大東亜会議とは、敗戦色が濃くなった1943年11月に開催された日本への協力国である、ビルマ、満州、中華民国、タイ、フィリピン、自由インドの首脳を集めた国際会議である。
大東亜共栄圏とは、その提唱を唱えた東条英機からみると、アジアの満州化であった。だが、日本以外の当時国から見ると、旧宗主国である、英米
...続きを読む仏蘭の勢力を駆逐し、独立を成し遂げるためになった一つのきっかけである。
大東亜共栄圏の確立とは、松岡洋右が日本の戦争を正当化し、方向づけるためのスローガンであり、西欧の植民勢力をアジアから駆逐、アジアを解放するというものであった。
・日本を大東亜戦争に追いやった原因は、ハルノートであり、ABCD包囲網であった。
・首相・陸軍の登場に対して、外相であった重光葵が「日本の戦争目的は東亜の解放、アジアの復興であって、東亜民族が植民地的地位を脱して各国平等の地位に立つことが、世界平和の基礎であり、その実現が即ち、戦争目的であり、この目的を達することをもって日本は完全に満足する」という主張を行っている。
・石原莞爾が唱えた、満州の五族協和とは、満州にアメリカのような合衆国を作りたかったから。
・大東亜共栄圏の確立なしには、戦後アジアの復興はなく、親日の素地はうまれなかった。
・日露戦争の直前南下してきたロシア軍が、旧満州地区で虐殺を繰り返し、満州人は日本軍を歓迎しロシアの後方部隊を襲撃してくれた。
・いまでも、旧満州国の中国人は、親日度が高いといわれる。それは台湾と同様、日本のインフラによる恩恵によるものである。
・フィリピンでは、日本軍は、占領政策に失敗し、不作法の限りを尽くしたと伝えられる。それが、米国時代の統治を思い起こし、反攻につながった。
・インパール戦は日印連合軍による、イギリス軍への戦闘であった。当時陸軍は、東南アジアに軍勢力をとどめておきたかったにもかかわらず、大東亜共栄圏という理想を掲げた外務省により、同盟国へ兵を進めることとなった。
・大東亜会議に、首脳を派遣した国は、その独立を勝ちえることができ、その意味でも、アジアへの貢献という意義を見出すことができる。
目次は以下です。
第1章 昭和18年11月、大東亜会議開催さる
第2章 東条英機首相の代表演説
第3章 英国、オランダのアジア統治
第4章 裏切られ続けた一中国人の悲劇
第5章 全アジアの満州国化
第6章 策士の内なる理想主義
第7章 大東亜行動宣言
第8章 ジョヨボヨ伝説と日本軍
第9章 チャンドラ・ボースの進軍
第10章 東条内閣総辞職
第11章 ラウレル亡命
第12章 日本降伏
第13章 民族独立の夢
第14章 東亜解放のための戦争
特別対談 大東亜共栄圏は日本の財産だ 福田和也との対話
あとがき