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大坂に大事あり! 大塩平八郎、起つ 大坂の貧民救済に立ち上がる大塩父子と、それを助ける光武利之。 剣豪小説としての魅力も豊かに幕末前夜を活写した会心の歴史小説。 ※この電子書籍は2003年10月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版をを底本としています。
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Posted by ブクログ
杖下に死す 北方謙三 柳生新陰流の達人、光武利之(実は代々御庭番の家系・村垣淡路守定行の妾腹の子)と大塩平八郎の養子で東町奉行所同心の大塩格之助との不思議な友情をベースに利之の自分探し?の物語。 眠狂四郎のようにニヒルではないが、群れず独歩行タイプの利之。御庭番の家系もあって、なんとなく親父の命で...続きを読むあちこちを旅し、隠密らしからぬ隠密の役目も果たしてきた。 その流れから別に大塩を探れと言われた訳ではないが結果として大塩平八郎に接近遭遇することになる。 大塩平八郎の乱とはなんであったのか『政』が庶民のためであったことはこれまでも、これからもないだろう。 1837年(天保8年)大塩平八郎の乱 大塩平八郎 大塩平八郎1793年3月4日(寛政5年1月22日) - 1837年5月1日(天保8年3月27日))は、江戸時代後期の儒学者大坂町奉行所与力。大塩平八郎の乱を起こした。
大塩平八郎の大阪での乱前後の、平八郎の養子格之助と主人公光武利之を軸に、幕閣内部の闘争、朝廷と薩摩藩、大阪の商人も絡み真相は闇のまま進行 お勢との係り、内山彦次郎との係りもわかる
大塩平八郎――と聞けば、歴史をあまり知らない人でも何となく「米」と結びつくかも? 秋野の教科書は歴史小説ですからね。 これを読んで、そっか、幕末の頃のことだったのか、と(笑 主人公は平八郎にあらず。 大塩平八郎親子に出会ってしまった、一人の剣豪、光武利之。 友となる相手と出会い、先に逝かれ、本気...続きを読むで惚れる女に出会い、剣を捨てる。 それでも光武は生きる―― これ、続編があります。 まだ読んでないけど! よみたーい!!
前に読んだ「独り群せず」の本編になる。まぁ、前後してるから主人公の若い時代って感じになるけど、大塩平八郎の乱は歴史の教科書でも唐突な感じで不思議だった。平八郎の養子と主人公の友情が流れの基本になるが、やはり分かりにくい。推測を絡ませすぎみたいな・・登場人物が単純なだけに、背景ばかり複雑にするとなぁ・...続きを読む・それなりに面白かったけど。 ともあれ、「独り群せず」での消化不良が解消して、スッキリ感はあります(笑)
久しぶりの北方節で満足。昔大好きでハードボイルドの頃の殆どの作品をコレクションしていた頃を思い出す。歴史物にシフトしてからは少し疎遠気味なのだが戦闘場面の描写の畳み掛けるようなスピード感は同じ緊張感で嬉しくなってくる。
北方さんの歴史時代小説には2つのタイプがありますね。ひとつは武将を取り上げ、大きなスケールで描く歴史物。もうひとつがハードボイルドの時代バージョンといった雰囲気の剣豪小説。私は前者は好きなのですが、後者は苦手。 さて、この作品はというと、やはり後者のほうなのでしょうね。大塩平八郎の乱という歴史的事...続きを読む実を取り上げたので、ひょっとして歴史物かと期待したのですが。 もっとも、そんなに悪くはないです。 少々、刀を振り回しすぎるし、最後の転身は唐突な気もしますが、全体的には押さえが利いた雰囲気です。ただ、人に勧めるほどじゃないかな。
利之のキリットした生き方に共感する。 「口に入れるものがある。いまは、それが幸福なのだ。 私は、よく思う。 幸福など、実はすぐそばにあるものではないかとな。 飢えていれば、雑穀の粥がうまい。 豊作であれば、米が食える。 つまり、心のありようひとつだな。」 「強くなる時、人は自分が強く ...続きを読む なったなどとは思わんものだ。 ほんとうに強くなる時にはな」
大塩平八郎の乱を舞台に架空の人物を主人公にして話は進む。北方歴史小説らしい男らしさや爽快感はあるが、大塩の養子の何に魅かれて友情が生まれたのか、いまいちだった。
異変が伝えられたのは、19日の早朝だった。 仙蔵は、すでに出かけていた。伝えてきたのは、仙蔵が連れていった板場の若いものである。 「そうか」 ほかに言葉はなかった。 利之は部屋に戻った。お勢が、火鉢に炭を足していた。 「洗心洞から、隣の屋敷に大砲が撃ち込まれたそうだ。それから外へ出たらしい。門弟数十...続きを読む人。それが、次第に増えているという」 「どういうことでございます、それは?」 「つまり洗心洞の叛乱に加わろうと、人が集まり始めているということだ」 叛乱という言葉に、お勢は息を呑んだ。言った利之も、背筋が寒くなるような心地がした。 「洗心洞の建物は燃えている」 「まあ」 「洗心洞から出た連中は、救民という旗を掲げているそうだ」 1837年2月19日。大阪で「大塩平八郎の乱」が起きた日である。幕府は当時「大塩騒動」と言った。利之は「叛乱」という言葉を使った。後世の歴史家は「乱」という言葉を使う。「騒乱」と言い、「戦争」と言い、「革命」と言い、「運動」と言う。思うに、評価は世間と時が決める。そのときの行動責任は本人にあるだろう。それはエジプトの「革命」でも同じ。 「林蔵の貌」に繋がる江戸時代の歴史モノである。ときは天保「大塩の乱」前夜の大阪。幕府お庭番村垣定行の妾腹光武利之は父より大阪探索を命じられる。大阪の町で光武は大塩平八郎の息子格之助と知り合う。剣のみ強くて自分をもてあましていた光武は真面目一遍の格之助と付き合ううちに「友達」というものを知るのである。(わりと重要な役で間宮林蔵も登場する) ここで大塩平八郎は中心人物ではない。ただし、常に正義を唱え、知行合一と救民を唱える「正しい人間」として出てくる。彼の理想は、ついには洗心洞塾での陽明学講義だけにとどまることなく、直接行動に向わざるをえない。そして彼の思想はあくまでも体制内変革の急進派であり、幕閣の思惑のなかで潰えざるをえないのである。最後の最後に「乱」が思うように行かなかったときに、平八郎自身はどのような心境にいたり、大塩親子はどのように自害したのかは、ついにこの物語の中では語られなかった。この本の中で語りたかったのは、理想ではなくて、理想を信じて付いて行った「友達」への追悼だったからである。 光武は作者の分身である。さしずめ、大塩平八郎は核マルとかの自称革命家の幹部、格之助は彼らについていって消えていった作者の友達なのだろう。 最後は武士を捨てた光武が、大阪の川べりで包丁を研ぎながら料理人修行をしているところで終わる。波乱万丈の光武の半生に比べてあまりにも平凡な終わり方だろうか。決してそうではない、と作者は言いたいのだろう。
2009年05月 4/42 大塩平八郎と格之介の乱の話。 決意後の格之介の姿が神々しくも痛々しく、せつなさがとまりません。 大きな渦の流れに抗う個人の姿を描くことが多い北方小説。 その中でも、それを主人公が第三者的に見ているという設定のため、いつも以上に主人公の視点が読者視点に近く、距離感があるが...続きを読む故の感情移入のしやすさを感じた。
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