2011年3月11日福島原発メルトダウン事故により、福島の農林水産業は多大な被害を受けた。そして、10年経って原発メルトダウン事故は風化しつつある。ただ、福島の農産物は、未だに風評被害があり、その風評被害が固定化し、定着している。福島の放射能に関する科学的な知見は多く明らかにされつつある。緻密で、具体的な科学的事実を積み上げている。著者は社会学者であり、柏市の住人で柏市の職の安心安全について、消費者と生産者をつなぐ活動をしている。
社会学の立場だけでは、明らかにできないことが多いが、福島の食についての風評被害の現実と課題を鮮明にしようとしている。読みながら、意欲的で刺激的な本だと思った。これから、私は福島の農業に本格的に取り組む上で示唆の多い内容だ。
本書のあとがきでは、「不安で胸が張り裂けそうな著作」と述べており、炎上覚悟の出版だったと思う。そのおかげで、風評被害の考える視点を与えてくれた。
そもそも、風評被害とは何か?どのように形成されるか?それを時間軸でとらえていく作業をしている。①流通や市場の課題。②消費者とのコミュニケーションと対話。③差別と分断への分析と対応すべき内容。デマは許さない。
本書は、2018年に出版されている。
福島のメルトダウン事故は、推進派、反対派、脱原発派などの対立があり、福島と福島県以外の消費者、原発被害者、避難民そして消費者とさまざまな人々がいる。そのために、議論を進めるためには、①科学的リスク判断。②原発事故の責任追求。③一次産業を含めた復興。④エネルギー政策の4つがある。②と④については、食そして風評被害に関して論じる場合には切り離して考えるべきだという。そうでないと、立場の違いが露骨に衝突することになる。
科学的リスク判断と1次産業を含めた農業の復興というテーマで、風評被害を考察することとなる。農業経済学、社会心理学、マーケティング理論、リスクコミュニケーション理論など、取り組む上でも多面的な考察をしないと風評被害の全体的、俯瞰的な視野が得られない。
福島は、日本の食を支えてきた県である。福島県は2010年から、生産量の全国順位が上位の農林水産物(コメ:全国4位、キュウリ:全国2位、トマト全国7位、アスパラガス、モモ:全国2位、日本ナシ:全国3位、地鶏、福島牛、リンドウ、ナメコ、ヒラメ)を福島の恵みイレブンというキャンペーンをはじめていた。そのほかにも、インゲン:全国2位、カツオも有名だった。福島県は農林水産物のオールラウンダーだった。新潟のコメ、青森のリンゴ、静岡の茶といった地名と結びついた強力なブランド力を持つ産物がないのも特徴だ。結局2位以下では目立たないということだ。「一つの金メダルよりも多数の入賞を狙う作戦」とも言われている。
日常の食卓を支える品目が多いのが特徴で、それが原発メルトダウン事故に直撃されたのだから、たまらない。
福島の食を避けている人は、2017年の消費庁のアンケート調査によれば、13%に過ぎない。2012年産のコメから、放射能の全袋検査がなされている。私は、そのことを知らなかった。2015年以降は、100ベクレル/kgの基準値を超えたものはゼロとなっている。福島県の米には、福島県放射性物質検査済のシールが貼られている。
コメの放射能汚染がゼロになったことは、セシウムが地面に降り注ぎ、土壌と深く結びつくが、セシウムはカリウムと同じような挙動をする。そのため、カリウムの欠乏している土壌では、コメはセシウムを吸収するが、カリウムを散布することでセシウムを吸収しないという技術開発も重要な役割を果たした。
それでも福島のコメは安く買い叩かれている。価値観が多様化する社会で、どのように判断し、市場で起こっている風評を明らかにして、流通構造の中で問題の解決の糸口を明らかにする作業をする必要がある。
大きな前提として、チェルノブイリ原発事故と比較。チェルノブイリ事故では放射性物質の総放出量(ヨウ素換算)は、5.2x10の18乗ベクレル、ヨウ素の放出量は1.8x10の18乗ベクレルだった。福島原発事故の放出量は、そのそう放出量の1/7と1/11だった。また、チェルノブイリ原発メルトダウンは情報操作され事故を知らされなかったことと、地元の人が牛乳と山菜やキノコを摂取していたことから甲状腺癌が多発した。日本では、その点での対策が早かった。
風評に対応するには、放射能への科学的知識が必要である。消費庁の2017年のアンケート調査では、放射能の半減期を知っている人は27%。自然放射線による内部被曝と外部被曝を知っている人は32%。甲状腺ガンを誘発する放射性ヨウ素は半減期が8日なので、6年経った今では放射性ヨウ素は検出されないということを知っている人は9%だった。
政府・原子力専門家・科学者などの信用失墜が起こったのは、事実だ。①事故を防ぐことができなかった。②原子力は安全であると過度に強調。③事故後の混乱と適切な対応ができなかった。何を信じていいかがわからない状況が続いたことが、風評として定着することにもなった。ある意味では、反対派、脱原発派の放射能が危ないという意見が被害を受けた住民や避難民の感情にあい、その情報を受け入れる場合もあった。
ただし、放射能の正しい科学知識が普及すれば、福島県産品の忌避がなくなると言えない。科学的知識の普及はそれ自体が目的ではなく、あくまでも手段であり、入口だった。
チェルノブイリの放射能被害を受けたノルウェーでは、小学生に放射能に対する基本教育がなされた。放射能を過剰に危険視する偏見に対して、きちんと反論する能力を養うことに主眼が置かれている。
放射能の科学的ファクトを伝えるだけでなく、信頼関係の構築が必要であり、信頼に足る人の意見は受け止めることができる。見えない放射能であるが故に、とりとめのない不安の背後にある悩みを理解して、今悩んでいることに対話をすることがポイントとなる。そして納得や安心に繋げるコミュニケーションの場を作ることが必要だ。「主要価値類似性モデル」ある問題に関して、自分と相手が同じような見立て方をして、求める内容が同じと感じられるなら、相手を信頼する。本書であげられている言葉で、『共考』という言葉が重要だと思った。
自己決定権を尊重し、民主主義的価値観をその根底に置く。フィンランドの小学生の議論のためのルールが優れている。①他人の発言をさえぎらない。②話すときは、ダラダラとしゃべらない。③話すときに、怒ったり泣いたりしない。④わからないことがあったら、すぐに質問する。⑤話を聞くときは、話している人の目を見る。⑥話を聞くときには、他のことをしない。⑦最後まで、きちんと話を聞く。⑧議論が台無しになるようなことを言わない。⑨どのような意見であっても、間違いと決めつけない。⑩議論が終わったら、議論の内容の話はしない。ふーむ。すごいなぁ。討論の基本というか、リテラシーがしっかりしている。
それにしても、S N Sなどではひどい言葉が投げつけられている。「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」「子供を避難させないお前は人殺しだ」避難している子供に、「あぁ。放射能がいる」とか。フクシマというカタカナ表記が、外部から悲劇の地として想像、消費されることを意味し、差別的表現として受け止められる。ふーむ。そんなふうに思わずに、フクシマと使っていたなぁ。武田邦彦の「あと3年、日本に住めなくなる日 2015年3月31日」という危険を煽る発言に対して問題だと指摘している。
あぁ。描き過ぎた。随分と興奮してこの本を読んだ。きちんと科学的ファクトを基本として、福島に向き合うことが必要だと痛感させられた本である。