日本にとって、「変化」する機会でしたが、
どうやら、日本はもう「変化」できないのかもしれません。
それは、自力で「変化」することを、
日本人は、絶望的に得意としていないからです。
それは、端的に言えば、「変化」することが、怖いからです。
日本は今「戦時下」にあります。
行先は、国の破綻、崩壊です。
これは、もう避けようのないことかもしれません。
「そんなことはない!」と言う人は、
多くが自己利益のため「だけ」に発言しています。
歴史を振り返るのならば、
日本人は、再度、「外部の圧力」が訪れることを、
黙って待つしかないのかもしれません。
でも、今度「外部の圧力」来るのは、いつになるのでしょうか?
それまで、この「戦時下」を耐えられるのでしょうか?
自分たちは、再度、太平洋戦争の突入しているときのように、
絶望的な状況で、その状況を、「おかしい!」と声に出すと、
それは、「言ってはいけないこと」「良くないこと」と「自動的」に判断されます。
それは、日本の空気となっています。
この状況が「戦時下」でなくて、いったいいつが「戦時下」なのでしょうか。
事実を事実として、発言し、客観的な分析を加えながら、意思決定をし、最適解を見つけるのは、
「変化」する上での適切な方法です。
しかし、この「方法」を行おうとすると、
以前と、同じようにように、言った人は「非国民」扱いされます。
あまりに似ている「今」と「以前」、
その「以前」を知る上でも、
この本は、非常に有益だと思います。 -
Posted by ブクログ
「主語がない」など特異な日本語が日本人の思考に与えた影響を紐解き、国際社会を生き抜く武器として再評価する。
言語体系が思考を形作るという事実の上で考えてみると…。「わたし」を主張し論で押し通す外国語に対し、相手の立場を重んじる日本語の曖昧さは、分断の進む現代において他者と和解し共生するための処方箋になり得るとのこと。
また、言語表現自体が珍しく巧みなものでもある。
「漢字・ひらがな・カタカナ」を巧みに使い分け、表記によってニュアンスや雰囲気を変える。あなた、アナタ、貴方、貴女…この差異がわかり使いこなせる文化的素養・創造性を見直してみる。
日本語SUGEEEEを言うつもりはないけれど。
日々何気なく使っている言語の奥深さに気づき、静かな自信と誇りを取り戻せる読書体験でした。 -
Posted by ブクログ
有識者5人により日中戦争について書かれた本。3部10章から成り、5人で各章を担当している。特に、戸部先生と庄司氏の内容が素晴らしく、勉強になった。
「(日中専門家による共同研究)太平洋戦争の勃発によって中国は、世界大の「反ファシズム統一戦線」の重要局面である中国戦線を一手に担い、日本軍を消耗させたがゆえに、連合国の「世界反ファシズム戦争」の勝利も実現した、という第二次世界大戦像は動かしがたいことを確認することになった。中国以外の連合国が抗日戦争の勝利に貢献したという側面が入る余地は少ないのである。以上のような傾向は、現在の習近平政権になって、さらに強まりつつある」p5
「(リットン報告書)報告書は、中国の主権と領土保全という普遍的な原則を前提としながら、軍閥を排し、満州における日本の権益と歴史的関わりなど、特殊な地域情勢にも配慮した妥当な解決方法であった。しかし、もはや日本ではほとんど見向きもされなかったのである。日本は独立国家・満州国の承認をすべてに優先させ、それ以外の事変解決の代案には目を向けなくなっていた」p30
「満州事変はほぼ石原らのプランどおりに進行した。軍事的には、中国側が武力抵抗しなかったことが、それを可能にした主な理由である。事変勃発時に北平(北京)にいた張学良は10万の兵を擁し、満州にも20万を超える東北軍があったが、関東軍の兵力は1万余に過ぎなかった。しかし張学良は、日本側を刺激しないよう命じる蒋介石の指示を受け、奉天の部下に日本との衝突を避けるよう命じた」p30
「リットン調査団の現地派遣は、公平な現地調査に基づいて国際連盟の最終的な判断を下そうとする試みであったが、日本はこの連盟の苦肉の試みを無視したのであった」p31
「日中戦争は、おそらくは偶発的に発生した盧溝橋事件が、その後の日中両国の対応によって拡大した典型的なエスカレーションであった。日本側は、これまで同様の事件が発生したときに採用されてきた現地解決方式によって処理を図ろうとした」p48
「中国への出兵に反対する石原らは「不拡大派」と呼ばれた。彼らは、当面、対ソ戦備充実のため満州国育成に専念すべきであり、中国との衝突は避けなければならないと主張した。また、中国の抗戦力は侮りがたいとし、中国と武力衝突すれば紛争は長期化・泥沼化すると予想するとともに、その間ソ連が軍事介入してくるかもしれないと憂慮した。これに対して拡大派は、中国の抗戦力を軽視し、一撃によって中国を屈服させれば、事変はかえって早期に解決されると主張した。ただし、拡大派も中国との全面戦争を考えていたわけではない。拡大派は戦場を華北に限定することが可能であるとし、そこで中国に一撃を与え屈服に追い込むことができると楽観していたのである」p50
