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極北の地に生まれ、サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書きつづける「わたし」。その娘で、女曲芸師と歴史に残る「死の接吻」を演じた「トスカ」。そして、ベルリン動物園のスターとなった孫の「クヌート」。人と動物の境を自在に行き来しつつ語られる、美しくたくましいホッキョクグマ三代の物語。多和田葉子の最高傑作!
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Posted by ブクログ
人間社会で「普通にクマらしく」ホッキョクグマが生活する話(意味不明)。それも、人間社会にやってきたホッキョクグマが、色々ドタバタ冒険して人間と仲良くなりました系の話ではなく、人間社会で暮らしているクマが、日常生活の中で色々自分自身のことについて考えたり、今後のことに悩んだりするだけの話。ただそれだ...続きを読むけの話。何も起こりません! 人間社会にクマを登場させると、何となく冒険して人間と和解させなきゃいけないような気分になる(パディントン病)けど、この作品はそうではない。 超大作。分厚いという意味ではなく、感動の濃度がとても高い。作者の想像力、思考力の高さにびっくりした。 人間以外の動物の哲学的思考を、人間的になりすぎず、非人間的にもなりすぎず、ギリギリのバランスと曖昧さで描いている。作者は、自分以外の感覚を想像し、説明するのが上手で、一つ一つ説得力がある。 あまり共感ができない部分も多いが、人間の思考でない以上それが当たり前。敢えて伝え残すように書いている感じがする。 全体的に野生動物の思考らしく取り留めがないのだが、決して散らかることがなく、丁寧。イメージとしては安部公房の「箱男」みたいな内向的な感覚。
2012.03.26. おもしろいです、ホッキョクグマの3代記。変に擬人化もされていなくて、ストレートなクマ視点(というのも、おかしいけど)で語られる奇妙な社会。オットセイが編集者だったり、現実との境界は曖昧で、不思議な世界に連れて行かれるような感じです。なにやら興味深い理屈屋さんで、亡命しながら自...続きを読む伝を書き綴る「祖母の退化論」が、1番興味深かった。ちょっと、人間の作家である多和田さんが書いたってこと、忘れそうになりました。
ホッキョクグマの一人称で書かれた美しい小説。第三章『北極を想う日』のクヌートとMJの亡霊(?)の交流は胸に突き刺さる。
生涯最高の一冊。 読書が趣味と言いながら、この本で初めて多和田さんの文章を読みました。今まで体験したことの無いような日本語。どうにもならない20代後半の日常に、しなやかで楽しい光が射して、帰宅してから寝るまでの短い時間に夢中になりました。 書く、ということそのものを書いた作品はたくさんありますが...続きを読む、この本はその最高峰です。全ページ素晴らしい上に、誰もが知っている彼が登場するラストは震えました。クヌートが地球の脳天に向かって飛んでいった時、私の頭の中では She's out of my life が流れていたよ、ホー!
まさか新年早々星五つをつけることになるとは。 サーカスと関わり合いを持ちながら生き続けるホッキョクグマの三代記。最後のクヌートだけやや例外であるものの、観客を楽しませようというこころは前の二世代とあい通じる所がある。 現実のような描写がある一方、「祖母の退化論」ではオットセイが出版社に勤めていた...続きを読むり、「死の接吻」では労働組合を結成しているなど人間との境目がぼやかされ、初めの章では人間とほとんど同様に生活していたホッキョクグマが、章が下るに連れて人間と話す事が難しくなり、最終章では人間の言葉は判るもののホッキョクグマから人間に向かって話が通じないなど、ファンタジーからだんだん現実に近づいている(それでもファンタジーであるものの)ところも、長い夢から覚めてゆくようで秀逸。
この作品に出てくるホッキョクグマ達が言葉を持ち、人間社会の境界線上を軽々と越えていく。色々なものがホッキョクグマを通して(時にはその周辺の人間を通して)異化されていき、既存の束縛から解放され切ったような、とても思いきりの良い価値観が作られていく。三代続くホッキョクグマの系図(最終章の主役はあのクヌー...続きを読むトである)は、新しい価値が生まれていく過程のように思えた。束縛から逃れたところで、束縛のない価値などはこの世に存在し得ないことは、このホッキョクグマ達が一番よく分かっているはずだ。言葉をめぐる様々なイメージが奔放なまでに飛び交う小説世界の中で、このホッキョクグマ達の言葉が、じんわりと染み入るようにして心に入ってきた。納得の野間文芸賞受賞だと思った。
