西股総生の作品一覧
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二重構造
「侍」というと江戸時代に高度に純化されてしまった武士道に基づく侍を想定してしまいがちだが、本当に毎日命のやり取りをしていた戦国時代の武士はもっともっと野蛮なものだった、という最初の説明にすっと納得してしまった。職能別の軍隊構成や侍と足軽以下の二重構造 という説にもさもありなんとこれまた納得。有名な長篠合戦の解説にもこれまた素直に納得 してしまった。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白い。10年以上前の本だが、我々市井の戦国好きの中で最近流行っている戦国史をもとにしたマンガや小説なんかは著者が取り上げた研究結果が大きく反映されているんだなというのを感じる。軍事的な視点から戦国史を見ると、これだけ景色が変わるのかと。史料の読み方も、目を引く表現にとらわれるのではなく、書いた人間がどういう意図でそういう表現をしなのかとか、冷静に考えているところがまたいいと思う。
高白斎記などにある備えを立てるという表現、これはそれぞれの領主が動員した兵員を連れて着到してから兵種ごとに部隊を再編したことを指すのではないかと指摘している。東国のほうがそういった面では進んでいたのではないかというのも。また、旭山城に晴信が入れた300という鉄砲の数についても、武田の戦略環境から晴信が有していた総数を入れたら十分にありうる数字としているのも納得。
軍事の階層性に関して、作戦というレベルが意識されるようになったのは享徳の乱の長尾景春の反乱からで、行(てだて)という言葉がそれに該当するのではとしている。このような理論的な整理も、塚原卜伝のような武芸者の需要が高まったことと関連があるとしている。
最初に取り上げた山中城攻めでの渡辺勘兵衛の記録についても考察していて、そこには兵種別に再編成された部下たちが別部隊として戦っていたこと、また小者が乗り捨てた馬の面倒を見て戦が終わってから死体が累々としている城内で勘兵衛を探しただろう、そして勘兵衛はそれが当たり前のことで自分の武功とは何の関係もないから記録していない軍役関係の史料にも馬上一騎に鐙などと同じくセットなのが当たり前だから記載がないのだと説得力のある推測を示している。
武田家の軍役定書などから、細かく兵装について指定されているが、これも兵力を提供する領主側としては手抜きをしたいというモラルハザードがあることを考えれば理屈に適っている。馬上の侍については自己責任のはずだが、大名側が重装備を指示しているのは、追撃戦など乗馬戦闘に適した場合でまとめて用いたいのと、下馬した場合は重装歩兵として用いたかったから。消耗率の高い前線で缶切り役として活躍した。島原の乱での細川家の論功行賞で軍令を無視して強引に城内に突入して評価された武士と鉄砲隊の指揮官でありながら指揮下部隊をほっぽってしまった武士とで評価がわかれていて、缶切り役と指揮官役で働きも分かれていたらしい。
兵種別編制が可能かどうかは主従関係を断ち切ることができるのかという反論があるが、軍役と同じ奉公の一つである普請にたとえ、石や木といった資材を調達するのと兵力を調達するのは一緒で、必ずしも動員した兵力が被官である必要はないのだとしている。では雑兵たちはどこから調達されたのか、これは臨時でパートを企業が募集するように、落ちぶれた浪人や村からの逃亡者を集めたのだった。武田家朱印状写にある長刀を帯びることが許された一手役人は、ヨーロッパでハルベルトを盛った先任下士官と同じく、逃げたら切ると兵隊ににらみを利かせる存在だった。支配階級に属する侍と被支配階級の足軽などでは価値観やメンタリティも違うから、敗勢となっても侍は踏みとどまったし、足軽は逃げたし、勇敢に戦ったとかたちまち壊乱したとか一面的に理解するのは違う。
兵粮自弁で享徳の乱の管領軍も公方軍も商業資本を通じて物資調達しており、長尾景春はこれをゲリラ的に寸断した。第二次国府台合戦では、里見側が兵粮の値段交渉が長引いて搬送が遅れている。氏康は状況によっては家臣に貸し出していた。小荷駄隊の編制も後北条氏では氏綱のときからされていた。小田原戦役で北条側の書状から秀吉軍が兵粮に困っていたと結論することはできないが、フロイスや松平家忠の記録からは確かに秀吉軍の士気が低下していたことが窺える。小田原城を囲んだ部隊を他の支城の攻略に向かわせたのは口減らしだった可能性もある。
長篠合戦の史料を読み解くと、武田の主攻軸は徳川で、織田軍は兵力を損耗しないようにしながら援護射撃をしていた。事実武田や徳川の記録ではそれぞれが白兵戦を戦っていた記録がある。織田軍を攻めた武田軍も織田軍を陽動する目的で都度アプローチを変えて攻めたり引いたりを繰り返した。武田軍が攻勢限界に至ったところで織田軍は主力を投入しなのではないか。これはセンゴクなんかで示された解釈と比べてどうかというのが気になる。
信長が天下を取れたのは、常に拡大と他正面作戦で異常な淘汰圧がかかって慢性的な人材不足にあったために腕に覚えがあり上昇志向の強い侍が次々と集まってきたためで、淘汰圧の構造によるもの。
最後に、戦国時代は軍事革命を生ぜしめながらも社会構造の根本的な変革には至らなかった。下剋上とは所詮は支配階級内部での権力闘争でしかなく、軍事政権としての大名権力もその延長線上にある織豊政権も、構造的に格差を再生産しつづけるイベントである戦争の実行主体に過ぎなかったから。そして秀吉の対外戦略の失敗で日本列島が東アジア社会から孤立し、徳川の派遣で国内の戦場が全て閉鎖され、戦国日本の軍事革命は未完に終わってしまったとの説。
Posted by ブクログ
とても楽しく読みました。そもそも、自分が城跡好きだからかもしれないけれど。これまで城跡なんて興味が無かったという人が読んでも、魅力に気付いてくれる人がいるのでないかなぁ。
筆者による城跡に関する考察と、城跡の各パーツに関する説明、それから城跡に関する筆者の随想/主張が程良いバランスで記述されています。
筆者の縄張り図及び城跡への想いがひしひしと伝わって来て、そこが本書の魅力だと思います。
城跡/史跡の保存に関する主張や、復興天守に関する主張は、大いに共感できます。
多くの方に読んでもらって、まだまだ残されている歴史の痕跡に触れてもらえたらいいなぁと思います。
みなさん、本書を読んで、城跡に行きましょう!!