あらすじ
医科大学での女性受験生一律減点問題など、現代においても「女性である」ことによる差別はなくならない。それどころか、日本はジェンダーギャップ指数で世界の下位にいる。なぜ、女性を不当に差別する社会は生まれてしまったのか。長年ホッブズや福沢諭吉研究に携わってきた著者が、女性差別が生まれるまでの過程を、政治思想史の観点から分析。西洋と日本で異なるその背景を「家父長制」という概念により読み解く。
◆小島慶子氏(エッセイスト)推薦!◆ジェンダーの観点から思想史を読み解く、平易で明快な筆致に引き込まれます。
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「日本は家父長制」ということは聞いたことがあり、実際そうだろうと思っていたが、実は明治以降に作られ始めた「伝統」であり、本格化したのは戦後だということを初めて知った。西洋から民法を輸入する中で、個人個人の人権意識が日本的な考え方の中に西洋的な夫婦像を描いたものだから、それぞれの良くない部分が合わさってしまった印象。江戸以前にあった「家」制度が国家的な「家」に拡大することで、男女の役割が分担されてきたらしい。西洋では個々の人権意識が強いため男女同権→政治経済分野においても同権となりそうだが、「家」制度を受け継ぐ日本では男女同権→政治経済分野は「役割」だから〜となっていると感じた。
難しいのは、人口が急激に減る中では、「おわりに」で提示された「性別公平モデル」を作っていくリソースが少ないことじゃないかと思う。日本社会の観念を変えるのも難しいが、人や金が無いのは如何ともしがたいのではないだろうか。どうするのだろう、この国は。
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第1部「西洋」編、第2部「日本」編の二部構成で、歴史の中で女性差別がどのように作られてきたかを解き明かします。
キリスト教圏では聖書を元に「女性は劣った存在」とされており、根強い男尊女卑の価値観が支配してきました。ロックやホッブスの「国家論」のなかで女性がどのように位置付けられていたかなども興味深い論考です。
一方、第2部の日本編では、江戸時代までは日本の女性はかなり自由であったことがわかります。それが一転するのは、明治期。西洋にならえと「家父長制」の導入とともに男系優遇が徹底され、妻は「無能力者」に。夫婦同姓になったのもこのときです。その後、戦後に家制度は廃止されたものの、経済成長とともに性別役割分業は進み……。
読みやすい文体で語られるその様はまるでサスペンスドラマの謎解きシーンのよう。「コレがアレにつながるのか!」とハラハラしながらも腑に落ちる「女性差別 エピソードゼロ」としておすすめです。
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実におもしろい!
帯に小島慶子氏の推薦文が書かれていたので、嫌な予感がよぎったが(笑)、いわゆるフェミニズム本ではなく、丹念に政治思想史を読み解き、西洋と日本でどのように家父長制が浸透していったかを説明した本である。
著者は、キャロル・ペイトマン(恥ずかしながら本書で初めて知った)の思想をベースに、トマス・ホッブズや福沢諭吉の思想を紹介しながら、西洋と日本の、国家と社会の変遷を説明していく。著書「リヴァイアサン」や「万人の万人に対する闘争」という言葉で知られるホッブズが、17世紀に既に、神の存在を根拠とせず、男女が平等な社会構想を描いていたのには驚いた。対して、学校で「自由主義の父」として教えられるジョン・ロックは、女性の人権を全く考慮していなかったという事実には憤慨。また福沢諭吉は、西洋で学んだ自由主義思想に傾倒して自由や平等を説いたと解釈されがちだが、その社会構想は幼い頃から学んでいた儒学の枠組みにもとづいており、男女の身体的差異をポジティブに評価し、また社会的弱者についても考察の対象としたとのこと。私は諭吉先生の創った学校を出ておきながら、その思想をまったく知らず尊敬もしていなかったことを恥じた。
まとめると、西洋の家父長制はキリスト教をベースにしており、男女は一体であると考えられたため、財産権や肉体の所有権は、一体である二人を代表する男性のものとされたのに対して、日本に家父長制が成立するのは明治以降であり、男女が異なる職分を担う協業体制である「家」に、国家による上からの家父長制の押し付けが徐々に浸透していった。それゆえ日本では、西洋に比べて主婦の地位が高く(財産を管理する職分を担う)、それゆえに家父長制構造を打ち壊していく動機づけが強まらなかったことが、ジェンダーギャップ指数121位の現状につながっていると考えられる。
しかし、性別分業が事実上不可能になっている現代において、社会構造としての「家父長制」を打ち破ることは急務であり、やるべきこと(クオータ制の導入、男女賃金格差の是正など)は明確なのに、明治期以降に成立したに過ぎない「伝統」に固執し腰を上げようとしない政府に苛立ちを感じる。
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女性差別はどう作られてきたか。中村 敏子先生の著書。世界の女性差別の歴史と日本の女性差別の歴史がわかりました。過去において世界でも日本でも女性差別が露骨にあったのは事実。女性差別の歴史は変えることはできない。だけれど女性差別のない未来はこれから作ることができるもの。世界の女性差別は減っているのに日本の女性差別は減らない現実。すべての日本人が女性差別の歴史と正面から向き合ってはじめて日本の女性差別は減るのかも。
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大変面白く、読みやすく、とても勉強になった。
