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時間という現象と、私が私自身であるということは、 厳密に一致する。自己や時間を「もの」ではなく「こと」として捉えることによって、西洋的独我論を一気に超えた著者は、時間と個我の同時的誕生をあざやかに跡づけ、さらに、ふつうは健全な均衡のもとに蔽われている時間の根源的諸様態を、狂気の中に見てとる。前夜祭的時間、あとの祭的時間、そして永遠の今に生きる祝祭的時間――「生の源泉としての大いなる死」がここに現前する。
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Posted by ブクログ
分裂症やうつ病などの症状を、時間と自身の在り方から捉えてみることができるという考え方をこの本で初めて知った。 本書の中で、"もの"と"こと"は区別され、本質的な"こと"について考えようと思うことで、"もの"となってしま...続きを読むうため、健常な状態では"もの"と"こと"を区別することはできない。ということと、「言葉」の「言(こと)の葉」という成り立ちをみるに、言葉は"こと"の一側面しか表現しえないということころが、特に印象に残っている。 うつ病者は自己同一性と役割同一性の区別が上手く機能していないという記述にはなるほど、、、と思いながら読んだ。
難しい本でしたが、過去に精神疾患を経験した者としても、当時の自分や周りで悩んでいる人と照らし合わせて、多くの気づきが得られました。 文明の進化により時間を理解する概念が遷移していった過程は、身につまされるような感覚を覚えました。
使われている精神医学の用語や内容は、本書が書かれた1982年当時のものであることを前提として読む必要がある。それでもなお、思弁的のみならず、臨床的にも示唆に富む本だと感じた。臨床場面で患者さんと接しているときに、自分自身の時間感覚も同調しているように感じることは多く、一日の臨床のなかで、時間の流れは...続きを読む一定ではない。患者さんのためにも、医療従事者が己を知り守るためにも、ここに書かれているような内容を知っておくことは有益だと思う。
時間を見るときは、時間そのものではなく、いつまでに何分たったまでの、時間のあり方を見ている。 すべてのものは何らかのこと的なあり方をしている。 存在者の存在と、あるということそれ自体には根本的な違いがある。 自己の自己性とは、自己自身による自己認知なのである。 主語的自己と、述語的な私。 鬱→メラ...続きを読むンコリー型→真面目な人に多い。 →インクルデンツ(秩序の中に自分を閉じ込める)、レマネンツ(負い目を負う) →所有の喪失 役割同一制 癲癇→アウラ体験:主観的で絶頂的な発作。現在が永遠に思える。 →現在が永続的かつ、それだけで満たされている状態。 アフリカ→時間の感覚:ササとザマ二のみ ササ→生きられる現在 ザマ二→恒久的で全てを飲み込む過去 現状を維持するために未来を見るか、現場から逃げるために未来を見るか 時間が時間として流れている感覚と自分が自分として存在していると言う感じは同じ 現在の一瞬は人間が永遠の死と真正面に向き合って存在の充満を生きる輝かしい瞬間 人間に関するいかなる施策は死を真正面から見つめたものでなければいけない 私たちは時間を色付けて生きている。
最高の出来。まさに天才的。時間論をここまで縦断的に、かつ切れ味よく語れたものとは思わなかった。あまり知られていない名著の一つ。
自己とは時間であり、時間とは自己である。私がいまいるということ。 未来への希求と恐れによる統合失調症、既成過去の役割期待に縛られた鬱病、そして癲癇と躁病の祝祭的な現在。 こんなふうに乱暴にまとめてしまうことからさて勉強の始まりである。
「もの」としての時間と、「こと」としての時間。 われわれは「もの」として意識することでしか、すなわち「もの」化することでしか、「こと」を意識できないのであって、それは時間についても同じである。 カレンダーや時計などの計量される時間が、まさにその代表。 しかし、「もの」としてしか意識できないとして...続きを読むも、「こと」としてある「いま」。 この「いま」について、木村敏は次のようにいっている。 「いまは、未来と過去、いまからといままでとをそれ自身から分泌するような、未来と過去とのあいだなのである」(傍点略) われわれが未来あるいは過去についてなにかしらを語るとき、われわれはあたかも未来または過去なるものが、あらかじめ未来や過去を起点として存在しているかのような、いわば「分断点」としてそれを意識しがちである。 しかし、そのような過去/未来がまずあって、その「あいだ」に「いま」がはさみ込まれているのではない。 「あいだとしてのいまが、未来と過去を創り出すのである。」 このような「あいだ」という「こと」的な感覚。 平常われわれはこの感覚とともに、未来と過去、いままでとこれからの「あいだ」にある「いま」を、「…から…へ」という移行性のなかで生きている。 ところが、この「こと」としての時間感覚が失われる場合がある。 本書では、そうしたなにかしらの均衡が失われた時間感覚について、精神病と関連づけながら論じられている。 時間感覚から精神病についてみていくことが大変興味深く、その病気について理解が深まるとともに、「自己」と「時間」のつながりが、あるいは「自己」である「時間」、「時間」であるところの「自己」を考えさせられる。 新書のわかりやすさ、手に取りやすさを有しつつも、よくある多くの新書よりもはるかにタメになり、かつ興味深い一冊!
鬱病者と分裂病者の時間感覚について論じたもの。とてもわかりやすく読みやすい。「鬱病者にとって、自己を規定しているのは役割演技」であるという旨の記述はとても納得できる。
こんなにワクワクする本、今まで読んだ事がありませんでした。 この「時間と自己」から読書にハマりました。 また近いうちに読みます。
時間という現象と、私が私自身であるということは、厳密に一致する。自己や時間を「もの」ではなく「こと」として捉え、西洋的独我論を一気に超えた著者は、時間と個我の同時的誕生を跡付け、更に精神病理学的思索を通じて、普通は健全な均衡のもとに蔽われている時間の根源的諸様態を、狂気の中に見て取る。前夜祭的時間...続きを読む、あとの祭的時間、そして永遠の今に生きる祝祭的時間――「生の源泉としての大いなる死」がここに現前する。
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