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Posted by ブクログ
小堀遠州について、知りたいと思って読んだ。
桂離宮の造園を設計したと言われているので、どんなひとなんだろうかと。
時代は、秀吉から徳川家康にうつり、江戸時代の初期の頃。
小堀遠州は、秀長の小姓として仕えるときから始まる。
秀長が、千利休と話している時に、
小姓の遠州は、その会話の中に入ってしまう。
弟子の山上宗二が 太閤の怒りを買うことで、処遇をどうするか
という話で、千利休は平然と「捨て殺し」と言い茶の道のためですという。
遠州は、その厳しさを、しっかりと刻み込むのだった。
遠州は、古田織部に師事することになり、伏見奉行になる。
千利休、古田織部は、太閤に切腹を命じられる。
茶の道を全うするために、死の覚悟を持って立ち向かう。
遠州は、「利休様は、客のためだけにお茶を点てられたのではない。
世間を相手に点てられた。この世が醜い争いの絶え果てた浄土
になるようにとの祈り子こめられていた。」という。
小堀遠州は、茶の心を大切にするが、千利休や織部とは違って、
ヒューマニズム的なところがある。
遠州は「力強きものに屈する生き方はしたくない」と織部にいう。
織部は、遠州に「茶碗を割って金でつげば新たな風合いが見えるが、所詮よくないものは、割ってもどうにもならぬようだ」という。非常にきつい表現である。
遠州は、伊達政宗にも 「退屈な茶」と言われ、
千利休や織部と違って、「業の深さ」がないと言われる。
遠州は、徳川和子に「われも生き、かれも生き、ともに命をいつくしみ、生きようとする心が、茶の心」という。ともに生きることの大切さを語る。
遠州は、織部の娘 ことに対しても、「ひとがこの世にて何をすべきかと問われれば、まず、生きることだ」と強く訴えた。
全く、ストレートで、外連味がない。戦国から徳川の争いのない平和な時代の中で、
まっすぐに答えながら、お茶をたてている。そして、お茶の心を大切にする。
一つ一つのエピソードが、何と無く聞いたことがあるのだが、奥行きのある話に構成されている。
藤堂高虎が、実に豪快な男で、憎まれ役で立ち回ることができる。
御水尾天皇に対しても、平気で脅しをかけ、自ら切腹するという。豪傑だ。
遠州は、徳川の命を受けて、作業をするのだが、
智仁親王から、桂離宮の造園を頼まれるが、遅々として進まず。
これは表立って、できない。庭師 賢庭は、遠州の仕事を手伝うが、
あくまでも、豊臣の恩義があるところがある。そのため、智仁親王の言われることに
対応しようとする。中沼左京、佐助を賢庭の要望に対して、手伝わせる。
時代の微妙なバランスと人の心を組み上げて対応する。
桂離宮が作られる時の時代的背景の中で、作り上げていく。
面白い物語に作り上げられている。
Posted by ブクログ
当日の武士(権力)が茶道や庭園に大きな価値を見出してきたことは、歴史を学ぶ上でも興味深い。
武士政権も権威が必要で、公家文化に倣う必要性があり、それが遠州のようなマルチタレント文化人が重用された背景でもあると思う。
そのような思いが重なり、ある意味歴史の裏側で活躍した人物でもある小堀遠州のことを学びたく、本著を手に取る。
史実を並べてみても、遠州が手がけた作庭等から、驚異的な活動量であることを知ることができ、ただ驚くばかり。
相当に実務面でも能力が高かったのだろう。
また、意外な人脈も新たな発見であり勉強になる。
史実はどうかわからないが、当時のメンタリティについても触れられている点、参考になる。
以下引用~
・ひとの心には自分への執着があるから、自分より優れた人に反感を持ったり、初心者を見下してはならないと説いている。
・「居る場所によって人の顔が変わるのは、相手によって変えるからだ。ひとの顔は相手を映す鏡かもしれぬ。相手を傲慢と見るのは、おのれの心に傲慢さを抱いておるゆえであろう」(三成)
・「ひとの心はそのときだけのものだ。過ぎ去ってしまえば、おのれの内に留めおくことはできぬ。だからこそ、われらは茶を一期一会の心で喫し、たったいまの心を留めようと思って筆を運び、あるいは茶碗を焼くのであろう」
・利休の考案したにじり口は、キリシタンの教えにある「狭き門より入れ」という言葉に合わせたものではないか。茶室という狭い空間で、世俗の欲を捨て去って茶を喫するのは、宣教師が行うミサに似ていなくもない。
Posted by ブクログ
大名にして作庭家としても名を残す小堀遠州。
彼を訪ねてきた相手に、往時を回顧する形式の歴史小説。
茶道具が各章のタイトルに付され、茶人としてあるいは作庭に関わった人々との交流が描かれる。
千利休、古田織部、石田三成、加藤清正、後水尾天皇、本阿弥光悦、沢庵、藤堂高虎、伊達政宗等々のエピソード。
彼らの人物評とともに、彼らと交わす言葉に、茶の心が綴られる。
「茶で心を安んじるとは、おのれを偽らぬことだ。ひとは世にある限り、身分や力でさまざまにおのれを飾り立てておる。…そのような虚飾を脱ぎ去り、あるのままのおのれと向き合い、おのれを知ることにほかならぬ…」
「建物や庭の形を見るのではなく、それらを眺めるひとの心を見つめねばならぬと思った。それは、すなわち、茶の心だ」
「恨みに報いるに恩を以てするのが茶の心…」
茶の心、すなわち生き方の指針か。
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