だいぶ昔だが、溝口健二『雨月物語』を見て甚く感動したのを覚えている。艶かしくねっとりとしたカメラワーク、男女の愛の美しさと卑しさを捉えた構成に衝撃を受け、小津安二郎と溝口健二の映画を交互に見る生活をしばらく続けた。授業でも習ったはずなのに、この映画に原作があることを完全に忘れたままで。
映像化された作品を先に見てしまうともう読んだ気になってしまい、あえて原作を探して読もうとしなくなってしまう。コーマック・マッカッシー『No Country For Old Men』なんかも、コーエン兄弟の映画を先に鑑賞し、原作を読んだのはその一年後のことだった。ちゃんと原作も読まなきゃダメだよなぁなんて思いな...続きを読む がら、ずぼらな性格で後回しにしてしまうのである。『雨月物語』なんて一年後どころか数年後の今になってようやく手をつけた。まあでも、読まないで終わるよりマシだろう、と言い訳をして根本的な問題と向き合うことから逃げた。
ようやく読んでみて思ったが、溝口バージョンと原作ではかなり空気が違う。溝口健二の場合、原作のうち二話のストーリーを混ぜ合わせた上で外文の要素を注入し、溝口流に仕上げた脚本になっているので、彼のオリジナル作品と言ってよいかもしれない。好きな監督を三人言ってみて、と聞かれたら「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えるほどには溝口健二が好きなので、原作改変についてとやかく言うつもりはまったくないし、むしろ原作のうち、女性の神秘的な強さを抽出して映像化した点はさすがだなぁと、改めて彼のセンスの良さに驚かされた。
さて、ここからは原作に立ち返って論じていこうと思う。九つの物語からなる『雨月物語』は、校注者や溝口が着目した「女の強さ」が主題となっているとは言い難い。むしろ漢籍に見られるような「義」と「 中道」の精神が全話において貫かれていると言える。義と中道といえば、やはり儒教的精神だが、「菊花の約」のような理想的な儒者的価値観が貫かれている話もあれば、「貧富論」のように実利に目を向けた話も含まれており、一概に儒者による作品と決めつけることはできない。司馬遷『史記』の根底に流れる精神を意識したかのようにも見えるが、「夢応の鯉魚」のような神秘的な情景を描いた箇所も随所に見られる。漢籍だけに依っているかと思えば、「蛇性の淫」にて「よきひとの よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく」という『万葉集』の歌に言及している場面もあり、日本的な美の価値観も盛り込まれていることがわかる。つまり、国学の知識をふんだんに用いて練り上げた雅な世界観を、神秘的な描写で豊かに彩り、根底に漢籍由来の骨太な思想をおいて支えたのが『雨月物語』という作品なのだ。同時代の浮世草子や読本、後の時代の滑稽物などと比べてみると、如何に本作が飛び抜けて秀でているかがよくわかると思う。まさに唯一無二の作品と言ってよい。歴史を超えて多くの作家に愛される理由がよくわかる。独特の感性とそれを裏打ちする確かな教養がなければ、時の洗礼を乗り越えることはできない。上田秋成は、恐ろしいことにその二つを持ち合わせていたのである。
これだけの傑作、あまたの人々が評価してきた作品をいちいち細かく一話ずつ解説していくのもヤボな気がするので、物語に関する批評はこれくらいにしておこうと思う。それよりも、「岩波文庫版『雨月物語』」がどうだったかを伝える方が、一素人読者の感想としては重要だと思う。
結論としていえば、大変読みやすかった。注釈の入れ方が的確で、学校教育で習う文法や単語知識さえあれば読めるようになっている。無駄や抜けがほとんどない。さらに本編導入にて全話の要約を載せてくれているので、本編に入ってからも話を追うのに苦労することがない。安心して文語の美しさを堪能しながら物語世界に入っていけるようになっている。そもそも江戸中期に入って書かれた作品なので読解にさほど困難はないが、やはりここまで手を尽くしてくれているのはありがたい。これさえあればわざわざ現代語訳を読まなくても良いと言っても過言ではないだろう。作品の随所に漢籍に関しての素養が必要とされる部分も多くあるが、そこもしっかり解説を入れてくれているので、読むだけでどんどん教養が身についていく仕掛けになっている。まさに私のような無学無教養の人間にぴったりの本だ。
江戸文学に興味がある方、どこかで『雨月物語』に興味を持った方、怪異や歴史に興味のある方、是非岩波文庫版の『雨月物語』を手に取って欲しい。これほど原文で読んでもらうために手を尽くしてくれている本も珍しいだろう。有難いものは、しっかり利用していかなければならないなと思った。