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タイとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいタイの偉人」も役に立つ。
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Posted by ブクログ
935円 「みなさんは、タイという国がどこにあるかご存知ですか? タイは、ユーラシア大陸の南東に位置する東南アジアの国です。ユーラシア大陸の南東にインドシナ半島という大きな半島があり、そこからさらにマレー半島という細長い半島が突き出しています。インドシナ半島の真ん中からマレー半島の途中までがタイ...続きを読むの領土となります。面積は約 51・ 3万平方キロメートルで、日本の約 1・ 4倍の広さです。 タイのかたちは、ゾウの顔の部分に似ていませんか? マレー半島がゾウの鼻、その上に頭の部分が突き出し、その右は耳のようにみえます。タイの国土は、ちょうどゾウが左を向いているときの顔のかたちにそっくりなのです。このゾウの顔のかたちの国土ができたのは、約 110年前とそれほど昔ではありません。 タイは大きく4つの地域にわかれます。ゾウの鼻のつけ根が中部で、首都バンコクはここにあります。頭の部分からタイ湾に向かってチャオプラヤー川という大きな川が北から南へと流れ、中部はこの川の下流域にあたります。チャオプラヤー川が何本かにわかれて流れるデルタ地帯には、平らな低地が広がっています。低地の東西には山が連なり、東側の海沿いの地域は東部ともよばれ、臨海工業地帯として開発が進んできました。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「アンコール・トムからは、四方八方に道が延びていました。その道沿いには、祠や宿泊と療養のための施設がつくられます。現在でも、カンボジアと国境を接する東北部の南側にこのようなクメール様式の建物が多く残っており、そのうち 11世紀から 12世紀にかけてつくられたピマーイの遺跡(プラーサートヒン・ピマーイ)がもっとも有名です。 ピマーイ遺跡は、アンコール・ワットを小さくしたようなかたちです。初めはヒンドゥー教の寺院として建立されましたが、のちに仏教寺院に変わりました。現在でも東北部を代表する観光地として多くの観光客を集めています。 12世紀前半にカンボジアでアンコール・ワットを建造したスールヤヴァルマン 2世の時代になると、アンコール帝国の勢力はチャオプラヤー川中流域やマレー半島北部まで拡大していきます。北部の山地と平原の境界に近いスコータイなどが、その最北端にあたり、クメール様式の建物が現在も残っています。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「現在、タイにはユネスコの世界遺産として 8カ所が指定されています。このうち文化遺産は、バーンチエンの古代遺跡、古代都市スコータイと周辺の古代都市群、古都アユタヤー、古代都市シーテープおよび関連するドヴァーラヴァティ史跡群、プープラバート歴史公園、自然遺産はトゥンヤイ・フアイカーケン野生生物保護区群、ドンパヤーイェン・カオヤイ森林群、ケーンクラチャーン国立公園となっています。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「 1703年、ペートラーチャーが死去すると、息子のスアが王位を継承し、第 31代目の王となりました。彼は、ナーラーイの隠し子であるともいわれています。 スアはタイ語で「トラ」を意味し、残忍な性格から「トラ王」とよばれました。一方でスアには庶民的な面もあり、頻繁に地方に出かけて釣りや狩りを楽しんだといわれます。 また、ムエタイ(キックボクシング)も得意で、みずから新しい技を考案していたそうです。交易にも熱心で、チャオプラヤー川とターチーン川を結ぶマハーチャイ運河をつくって、船の往来がしやすいようにしました。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「ベトナムでは、ラーマ 1世の時代に阮福暎が全土を統一して阮朝を興しており、カンボジアへの圧力を強めていました。当時のタイはカンボジアを属国とみなしていたため、タイとベトナムの対立が激しくなります。 カンボジアの王アン・チャンは、宗主国(属国の支配権を持っている国)であるタイの圧力を避けるため、ベトナムに接近します。 1812年にラーマ 2世がカンボジアへ軍勢を派遣すると、アン・チャンはベトナムに亡命しました。のちに帰国すると、都をそれまでのウドンから、よりベトナムに近いプノンペンに移します。カンボジアがタイの干渉を避けるためにベトナムとの関係を強化すると、タイとベトナムの関係はさらに悪化していきました。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「また、現在は涅槃仏(寝ている姿の仏像)とタイマッサージの講習所が有名なワット・ポーの修復と拡張も行い、境内はほぼこの時期までに完成しています。なお、ラーマ 3世の命令で、マッサージをふくむタイの伝統医療の知識が記録され、この寺院に収められたことで、のちにタイマッサージの拠点となるきっかけとなりました。