平出隆のレビュー一覧
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読み始めました。
『侏儒の言葉』は、以前に単体の岩波文庫を読んだことがあります。
大阪に向かう列車で読んでいます。前に読んだとき(30代)より、痛切に感じます。
ちょうど京都駅に停車中に「侏儒の言葉」の部分を読み終えました。
(2013年11月22日)
「文芸的な」は、初めて読みました。
(20...続きを読むPosted by ブクログ -
文芸論争はどうも神学論じみている。
きっと痛切なことだったのだろうが、申し訳ないことにあまり興味を持てない。
その一方でアフォリズムに惹かれるのは、
それが日々の何気ない思考の断章だと感じるからだ。
体系化される前に著者の生活の端々から自然と沸き出でる肉声のような気がする。
そして、いくつかのアフ...続きを読むPosted by ブクログ -
芥川が晩年に記したアフォリズム。読んでいると、彼は神経むき出しで生きていたのではないかと思うほど、鋭く繊細な文章。こんな感覚をもって生きていくには、いったいどれだけの苦痛が伴うのだろう。Posted by ブクログ
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収録作:侏儒の言葉・侏儒の言葉(遺稿)・文芸的な、余りに文芸的な・続文芸的な、余りに文芸的な
芥川龍之介の持つ小説観、その叙情的イメージがいかなる意味合いを持つかは谷崎潤一郎との小説論争においてある程度明らかになっている訳だが、谷崎と芥川の小説そのものを見て感ずるところの相違が、そのまま互いの思想...続きを読むPosted by ブクログ -
十代の頃、新潮文庫で初めて「侏儒の言葉」を読んだ時、閃光のようにきらめく知性と厭世的なポーズに酔いしれ憧れた。二十代で再読した時には、頭でっかちで底の浅いひ弱な精神しか見出せなかった。不惑を過ぎて「文藝的な、余りに文藝的な」と合わせて改めてこの箴言集を読み、芥川がなぜ自ら命を絶たねばならなかったのか...続きを読むPosted by ブクログ
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芥川龍之介のエッセイに近い、しかし詩のように言葉がかかれていた。
現代でもなんとなくあることが、いろんな表現で書かれていて、おもしろいと思った。Posted by ブクログ -
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な
(和書)2010年03月19日 19:22
2003 岩波書店 芥川 竜之介
すっかり芥川竜之介ファンになってしまいました。
年取った所為かな?それとも最近、読書量が増えたから目が肥えてきて今まで感じなかったことに感じるようになったからかな?
兎に角、こ...続きを読むPosted by ブクログ -
「大きな物語」とは、もっとも根源的な世界観の上に成り立つものである
すなわち、「弱肉強食」の世界観である
しかしそれを人間の立場から見た場合
あまりに動物的・非人間的と言わざるをえない
「筋のおもしろさ」とは
ようするに「大きな物語」の縮小コピーを楽しむものである
しかし小説が人間を題材にするものな...続きを読むPosted by ブクログ -
芥川龍之介の金言集。
この本を読むと、芥川龍之介の感性の鋭さに驚くと共に、彼だからこそ『河童』や『蜘蛛の糸』などの作品を書くことができたということが分かる。Posted by ブクログ -
重たい。でも、軽んじてはいけない。
そんな言葉がいっぱい詰まった本。
現代に生きても、芥川龍之介の時代でも、
苦痛を覚えることは一緒だったのかもしれない。
心に残っているのは、
『人生の悲劇の第一幕は親子になつたことからはじまつている』
少しうろ覚えだが、この言葉は呼んだ当時悩んでいた私に
深く突...続きを読むPosted by ブクログ -
「侏儒の言葉」はアフォリズムと言って、簡潔な表現で人生や社会の機微を言い表すという形式をとっています。はっとされられるような鋭い見方がしてあり面白いです。
「文芸的な、余りに文芸的な」は文芸に対する著者の考えが述べてあります。Posted by ブクログ -
「文芸的な、余りに文芸的な」を取り急ぎ。といって「侏儒の言葉」は前に読んだことがある。
谷崎との論争も気になっていたところだったけど、最近読んだ佐藤春夫の「芥川竜之介を哭す」にあった「しゃべるように書く」話が気になっていたので、それが主な動機w佐藤春夫の文章でも、ヒステリー治療としての側面は取り...続きを読むPosted by ブクログ -
ほとんど小説しか読んだことがなかったので、かたい印象しかなかったのだけれど、まあ、やはり真面目なんだなあと。あと、皮肉っぽいなあとも。そして、「小説とは」ということについてみんなちゃんと考えていたのだなあと。漱石や谷崎、佐藤春夫、正宗白鳥なんかに関する言及もあって、そうかそういう感じかと思ったりした...続きを読むPosted by ブクログ