田渕句美子のレビュー一覧
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百人一首についてあまり知らない初学者にとってもわかりやすく、勉強になった。
まず勅撰集は何か、その配列にはどのようなことが意識されてきたかについて。そして勅撰集とは別の形態として、百人一首の前に公任による三十六人撰があった。
通説として百人一首は藤原定家が撰者とされてきた。ただ明月記の関連記事を再検討し、加えて近年発見された百人秀歌などから、百人一首は定家による編纂ではなく、百人秀歌をもとに誰か別人が編纂したものと結論する。
百人秀歌は贈り物であるため、贈る相手を考慮して歌が選ばれている。なのでベストな歌100首というわけではない。小倉色紙も当然定家によるものではない。
ただ室町時代の宗祇に始 -
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初学者にもわかりやすい。論理の筋道が明解で、名探偵の推理を聞いているようだ。
百人一首の歌の新解釈も紹介されていて非常に興味深く読んだ。とくに「末の松山」の解釈に興味を引かれた。貞観大地震の際に、ここを津波が越えたのではないか、そのことが人々の記憶に残されて、本歌の古今集の歌に譬喩として使われたのではないか、と。なんと、確かにありうることだ。
終章では、定家が百首をどのような基準で撰んだかを考察しているが、著書は、その中に俊成卿女や宮内卿が無いのは残念!と個人的感想を述べている。まるで、著者と定家が時代を隔てて会話し始めるのでは無いかと思わされるほど、二人の心の距離が一冊の本を通して縮まっ -
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「玉の緒よ」と、「山深み」の歌くらいしか知らないで、本書を読んだ。
目からウロコの連続だった。
そもそも「玉の緒よ」の歌も、百首歌の題詠であるから、男目線で読んだ歌だったとは。
室町以降の、家制度に取り込まれて女房歌人が活躍しにくい状況が生まれていく中で、女性歌人の歌が私小説的に理解されるようになっていったという指摘は新鮮だった。
私小説的な理解というのは、もっと近代になってからのことだと思っていたから。
そのほかにも『無名草子』は俊成女の作ではないだろうという推定なども面白かった。
先人の研究成果を踏まえつつ、論を積み重ねているため、とても安心して読めた。 -
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後鳥羽院と藤原定家という個性的な人物の交流を中心に、彼らを取り巻く王朝文化の歴史的実像についての解説をおこなっている本です。
たぐいまれなヴァイタリティをもつ帝王であった後鳥羽院は、従来にはないあたらしい歌壇を形成しました。それまでの守旧的な歌風に代わって、俊成・定家父子に代表される新鮮な歌風が受け入れられ、そのなかで『新古今和歌集』の編纂という大事業がおこなわれます。本書は、その経緯をていねいに追いかけるとともに、慈円や俊成卿女、式子内親王などの歌人たちをとりあげ、歌の鑑賞とその人物像についての説明がなされています。他方で、和歌よりも『方丈記』に代表される散文の分野でその才能を発揮した鴨長 -
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後鳥羽朝廷は藤原道長・一条天皇の時代と並ぶ、朝廷歌壇の最盛期。式子内親王は「玉の緒よ・・・忍ぶることの弱りもぞする」の歌、そして定家が憧れた13歳歳上の薄幸の美形女性のイメージだったが。皇女として珍しいほどに歌会などに参加したり、和歌を詠み送っていた異端的な存在だったとのこと。実際の恋に基づくものではなく、当時の歌は歌題に基づく題詠だった!このあまりにも有名な歌は男歌で本来男性の立場に立って式子内親王が詠んだとの説が有力だそうだ。がっかり!恋の進行に沿った時系列構成で勅撰集や百首歌が配置されているらしい。それが15段階で「初恋、忍恋、聞恋、見恋、尋恋、祈恋、契恋、待恋、遇恋、別恋、顕恋、稀恋、