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Posted by ブクログ
・戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで
・戦後史の解放II 自主独立とは何か 前編: 敗戦から日本国憲法制定まで
・戦後史の解放II 自主独立とは何か 後編: 冷戦開始から講和条約まで
の3冊まとめて。
ウクライナ戦争勃発後、国際政治の動向にもついていきたいと思って勉強する中で読んだ本。著者は国際政治学者。ウクライナ戦争関係の情報収集のために彼のTwitterをフォローしていた流れで、著書も読んでみた。
第1巻で日露戦争~アジア太平洋戦争敗戦、第2巻の前後編で敗戦~サンフランシスコ講和条約の期間を扱い、”国際社会との関係の中で”日本の歴史を論じる内容。
日本における第二次世界大戦関係の論述って、反米とか、憲法9条至上主義的なのとか、イデオロギー前提で視野が限定されたものが氾濫している印象があって避けており、無知なままだった。この本は、そういったイデオロギー、あるいは時間軸・地理軸による視野狭窄を批判し、世界史の中の日本史として戦前戦後を論じて、国際政治とその成り行きという広い視野をベースにしている。そのベースのもとに既存の研究や重要人物の発言をまとめ直したという感じ。
第1巻(歴史認識とは何か)では、第一次大戦後のパリ不戦条約らへんから、列強による国際協調の流れ、それによる外交的制約が変化する中、それらの流れや制約を十分理解できずに孤立を深めていく日本が対比的に論じられる。パリ講和会議では戦勝国として参加していた日本が、どのように孤立に陥ってアジア太平洋戦争を始めるに至ったか、その流れがよく理解できた。
歴史を学ぶとよく思うことだが、戦争突入はこいつのせいだと”悪者”を見つけようとしたり、そうでなくとも何かの事象に対して属人的な要因を探ったりするのは不毛だな、と改めて思わされた。状況の構造や系譜を背景として、たまたまある人がその状況に即した行動をする。その積み重ねであり、極論を言えば全員の全行動の集積だとも考えられる。
第2巻(自主独立とは何か)では、敗戦によりアメリカの占領統治下に置かれてから、サンフランシスコ講和条約調印までの約6年間の時代が2冊に渡って濃密に語られる。前編では日本国憲法制定を巡るドラマを中心に。後編では冷戦が進行する世界での、アメリカの対日方針の移り変わり、日本の対応、そして講和条約への歩みを中心に。
本書で繰り返し述べられており、特に第2巻で強調されていたのは、「国際政治の厳しい現実を直視しない夢想的な外交論はダメ。どの国も無数の拘束と限られた選択肢の中で、困難な舵取りをしなければならず、日本の自主独立回復もそうだった」ということだ。これは今の国内外の政治を考える上でも欠かせない基盤だと感じた。
第2巻では、第1巻よりも重要人物の発言・回顧録からの引用が多々あり、個人のエピソードも多く語られるので、ドライな学びだけでなくウェットな人間ドラマも味わえて、ちょっと歴史小説的な面白さもあった。敗戦のドン底から、幣原、芦田、吉田の3人の首相を中心に困難な交渉や決断を乗り越え、最後は講和条約調印に至る。そしてそれが、今日に至る日本の平和国家としての繁栄に直結したわけで。
第一次大戦のパリ講和会議で、敗戦国ドイツへの憎しみに満ちたスーパー懲罰的講和を、参加者として目撃していた吉田茂とダレス。その講和はすぐに第二次大戦へ繋がってしまった。この二人が、戦後日本で日米両国の責任者として再び出会ったことで、和解と信頼のサンフランシスコ講和条約に至ったことを知り、感慨深く思った。
今日の国際情勢は、冷戦時よりも複雑さを増し、各国を取り巻く制約や選択肢の理解が難しくなっていて、もっと勉強が必要だなと感じる。
Posted by ブクログ
教科書は現代史をやる前に時間切れそこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの?
