瀧井一博のレビュー一覧
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瀧井一博「伊藤博文 知の政治家」中公新書
著者は、伊藤博文は一般には有名だが知識人からはあまり評価されてこなかったという。それに対して彼を文明・立憲国家・国民政治を目指す「制度」の政治家、「知」の政治家と位置づけようというのが本書の主張である。
伊藤は農民の家に生まれるが生家が長州藩の最下級武士の養子になり、吉田松蔭の松下村塾で学ぶことで頭角を表す。幕末に英国に密航して短期間ながら留学、流暢な英語が彼の力となる。維新後に米国で貨幣調査を行い金本位制を導入させた。その後に岩倉使節団に参加。その中で条約改訂での軽挙妄動を起こすが、それを反省し米欧の国の基本制度を木戸孝允とともに研究することで成熟した制度設計者になったという。
その後、憲法を起草するが、著者は実務を担った井上毅の発想だけで明治憲法ができたのでなく、伊藤自身が訪欧し、プロシアのグナイストでなくオーストリアのシュタインに共鳴した彼の思想が明治憲法に深く反映されているという。大隈の主張するイギリス流の議院内閣制、井上の主張するプロシア流の君主専制のどちらでもなく、議会をそれなりに重視する君民共治を目指すこと、また憲法の文言のみを重視するのでな憲法に沿って国家組織をどう設計して運用するかが最重要というのが彼の思想だという。
憲法発布後の伊藤の立憲政友会設立と挫折、政治と宮中の分離と宮中の制度化、清国での体験、軍の統制の試み、韓国統治なども詳述されている。その全てを「知」や「制度」の政治家として解釈しようというのは、やや行き過ぎではないかと感じた。 -
Posted by ブクログ
明治維新について、諸外国の捉え方や、与えた影響を考察する一冊。内容は今後の展望だったり、広く浅く紹介したという印象ですが、執筆陣が多国籍で新鮮でした。
日本の近代史について、当時の内政分析や、
WW2での「敗戦」をゴールに見据えたうえでの、反省や責任の所在などの振り返りは十分尽くされてきたと思う。
その議論は今後も続けつつ(戦争や悲しみを繰り返さないためにも。「もういいだろう」ではない)、そろそろ、日本近代史の世界的な位置づけを考える研究も、もっと増えてほしいかも。
その方向性の試論としては意味深いのかなと。
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島国だから、日本人は他国の人に比べて、自国の成り立ちを紹介する機会が少ない。
そして、「他国から褒められた日本」みたいなテレビ番組はウケるけれど、自国のルーツや政治をフラットに話す土壌はまだない。
ドイツとポーランドの共通歴史教科書とか(人類の未来のため、ナチスという負の歴史に真摯に向き合う姿勢はすごいですね…)、日韓間で実現するには感情論が先立ってしまってすごく難しいと思うし。
もっと学問の場で、そしていずれは教育の場で、グローバルな視点での「日本の歴史」を深めていくべきかも。本読んでそう思いました。 -
Posted by ブクログ
本書は、2018年12月に国際日本文化研究センターの主催した「世界史のなかの明治/世界史にとっての明治」と題した国際シンポジウムにおいて議論されたペーパーを中心として編まれたものとのこと。
日露戦争の勝利が西洋列強に圧迫されていた非西洋諸国に希望を与え、日本の近代化=明治維新に関心が持たれたということは有名な話だが、明治維新から150年経った現在の時点において、海外の研究者から、これほど様々な研究が行われていることに圧倒される思い。
本書には16の研究論考が収録されているが、特に比較の見地から書かれている論考については、もう少し詳しく具体的な対比の様相が知りたかった(紙幅の関係でどうしてもエッセンスになってしまうのだろうが。)。
特に関心を持ったものとしては、
・第4講「明治日本と世界経済との関連」
~19世紀後半の国際情報革命としての郵便事業に関し、日本における郵便事業が国際的に見てどのような位置にあったかについての論考
・第9講「近代エジプトにおける明治維新」
・第11講「中国近代化のモデルとしての明治維新像」
~日本と関わりの深い孫文と蒋介石それぞれの明治維新像を整理しているのだが、蒋介石が明治維新が成功した理由の一つとして陽明学の存在を挙げているということが興味深かった(たまたま『近代日本の陽明学』という本を最近読んで、後期水戸学と陽明学の結合が明治維新の思想的原動力になったという論を知ったので)。
・第12講「トルコから見た明治維新」 -
Posted by ブクログ
この時代のリーダーは、どのように『国家』を創っていくべきかを考え抜き、そして行動に移していった。
本著では、それらリーダーの思想、言動について具体的に触れられ、そこに映し出される鬼気迫る気概を肌に感じることができる。
この当時の政治家の勉強量(読書量)は想像を絶する程であるし、考え抜く能力はとてつもなく高かったような気がする。
一方で、伊藤博文もその一人だが、大いに楽天的なところもあって、心にゆとりが持てた時代でもあったのだろうか。
(坂の上の雲の如く)
登場する人物は政治家、官僚、学者、思想家、知識人など多岐に亘る。
ただ、各々が重厚なキャラクターの持ち主であるが故、紙面の割き方が少なく消化不良になるかもしれない。
著者の「伊藤博文-知の政治家」(中公新書)もお奨め。
以下引用~
・高杉の上海訪問の意義のひとつは、彼の地で西欧の活字文化の洗礼を受けたこと。当時の上海は本の都だった。
高杉は上海滞留中、さかんに書店を回り、書籍の購入にいそしんでいたのである。
・榎本・大鳥らの助命に動いた黒田清隆が岩倉に対して、アメリカでは南北戦争で敗れた南軍の将を赦免し、ともに建国に協力している。榎本らをいまだ獄中においていることがアメリカで問われた時、何と申し開きするのかと訴え、それを受けて彼らの釈放が実現したと伝えられる。
・山県(有朋)が古稀庵に所蔵していた蔵書の数は、一万冊をくだらなかったという。そのうちの少なからぬ書物に、傍線や書き込みが施され、山県による旺盛な勉強の跡が偲ばれることである。そこからは、伊藤(博文)と並び立つ「知の政治家」の姿が浮かび上がってくる。
・「井上毅伝」に収められた目もくらむほどの史料の山を前にすると、明治国制の確立のためにまさに粉骨砕身して身を捧げた一人の知識人の姿が浮かび上がってくる。岩倉にせよ伊藤にせよ山県にせよ、明治の政治家たちはみなこの比類なき知性の働きに支えられて、自らの政治構想を立案し実地に移すことができたのである。
彼が目指していたのは、ドイツの歴史法学に則って日本旧来の儒教的道徳を再生させることにあったと見なし得る。法や行政という西洋的概念は、仁という東洋的価値によって解釈替えさせなければならなかったのである。
・陸奥宗光は、故国を遠く離れた異郷で、憑かれたように勉学にいそしんでいた。ベルリンから発した書簡には、毎日10時間も机に向かっているとの消息が綴られている。そのような陸奥の姿は、鬼気迫るものとして傍らにいる者を威圧した。
・かつて久野収氏は、近代日本の天皇制を、天皇主権説という顕教と天皇機関説という密教からなるという今日なお引き合いにだされる見解を提示し、そのようにしてできあがった明治国家の体制を伊藤博文の「芸術作品」と呼んだ。