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Posted by ブクログ
作家の小川洋子さんが、アンネ・フランクの足跡を辿りに隠れ家や親友を訪ねて取材する。
彼女は、ユダヤ人虐殺やナチスの蛮行のシンボルとしてではなく、純粋にアンネの文章を楽しみ、友人として接する。
強制収容所では、「何百万人が」とか「無数の人が」と言ってひとまとめにしてしまうのではなく、一人一人の遺品、旅行カバンや、メガネや、靴や、子どものおもちゃやおしゃぶりなど…
一人一人を尊重し、想いを馳せる。
大雑把にまとめて、分かった気になるのはよくあることだと思う。
「戦争になったらたくさんの人が死ぬ」
そこには、人一人が死ぬということの恐怖が宿らない。
だから、こうやってアンネフランクという一人の少女の人生と関わって、友だちになった小川洋子さんが書いたようなエッセイには、途方もない価値があると思った。
Posted by ブクログ
1990年代、著者がアンネゆかりの地を歩いて綴ったもの。アンネの日記については、「良書」として読み、アンネの記号化されたシンボルが残っていく読み手、そういう記号化されたイメージを敬遠する読者などさまざまある中で、著者は自分と同じ一人の少女に親近感を感じながら魅了され、その歩んだ道をたどる旅に出るまでに至ったようだ。アムステルダムのアンネの家(隠れ家)からフランクフルトの生家、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、そしてウィーンと回り、ジャクリーヌさんやミープさんに会い、他の支援者たちに思いを馳せ、生き延びた2人のユダヤ人に会っている。
去年、アムスのアンネの家を訪ねる前にアンネの日記を読んだ。多感な少女が綴る生活は、おそらくは大人が描くほどの悲惨さを醸し出さず、読書や好きな歴史の勉強、語学、狭い隠れ家での人間関係の観察、両親や姉との関係などを通して、自身を深く掘り下げる日々が淡々と報告されている。言葉を尽くして正直に書き綴っていて、ナチに追われる隠れ家の日記、という先入観を打ち破る瑞々しさにあふれていた。プツンと途切れた日記の最後はもちろん、ナチの連行だったわけで、アンネの家を訪ねた時に感じた「隠れ家での窮屈な生活」の先にあった収容所は、私の中では想像力の及ばない別次元の話になっている。
まったく別の時に訪ねたナチの収容所は2カ所。ダッハウとザクセンハウゼン。その時感じた収容所の一糸乱れぬ規則性は、著者の受けた印象とまったく同じだった。もう数十年前のことなのに、ダッハウでは複数の焼却炉の蓋がまったく同じ角度で開かれていて、ここで人が焼かれたのだということを忘れてしまうほど「展示物」と化していた鮮明な記憶がある。
この本を読みながら、日記の先にあったアンネの最期を改めて日記につなげて想像し、やはり「想像を超えている」という言葉しか浮かばないことに改めて愕然としている。
Posted by ブクログ
小川洋子の作家になる原点が、『アンネの日記』というのが、よくうかがえる。小川洋子は中学一年の時、『アンネの日記』を読み、日記を書く喜びを知った。その積み重ねが小川洋子という作家を作った。アンネに対する信愛の情が、この本にはある。小川洋子のつむぎだす文章が温度があると感じていたが、そのことを納得する。そして、1994年にアンネ・フランクのほんの僅かな人生を送ったところを訪ねる。そしてアンネにまつわる人にインタビューし、アウシュビッツ収容所を見る。人間の殺伐として残酷な歴史を自分の目と身体から感じる紀行文。アンネ・フランクの存在を言葉で表現する。小川洋子はいう「アンネを語ろうとすれば、当然ナチスドイツや人種差別問題やホロコーストについて考えなければならないだろう。けれどわたしが本当に知りたいのは、一人の人間が死ぬ、殺される、ということについてだ。歴史や国家や民族を通してではなく、一人の人間を通して真実を見たいのだ」いやはや。なるほど。その視点が、文学の起点だね。
1994年6月30日出発。アムステルダム到着。7月1日。アンネフランクハウス、アンネの家族の隠れ家。7月2日。アンネの日記を見つけたミープ・リースにあい、インタビューする。ミープは1987年に『思い出のアンネフランク』という本を出している。7月3日。フランクフルト。隠れ家、アンネの生家。アンネフランク展。7月4日。ポーランド。クラクフ。7月5日アウシュビッツ。第二アウシュビッツ。7月6日。ウィーン。7月7日。二人のユダヤ人に出会う。たった1週間の旅行であるが、濃密だ。
小川洋子は、「なぜ小説を書くようになったか」という質問にうまく答えられない。小川洋子は『アンネの日記』がきっかけで、自分の日記をつけ始めた。因縁の人だ。
アンネの日記は、1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されている。アンネは、1929年生まれ、1945年15歳で亡くなった。アンネはアウシュビッツに送られ、その後ベルゲンベルゼン収容所でチフスで死んだとされている。アンネの母、姉マルゴーは死に、父親オットーは、アウシュビッツで生き残った。戦争が終わり、アンネの日記を世に送り出した。
小川洋子は、アンネの自由さ、伸びやかさ、10代の少女が悩む姿などをうまく掬い上げてアンネのいた場所に佇む。50年以上の時間の隔たりを感じさせない完成でそこにあるものを見る。実に叙情的な文体とアンネを思う気持ちが吐露される。
アウシュビッツで、メガネだけの部屋、靴だけの部屋、髪の毛だけの部屋の展示に身が悶える。
「アウシュビッツ収容所で生き延びるために、一番必要だった条件はなんでしょう。体力でしょ羽化。それとも精神力?」と問うと、ユダヤ人アントン・ウインターは「誰が生きのび、誰が死ぬか。そこに条件などありません。運命を知っていたのは神だけです。そして、絶対に自分は生きのびる、と信じていた」。ウインターは「遺体を焼いたあとの骨を、粉々にする作業、これだけはつらくて私にはとてもできなかった」という、そういう凄惨な体験をしている。それでも生き残ろうとした。
小川洋子の成り立ちがよく理解でき、その視点が一人の人間の目で見ようとしている。なんのために生きるのかを知り得た作家だった。戦争の持つすざましいほどの人間の破壊力。あらためて戦争はしてはいけないと思った。本当に、人はなぜ戦争をするのだろうか
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