「上海戦には多くのドイツ軍事顧問団が参加、中国の中央軍が彼らの指導を受け、ドイツ製の武器を装備しており、「上海地区での日中戦争は、一面、日独戦争である」とまで言われた」p63
「当時、参謀本部第一部長であった石原は、「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引摺って行ったものと云って差し支えないと思う」と回想していたのであった」p66
「(昭和天皇)戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ、又、行わざるを得ぬと云うことを確信した」p72
「(海軍航空隊の活躍)杭州など中国空軍の中枢飛行場を空襲、使用不能とし、上海近辺の制空権を一気に制圧したのであった。上海において、圧倒的な勢力の中国軍の猛攻に、海軍特別陸戦隊が陸軍の到着まで持ちこたえることができた要因として、日本側が制空権及び制海権を掌握していた点は大きかったのである」p73
「(南京での戦闘)一般的に大都市において市街戦に至った場合、兵士のみならず多くの民間人の犠牲が生じることは避けがたい」p89
「(重慶への遷都)物資や資源の総動員体制も困難を極めた。そもそも、中国経済の中心は基本的に上海あるいは沿岸部であり、「大後方」と言われた四川省など内陸部は、特に工業生産からみれば決して抗戦を支えるだけの生産力を有していなかった」p108
「日中戦争では多様なメディアによる宣伝戦も見られた。満州をはじめ華北、江南、沿岸部などを占領した日本は、中国大陸や世界に向けてラジオ、ポスター、ビラなどさまざまなメディアを用いた宣伝をおこない、自らの中国統治を正当化しようとした。中国側も其れに応じ、中波、短波放送を利用して、重慶から中国内部また海外にする放送をおこなったり、日本軍に降伏を促すビラを撒いたりした。また、1938年には中国側飛行機が熊本県でビラを撒いたことが知られている」p113
「(ニューヨークタイムス(1937.8.31))上海の開戦に関しては、記録は唯一の事実を実証している。日本軍は、上海での戦闘が繰り返されることを欲しておらず、我慢と忍耐を示しながら、事態の悪化を避けるために、なし得べきすべてのことを行った。しかし、外国の租界や権益をこの衝突に巻き込もうという意図があるように思われる中国軍によって、日本軍は文字通り衝突へと追い込まれていったのである」p120
「(空襲後に一人泣き叫ぶ赤ん坊の写真(ニューヨークタイムスから世界へ繰り返し発信))「此の写真は点火されたマッチの役目」を果たした。多年に亘る辛抱強い仕事の結果築き上げられた所の米国大衆の反日感情の火薬庫を爆発させた。此の爆発の恐るべき効果が明白になって来た時、ルーズベルトは、突如「廻れ右」をした。シカゴ演説を行い、ハルは其の後を承けて、日本を条約違反者とし、又侵略者として非難した」p131
「第二次上海事変勃発直前のアメリカの世論調査(1937.8)では、日中戦争に際して中国支持が43%、日本支持がわずか2%、中立が55%であり、すでに中国への支持が日本を圧倒していたのである」p134
「中国は、上海戦に象徴されるように、国際世論を味方につけるために、積極的に宣伝を活用した。馬淵大本営報道部長は、「白髪三千丈式の宣伝は、三国志以来の伝統であり、支那はすぐれた宣伝の国である。特に蒋介石は、「政治は軍事より重し、宣伝は政治より重し」と倣し、支那軍は戦争に負けても宣伝で勝てばよい、という信条を持っている」と述べていた」p136
「アメリカ側も、こうした中国の宣伝を政治的目的のために、積極的に受容、活用していった。(アメリカ顧問団セオドア・ホワイト)「アメリカの言論界に対して嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだということをアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい、それは必要なことだと考えられていた」p137
「(馬淵大本営報道部長)「由来「ことあげ」せぬのは軍人の美徳とされ、国民性が淡白で、執拗に反覆したり、宣伝することを好まない。あくまで武力的勝利を重視するから、列強の嫉視、反感を買う恐れがある。他国の世論を有利に沸騰させるため、火のないところに煙を立てる寸法のデマ宣伝や嘘や法螺や弁明は、苟(いやしく)も士の採るべき手段ではないと教育されていた日本人には、由来潔癖症があり、宣伝や広告をしないのが普通である」さらには、石原莞爾は、「宣伝下手は寧ろ日本人の名誉」とまで述べていたのである」p138
