中川太古の作品一覧
「中川太古」の「地図と読む 現代語訳 信長公記」「現代語訳 信長公記」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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國學院大學文学部文学科卒。著作に『信長公記』がある。
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
『信長公記』で信長の裏切られ人生が分かる!
織田信清(犬山衆)
山口教継
織田信広
斯波義銀
浅井長政
三好義継
松永久秀
足利義昭
別所長治
荒木村重
明智光秀
明智光秀の裏切りがあまりにも有名だけど、結構色々な人物から裏切られてる。そして浅井長政や荒木村重も明智光秀と同じで謀反の理由が所説あって定まっていないという。光秀だけが特別なんじゃない、裏切らせるなにかが信長自身にあったのかもしれない。思えば信長も下剋上の寵児だし、あえて部下が裏切るように仕向けて楽しんでたのかもしれない。あと主君を裏切るなんてその場の勢いでできることじゃない、失敗しないように綿密に計画を立ててるんだという意見もあるけど、これだけ裏切られるとその場の勢い説もあるかなと思う。理屈じゃない、戦国武将としての嗅覚で裏切った場合もあるんじゃないかと。光秀の前にこれだけ裏切られてるのに、上洛するのにお小姓衆二、三十人しか連れて行かなかったのはどういう考えだったのだろう。
甲州征伐からの帰還、諏訪から富士山を見物し、駿河・遠江を廻っての帰京は、まさに天下平定を告げる順路のようで壮大だった。
Posted by ブクログ
織田家中であった、太田牛一が日記のように記録した、信長公記は、信長の第一級資料と冒頭にある。
大田牛一は、本能寺の変以降も生き延びて、豊臣家に仕え、慶長18年大阪城で現役のまま亡くなる。大阪冬の陣が始まる1年前のことであった。
首巻は、天文3年(1534)から永禄10年(1567)までを、以降は、本能寺の変が起こる1582年までは、年単位で日記状にまとめられている。
本書は完全に口語訳がなされていて読みやすい。地名や、人名についても、注がつけられていて、具体的に誰のことをいっているのかが紐づけられている。
事実がテーマ別に時系列にならべられていて、当人の感情がところどころに見れるもの。史実をそのまま記載しているところが、第一級資料たるところなのでしょうか。
目次 と主な出来事
首巻(入京以前)信長誕生、父信秀の死、道三との会見、弟信行謀殺 尾張平定 桶狭間、稲葉山城攻略、入京
巻1 永禄11年(1568)畿内平定
巻2 永禄12年(1569)伊勢攻撃
巻3 元亀元年(1570)小谷城攻撃、姉川の合戦
巻4 元亀2年(1571)佐和山城摂取、比叡山焼き討ち
巻5 元亀3年(1572)北近江攻撃、三好3人衆謀反、三方ヶ原の合戦
巻6 元亀4年(1573)足利義昭謀反追放、一条谷攻撃、浅井氏滅亡、北伊勢出陣
巻7 天正2年(1574)越前攻略 石山本願寺挙兵 河内長島平定
巻8 天正3年(1575)長篠合戦 石山本願寺和睦
巻9 天正4年(1576)安土築城 石山本願寺挙兵
巻10 天正5年(1577)柴田勝家加賀出陣 羽柴秀吉播磨出陣但馬播磨平定
巻11 天正6年(1578)別所長治謀反、荒木村重謀反、
巻12 天正7年(1579)摂津播磨の陣 安土城天守閣に移転 明智光秀丹波攻略
巻13 天正8年(1580)羽柴秀吉三木城攻略 石山本願寺と和睦 柴田勝家 加賀能登制圧 羽柴秀吉 播磨但馬平定
巻14 天正9年(1581)越中加賀反乱を平定 羽柴秀吉鳥取城包囲 織田信雄伊賀平定
巻15 天正10年(1582)甲斐出陣武田氏滅亡 羽柴秀吉高松城攻め 明智光秀中国出陣 信長上洛 本能寺の変 織田信忠切腹 徳川家康堺から退去
信長公記 関係系図
信長公記 記事年表