「ピースとハイライト」by桑田圭祐
日本史の中では世界は語られず、また世界史の中に日本の記述はほとんどない。世界史と言いながら東洋史と西洋史は有ってもイスラムや中央アジア、東南アジアなんかも中心にはいない。分断された歴史で現代史を見ても認識のみぞは埋まらない。それは日本の外交の経験や理解が、圧倒的に国際社会のそれからずれていることがしばしばあるからだ。戦前の日本外交の失敗や誰も始めるつもりも勝てる予測もなかったアジア・太平洋戦に突入したのも、国際政治に対する日本人の想定と現実の世界とのずれが原因にある。
戦後日本の歴史は1945年8月15日に始まったと言えば多くの人に違和感はないだろう。しかし、この日は日本と朝鮮半島を除く国際社会からすれば何もなかった日だ。「そもそも歴史的事実として8月15日に終わった戦争は存在しない。」日本がポツダム宣言の受諾を回答したのは14日、国際標準としては降伏文書が調印された9月2日(中国では3日)が対日戦勝記念日であり、15日はただ多くの国民が敗戦を知った日だ。グローバルスタンダードでは「終戦」とは相手国のある行為であり、それよりも自国民向けの都合である「玉音放送」を優先することはあり得ない。
玉音放送は国民の均質的な体験とも言い切れない。沖縄では放送局が爆破されており6/23に沖縄守備隊が壊滅してからも散発的な抵抗が続き、残存兵が米軍と降伏文書を調印したのは9/7だった。千島列島では9/18、南樺太では20日にソ連軍が上陸し戦闘が始まった。
日露戦争において日本は「文明国」として国際法を遵守して戦った。捕虜になったロシア兵の死亡率は0.5%と驚くべき低い数字でありハーグ陸戦協定以上の待遇を行ったことには敵国ロシアからも謝意が表せられるほどであった。この頃日本の軍部では国際法教育が行われて下士官もジュネーブ条約などの知識を持っていた。
第一次世界大戦でドイツ権益を奪った日本では悲惨な戦地を経験したヨーロッパで生まれた人道主義と言う新たな潮流を感じることはなく、1932年には陸軍士官学校の教程から戦時国際法を除外した。日中戦争の長期化が軍紀を弛緩させ、中国蔑視に起因する捕虜虐待などが頻発した。第二次世界大戦でも欧米人捕虜に対する違法行為を繰り返した。そのきっかけとなったのが東京空襲の開始であり、泰緬鉄道建設に従事させられたイギリス兵捕虜の死亡率は25%にのぼった。全戦場でのイギリス兵死亡率5.7%、ドイツやイタリアでの捕虜の死亡率5%と比べれば日露戦争当時に比べ日本軍がどれだけ野蛮になったのか。その原因となったのが国際法教育の放棄と国際的な常識からのずれだ。
1931年10月8日、関東軍は満鉄の自衛と言う名目で150km離れた錦州を爆撃した。これが日本軍による初の都市空爆であり、戦略爆撃はゲルニカや重慶への絨毯爆撃へそしてロンドン空襲や日本への空襲、広島と長崎への原爆投下と拡大して行った。錦州爆撃以降不拡大方針を取りながら関東軍を制御できない日本政府に対する国際社会からの不信感が高まり、日本は窮地に追い込まれていくことになる。
安倍首相は戦後70周年談話で村山談話を継承した。しかし、自社連立の条件であった「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」の採決では与党自社さから70名の欠席者を生んだ。安倍首相もその一人だ。「独善的なナショナリズム」を排する決意を示した村山談話が生み出したのはその想いとは裏腹に玉虫色の決着を封じ、歴史問題を外交問題としてしまった。国内でも歴史認識は一致しない、ましてや中韓とは。著者の懸念は今の日本が平和主義と言う名の孤立主義に陥っていることだ。自国以外の安全保障に全く関心を示さない利己的な姿勢は国際主義の否定と取られかねない。
Posted by ブクログ
戦後史を20世紀の全体像の中に位置付け直し、再構築を試みた意欲作。「世界史」と「日本史」を統合し、国際的な平和、国際的な秩序を構築しようとする潮流の破壊者として戦前期日本の行動を捉える。
日露戦争までは国際的な秩序の中に自らの行動を位置付け、それなりの国際的な信義を得ていた日本が第1次大戦以後の国際秩序構築の動きをなぜ見誤り、孤立していったのか。
例えば、第1次大戦後の国際思潮の転換を牧野伸顕はしっかりと認識していたが政府の中では少数派であり、伊東巳代治のような旧来の「帝国主義」的な思想から脱却できなかった。ベルサイユ会議に同道した若き近衛文麿も「英米本位の平和主義を排す」としたことからもわかるように、国際的協調主義を理解できなかった。
1930年代以降の日本の選択が逐一、国際情勢分析の甘さ、機会主義的な行動などによって位置付けられるのに対して、大英帝国の明確な理念に基づいて取られる政治・外交の強かさが際立つ。そして、日米開戦によって日本は益々進むべき方向を見失っていくのに対して、逆にそれによって戦争の勝利を確信したチャーチルの大局観!!