「マス・メディアの特性に対する理解不足である。日本側の報道は、日本政府検閲済みの情報による公的かつ形式的なもので、極めて無味乾燥で時宜を失していた。一方、中国は、情報の出所は曖昧ではあるものの、内容はセンセーショナルなもので、大衆を強く魅了したのであった。さらに、日本側は、情報を極力制限したのに対して、中国側は積極的に情報の提供に努めたため、外国メディアは自ずと中国の発表を重用、情報を得るようになっていった」p139
「1940年2月時点の世論調査では、中国支持77%、日本支持2%、中立13%と、中立から中国支持へと大きく変化していた」p143 -
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戦前、何度も首相候補と目されながらついに首相になれなかった宇垣一成陸軍大将の回想に・・・
『その当時(1936年2・26事件頃)の日本の勢というものは産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する。英国をはじめ合衆国ですら悲鳴をあげている。この調子をもう5年か8年か続けて行ったならば日本は名実共に世界第一等国になれる。だから今下手に戦などを始めてはいかぬ』状況だった、とある・・・
そんなに好調だった日本経済は・・・
2・26事件の翌年の、盧溝橋事件以降、日中全面戦争の泥沼にハマリ、次第に行き詰っていった・・・
そして・・・
持たざる国、日本は・・・
持ってる国々、英米などにブロック経済でジワジワと追い込まれていき・・・
窮地に立たされた結果・・・
真珠湾を奇襲し、事前に勝てる見込み無しと何度もシュミレーションされていた対米戦争へと突入・・・
破滅へと突き進んで行った・・・
・・・
というのが通説・・・
よく聞いた話・・・
でもね、と著者は言う・・・
英米が悲鳴をあげ、もがき苦しんでいる中、すっげー好調だった日本経済が、いきなり持たざる国になって窮乏化していったのではないよ、と・・・
そうではなくて、経済原理を理解しない軍部の満州経営や経済的な負け戦となった華北経営こそが日本経済を国際的な孤立の中で、ジリ貧に追い込んでいき、その結果持たざる国になってしまったのだよ、と・・・
でもでも、それを英米の陰謀だと、英米のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、実はその窮乏化をもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていったんだよ、と・・・
そんな状況下で、本来戦う必要のなかった米国相手に戦争を起こし、国土をヒドイ焼け野原にされて敗戦を迎えたのがあの戦争だったんだよ、と・・・
と、そんな感じに・・・
経済、財政面からあの戦争を振り返る・・・
前に読んだ本によると、あの戦争を主導した陸軍にも途中までは諸々一応の戦略があったようだけども・・・
その戦略のベースでなければならない、経済面での戦略が、まったくなってなかった・・・
ダメだった、というのが本書を読むとよく分かる・・・
満州事変や上海事変(実はこっちの方が致命的)などで、国際資本市場からの資金調達ができなくなり、満州経営は、日本国内の経済を犠牲にしまくっての発展であった上に・・・
さらに!華北における軍主導の無理な円ブロック化政策によって人為的に金(外貨・正貨)が流失・・・
無理なレートで円と華北の法幣という通貨を固定したため、法幣を円に換えるとそれだけでドンドン利ザヤが稼げて、その分だけ金が華北へ流失し、その金が打倒すべき敵の蒋介石政権の戦費調達を助けちゃうというアホな展開に・・・
満州で無理をし、華北地域では中国に経済的に敗北し、敵を助けるという大失態を犯す・・・
そらぁ好調な日本の経済も沈んでいきますよ、と・・・
しかも、その流れを止めようとした池田成彬蔵相(近衛内閣)も、国内の円ブロック化政策の下、華北への輸出で潤いまくってる中小商工業者の方々に邪魔され、潰されてしまったという・・・
持たざる国になっていったのは英米のせいじゃなく、日本を主導していた軍部の誤った戦略による自滅のせいである・・・
しかし、そんな小難しい話には耳を傾けない国民は国家に乗せられちゃって、(そっちの方が話として分かりやすいこともあり)英米のせいだと思い、反米英の感情を強めていき・・・
今度は国家が、その昂ぶった国民感情の暴走を止められなくなり、合理的な判断を封印せざるをえなくなり、あの戦争に突入していく、という何とも言えない展開になっております・・・
