朝日新聞社会部のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
朝日新聞の記者たちが、裁判を傍聴し、デジタル版に配信したものをまとめたもの。
決して大きな事件ばかりではない。
しかしそこには胸を打ち、痛め、悲しみにくれる人間のドラマがある。
ここで描かれるのは、普通の人々だ。
どこかでほんの少し間違えたことが次第に大きく道を逸らしてしまったけれど、「普通じゃない」「おかしな」人たちではない。
特に心苦しいのは親子、とりわけ幼子に関する裁判だ。
冒頭の「おかあが奪った息子の命」は他人事ではない。
叱った後に同じことを繰り返したからーー。
誰だって腹立たしく思う。
それは一回ではないのだ。
「これだけやってあげているのに」その思いを誰かが汲み取ってくれていれば、どこかでガス抜きができていれば、そう思えてならない。
「悩む母はロープを息子の首に」も似たような事件だ。
違いは既遂か未遂か。
これらの事件を見て思うのは、母親にかどのストレスがかかっているのではないかということ。
もちろん中にはそうでない場合もあるだろう。
しかし、一人で抱え込んだ末の犯行が多いように感じるのは、記者が選別した結果そう見えているだけなのか。
本書はただ、裁判の模様を伝えるだけだ。
もちろん切り取る箇所の違い、というバイアスがかかっていることは忘れてはならないし、読んで何を思うかは人それぞれだ。
ただ、これらの事件を知って、どうして起きたのか、どうすれば防げたのか、今後何をなすべきかに思いを寄せなければ、悲劇は減ることはないし、それをなくして事件を語るべきではないと私は思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ広告で見てからとっても気になっていました。裁判とかは本当に詳しくないのですが、どうしてこの心情に至って事件を起こしてしまったかが書いてあるこの本は一気に読みました。
個人的に経済関係は疎いので、もっと人情味(?)のある、家族間の殺人、未遂事件が本当に胸に突き刺さりました。
精神病の診断を受けて、暴れる子を”妻とほかの子を守る為に”と殺した父親、老々介護の末母親を”おかゆを食べない”という理由で殺してしまった息子。泣き叫ぶ子供を育てられないと殺してしまう母親。
自分は将来両親の世話をするだろうと言う事は覚悟が出来てます。細かい事はどうしてほしいかなどは両親に「エンディングノート」を渡して書いてくれるよう言っています。なかなか書いてくれませんが、少しでも両親が願う形で見取りをできるように会話に混ぜ込みながらちょっとずつ話を聞いています。メモっとかなければなりません。
あと、精神病で暴力をふるう子を殺す父親というのも胸に突き刺さりました。精神科の病気で暴れる子を病院に措置入院させることもできず、殺してしまう…。殺すことがいい事とは言えませんが、もっと他にも方法があったのではないかと思ってしまいました。
ノンフィクションとして興味深く読みましたが、読んだ後の読後感は決していいものだけではありませんでした。でも、ちゃんと考えないとな。 -
Posted by ブクログ
『虎に翼』を少しずつ観ていて、実際の判例が気になって手にとりました!
本書は『朝日新聞デジタル』で連載されていた「きょうも傍聴席にいます。」の2013年5月〜2015年12月までがまるっとまとめたものになる
朝日新聞の記者さんたちが裁判所に行って、実際の裁判を記事にしたものなので、人のさまざまな暗い面に触れるのはやはりちょっとしんどく感じました…
ここに載っている人はどんな形であれ、法を犯し、『一線』を越えてしまった人たちで、事件の内容も窃盗から殺人、インサイダー取引まで多岐にわたる
被告たちも真摯に反省している方やいまいち自分のやったことが分かってないのでは?という方もいた
親が子どもを手にかける事件は読んでいてかなりしんどかった
実際の事件というのは、人生ががらりと変わるものだからずしんと重い -
Posted by ブクログ
ネタバレ何かで知って借りたもの。表紙見て、何か読んだことある?と調べたらなかったけど、最後のあとがきでシリーズもの?と知り、それを読んでたわ。多分同じような感じで、やっぱ一つ一つが短くていまいちなんだよな。あと、量刑が低すぎる気がする。老老介護だけでなく、ヤングケアラーも多い。ほんと気の毒だ。あと、皆鬱状態になってたんだろうな、と思う。そこまで行ってなかったら、こんなことにはなってなかっただろう。逆に言えば、誰でもうつになるし、誰でも人を殺してしまうかもしれない。執行猶予がついた人達、今どうしてんだろうな、と思う。地元の事件も2つ出ていて、特にそう思った。どうしてんだろうな。
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Posted by ブクログ
「きょうも傍聴席にいます」のシリーズは、新聞連載中から目に付くときは必ず読んでいた。第一弾の『母さんごめん、もう無理だ』も確か書籍で読んだと思う。本書に掲載されている事件も、多くは新聞紙面で掲載されているときから見知っているし、このシリーズで記事を読んでいるものもいくつもある。
改めて書籍になったものを読むと、どうして、と思わずにいられない事件も多い。
罪を犯してしまった人物は、たいていその当時は視野狭窄に陥り、冷静な判断ができなくなっている。本書に取り上げられている事件も、裁判での被告の発言を見ても、その時は他に考えられませんでした、といった類の発言ばかりだ。
とても腹立たしかったのは、数年前という最近の事件であるにも関わらず、検察や裁判官が、子どもへの虐待について「それほど苛烈な虐待ではなかった」「虐待と呼べるのかどうか」と発言している案件だ。
業務として携わっている身から言わせてもらえば、そこにあがっている保護者の行動は、紛うことなき虐待の数々で、虐待かどうかを疑うなんて無知も甚だしい。知らないでいることを恥じてもらいたい。二十年三十年前ならいざ知らず、これだけ虐待について社会で問題になっているにも関わらず、だ。子どもに対する虐待の影響の根深さは、今や科学的なエビデンスとともに立証されているというのに。検察官や裁判官でさえこんな認識なのか、と悲しくすらあった。お粗末極まりない。
つい最近も、実父からの長年にわたる性的虐待を「被害者が抵抗していなかった」という理由で、一審無罪としたあまりにも通り一遍の審判があったばかり。
法を遵守することが大切なのはわかるが、社会通念上それがどうなのか、ということを、裁きを下す側は丁寧に見定めていただきたい。そのための裁判員裁判導入でもあったはず。
あとは、やはり障害や介護に関する問題が気になったかな。家族にだけその負担を負わせないように、様々に制度が整備されてきているのだが、申請主義であるが故か、はたまた周知不足か、本当に必要なところに支援が届かない悲惨さ。この問題は、もっとおせっかいなくらい、ずけずけと家庭に入り込んでいかなければ解決できないのではないか。少しでも手助けする方法はいろいろあったのに、と悔しい気持ちになる。
福祉の在り方そのものを、社会全体で考えないといけないのじゃないかなあ。
それにしても…愛知県が多いなあ。