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福岡のお屋敷に奉公に出た千恵子。そこで出会った美しい令嬢の和江は、愛に飢えた寂しい日々を送っていた。孤独の中、友情とも恋とも違う感情で惹かれ合うが、第二次大戦下、戦況は刻々と悪化。女たちの運命はたやすく戦火に揺り動かされ……。人生を選ぶことも叶わず、時代と男に翻弄されてもなお咲き続ける昭和の女性たちの、誇り高き愛の物語。
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Posted by ブクログ
『親に売られたとき、泣き喚く雛代の横で菊代は、去ってゆく両親の背中を見ながら、一生涯人なぞ信じるもんかと決めた』。 2011年3月11日の後、この国で何が起こったかを覚えているでしょうか?東日本大震災により、交通網は大打撃を受け、”計画停電”というまさかの事態により、私たちの豊かだった生活は足元か...続きを読むら大きく揺らぎました。そんな中で私が一番覚えているのは、スーパーに行った時のことです。普段当たり前に見てきたはずのモノに満ち溢れた棚に商品がないという現実。あらゆるモノが売られ、あらゆるモノが買える、そんな豊かだった私たちの生活が一瞬にして突き崩されました。私たちの当たり前の日常というものは、実はとても脆いものであることを思い知らされました。あれから、はや11年、私たちの日常はすっかり元に戻りました。このことを当たり前と思わず感謝の気持ちを忘れない、これはとても大切なことだと思います。 とはいえ、そんな普通に戻った私たちの生活の中でも”買うことのできない”モノが存在します。それが『人間』です。『人間』は、スーパーに売られていませんし、お金を出して買うことはできません。ただ、残念なことにそれはこの国の中で言えることであって、今の世であったとしても、外国の中には、そんなことができてしまう国も存在しています。果物や野菜を買うように、『人間』が売られ、買えてしまうという現実をニュースの中で知る私たち。なんともやるせない思いにも苛まれます。 しかし、この国で『人間』を買うことができないというのは、実はほんのここ数十年のことであるという事実をあなたは知っているでしょうか?この国でもほんの数十年前までは『人間』が当たり前のように、まるでただのモノのように売買されていた現実がある、それをあなたは知っているでしょうか? ここに、『親に売られた』女性の生き様を描いた作品があります。『十三で有馬に売られ』、一緒に売られた妹と共に『芸妓』になる女性が描かれるこの作品。『女学校』を退学させられ、『妾として』売られた女性が描かれるこの作品。そしてそれは、時代に翻弄された女性たちが、それでも誇りを忘れずに一日一日を力強く生きていく様を見る物語です。 『お風呂の用意、できましたえ』と女中に言われ『一年前まで毎日浸かっていた有馬の湯を思う』のは、菊代。『風呂から上がり、冷えた酒を縁側で飲んでいると』、障子が開き『お一人とは思わなんで』と言いながら黒田が顔を出しました。『どうせ旦さん、まだ帰ってけえへんし、お酌でもしてや』と菊代が言うと、結局横にやってきて『二人並ん』で座りました。『吉岡の組と兄弟盃を交わしている組の跡取』で、『立場的には吉岡の弟の子供』という黒田。そんな黒田を『初めて見たとき、黒田の背中の彫物はまだ完成しておらず、筋彫りだけだった』と思い出す菊代ですが『二度目は』なく今日に至ります。そして、黒田に『あんた、どこぞの子の旦はんになったそうやないの』と訊く菊代は、『黒田が、有馬検番の置屋、「わたり席」の芸妓の世話をすることになった』ことを知りました。そんな質問に『ねえさんの妹の雛代さんです』と答えた黒田。そんな菊代は、吉岡に旦那として請け出しされました。しかし、『七十を過ぎた吉岡は、自らを勃たせることはでき』ず、『道具』を使って菊代の『反応を見て喜』びます。一方で、『有馬の中では吉岡の力が及ばぬ杉本ホテルで、一度だけ』黒田に抱かれたことのある菊代。『また、会えるやろか』と訊く菊代に、『会うことはできる』と答えた黒田。そして、今の菊代は、『もう、抱いたんか』、『もう、離れには来んといて』と言うと、黒田は『額を畳に付けた』後、その場を後にしました。 場面は変わり、黒田という旦那ができた今を思う雛代は、『生活の世話はしてくれる』ものの『有馬からは出してくれない』ことに不満を感じています。黒田からもらった『着物一式』を見るも自分には『どう考えても似合わない』と思う中、『先輩芸妓に』『あんたよりも菊代ちゃんのほうが似合いそうやなぁ』と言われてしまいます。『物心ついたころは、まだそれほど二人の仲は悪くなかった』ものの、『同じ置屋に売ら』れ、『芸事の優劣』に雛代が優ったことから関係が悪くなった姉妹。そんな中、黒田が雛代の元を訪れました。そんな黒田と会って『なんで、抱いてくれへんのやろ』と思う雛代は、『姉さんに、会いました?』