平出隆のレビュー一覧
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収録作:侏儒の言葉・侏儒の言葉(遺稿)・文芸的な、余りに文芸的な・続文芸的な、余りに文芸的な
芥川龍之介の持つ小説観、その叙情的イメージがいかなる意味合いを持つかは谷崎潤一郎との小説論争においてある程度明らかになっている訳だが、谷崎と芥川の小説そのものを見て感ずるところの相違が、そのまま互いの思想の相違であるとは言えまい。本書において芥川は谷崎氏に対峙する論客として何章かを裂いているが、一度ならず主張しているのは「ストーリーなき小説」の正当性についてであり、それは多く古典からヒントを得、寓話的な要素を多く持つ芥川の小説(勿論そればかりでないのは言わずもがな)を顧みるにおいて殆ど彼の創作物に重 -
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十代の頃、新潮文庫で初めて「侏儒の言葉」を読んだ時、閃光のようにきらめく知性と厭世的なポーズに酔いしれ憧れた。二十代で再読した時には、頭でっかちで底の浅いひ弱な精神しか見出せなかった。不惑を過ぎて「文藝的な、余りに文藝的な」と合わせて改めてこの箴言集を読み、芥川がなぜ自ら命を絶たねばならなかったのか少し分かるような気がした。
詩人兼ジャーナリストでありたいと願った芥川は詩的精神と知性をともに追い求めた。だが彼の知性は詩人に徹することを肯んぜず、その詩的精神は散文芸術としての総合性とあい入れなかった。芥川の中の詩人とジャーナリストがギリギリのバランスを保つことができたのがアフォリズムという形式 -
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ネタバレ「文芸的な、余りに文芸的な」を取り急ぎ。といって「侏儒の言葉」は前に読んだことがある。
谷崎との論争も気になっていたところだったけど、最近読んだ佐藤春夫の「芥川竜之介を哭す」にあった「しゃべるように書く」話が気になっていたので、それが主な動機w佐藤春夫の文章でも、ヒステリー治療としての側面は取り上げられていたし、その効用はある程度認めるところもあったようだけど、ジャーナリスト的な側面を考えてしまったり、芥川自身の性格もあってか、皮肉に見ている様だった。
総括すると、文学とは何かを芥川なりに考えて出した答え・考えといったところ。だから、読むのにも時間がかかった。正宗白鳥をかなり評価してい