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「タイの料理は、全体的に辛いのが特徴です。トウガラシをたくさん使うため、辛くなります。また、しょっぱさ、甘さ、さらに酸っぱさが加わった料理もあります。タイの人が辛さを好むのは、食べたあとに汗をかくと涼しさを感じられるためと考えられます。主食のコメのおかずとして食べるため、料理の味は濃くなっています。 タイ料理の代表といえば、トムヤムクンです。これはエビが入った辛いスープで、世界三大スープのひとつといわれています。ただし、もともとこれもご飯のおかずとして食べられていたものでした。そのため、白米の上にかけて食べると辛さも和らぎます。トムヤムは、酸味を効かせた煮込み料理のことで、エビ(クン)以外にも鶏肉(カイ)や魚(プラー)などでもつくられます。 もともとタイ料理は、煮る、焼くといった単純な調理法が中心でした。イサーンとよばれる東北部の料理にはソムタム(青パパイヤの和え物)、カイヤーン(焼鳥)などがあり、シンプルな調理法でつくられます。東北部と北部では、モチ米をよく食べるという特徴もあります。 また、中華料理の影響で、油で揚げたり炒めたりする料理や麺もあります。日本で流行っているガパオライス(パットカプラオ)は、バジルと豚肉や鶏肉を炒めたものをご飯にかけた料理です。 パッタイは、中国風焼きそばをタイ風にアレンジした、米粉でつくった麺の炒めものです。ベトナムのフォーのように汁に入れて食べるクイティオという麺料理も、タイの屋台では定番となっています。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「 ラーマ 3世が死去すると、 1851年にラーマ 4世(モンクット王)が即位します。ラーマ 2世の正室(本妻)の子で、ラーマ 3世が即位する直前に出家していました。そのため、政治にはいっさいかかわらず、英語、仏教、占星術など多くの学問にひたすら励む日々を送ってきました。英語も得意で、バンコクにいた欧米人と交流し、シンガポールから入ってきた英語の雑誌を読むなどして、国際情勢にもくわしくなりました。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「また、モンクットは、自分の子どもに新しい学問を学ばせるために、王位に就いたあとでイギリス人女性のアンナ・レオノーウェンスを家庭教師に雇います。のちに彼女はこの経験を小説にまとめ、それを原作とした『王様と私』という映画もつくられました。映画ではラーマ 4世が聡明なイギリス人女性に啓発されるシーンが描かれ、あまり知識のないアジアの国の王とされますが、実際はタイでも有数の知識人でした。 ラーマ 4世は政治経験がまったくなかったため、アユタヤー時代からの名門貴族ブンナーク家の有力者をカラーホーム(兵部卿)とプラクラン(外務・財務卿)に任命します。さらに、政界で一定の権力を持っていた弟をピンクラオ副王として同時に即位させました。権力者の権威を利用することで、自分が政界で経験不足だった部分を補おうとしたのです。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「タイには、イギリスの綿製品をはじめとしてさまざまな商品が流れこみます。イギリスの期待どおり、タイはイギリス製品の重要な市場となりました。 このような状況に対して、タイは失った収入を補おうとして、徴税請負制度を強化しました。しかし、このやり方では政府に納められるはずのお金が、徴税を請けおった中国人たちの懐に入るだけでした。 そのため、タイは農産物の輸出をすすめ、とくにコメの輸出を大幅に拡大させていきます。東南アジアの島嶼部(現在のマレーシア・インドネシアなど)の植民地化が進み、そこでコメの需要が高まっていました。このため、タイはコメの生産を増やして、これらの地域に輸出してお金を稼ごうとしたのです。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「政府や有力者たちはコメの生産を増やすために、それまで放置されていたチャオプラヤー・デルタの開拓を進めます。そして、水田に変わったデルタは輸出用のコメを生産する重要な拠点となりました。これをきっかけに、タイは世界有数のコメの輸出国となっていきます。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「ラーマ 4世の時代、タイにとって大きな脅威となったのはイギリスだけではありません。このころ、フランスもタイの東から植民地化をはじめていました。 当時、フランスは中国へ進出する際の中継点を確保するために、ベトナムをねらっていました。阮福暎がベトナムを統一したときにフランス人宣教師が協力していたことから、当初フランスとベトナムの関係は良好でした。しかし 19世紀半ば、阮朝がキリスト教を弾圧したことで、ベトナムとの対立が本格化します。 1861年、フランスはサイゴンを中心とするメコン・デルタを占領し、翌年ベトナム南部(コーチシナ)を手に入れました。これが、フランスにとって東南アジアにおける植民地政策の第一歩となります。 さらにフランスは、中国への進出ルートとしてメコン川をねらいました。コーチシナに河口があるこの川をさかのぼっていけば、やがて中国の雲南省にたどり着くためです。