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変わらねば滅びる 『武揚伝』、『くろふね』、『英龍伝』に続く著者のライフワーク、ここに結実! 欧米列強が開国を迫る中、蝦夷地を調査し、万延元年遣米使節団として世界を旅した仙台藩士・玉虫左太夫。薩長新政府に対抗すべく奥羽越列藩同盟成立に奔走し、命懸けで〈共和国〉樹立の夢に挑んだ男の波乱に満ちた生涯を描く。
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Posted by ブクログ
理不尽だらけの幕末だけど、国の未来を拓くために力を尽くしながら、まだまだ知られていない英傑が大勢いたんだなぁ。時空を遡って世界旅行に行った気分に。どれだけの資料に当たったんだろう?「日本以上の礼の国・韓国」も「情があった米国」もとんでもない指導者を出し、今や見る影もない…
仙台藩の玉虫佐太夫はその才を認められ、アメリカ訪問の使節団として共和国としての国の在り方を目の当たりにし、儒教的な価値観の江戸幕府の官吏の硬直した態度に疑念を抱く。 彼が接したアメリカ人の情に厚く人間性溢れる姿は、封建的な江戸時代との比較を描いていて興味深い。 儒教の礼法に対する疑問、有効性、形だけ...続きを読むで情のない礼法が社会を歪めている日本の開国と攘夷。 幕末の歴史的な流れは知っているのだが、この小説で佐太夫の目から見せてくれた「物語」は興味深く、英才をもっても抗えなかった時代の流れの無情を痛感させられた。
「近刊」の情報の中で本書を知り、題名の一部に在る「左太夫」に注目した。「玉虫左太夫」(たまむしさだゆう)という人物のことであろうかと思った。そして登場した本を入手した。思ったとおり、「玉虫左太夫」という人物の物語であった。 一般的には知名度が高くもないかもしれないが、激動の幕末を駆け抜けた、なかなか...続きを読むに傑出した人物であった。その人生を追い掛けるような感で、この「左太夫」が視点人物となる形で物語が展開する。読み始めると、頁を繰る手が停め難くなってしまう。 題名の一部に在る「左太夫」に注目したというのは、「玉虫左太夫」という名が記憶に残っているからだ。戊辰戦争の奥州の戦いでは、「何としても!」という勢いで会津松平家を討つとする新政府側に対し、罪に問うというならそれを容れるとする会津松平家を攻撃して戦禍を撒き散らすことも無益であると、奥州の大名家が戦わずに“問題”の収束を図ろうとした。そういう中で「奥羽越列藩同盟」が登場した。奥羽越で最大の大名は仙台を本拠地とする伊達家であり、仙台伊達家が「奥羽越列藩同盟」の代表幹事的な存在となった。そしてその家中の士であった玉虫左太夫は、抜擢されて事務局長的な仕事を担うのだ。戊辰戦争の後、奥州の敗れた側となった大名家では、戦時に責任在る立場であった者が「責め」を負って切腹するというようなことになったが、仙台伊達家に在ってはこの玉虫左太夫が切腹することとなったのだった。 幕末期の会津松平家の経過というような事等に興味を覚え、色々な本を読み漁っていた中で「奥羽越列藩同盟」の経過を知り、関係の仕事に携わった「玉虫左太夫」という名を記憶したが、この人物に関して明るいという程のことでもなかった訳で、興味津々でこの『左太夫伝』を紐解いた。 玉虫左太夫は戊辰戦争の際の「奥羽越列藩同盟」に関連して重要な役目を担うことになったが、仙台伊達家の中で重要な役目を担うような、家老や何かの要職を担う家中では相対的に高い位置の家柄の出ということでもない。大名家の家中の武士達については、本拠地の城下町やその他の領内で様々な行政上の役目を担う官吏として代々活動しているか、受継がれた技能によって一定の仕事をしているという人達が主流だ。殊に仙台伊達家のような大きな規模の大名家であれば、主君と言葉を交わす機会等は生涯に数える程の場面が在るか如何かで、普通はそんな場面は考え難い。更に「あれが御殿様」と見て顔が判る位の位置で姿をハッキリ視る機会も在るか否かという感じであったようだ。玉虫左太夫はそういう「普通」の武士の家の出である。一族の中に城下町仙台の町奉行を務めたという人が在って、作中「町奉行を務められた玉虫様の御一族?」というやり取りが一寸出ているが、そういう「行政上の役目を担う官吏」として活動していた武士の家の出であったのだ。 武士の家では、兄弟の順で家を継ぐ権利が在る。兄が家で受継ぐ色々なモノを引継ぐ。兄に不都合―早く亡くなってしまうようなこと―でも在れば、弟が代わる。代わる必要が無い場合、弟は他家へ養子に出る。何らかの技芸でも在れば、その技芸を活かして独自に分家のようなモノを起すような感じになる場合も在ろうが、そうでもなければ「厄介叔父」等と呼ばれ、一族の居候的な位置で生きるような感じになる。玉虫左太夫は5人の兄達が在る末っ子であった。そういうことも在って、学問で身が立つようになりたいというようなことを漠然と願ったかもしれない。本作の物語は勇八という幼名で呼ばれた玉虫左太夫が所謂“藩校”の養賢堂に学び始めるというような頃から起こっている。 兄弟の末っ子である玉虫左太夫は婿養子に出ることになった。養子に出た家の娘と、兄妹というように暮らしたが、やがてその娘が妻になる。そして若い夫妻に娘が産れるのだが、その時に妻は他界してしまった。