プロフィール

  • 作者名:合田正人(ゴウダマサト)
  • 性別:男性
  • 生年月日:1957年
  • 出身地:日本
  • 職業:大学教授

一橋大学社会学部卒。『サルトル 「むかつき」――ニートという冒険』、『田辺元とハイデガー』などの著書を手がける。また、『ドゥルーズ 経験不可能の経験』(ジャン=クレ・マルタン)など多くの作品の翻訳を手がける。

作品一覧

  • ウィトゲンシュタインと言語の限界

    ウィトゲンシュタインと言語の限界

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻1,760円 (税込)
    本書の著者ピエール・アド(1922-2010年)は、古代ギリシア思想や新プラトン主義の研究者として、コレージュ・ド・フランス教授を務めました。その著作は、古代哲学のみならず、フランシス・ベーコンやデカルトなどの17世紀思想、ゲーテ、ヘーゲルからニーチェ、ベルクソン、ハイデガーに至る19~20世紀の思想まで、幅広い知識に裏打ちされた類を見ない豊饒さをそなえています。その著作はヨーロッパの知識人に大きな影響を与えるとともに、アメリカでも多くの読者を獲得してきました。 ところが、日本では2020年に『イシスのヴェール』(法政大学出版局)が出版されるまで、訳書は1冊も存在せず、それゆえ注目を浴びることもなかったというのは、豊かな翻訳文化を育ててきた国では奇妙な欠落だったと言わざるをえません。2021年には『生き方としての哲学』(法政大学出版局)の邦訳が出版され、ようやく日本でもこの碩学の思想に触れる準備が整いつつあります。今こそ、アドがフランスで初めて本格的にウィトゲンシュタインを紹介した人物でもあること、そして唯一無二の解釈を残していたことを伝える本書を読むべき時だと言うことができるでしょう。 研究者にさえ顧みられずにきた本書に収められた論考は、『論理哲学論考』と『哲学探究』しか出版されていなかった時期に書かれたものにもかかわらず、後続の者が見出すことのできなかった側面を明確に浮かび上がらせるものにほかなりません。アドは深い教養に導かれて、ウィトゲンシュタインの思想の中に古代のストア派や懐疑主義、新プラトン主義とのつながりを、あるいはショーペンハウアーとのつながりを見て取ります。その結果、ウィトゲンシュタインの著作は独自の「哲学」を記述しただけのものでなく、第一級の「哲学史」でもあることを明らかにするのです。 本訳書では、アドの解釈の画期性をよりよく理解できるよう、気鋭のウィトゲンシュタイン研究者である古田徹也氏の重厚な「解説」を収録しました。さらに「訳者後記」では、合田正人氏がアドという人物を中心にした知的ネットワークの広大さを深い思い入れとともに綴っています。本書の中で、これまで知らなかったウィトゲンシュタインの顔を見ることができるでしょう。 今後のウィトゲンシュタイン研究にも大きな一石を投じることになる重要著作の邦訳を選書メチエの1冊としてお届けいたします。 [本書の内容] 序 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』における言語の限界についての考察 ウィトゲンシュタイン 言語の哲学者 I ウィトゲンシュタイン 言語の哲学者 II 言語ゲームと哲学 解説 ウィトゲンシュタイン哲学の「新しい」相貌(古田徹也) 訳者後記
  • NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論

    NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論

    小説・文芸

    3.5
    1巻838円 (税込)
    “幸福”は誰もが共通に求める人生の目的でありながら、それを保持することは難しい。20世紀初頭のフランスに生きた哲学者アランは、日常の生活知から幸福になるための自己のあり方を説いた。背後にある哲学的思想にも焦点を当てながら、選び抜かれた言葉で綴られる「幸福への指針」を読みほどく。
  • 創造的進化

    創造的進化

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻1,716円 (税込)
    生命は、「生の弾み“エラン・ヴィタル”」を起爆力として、不断の変形を重ねてきた。目的的ではなく、多様な方向に自由な分岐を繰り返す生命の進化の過程―それはわれわれの意識にも通じるものである。時間、意識、身体、記憶―超越論的存在を直観的把握によって解明しようとしてきたベルクソンが、さらに生命の根源へと思索を深める。刊行するや全世界で反響を呼び、生命概念を刷新するとともに、ベルクソンの名を高めることとなった主著。ちくま学芸文庫版オリジナル新訳。
  • 田辺元とハイデガー 封印された哲学