著者は最後にこう述べる。「戦前の日本が、軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っているというべきではないか。たとえば、平和主義と戦争放棄の理念を、1928年の不戦条約や、1945年の国連憲章二条四項を参照することなく、あたかも憲法九条のみに存在する日本固有の精神であるかのように錯覚し、ノーベル平和賞を要求することは、本書で見てきたような日本の歴史に少しでも思いをいたすならば、美しいふるまいとは言えないだろう。また、自国以外の安全保障にまったく関心を示さない利己的な姿勢は、下手をすれば国際主義の精神の否定と見られる恐れもある。」(273-4ページ)
戦後70年の今、必読の一書であろう。
Posted by ブクログ
これは良書であるが、「歴史認識」の在り方そのものを掘り下げているというよりは、基本的には第一次大戦以降の国際政治動向を最新の研究動向を踏まえて叙述した内容。
現代に通じる多くの教訓を「戦間期」と呼ばれる時代(二つの世界大戦の間、1920-30年代)は含んでいることを改めて実感。
過去に学ぶ、ということは、「戦争反対」の平和協調主義が力の空白を生む(戦争の原因になりうる)ことの危険から目を離さないということであり、同時にそれは、当時の日本がどうにも正当化できない過ちを犯したことを正視することでもある、ということ。
文献を詳細に検討して事実(と呼びうる何か)を掘り下げる努力に右翼も左翼もない。
(以下、備忘メモ)
① 大戦の悲劇→国際協調による平和主義→大戦回避失敗→実効性のある抑止、という流れ
- 欧州では第一次大戦によって1,000万人を超える死者を出した。これにおののき、各国とも真剣に国際協調による平和という仕組みを追求するようになった。1928年の「パリ不戦条約」は紛争解決に武力を用いないことを規定した「戦争放棄」条項を持つことで画期的であった(”Renunciation of war”。これは日本国憲法第9条の「戦争放棄」の訳語でもある。戦争放棄の概念は憲法9条で新しく導入されたわけではない)
- 一方、わずか1,000人の死者しか出なかった日本はその切実さはなかった。満州事変で国際連盟を脱退した時、欧州を襲った「戦後秩序崩壊」への危機感を日本は共有できなかった。
‐ 平和のために軍縮条約を締結し、それが結果的に力の空白を生みナチスの台頭を許したこと、さらにそのナチスへの宥和外交の失敗などの経験から、欧米においては一旦決められた国際ルールを軍事力で変更することへのアレルギーが強固。ちなみに、今ホットな「海洋航行の自由」は、まだ日本と開戦してもいない1941年8月、太平洋憲章という形で英米により発表された。
② 「協調主義」に悪乗りした日本という認識
- 日露戦争のとき、日本の捕虜に対する人道的な扱いは世界の称賛を受けた。国際協調主義のおかげで、国際連盟においてアジア唯一の5大国となる名誉を得た
- 一方、大国となった日本は協調を軽視するようになった。その象徴が(個人的には大変残念な新しい知識だが)当時の日本は捕虜の人道的扱いを定めるジュネーブ条約を批准しなかった、という事実。日本軍は捕虜になるのを恥としており、軍部は「ジュネーブ条約があれば、捕まっても大丈夫と思う敵軍が冒険的に本土を空襲するであろうから不利である」として反対した。太平洋戦争突入後、シンガポールで大規模な降伏を行った英国が、自国捕虜を条約に即して扱うように日本政府にもとめたとき、我々がした回答は「準適用」であった。結果的に、ドイツ軍の捕虜になった連合軍兵士の死亡率が5%だったのに対し、日本軍指揮下では20%超が死亡した。
- これも大変残念だが、第1次大戦以降、最初に一般市民を巻き込む都市爆撃を行ったのは(ゲルニカのドイツよりも前に)日本(錦州爆撃)だった。
- 例えば石橋湛山や吉野作造のように、日本の対中国政策を明らかに侵略的だと批判する人も当時からいた(「・・・鼻息ばかり荒くして、大国民の襟度を以て彼等(中国人)に接することを解せぬから・・・排日の感情を・・挑発する結果に(以下略)」)(吉野作造、P.86)。
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