そして周囲の勧めも在って、養子先との縁を解き、玉虫左太夫は江戸に出て活動をするということになる訳だ。 江戸へ出た玉虫左太夫は学問の世界に身を投じて活動する。やがてペリーが来航するような時期になった。師であった林大学頭は幕府の外交顧問というようなことでの活動が多忙となり、その補佐役を務めることになった。そうした仕事に携わったことが契機で、玉虫左太夫は自身の考え方に影響を及ぼすような、貴重な経験を重ねて行くこととなり、それが注目され、仙台伊達家の藩校の教授ということになって色々な活動を展開することになるのだ。 本作の中では、玉虫左太夫の経験というのが物語の重要な部分を占めていると思う。箱館奉行の巡察に従って現在の北海道とサハリンということになる蝦夷地を巡ったということが在った。その時の縁で、1860年の幕府の使節に従って米国渡航を経験して注目されるのだ。これらを通じて、蝦夷地と呼ばれた地域の可能性を見出し、米国で触れた体制、世情、新技術、人々の暮らしを通じて新たな国造りを夢見るようになって行く訳である。 玉虫左太夫という人物は、詩人や歌人というような感でもなく、観たことや聴いたことを要領良く丁寧な文章に纏めて綴り、内容に関心を寄せた人達に関連事項を説くということを得意としていた。その能力が高く評価され、仙台伊達家の当主であった伊達慶邦が抜擢し、当時の不穏な情勢を巡る情報収集や分析に携わることとなって行く。 北海道内に住んで居て、サハリンに関しても承知しているという関係で、この玉虫左太夫が巡った蝦夷地という辺りはかなり愉しく読むこととなった。同行者の1人として登場する「佐賀の島」は、明治の初めに開拓の仕事に携わる島義勇であろうし、アイヌとの付き合い方に苦言を呈する松浦武四郎とも出会うが、この人物も北海道の歴史ではよく知られる。蝦夷地に関し、豊かな資源を利用して、豊かな地域を創る可能性が満ちた場所であると玉虫左太夫は思うようになるのである。 米国渡航に関してだが、使節団の中で主流を占めたのは条約文書に纏わる役目だけを行えば善いというような考え方、米国側が「御覧頂くか?」と申し出たことを歓迎しないような雰囲気で、玉虫左太夫は臍を噛む。後から、使節団の幹部であった小栗豊後守も似たような感覚を持っていたことが判る。勝手が違い過ぎる様子に当惑し、疲れてしまうというような人達が見受けられた中、玉虫左太夫はその「違い」の中から様々な事柄を見出そうと考えを巡らせ続けるのである。 作者は幕末期を背景とした物語を何作も綴っている。榎本武揚の闘いが描かれる『武揚伝』、ペリー来航時に「話しをさせろ!」と現場で奮戦して箱館で散る中島三郎助が描かれる『くろふね』、新しい技術を積極的に容れて新たな概念での統治体制を築いて行こうとした江川英達が描かれる『英達伝』が在る。“時代”を乗り越えて“未来”を創ることを夢見て、必ずしもその想いを遂げられずに終始してしまったが、懸命に生きた男達が在った。そんな系譜に、この玉虫左太夫の『左太夫伝』が加わった。 所謂“時代モノ”については、色々な読み方、愉しみ方が在ると思う。そういう一つだと思うが、作中の主人公が懸命に生きながら考えている様々な事が「現在?」というように想いが巡る場合が在る。 玉虫左太夫は、ペリー来航の際の対応を手伝ったことで出会った「米国」を実際に訪ね、日本国内で重んじられていたような儒教の“礼”を基礎とするような秩序と無縁な世界を、太平洋を渡る航海に際しての艦の士官達と水兵達の様子から始まって、街の様や大統領官邸の様子に至る迄で目撃し、中に入って色々と経験する。そして共和政体の下で、誰もが自由に安心して生きられる“情”に溢れる様子が指向されていると強く感じる。そういう社会を支えるのが様々な技術で、そうした技術に支えられる産業なのだと観る。 近年の色々な様子を思う中、「玉虫左太夫の夢」が150年余りの時間を経て「実現?」と思いながら読後の余韻に浸った。「共和政体の下で、誰もが自由に安心して生きられる“情”に溢れる様子が、優れた技術に基づく産業に支えられる」というような様子が「玉虫左太夫の夢」なのだと思うが、如何であろう。玉虫左太夫は「夢」を共有出来そうな榎本武揚との共闘を思い描いて、果たせずに散ってしまった。本作の物語は、何か「考える材料」になりそうだ。 この作者のファン、また作者による幕末期の物語の読者としては、例えば蝦夷地の旅の仲間であった「佐賀の島」、米国渡航の復路で立場の違いを度外視して話し掛けて来たので語らった小栗豊後守というような人達の物語が読みたいというようなことを思った。 必ずしも知名度が高いのでもないが、当時の多くの人が全く知らなかった様子に触れ、持ち前の文章力を駆使してそれを伝えようとし、揺れ動く時代の大きな渦の中に消えた玉虫左太夫の物語は興味深く、多くの人に薦めたい。何処かに、この人の事績を紹介する展示の様なモノが登場しても好い筈だというようなことも思った。
「武揚伝」「英龍伝」に続く幕末人物伝です。 玉虫左太夫?お恥ずかしながら全く知りませんでした。 仙台藩出身で蝦夷地調査や遣米使節団に同行して記録を残した人で、奥州戦争で非業の死を遂げた人でした。 先見の明がありながら、時代に翻弄された人物を知ることができてよかったです。
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