環境運動で有名な実在のホッキョクグマ、クヌートとその母トスカ、祖母の話をオムニバス方式で綴った物語。 祖母とクヌートの話はクマの一人称で綴られるが、哲学的なのに驚かされた。 空想と現実がない交ぜになり、3話それぞれに独特な雰囲気を醸し出す、不思議な物語。
ホッキョクグマ親子三代の物語。多和田ワールドにすっかり翻弄されたが、ラストまで読むことを諦めないで良かった。熊の目を通して見ると、人間社会って奇妙で、不条理で・・ベルリン在住の著者ならではの鋭い視線に圧倒された。 1章「祖母の退化論」 冒頭の調教シーンからゾクリとさせられる。 「ある日、彼が変なもの...続きを読むをわたしの後ろ足に縛り付けた。・・床に触れた左手が焼けるように痛い。あわてて床を突き放つ。何度か繰り返しているうちに、いつの間にかわたしは二本脚で立っていた。」モスクワで生まれた熊が、サーカス引退後に自伝を書き、作家になって亡命する。この奇抜な発想はなに。 2章「死の接吻」 旧東ドイツのサーカスで、娘のトスカは女曲芸師と伝説的な芸を編み出した。ウルズラの口の中にある角砂糖をトスカが舌で絡め取るシーン。舌の感触や匂いまで感じさせる文章力の高さに驚いた。 3章「北極を想う日」 1、2章を読んだ時の文体への違和感が消え、言葉が滑らかに落ちてくる。母親トスカの育児放棄により、飼育員のマティアスに育ててもらったクヌートが主役の章。愛らしい熊の子も成長すると「散歩は勉強になるが、ショーは仕事。どうすれば観客が退屈しないか」を考えるようになる。見せる自分を意識するクヌートが切ない。雪の舞い散る日に、彼を地球の脳天に向かって飛ばせたのは、せめて物語の中だけでも外に出してあげたいと著者が願ったからだろうか。クヌートの話が実話で、本の出版後に亡くなったことを知った後は、ラストの数行がなお心に響く。「その日は空気が重く湿っていて・・」で始まる詩的な文章が哀しい。
以前によんだ著者の「言葉と歩く日記」で、この本を自身でドイツ語に翻訳する話しがあったので、読んでみた。 ホッキョクグマの視点からみた世界。 3部構成になっていて、母→娘→孫と3代にわたる話し。(ホッキョクグマの寿命は短いので、この3代は実は象徴で何世代にもわたって繰り返された物語が折重なっている...続きを読むものとされる) 最初の初代のホッキョクグマは、ソ連、東ドイツがあったときの時代設定のなかで、ホッキョクグマや他の動物が人間と自然に話し合うというシュールな状況が描かれる。初代のホッキョクグマの「私」は、国が主催するさまざまな会議に出席したり、自伝を書いて、有名になったりする。そうしたなかで、西ドイツに亡命したり、そこからさらにカナダに亡命?を考えたりする。 2代目の物語は、女性猛獣使いとの交流を中心にしつつ、サーカスで曲芸をして、有名になって、世界公演をしたりする。ここも東西冷戦下の時代背景が描かれていて、面白い。 3代目の物語は、だいぶ現代になってきて(クヌートという実在したホッキョクグマがモデル)、動物園でスターになって、環境保全活動のシンボルとなる。 いづれも荒唐無稽の話しなのだけど、東西冷戦時代の描写やホッキョクグマの視点にしっかり入り込んだ書き方が妙にリアリティを感じさせる。 現象学における「主観」みたいな感じがあって、先入観なしに自分が体験しているものをそのまま記述しているようなナマナマしさが、なんともすごい。ぐっと身体の内側に入っていくようでなんだか切ない感覚がある。
ホッキョクグマの祖母、娘トスカ、孫クヌートのそれぞれの代を描いた3話から成る小説。 クマ?クマなんだよね?って感じの、何とも不思議でユニークな味わい。 人語を理解し文字を読み書きしながら、あくまでホッキョクグマであるところの彼等を主役にして、人間社会に生きるストレンジャーであることのユーモアとペーソ...続きを読むスを溢れさせていて、微笑ましいのに同時にこの上なく切なくやるせない。 時代を経るに連れ、祖母、トスカ、クヌートとより束縛され閉塞していくように感じるのは何故だろう。 クヌートが舞い落ちる雪を見上げる小説の最後が、切なくも美しく胸に迫る。
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