Posted by ブクログ
2013年11月07日
家族の在り方を考える本。自分を肯定したくなる本。
夕焼けの描写が素敵だった。
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時間は生き物だ。
何の気なしに私たちは街中を歩いていた。南国のように透明で乾いた日ざしが、オレンジを帯びつつあった。赤い空に、暗い町並みは影絵のように浮かびあがっていた。
しかしそれはほんの序曲だった。
私たち...続きを読むは普段、東京で夕空を見るとき「あっちの、はるか遠い方で、なんかきれいなことをやっているな」と思う。
TVの画面を見るように、パンフレットの絵画を見るように。
でも、それかた数分間の間に見たことは全然違った。
手で触れるかと思った。
透明で、赤くやわらかで、巨大なエネルギーが、町や空気の目に見えない壁を通り抜けて押してくるような迫力だった。息苦しいほどの、生々しさだった。一日は一日を終えるとき、何か大きくて懐かしくて怖いほど美しいことをいちいち見せてから舞台を去っていくのだ、と思い知った。実感した。
町に、自分にしみこんでくる。なめらかに溶けて、したたり落ちる。
そういう赤が刻々と色を変え、オーロラのように展開していく。
最も美しく透き通ったロゼのワインや、愛妻の頬の赤、そういったもののエッセンスが、西のほうから目くるめくスピードでぜいたくに迫ってきた。
路地のひとつひとつが、ひとりひとりの人の顔が。赤く照らされては満たされていく。激しい夕焼けだった。
私たちは何も言わずに歩いていた。
じょじょにその夕焼けが去っていくとき、何ともわかれがたい気持ちとすがすがしい感謝の気持ちが混じって、切なくなった。
これからの人生に、たとえ今日のような日はあっても、この空の具合、雲の形、空気の色、風の温度、二度とはないのだ。
同じ国に生まれた人々が、夕方の町をのんびりと歩いていく。夕食の明かりがともる窓が、夕闇の透明なスクリーンに浮かびあがる。
そこにあるすべてが、手を伸ばせば水のようにすくえそうだった。つやめいたしずくがぽたりぽたりとしたたり落ち、コンクリートにはねかえるとき、去ってゆく昼間の匂いと、濃い夜の匂いの両方をたたえていそうだった。
あたり前のことを、こんな力を持った夕暮れでも見ない限りなかなかわからない。(p204,205)