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「イギリスは、フランスがメコン川の左岸まで手に入れれば満足すると考え、パークナーム事件には介入しませんでした。しかし、フランスはさらにメコン川の右岸(西岸)にも植民地を拡大しようとしていました。 バウリング条約を結んでから、タイはイギリス製品の市場として役に立っていたため、タイがすべてフランスに奪われてしまうと、重要な市場をフランスに乗っとられることになります。このため、イギリスもこのままようすをみているわけにはいかなくなりました。 1896年、イギリスとフランスはタイに関する宣言をとりかわし、タイを「緩衝国」として残すことで合意しました。緩衝とはイギリスとフランスが直接ぶつからないように、間に挟まれるクッションの役割を意味します。イギリスとフランスはチャオプラヤー川流域を領土とするタイの独立を尊重し、植民地化することはないと宣言したのです。 ただし、この緩衝地帯にメコン川の右岸と、南部(マレー半島)はふくまれていませんでした。これは、フランスが東北部を、イギリスが南部を影響下に置いても、たがいに文句をいわないということでした。 イギリスとフランスがタイを緩衝国として残すと決めたことで、タイの植民地化の危機は去りました。しかし、ふたつの国が決めた緩衝国の範囲は、当時のタイが支配していた領土の半分ほどの細長いかたちで、東北部と南部についてはそれぞれフランスとイギリスに奪われかねない状況でした。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「 最初の官営鉄道はバンコクと東北部のコーラートを結ぶ区間で建設され、 1897年にまずバンコクとアユタヤーの間で開通します。この鉄道は、当時フランスの影響力が強まっていた東北部をバンコクに引き寄せる重要な役割を果たしました。 次に、北部のチエンマイにつながる鉄道とマレー半島を南下する鉄道が建設されました。これによって、それまで 1カ月以上かかっていたバンコクからチエンマイまでの移動が、わずか 1日足らずに短縮されたのです。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著 「このようなタイの近代化のためには、外国人の専門家に頼る必要がありました。明治時代の日本で多くの「お雇い外国人」が活躍したように、タイでも数多くの外国人を雇っていました。タイではアユタヤー朝のころから有能な外国人を利用する伝統がありましたが、ラーマ 5世の時期にその数はもっとも多くなっていました。 とくに、ラーマ 5世の総務顧問となったベルギー出身の法律家ギュスターヴ・ロラン・ジャックマンは、タイの近代法典を制定する際に活躍する重要な外国人顧問となります。 外国人顧問を雇う際、特定の国の顧問が増えすぎることに注意しなければなりませんでした。当時のタイはフランスによる植民地の拡大政策に悩まされており、ほかの大国との関係を築くことでフランスを牽制しようとしていました。 しかし、特定の国との関係が強くなると、今度はその国がタイに対して圧力をかけてくることもあるので、うまくバランスをとり、たがいを競いあわせようとします。たとえば、鉄道建設ではタイを植民地化する気がなかったドイツに頼って、ドイツ人技師をたくさん雇いました。」 —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著
とてもわかりやすくタイのことが知れた。 歴史音痴の私が読んでも、とにかくわかりやすかった。 なんとなく疑問に思っていた、 タイの多様性について、 歴史をしることでとても納得したし、 タイの柔軟さやしたたかさなど、見習うべきところが多々あると感じた。 日本といざこざがあったにもかかわらず、 柔軟さ、し...続きを読むたたかさにプラスして、 プミポン国王の尽力で、関係が保たれたことは 知っておくべきことだと感じた。
タイに深く関わってない自分には地名、歴史上の人物を読んでもピンとこなかったが、わかりやすく整理されていて読みやすい内容だった。
2024年3月にタイ・バンコクへの出張が決まり、4日間という短い期間の滞在とはいえ、タイの歴史を学ばなければ!と手に取った本。著者はタイの研究者でありながら、本はとっても読みやすく3日漬け学習に便利。最後には年表もあって、日本人にとってわかりづらく覚えづらいタイの名前もなんとなく頭に入れる事ができた...続きを読む。一部漢字にフリガナが振ってあるところを見ると、子供向けといえる。それだけ分かり易く読みやすかった。
今まで読んだタイの歴史に関する本の中で1番わかりやすかったと思います。機会があれば友人に進めたいと思います。
一冊でわかるシリーズ。 クーデターばっかりやってるのに破綻しない謎の国。ラーマ9世陛下のおかげなのか
国の歴史って諸外国との関わりが本当に面白いなと思って見てるんだけど、フランス領とイギリス領の緩衝地だったってのは面白かった。でもあれな?カタカナ多いな?おじさん5文字以上の意味をなさないカタカナの文字列覚えるの無理だから、タクシン以外の登場人物誰一人として覚えてられてないです。すみません。タクシンは...続きを読むギリいけた
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