本書は、買ったのは今年初めで、長い間読もうと思っていたものであり、ようやくゆっくりと読む気になった。といって、中断し、また読み始める。この本のスゴサに驚くばかりだ。ページをめくりながら、著者の育種家の視点は、歴史的な背景を探り、その地域の特色や歴史を理解し、果物が生まれた世界を探究することであることを再認識した。果物の品種の由来や歴史を調べ、綿密な文献にあたり、産地や現場に行き、育種家が何を思い、どのように向き合ったかを考察する。果物の姿に目を向け、果物の声に耳を澄ませる。そのプロセスこそが、現在の果物の結果を形成し、未来に何が求められるかを考えさせるのである。だからこそ、著者は「食べ物は一国の運命をも左右する存在であり、果物が日本を動かした」と述べているのだ。果物がエンターテイメントしている。
本書を読むことで、さまざまなことを調べたくなる。この本は、読むのに時間がかかったのは、紹介されているいくつかのドラマがあり、それを調べていると楽しいのだ。常に脱線させるノイズを持った本だ。ノイズが多い本ほどおもしろいのだ。実際に本当は何かを問いかけてもいる。今の時代、読書欲と読書力が低下して、TikTok時代において、3分で理解したがる時に、じっくりとこの本を読むことで本はおもしろいぞ、育種はおもしろいぞ、農業がおもしろいぞということに挑戦しているような著者の意気込みと格闘が伺える。
本書は、みかん、柿、ブドウ、イチゴ、メロン、桃を取り上げ、一口の感動と、それに携わってきた人々の想いをつづる。また、「おいしい」は歴史すらも変える力を持つと著者は主張する。食生活が豊かになれば、人生まで豊かになるのだ。
本書を読み進めながら、あの時食べたみかん、イチゴ、桃などの記憶が鮮やかに蘇る。著者の巧みな文章が脳に届き、記憶を刺激するのである。読むのをやめ、一瞬立ち止まり、その思い出を引き出して、当時の感激の記憶を再確認するのだ。
みかんは、子供の頃コタツに入って食べることが好きだった。手が黄色くなるほど食べてしまい、家にはみかんが箱で買い置きされていた。コタツとみかん。それは至福の時間であった。
正岡子規の「皮むけば青煙たつ蜜柑かな」という俳句を考察する。著者は、皮の油胞の重要性を説いている。そこからみかんを見つめるのだ。表皮の内側には白い繊維質の組織が存在し、さらにその内側には多汁質の粒が隙間なく満ちた袋が放射状に並んでいる。その解剖学的な表現が、みかんのリアルを伝え、果実の多様性やカラタチとの深い関係まで分析される。また、北原白秋の「カラタチの花」へと話題が展開され、日本書紀や古事記に遡って「橘」について問いかける。垂仁天皇は柑橘(非時香菓)を食べたのか、そして牧野富太郎の推理が示される。その分析力は並大抵のものではない。
シークワサーについては、10種近くの品種があり、「大宜味クガニー」「勝山クガニー」「カーアチー」の特徴が詳説され、シークワサーに含まれるノビレチンの存在についても触れられ、ブルーゾーンの話題まで及ぶ。名護に十年近く住んでいた私としては、知らないことが多く記載されており、興味が湧く。小みかんと温州みかんという二つのカテゴリーがあり、温州みかんには117品種もあるとのこと。これは興味深い。
温州みかんは枝変わりが主であり、温州みかんとオレンジの交配種を「タンゴール」と呼ぶ。これは温州みかんの「タンジェリン」とオレンジをつなげた造語である。タンゴールには、不知火、清見、肥の豊、はるみ、せとか、紅まどんな、甘平といった品種が存在する。中心的な役割を果たすのは清見である。さらに、タンカンは、中国広東省で生まれたポンカンとネーブルオレンジの自然交配による品種である。
柿は日本各地に広がっている。柿には、完全渋柿(愛宕、西条)、不完全渋柿(平核無、みしらず柿)、不完全甘柿(西村早生、禅寺丸)、完全甘柿(富有、次郎)の4タイプがある。柿の世界はまだ知らないことが多く、本当に興味深いものであった。柿については「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」というレベルの認識だった。柿は奥が深い。食べるための生活の工夫が積み重ねられている。
ブドウは最も生産量の多い果実。そして、最も古くから栽培されている。紀元前2000年に栽培品種が現れた。クレオパトラは、スーパーフードのデーツやアンチエイジングのいちじくを食べたが、「マスカット・オブ・アレキサンドリア」を好んで食べたという。欧州ブドウは、マスカット、ロザキ、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローなどがある。アメリカブドウは、コンコード、カトーバなどがある。日本でワインが製造されるのは、明治に入ってからだ。なぜワインが作られなかったか?は、「果実を潰すことを知らなかった」説をあげている。ヤマブドウは日本で古来からあったが、酸味が強く、糖度がなかった。現在では、ヤマブドウワインも作られるようになった。しかし、本書では甲州という品種が、約1000年前からあったとしている。それにしても、福羽逸人は武道にも絡んでいた。