    田辺元とハイデガー

    ビジネス・実用

    -
    1巻850円 (税込)
    西田幾多郎につぐ、日本の「第二の哲学者」と評される田辺元。彼の「種の論理」は、世界とは何か、国家とは何か、民族とは何か、社会とは何か、個人とは何か、これらのものはどのように接合しているのかについて問う壮大な知的格闘である。「種」とは、「個体」―「種」(たとえば「日本〔人〕」など)―「類」(「人類」がこれに当たる)の「種」を指す。この「種の論理」はレヴィ=ストロースやドゥルーズの哲学に匹敵する高みに達しながら、国民総動員を哲学的に裏づけたため戦後封印される。しかし田辺は戦後戦争遂行を懺悔(ざんげ)し、「日本民主主義」を提唱して日本の進むべき道を示した。西田やハイデガーに影響を受けつつも、西田の神秘主義やハイデガーの「他者の不在」を批判した田辺の哲学の本質に迫る。特に田辺が生涯を費やした、ハイデガーの存在学との対決について精緻に論述。「種の論理」がいま私たちに突きつけているものとは何か。
  • 入門ユダヤ思想

    入門ユダヤ思想

    ビジネス・実用

    -
    1巻924円 (税込)
    ディアスポラ以降、世界中に散り散りとなり、それでもなお一つの「民族」という名のもとに存続しつづけてきたユダヤ。彼らは、現実の地上において安定した土地を見いだすことはできず、また自分の内面においてもアイデンティティを見いだすことはできない宿命にあった。そのため、彼らは歴史の中で、混乱と分裂と抗争の種となり、社会の不安や憎悪を掻き立ててもきた。そうした中で、ユダヤはどのように、自分たちを世界内に位置づけようとしてきたのか? 本書では、そうしたユダヤ思想を知ることのできる主要な書物を追いながら、その核心へ踏み込んでいく。
  • 吉本隆明と柄谷行人

    吉本隆明と柄谷行人

    ビジネス・実用

    3.5
    1巻799円 (税込)
    戦後日本の思想界をリードし、いまなお多大な影響を与えつづけている吉本隆明(一九二四~)と柄谷行人(一九四一~)の思想を読み解く。二人は互いに真っ向から批判を応酬していたが、思索の領域は驚くほど通底し、重なり合っていたのではないか。個とは何か、意味とは何か、システムとは何か――吉本の三大著作『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』を読み解き、『隠喩としての建築』『探究I・II』『トランスクリティーク』などから柄谷行人の試みを丹念に追う。いまなお仰ぎ見られる現代思想の可能性、限界に迫る。
  • レヴィナスを読む ――〈異常な日常〉の思想

    レヴィナスを読む ――〈異常な日常〉の思想

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,397円 (税込)
    世界大戦・革命・ユダヤ人虐殺という危機的状態を経験した現代人の運命と向き合い、他者について、責任について、独自の思想を紡ぎだした現代フランスの思想家エマニュエル・レヴィナス。本書は、“20世紀の証人”とも称されるその思想の核心を、レヴィナス研究の第一人者である著者が紹介しながら、フッサール、ハイデガー、スピノザ、サルトルら他の思想家とも比較。慢性的な疲労とストレスに満ち、出口とてない現代という異常な時代にあって、「隣人」という難題を抱えて生きるための、新たな倫理を探る。

ユーザーレビュー

  • NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論

    Posted by ブクログ

    「幸福」はそれ自身が徳である。我々は高邁と礼節を用いて自身から不可分である情念を制御し、意思・努力・行動で自分のみならず他者・自らを取り巻く環境を形成していく。この他人とともに自己を形成する過程に「幸福」は内包されている。心や意識が硬化し、ただ「待っている」だけでは「不幸しかない」。巻末にあるように、ニーチェの「力への意志」に近いものがあり、道徳の系譜や善悪の彼岸と合わせて読みたいと感じた。

    0
    2022年11月20日
  • NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    「喜びは、行動とともにある。
    幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」

    アランの『幸福論』は以前からいつか読みたいと思っていましたが、原著を読むのは敷居が高いので、このシリーズでとりあえず読んでみようと思いました。
    どんな本かというと「寒い夜に湯気を立てている一杯の温かいスープのような書物」であり、さまざまな生活の場面における幸福についての断章(フランス語でプロポ)全部で93編から成っているそうです。
    アランに師事した小説家アンドレ・モーロワが遺した言葉に、「私の判断では、世界中でもっとも美しい本の一つである」という言葉があるそうです。

    プロポの中で心に残ったものを挙げてみます。
    〇私たちは他人の幸福を考えねばならない。というのはまさにその通りだ。しかし、私たちが自分を愛する人たちのためになすことができる最善のことは、自分が幸福になることである、ということは十分に語られていない。
    〇不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていればいいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。
    〇自分からは動かない。だからこそ不幸になるのです。気分にまかせて生きている人は皆、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち怒りだす。
    〇人間にとっての最大の敵は自分自身である。
    ただ待つだけだったら、不幸しかない。

    アランが言いたかったのは、「困難も不幸も本当の原因さえ分かれば、多くの場合、対処法はさほど難しいことではない」ということです。

    面白かったです。
    読んでいて、目からうろこというのはこういうことではないかと、何度も思いました。
    読む前は、こんなまぶしいタイトルの本を、自分が読んでもいいのかと思ったりしたのが、嘘のように軽くなりました。

