・イギリス:江戸時代イングランドのことをポルトガル語でイングレス、オランダ語でエンゲルスと呼んでおり、エゲレスとして日本に伝わり、いつしかイギリスと発音するように。英国は中国語の英吉利が語源ともされている。
・ケルト人:古代ギリシア人が西ヨーロッパの異文化集団をケルトイ(よそ者)と呼んだことに由来。
...続きを読む紀元前6世紀頃に、製鉄技術を持つケルト人が大陸からブリテン諸島にやってくる。ケルト人はブリトン人、ゲール人、ベルガエ人に大きく分けられ、ゲール人はピクト人とスコット人に分けられ、現在のスコットランドやアイルランドに居住する。
・ロンドン:50年頃ケルト人の言葉で「沼地にある砦」を意味するロンディニウムが原型
・ケルト人のローマ化を促し、すべての道はローマに通ずというが、ブリテン島に作られた道も、ロンディニウムから海路を介し、帝都ローマにつながっていた
・スコットランド:ピクト人の住む地域をピクトランドと呼んでいた。ピクトランドに遠征したブリタニア総督が樹木の生い茂る土地を見てカレドニア(緑樹林の地)と呼ぶようになった。ピクト人は侵攻してくるローマ軍に激しく抵抗し、逆にたびたびブリタニアに侵攻した。122年にローマ皇帝ハドリアヌスの命令で、ブリテン島北部を東西に横断する石積みの壁「ハドリアヌスの壁」を建設。この壁は、やがて成立するイングランドとスコットランドの国境線に大きく影響する
・409年「ローマの平和(パックスロマーナ)」は終わり、ローマ人はブリタニアを放棄し撤退。入れ替わるように、アングロサクソン人(ゲルマン系のアングル人、サクソン人、ジュート人の総称)が大陸からやってくる。ブリトン人を追い払い、ブリトン人は西部や北部、大陸へと逃げる。西部に逃げたブリトン人がのちのウェールズに住み着いた。
・ウェールズ:アングロサクソン人がブリトン人を「ウェアルフ(よそ者・奴隷)」と呼んだことに由来
・カレドニア(ブリテン島北部)では、ピクト人とアイルランド北東部から移り住んだスコット人(古アイルランド語で荒らす、略奪をスコティと呼んでいたことに由来)が同化し、のちのスコットランドになる
・大陸に逃げたブリトン人が住み着いた場所が、のちのフランスのブルターニュ地方。彼らにとっての小さなブリトンという意味でのブリタニー(フランス語でブルターニュ)から小ブリテン、彼らからみて大きなブリテン島ということで、大ブリテン
・アイルランド島のケルト系民族をゲール人(ローマ人がブリトン人をグイールと呼んでいたことから、アイルランド島のケルト人が自分たちをゲールと自称した)
・イングランド:アングル人の土地
・ピューリタン:イングランド国教会(英国国教会)をさらにプロテスタント化しようとしたカルヴァン派の人々。「あなたたちは純粋(ピュア)ですね」とイングランド国教会が馬鹿にしたことに由来
・重商主義:経済の三要素である、モノをつくる、運ぶ、消費する、のうち、運ぶに焦点を当て、流通過程に国家の資金や人材などを投入して儲けようとする政策。イングランドに限らず、絶対王政でしばしばとられた。東インド会社。安価にモノを仕入れて高値で売る「貿易差額主義」