日本におけるブドウ栽培の起源や、栽培方法の模索の歴史、そして「巨峰」や「デラウェア」といった品種が、戦時下の社会情勢や鉄道網の発達といった社会背景とどのように結びついて発展してきたかが解説されている。また、軍需物資として密かに大量生産されていた醸造場があったことも述べている。ロッシェル塩というものを作るためだ。
生食ブドウは、甲州、デラウェア、巨峰、シャインマスカットと変遷して、新しい品種も生まれている。1960年に種無しデラウェアが初出荷。
日本におけるイチゴの歴史を考えると福羽逸人の存在が大きい。日本の園芸の最初の一撃を与えた人であることは確かだ。音質の栽培、促成栽培など施設園芸の始まりの人だ。イチゴでは福羽を作り普及した。それからイチゴは大きく発展していく。果物といえば、矢張りイチゴなのだ。石垣いちごのダナー、宝交早生、そして女峰で栃木県がイチゴ産地となる。栃木の「女峰」から福岡の「とよのか」、そして再び栃木の「とちおとめ」、福岡の「あまおう」へと、イチゴの品種の主役が交代してきた歴史が、産官学連携による競争と努力の物語となる。イチゴが白くなったり、夏場にできるようになったりするイチゴの多様化が進む。そして、現在種子によるイチゴ栽培が大きく注目を浴びる。母株を作る手間をなくすことによって、イチゴ栽培の大型化が可能となった。
メロン:この章は、まるで時代絵巻を見ているようだ。日本で動力付き飛行機が飛んだ時に、マスクメロンが登場した。確かに、飛行機は大きく移動手段を変え、戦争のあり方を変えた。そして、マスクメロンは、日本の果物の歴史を変えた。これほど美しい芸術的な造形と高額な果物はなかった。
日本では、マクワウリは、シロウリとともに、有史以前に中国経由で日本列島に伝わった。弥生時代の遺跡から種子が発見されている。 花園天皇と大燈国師のマクワウリの絵から、秀吉、家康とマクワウリが語り継がれ、松尾芭蕉が「初真桑四つにや断ん輪に切らん」とよむ。そして正岡子規が「狂言の手つきで盗む真桑哉」と真桑瓜の話が、メロンにつながっていく。あざかやな著者の筆力。
明治時代に新宿御苑でメロン栽培が始まった。かつては貴族や富裕層しか口にできなかった高級品が、そして身近な存在になっていった。マスクメロン、
メロンの模様は、果実が肥大していく過程で、内部が大きくなるスピードに表皮の成長がおいつかずに入るひびが原因となっている。ヒビを塞ごうとして作られるのが網目の正体なのだ。この組織はスベリンという蝋質の物質で、コルクの主要成分と同じである。
ネットメロン、夕張メロン、そしてプリンスメロン、イバラキングとメロンも多様化していくのだ。
著者は、育種において甘さだけを重視するのはいかがなものか?と問題提起もする。
桃の表題『神聖な果実から人間との共生を選んだ植物』→この表現がいい。
福島にいると、桃が安くて美味しい。あのジューシーさを、よくぞ作り上げたと思う。それにしても、皮ごと食べることで、めんどくささがなくなった。福島に来てやっとモモの品種がわかるようになった。今は、あかつきを食べている。実に美味しい。川中島白桃も美味い。
本書では、桃にまつわる歴史的なことの考察、徳川家康が関ヶ原の戦い直前に桃に願をかけた桃配山の逸話や、かつての桃は小さく、糖度はずっと低かったこと、縄文時代においては、遺跡から桃核が多く発見されている。桃には魔除けや邪気を払う力がある。
縄文人が桃を自然の恵みを食料としてだけでなく、精神的な側面においても生活に取り入れていた。桃の木は「神木」とされ、その枝で悪霊を払う呪具(桃の杖など)が作られていた。また、戸口に桃の木片を飾って魔除けとする風習もあった。
崑崙山に住む女神・西王母が持つ「蟠桃」は、食べると不老不死になれると信じられていた。この桃の木は、仙人の住む世界と俗世を隔てる力を持つとされ、その神聖さから桃自体が邪悪なものを寄せ付けないとされた。蟠桃を巡って、孫悟空の物語も生まれている。中国の雲南にいた時に蟠桃を食べたが、やはり美味しいと思えなかった。それにしても、日本の桃はうまい。
本書を読んでいて、育種されてきた果実への並々ならぬ尊敬と愛情が、この本を作ったと思うと感慨深い。そして、育種家たちは、もっと美味しく、もっと感動させるものをつくるために、汗水垂らして、泥臭い努力を続けていることだろう。学び多く、収穫が多い本だった。ブラボー!