実におもしろい!
帯に小島慶子氏の推薦文が書かれていたので、嫌な予感がよぎったが(笑)、いわゆるフェミニズム本ではなく、丹念に政治思想史を読み解き、西洋と日本でどのように家父長制が浸透していったかを説明した本である。
著者は、キャロル・ペイトマン(恥ずかしながら本書で初めて知った)の思想をベースに
...続きを読む、トマス・ホッブズや福沢諭吉の思想を紹介しながら、西洋と日本の、国家と社会の変遷を説明していく。著書「リヴァイアサン」や「万人の万人に対する闘争」という言葉で知られるホッブズが、17世紀に既に、神の存在を根拠とせず、男女が平等な社会構想を描いていたのには驚いた。対して、学校で「自由主義の父」として教えられるジョン・ロックは、女性の人権を全く考慮していなかったという事実には憤慨。また福沢諭吉は、西洋で学んだ自由主義思想に傾倒して自由や平等を説いたと解釈されがちだが、その社会構想は幼い頃から学んでいた儒学の枠組みにもとづいており、男女の身体的差異をポジティブに評価し、また社会的弱者についても考察の対象としたとのこと。私は諭吉先生の創った学校を出ておきながら、その思想をまったく知らず尊敬もしていなかったことを恥じた(笑)。
まとめると、西洋の家父長制はキリスト教をベースにしており、男女は一体であると考えられたため、財産権や肉体の所有権は、一体である二人を代表する男性のものとされたのに対して、日本に家父長制が成立するのは明治以降であり、男女が異なる職分を担う協業体制である「家」に、国家による上からの家父長制の押し付けが徐々に浸透していった。それゆえ日本では、西洋に比べて主婦の地位が高く(財産を管理する職分を担う)、それゆえに家父長制構造を打ち壊していく動機づけが強まらなかったことが、ジェンダーギャップ指数121位の現状につながっていると考えられる。
しかし、性別分業が事実上不可能になっている現代において、社会構造としての「家父長制」を打ち破ることは急務であり、やるべきこと(クオータ制の導入、男女賃金格差の是正など)は明確なのに、明治期以降に成立したに過ぎない「伝統」に固執し腰を上げようとしない政府に苛立ちを感じる。