渡辺裕のレビュー一覧
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明治12年という早い時期に新政府は西洋音楽の導入を始める。目的は芸術・文化の向上などではなく,「日本国民」を作るためだった。「コミュニティソング」をキーワードに,明治から昭和までの歌の歴史をたどる。
西洋音楽の導入は,日本を国民国家としてスタートさせるにあたり,近代的制度や生活に必要な知識の普及を主眼に行われた。貯金の仕方,食中毒の防止法,栄養の大切さ,なんかを歌いながら覚えさせようという話で,東京音楽学校の先生たちは大真面目にそういう唱歌を作った。もちろん皇国イデオロギーを植え付ける唱歌も作られ歌われたが,それだけでなく,日本の地理とか銀行とは何かとか,実用知識を身につけるための唱歌も多 -
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「校歌」という切り口からの論考が
面白く 興味深い
どんな人も
「学校」という「時間」を持っている
それが良かったか否かは 別として
そこに付随してくる「校歌」
どんな形で
成り立っているのか
なんて 思いもよらない視点です
その「校歌」が
どの時代に生まれ出でてくるのかを
論考している過程で当然のことながら
その成立(歌われ始めた)時の
「時代の匂い」が立ち上がってくる
その時代(時期)ならではの
なぁるほど
が見事な分析で浮かび上がってくる
ーみんなで一斉に歌う
ことは極めて苦手なことではありますが
このような視点での「校歌」論考は
いゃあ 面白い -
Posted by ブクログ
音楽を巡る近代史、あるいは近代史における音楽に関する本、と言えば良いだろうか。
まず第一章では、維新政府がスタートして早々の明治12年に、後の東京音楽学校の前身である「音楽取調掛」が設置されたことから始まる。それは西洋の"芸術"を導入しようとしたものだったのか?それは、近代国民国家を作るために、「国民」が共有できる「国民音楽」をつくり、皆で歌うことによって帰属意識や連帯意識を高めることを目的としていたとする。
続く「唱歌」の章では、鉄道唱歌を例に、地理唱歌、歴史唱歌といった啓蒙のための唱歌について、現在の我々がイメージする"音楽"よりも広く、帰属 -
Posted by ブクログ
明治~高度経済成長期あたりを中心に、唱歌、校歌、社歌、それにうたごえ喫茶などの背景にある時代背景やイデオロギーを語る。
度々筆者が言及しているのが、現在の価値観だけで捉えてはいけない、ということ。全体主義的と思えたりヘンテコな歌詞だと思えるものも、当時の社会情勢からするとそれが当然だった可能性がある、と。また、例えば戦後のうたごえ喫茶は左翼的な政治活動と結びつけて考えられがちだが、「そういう人達もいた」というくらいに捉えた方が良いようだ。
しかし筆者がいくらフォローしても、昔の唱歌が政治的プロパガンダの色合いが濃い感は否めない。実際、明治政府は日本を近代国家にしていく過程において「日本国民 -
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いま私たちがくちずさんだり、郷愁を覚えるなどと形容する唱歌や校歌といったものが盛んにつくられた近代においては、それらには国家のような大きな力による大衆の啓蒙や知識づけ、扇動……いってしまえばプロパガンダ的な要素があったということを論じている。論文の構成で、ですます調で書かれているような感じ。
唱歌に啓蒙的な要素があるとは以前にも聞いたことがあるし、たとえば年号の語呂合わせとか電話番号をメロディー化するとか、要は覚えるためにキャッチーなフレーズにしたり歌にしたりすることで、覚えるというより身にしみ込ませていくのが人間ってものなんだなと思った。そう考えると、詩でもなく曲でもなく「歌」っていうのは面