Posted by ブクログ
2022年04月24日
【はじめに】
2019年末に中国で発生したコロナウィルスは瞬く間に世界中に拡散し、多くの命を奪い、社会的・経済的損失を拡大させてきた。本書はその影響を大きく抑えることに貢献することとなったコロナワクチンの開発秘話について、ファイザー製ワクチン開発の主役となったビオンテック社を中心とした多くの関係者の...続きを読むインタビューを通して再構成したものである。
創業者のウールとエズレム夫妻が主役だが、ビオンテックのその他の社員や投資家、ファイザーの重役・社員も実名で登場し、人間ドラマも含めて開発物語が紡がれている。
著者のジョー・ミラーは、ビオンテックが成功を収める前に取材を開始した。そのことが、この本をこれほどまでに深いものにしたのは間違いない。
【概要】
■ mRNA技術
ビオンテックは、もともとは患者固有の腫瘍向けにカスタマイズされたワクチンの開発技術としてmRNAに着目していた。このmRNAワクチンは、mRNAが不安定であるということ(そのために付加剤や冷却保存が必要)と、それがあまりにも新しいことを除けば、原理的には遺伝子情報だけを必要とするため開発が非常に早くなることが期待されていた。mRNAのその性質がパーソナライズが必要で、かつ緊急投与を要する癌治療薬として期待されるところであったのだが、喫緊に必要とされるコロナワクチンとしてもそれこそがまさに必要とされる性質でもあった。このmRNAワクチンの技術がこのタイミングで存在し、挑戦する意志とガッツがある人々の手にあったことは世界にとって幸運であったと思う。
本書では、一般的な免疫系の説明や、ワクチン開発の歴史、一般的な薬の開発プロセスなども詳しく説明されている。その上で、mRNAが「指名手配ポスター」となり、T細胞と連動してワクチンとしてどのように働くのか、その技術的な課題はどういうものであったのかも説明されてる。
すでにウールがコロナ禍の2年前にビル・ゲイツと会い、癌治療薬として説明したmRNA技術についてゲイツがパンデミックの発生に対してワクチンを開発できるようなソリューションを準備しておいた方がよいと助言していたというエピソードは震える。このときの助言を受けてファイザーとインフルエンザワクチンの共同開発契約を交わしていたことが結果的に役に立ったのだ。
■ 開発速度
ワクチン開発においては開発速度が命だった。このウィルスが世界的脅威に発展するとわかる前に、このプロジェクトは始められなければならなかった。なぜなら状況はすぐにでも一時を争うようになるが、そのときではすでに時は遅しである状況だからだ。「プロジェクト・ライトスピード」と名付けられたこのワクチン開発プロジェクトは幾多の困難を乗り越えて実現された。「まず最速を、それから最高を目指せ」もちろん、現実の世界でも間に合ったとはいえない状況であることは確かだが、何人もの命と経済活動の時間を救ったことは確かだ。
開発はまさしく時間との戦いであった。ひとつづつ試薬の効果を試すのではなく、数多くの候補を同時並行的に試していくという方法を取ったり、ワクチンを生産する工場を事前に確保したり、急に出てきた有力候補を時期を遅らせることなく治験に採用したり、といった苦労話が綴られる。
■ ファイザーとの協力体制
ビオンテックは、現在皆が「ファイザー製ワクチン」と認識している通り製薬大手ファイザーとの協力体制を取ることになる。安全性や効果を確認するための試験や、開発後の流通、それまでに必要となる資本とリソースがビオンテックにはなく、その調達を大手製薬会社との提携により獲得することが必要だったからだ。この提携の経緯もこの本では詳しいが、地球規模的危機を前にしてファイザー社もできるだけ早くかつ大量にデリバリーを行うという目標に対して上層部と志をひとつにして進められてきたことがわかる。タームシート締結に向けた権利交渉のシーンは担当者は文句を言っていたようだが、だからこそうまくいったのだと思わされる。
最後にB2.9と呼ばれるワクチンの盲検試験の結果がファイザー社からウールにもたらされ、その結果が想定をはるかに超える成功であったことをついに聞く場面は感動的でもある。成功が保証されない中で、いかに綱渡りであり、またいくつかの偶然にも助けられたことが本当によくわかる。ビオンテックにとっても、世界にとっても賭けに勝った瞬間だった。
【所感】
本書を通して読むとコロナワクチンはいくつかの偶然と強い意志の結果として完成して世に出されたものであることがわかる。そもそもワクチン開発というものは、その歴史上うまくいかないことの方が多かったし、安全性の確認などに時間がかかるものであった。そのワクチン開発の新しい手法としてmRNAを使った手法がこのタイミングで実用化されたこと、そしてその新しい手法を使ったにもかかわらず1年足らずで製品開発までこぎつけたのは、おそらくは僥倖であったのだろう。
コロナワクチンは自分にはタッチの差で間に合わず、2021年6月に感染してしまったので、もう少し早ければ..と思うところなのだが、この物語は悲劇の中の一つの英雄譚として後の世に知られるべきだろう。もちろん、取材から再構築した物語であり、採用されなかったエピソードや、読み物として嘘にならない範囲で修飾が行われていることだろう。それでも、なお科学の勝利の物語として記憶されるべきだろう。そのことを確信できた本だった。
そして成功体験と資金を得たことによって、mRNA技術を用いたパーソナライズされたがんワクチンも遠くない将来に実現されることも期待している。ひとまず、この本を読んだので、3度打ったワクチンはすべてファイザー製にした。
コロナワクチン開発のことを簡単に知りたいという方には少し冗長かもしれないが、とにかくお薦めです。