と訊くも『会うてない』と返されました。『本当に抱きたいんは、菊代なんやろ』と『悔しいし、情けないし』という気持ちの中にこの先を不安に思います。そして、そんな姉妹に訪れるまさかの運命の物語が描かれていきます…という最初の短編〈天人菊〉。大正十五年の有馬を舞台にした『芸妓』の姉妹のそれぞれの生き様が描かれる好編でした。 “人生を選ぶことも叶わず、時代と男に翻弄されてもなお咲き続ける昭和の女性たちの、誇り高き愛の物語”とうたわれる内容紹介がこの作品の内容を絶妙に言い当てているこの作品。そんな物語の舞台は『大正十五年現在、有馬の芸妓は二百人以上いる』という大正時代からスタートし、『大学卒業の年がちょうど就職氷河期にあたり、相変わらず都内でフリーターのような生活をしている』というバブル崩壊後の平成の世まで約70年という長きに渡る物語が大河小説的に描かれていきます。四つの短編から構成されていますが、こういった時代を意識させる小説の場合、それぞれの時代をどのように特徴付けて描写していくかが肝心です。まずは、そんな時代が記されたフレーズを追っていきたいと思います。 まずは、大正末期を描く一編目〈天人菊〉と二編目〈凌霄花〉に登場する表現です。 ・『大正十四年、日本で普通選挙法が成立した。しかし参政権が付与されたのは男だけであり、女が政治に参加するなど、この時代には考えられなかった』。 いかにも学校の社会の授業を聞いているような表現ですが、実はこんな表現が単純に書かれている訳ではなく、このことを前提にしたある人物の台詞を読者は予想外の場面で聞くことになります。そう、これは実は伏線の一つです。 ・『病弱だった大正天皇がとうとう崩御され、年号が昭和へと変わった。自分は三つの年号を生きる女となったのだ』 『大正天皇がとうとう崩御』という書き方は、「校閲ガール」にご登場いただきたいところですが、時代が変わっていく様子が上手く表現されていると思います。次に三編目〈乙女椿〉では、まさしく戦時中の日本の暮らしが描かれます。 ・『父親のオート三輪にしか乗ったことのない千恵子にとって、自動車は初めての乗り物だ』 ・『町へ出れば女性たちはまだモンペなど穿いておらず、着物姿で身綺麗にしています』 『オート三輪』は流石に知らない方も多そうです。『モンペ』はどうでしょうか?そして、戦争についてもかなり細かく描かれていきます。 ・『千人針は、白布に赤い糸で千人の人に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらう、いわゆる験かつぎである』 ・『十一月二十四日正午、東京では、米国に占領されたマリアナ諸島から飛来した爆撃機B29による初空襲があった』 ・『授業を行う時間に学校外へ勤労動員しているのだ。空いた時間には竹槍訓練がある』 〈乙女椿〉は戦争の推移、激しくなっていく戦況の中に日常を送る一般市民の暮らしを丁寧に描いていきます。実のところ東京空襲の詳細、そして日本各地への空襲について私はこの作品で初めて知り、愕然としました。 ・『東京は ー 焼け野原。見渡す限りの焼け野原 ー…炭化した、かつて人だったものがあちらこちらに転がっている。生焼けの死骸には、季節ではないというのにもう虫が集っている。歌うようにして笑っていないと、精神が持たなかった』 そんな風に記される戦時下の日本。戦時下も扱った作品という認識なく読み始めた私にはあまりに衝撃的な内容がそこに描かれていました。また、この作品には、『お隣さんから聞いたんですが、お昼から玉音放送があると。玉音放送ってなんなんですか』と、いう会話のその先に、 ・『…苦難は固より尋常にあらず…堪え難きを堪え忍び難きを忍び』 という箇所がよく取り上げられる『玉音放送』、そう、”終戦詔書”の全文がこの作品には掲載されています。 ・『朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲に忠良なる爾臣民に告ぐ…』 そんな風に始まるその全文は『大日本帝国の全面降伏を告げ』る、天皇陛下のお言葉です。お恥ずかしながら、私は、今日、生まれて初めてその全文を見ることとなり、強い衝撃を受けました。この作品には『ポツダム宣言』の九条以降の全文や『大本営発表』の内容まで、単なる資料としてではなく、本文の一部として掲載がなされています。このことが物語のリアル度を限りなく高めていくのを感じると共に、一冊の小説を手にしなければ、学校でそれを目にすることはない、という現実はそもそもどうなんだろう…と素朴な疑問が浮かびました。 そして、そんな物語は、上記した通り”大河小説”的に描かれる連作短編として構成されており、短編ごとに主人公が変わっていきます。その一方でまさかの形で他の短編で主人公を務めた人物が重要な役どころで違う短編の主人公に関わりを持っていくという流れで物語は進みます。ネタバレにならない程度に、その舞台と主人公および内容を簡単にご紹介したいと思います。 ・〈天人菊(てんにんぎく)〉: 大正末期。『有馬温泉』で『芸妓』として働く菊代と雛代が主人公。菊代は吉岡に、雛代は黒田に請け出されますが、菊代は黒田への想いを消せずにいます。 ・〈凌霄花(のうぜんかずら)〉: 大正末期。『女学校を退学し』、『父よりも年上』の三島章太郎の『六番目』の愛人として囲われる泉美が主人公。そんな住居に章太郎の息子という吉明が突如現れます。 ・〈乙女椿(おとめつばき)〉: 戦時下。『福岡県知事である漆間誠一』の屋敷で女中をするようになった千恵子が主人公。気難しいとされる誠一の娘・和江と関わりながら戦時下を生きていきます。 ・〈雪割草(ゆきわりそう)〉: 戦後〜平成の世。『目黒の病院付高齢者施設』に入居したある人物は、『このところ頻繁に記憶が飛ぶようになっ』たという今を生きています。 〈天人菊〉から読み始める読者は、まさかの大正末期、曰く付きの姉妹、そして『黒田は吉岡の組と兄弟盃を交わしている組の跡取りで…』といった表現世界に戸惑いを感じると思います。それは、〈凌霄花〉に入っても同じです。大正末期とはいえ、『君はもうこうしてしか生きてゆけないのだからね』と、『父よりも年上』の男性の『六番目』の愛人とされる主人公という物語は、戸惑いという以上の衝撃を感じさせる物語です。しかし、〈乙女椿〉を読み始めてそんな読者はそれ以前の二つの短編がこの短編のための”序”に過ぎなかったことに気付きます。何故ならこの〈乙女椿〉だけで全体の3分の2の分量をもって構成され、かつ二つの短編に描かれた先にこの短編で主人公を務める千恵子、そして他の面々があることがわかるからです。これは、最後の短編にも言えます。言い過ぎかもしれませんが、〈雪割草〉は、〈乙女椿〉の”スピンオフ”的な位置付けと言えるくらいに、あくまでこの作品の根幹は戦時下が描かれる〈乙女椿〉に描かれます。その分、読み応えも十分です。 しかし一方で、それぞれの短編に共通するテーマがある作品とも言えます。それが、内容紹介にも触れられた”人生を選ぶことも叶わず、時代と男に翻弄されてもなお咲き続ける昭和の女性たちの、誇り高き愛の物語”という点です。SDGsが時代の流行りとなった現代社会からはたった20年、30年遡っただけでも別世界の時代がそこにあることに気付きます。今の世であれば、一発アウトという発言が当たり前のように使われていたのは、決して昔むかしの物語ではありません。そして、そんな時代よりさらに過去へと遡った時代には、今の我々の価値観とは別世界の人々の暮らしがあったことをこの物語は語ります。そんな時代に最も翻弄されたのが、『女』という存在なのだと思います。『芸妓』として親に売られ、『旦』の庇護下で生きていく女たちを描く〈天人菊〉。親に『妾として』売られ、『愛人』として生きる他ない女性が描かれる〈凌霄花〉。そして、戦時下に『女中』という身で『お嬢様』に奉仕する女たちを描く〈乙女椿〉。物語には、そんなそれぞれの境遇の中、『終わりの見えない絶望だけ』という中に、それでも『愛してほしい』という思いを持ちながら健気に生きていく女性たちの姿が描かれていました。そして、この物語は、最終章の短編〈雪割草〉で、そんな『女』たちとは違う立場に立ってきた一人の女性の言葉を通してこんな投げかけをします。 『男とはなんなのだろう。そして女とは男に対して、なんなのだろう』。 それぞれの立場でそれぞれに必死で時代を生きてきた女性たち。時代に弄ばれ、時代に突き落とされ、そして時代に這い上がる女性たちの姿が数多の官能の描写とともに描かれていくこの作品。私たちが生きる現代という時代は、過去の時代の片隅に、それでも必死に生きた人たちの生き様の上に存在することを教えてくれるこの作品。 『何を言われても何が起こっても、誇りだけは捨てぬよう』。女学校を退学した日に学長から言われた言葉の先に続くあらたな人生、激動の人生を生きた一人の女性。そんな女性の物語含め、時代に翻弄された女性たちの生き様が四つの短編にわたって描かれたこの作品。そんな女性たちは、苦難の人生の中でも自らの人生に誇りを持って一日一日を必死で生きていました。 それぞれの短編にこれでもかと描かれる官能な描写の数々とともに、それぞれの短編に登場した主人公たちの想いを鮮やかに描き出していく宮木あや子さん。その見事な表現力に、ただただ圧倒された、素晴らしい作品でした。
まわりに翻弄されて生きるいうことは自分がないのかと思ったけれど、否、自分がなければ生きてはゆけない。 日々あらゆるものと対峙し、どんな目にあろうとも死ぬ物狂いに生きてゆく。 その必死さゆえに儚い想いやその瞬きが凄みを持つ。
「花宵道中」がすごく好きでこちらも拝読。 うーん、メインの「乙女椿」があまり好きでなく、他の三篇が良いなぁと思いました。 特に、天人菊はやっぱり良い。この方の書く男は本当にかっこいいと思う。他の作品も読んでみたい。
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