    〇「幸福は行動の中にしかない」
    「意志」とともに「行動」を起こすこと。

    アランの原著と世界三大幸福論のもうひとつの、ラッセルの『幸福論』も、読みたかったのでこのシリーズで購入しました。

    0
    2018年11月07日
  • NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論

    Posted by ブクログ

    幸福になれなければならない。幸福とは今この時点の認識の話。何もしなければ悲しみや不幸が入ってきてしまうから、意思を持って楽天主義であること。意思を持って行動すること。自分/周りへの上機嫌の姿勢でどこへでも飛べてしまうこと。哲学を「する」こと。
    おもしろかった〜。良い本。

    0
    2025年11月08日
  • NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論

    Posted by ブクログ

    そもそも本持ってるし読んでたけど、好きだから
    持ってるんだけど、100分de名著でまた復習して、やっぱすごく良い本だよな〜現実に即していて、すぐ出来る効果的です大事な事が、見栄を張って大きく見せる事なく、実直に書かれていて。
    福沢諭吉の後に読んだから余計に思ったわ…
    アランさん大好きです。良い事いっぱい教えてくれてマジありがとう。全部同意します。

    0
    2025年09月08日
  • ウィトゲンシュタインと言語の限界

    Posted by ブクログ

     本書は2004年に出版された、フランス哲学者によるウィトゲンシュタイン(以下LW)評論の翻訳本。著者は既に鬼籍に入っているが、フランスにLWを紹介した最初の人物だという(ということは、それまでの現代フランス哲学はLWを何ら参照することがなかったのだろうか?)。専門である神学や古代ギリシア哲学、新プラトン主義の文脈からLWを論じているが、本文と解説で丁寧な解説がなされているためそれらの知識がなくとも読み進めることは可能。むしろ最近の哲学書のような重厚長大さがなく、本文も150頁程度とコンパクトであり読み易い。古田徹也氏による解説も充実しており理解を助けてくれる。

     内容に関しては古田氏も指摘している通り、徹頭徹尾LWを「論理実証主義者」と称したり(命題が論理的形式を満たすかどうかは事実との照合/検証により行うべき、というLWの主張からだと思われるが、LWは端的には「論理は事実や対象ではない(よって観察もされない)」と言っているのであり、観察可能性を重視する実証主義者とは立場が異なるのでは。「実践主義者」とでもしたほうが実態に即していると思う)、哲学的言語を「言語の悪用」と断じたり(のちに「青色本」解説文で論じられるように、哲学は日常言語と論理形式/ルールが異なるだけで悪用とは言えないのでは?)するなどやや違和感も感じたが、後者の論点からは例えば『論考』が自らを「最終的に無意味と見做されるべきもの(6.54)」とする理由が、「言語をその根本に求める哲学が、まさにその言語によっては自らを表現できないため」だということが明快に導かれており、わかりやすさという意味ではかなりいい線を行っているのではないかと思う。

     もちろん、本書の白眉はこれまでのLW論とは全く異なる視座からLW哲学に光を当てていることだ。『論考』終盤では神秘的なものに対する驚きの感情が述べられているのだが、僕にはこれがそれまで冷徹なまでにストイックに論理形式の語りえなさを記述していたLW像とは相容れないものののように思えて仕方がなかった。本書ではそのLWの感情こそが「事実に対する科学的記述とは疎遠な何か、実存的もしくは倫理的、美的秩序に位置付けられる何か」であり、まさに世界の外にあって「語りえない」ものだということを「示している」のだという。「言語の限界が世界の限界(言語の乗り越え不可能性)」、つまり「言語ー世界並行論」から逸脱した部分にLWは神秘さを見出しているのだということなのだが、これは少なくとも今まで僕が読んだLW論でははっきりと示されてこなかった視点であり、これにより『論考』をより一貫性ある形で読むことができるのではと思う(ただ、これをストア派のアパティア(超然さ)に引きつけて論じる部分はやや強引に思えたが…)。

     後半は、『哲学探求』における「語の意義とは、言語におけるその語の使用である(43節)」からくる言語ゲーム、なかんずく「日常言語中心主義」をめぐる考察が主。ここから外れた語の使用を実践する哲学を断罪しているが、上記の通り「青色本」解説によればLWが攻撃するのは「属するゲーム、及びルールを示さないままの語の使用」であり、必ずしも哲学のみを対象とするものではないように思える。が、いずれにせよ「語の使用」を意味の場とするLWの主張が、変化球を用いることなく多くの第一次資料からの引用をもって論じられており、前半に比べるとストレスなく読むことができる。
     
     ただ、『論考』『探求』の考察を通じて著者が抱いた大きな疑問「LWによって示された「論理形式」「言語ゲーム」などという表現は、どのような言語ゲームに属しているのか」についてはそのまま留め置かれたままである。これをラッセル流にメタ的に処理してよしとするのか、ゲーデル流に自己言及の連環として扱うのかというのは、考えるだに強烈に困難な問題であるように思える。

    0
    2022年09月19日

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