経済を理解しない方々が国を主導することの危うさ、そしてそういう方々に何となく乗っかっちゃう国民の危うさが、この本にはギッシリ詰まっておるので・・・
さらに、膨大な資料を元にあの戦争についても細々と書いてありますので…
これはオススメでごぜます・・・ -
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最初は「失敗の本質」のような戦略面からの日本の失敗を書いたものかと思いましたが、日本という立場だけでなく、アメリカやイギリス、そして中国から見た太平洋戦争と言うのが興味深かったです。
先進的なアメリカでも、海軍や陸軍で利益が異なり、一枚岩てなかったと言うのも始めてしりました。ヨーロッパと太平洋の2面同時に動けるのはアメリカぐらいかもしれませんが。ドイツこそが本丸と言うのも、納得出来ます。
中国もまた終戦間際に、日本からの和平を持ち込まれたりとした話もあったのですね。
今の政治家と、戦中の政治家は、そんなに変わらないのかなと想います。他人事のようですからね。 -
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・南京事件
南京陥落前後に生起した日本軍による南京事件は、現在でも活発な議論がなされているが、外務省のウェブサイトの「歴史問題Q&A」では、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があった事は否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定する事は困難であると考えています」と記されている。以下、事件の概要を示す。
①性格
中国では、その組織性や計画性が強調され、さらに、Iris Changの著書The Rape of Nanking:The Forgotten Holocaust of World War Ⅱ(1997)のタイトルが象徴するように、ホロコーストと並べて論じられることもある。
一方、「日中歴史共同研究報告書」は、「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、および一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と記述されており、計画性や大規模な組織性は否定されている。
②犠牲者数
日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、「日本報告書」では、「日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている」と記述されている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする期間、地域(例えば東京裁判では、期間は12月13日の南京陥落から6週間、地域は南京市とその周辺とされている)、埋葬記録や人口統計などの資料に対する検証の相違が存在している。
目下、中国は、日中関係の基礎としての第二次世界大戦での中国の勝利と日本の敗戦との関係性をカイロ宣言に基づいて理解している。中国は戦勝をカイロ宣言とポツダム宣言で理解している、といっていい。それに対して、日本はポツダム宣言とサンフランシスコ講和条約に依拠して敗戦を理解している。これこそが尖閣諸島などの領土問題や歴史認識問題をめぐる日中間の論理立ての根源的矛盾のひとつである。尖閣諸島について、日本がサンフランシスコ講和条約交渉過程でアメリカにより日本領だと認定されたと主張し、中国がカイロ宣言で中華民国に返還されるとされた台湾に尖閣諸島が含まれるとしているのは、その代表的な論点であろう。
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Posted by ブクログ
ネタバレなぜ日本は無謀とも言えるあの戦争に向かって行ったのか。軍事面、外交面ではなく経済の観点からの研究は珍しい。
1930年代、高橋是清による経済再建に成功した日本は、NY株式大暴落の余波に苦しむ欧米諸国よりも遥かに繁栄し、植民地への輸出額は英国を抜いて世界一に達していたという。したがって「持たざる国」を欧米が追い込んだ結果の戦争、という考察には不自然さがある。むしろ「強い元老と弱い首相」を規定していた明治憲法下の政府が、元老の引退やテロによる殺害に依って無力化し、軍部の暴走を押さえられなくなったこと、そして軍部の主導で拡大した中国戦線が日本の好調だった経済をも食いつぶしていったことが望まぬ対米開戦へと繋がっていたのだと考えられる。二・二六事件で凶弾に倒れた高橋是清が、誰よりもこの国の落ち行く先を見通していたのかも知れない。無念である。