男性が権力を持って物事を決定し、それに女性を従わせるという女性差別的な支配の構造=「家父長制」の起源は、西洋と日本とで全然違うということが大変よくわかった。
・西洋の女性差別の根底にあるのはキリスト教。
イヴの「原罪」から始まり、宗教革命を経て王政を打破し近代社会に入ろうとする17世紀ごろのヨーロッパで、それまでの王権神授説が否定される過程でジョン・ロックの「社会契約論」が誕生。
父権と王権を分離するために、家族と国家を分離した→社会が「私的領域」と「公的領域」にわかれ女性が私的領域に押し込まれる構図が生まれた。
家族は男女の結婚契約によりはじまり女性は男性に従属するものと論じ、現代まで作る構図をつくった。
その後成立した法律も、女性を無能力者とし、財産の所有権がなく、離婚請求権もなかった。
その後、産業革命で男が工場労働者になり家を空けるようになったことから、女性の妻・母という家庭における役割が明確に分化し、それが「性別役割分業」として定着した。
・一方、もともと日本の家族形態を形作っていたのは「家制度」。
家業を営み、続けていくことが至上命題で家族を含めた家の構成員はそのための「職責」を果たすメンバー。家の代表として家業全体の責任を担う「当主」と、家のマネージャー役として、中の管理や外とのコミュニケーションまで担った「女房」とで、それぞれの職分があった。
それぞれが役割を持って家を運営しており、西洋のように「夫婦は一体で妻は夫に服従する」という関係では必ずしもなかった。
妻は名字も変わらず、自分の財産の処分権は自分にあった。
これらを踏まえて、著者曰く、「日本では江戸時代に夫婦間の家父長制が成立していたとはいえない」(※親子間(父の権力)では存在していた)。
・日本で夫婦間の家父長制が成立したのは明治政府以降。民法制定にあたり西洋(フランス)を参考にしたため、戸主という家の地位ではなく、夫=男性という生物学的属性が重視されるように。日本的家父長制の伝統のもと、ヨーロッパにおける夫婦間の家父長制が輸入された。
家父長制なのに「家計の財布の紐は奥さんが握る」などという不思議な現象はこれが理由。(日本の「家」における役割分担を反映。納得!)
そして西洋と同様、資本主義の発展とともに男性が外で働くようになり、女性は家でケアを担う性別役割分業が進んでいった。
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近年女性の社会進出が進み、会社に行けば、当たり前だが多くの女性が働いている。結婚して子供が産まれても、産休明けにはまた以前と同じように職場復帰し働ける制度も機会も充実してきた。国による法整備も行われ、役員数を一定以上、女性にする動きも出てきている。会社は頻繁に女性の管理職登用に躍起になっており、後何年後かには沢山の女性管理職が生まれているはずだ。
一方で、本書の入りに記載される様に、受験で一方的に女性の点数を下げて、男性を優先的に合格させようとする不祥事があったり、世界経済フォーラムの発表するジェンダー・ギャップ指数では先進国G7の中では最低、全体146ヶ国中でも125位と低迷する。特に政治への女性進出を表す「政治」の指標では世界最低クラスの138位と、恐ろしく低い。別の調査では、女性管理職が30%を超える企業は全体の10%そこそこで、働く人数は凡そ男女同数でも、実際に能力とは関係ない、昇進の壁の様なものがあるとしか思えない。これでは国も躍起になって法整備を進める理由もよく分かる。
本書はそうした現代日本で問題となっている女性への差別的な扱い、現状が過去の人類の歴史の中でもどういった経緯で発生してきたかを紐解く内容である。まずは西洋社会における、アリストテレスの論に始まり、自由平等の社会が確立し始める産業革命前後の法学者や社会学者の言葉を集めて推測していく。更にはそれらが日本の旧来の社会に与えた影響、そして西洋とは異なる形で成立していく日本独自の考え方などを多くの学者の考え方などから紐解いていこうとする。個人的には江戸時代の儒教の影響が強かったと考えていたが、それを否定した上で別の要因に迫っていく。
女性社会進出の現状改善に向けては、まずその成り立ちや原因を探るところから始めなければならない。全く場違いな改革や施策では本質的な問題を取り除く事は無理だろう。政治家だけでなく、企業経営者、管理職、そして昭和の親父達にも読ませたい一冊である。
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日本の女性差別は西洋から、西洋の女性差別は聖書から。元凶はアダムとイヴの話で、宗教的な考えを配慮しないで言えば、たかが神話のせいで世の半数の人間が苦しい思いをしてきたと思うと少し悔しい気持ちだった。規模が壮大すぎるけど。
確かに日本は奈良時代は女性天皇もたくさんいたし、江戸時代もあまり性別というのを意識している感じはしない。その頃の考えのまま時代が流れていたらどうなっていたんだろうとは思う。
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ジェンダー格差について、西洋の方が進んでいて、日本(前近代)が遅れていた、という固定観念を持ち勝ちだが、本著を読むことで、それが誤った観念であることがよく分かる。
日本については、明治において家父長制が制度化されたところが大きい。(西洋の制度の影響も受けている)
一方、日本が直近の状況においてジェンダー格差において世界水準から遅れていることを見ると、単に明治時代に制度化したことだけの理由ではないように思える。
ここで述べられている歴史を学んだ上で、世界標準とのギャップを、どのように改善していくのかが重要なテーマになってくる。
(本著ではそこまでは触れていないが)
以下抜粋~
・「ジェンダー」とは、生物として持って生まれてた性別を意味する「SEX」(生物学的性差)と対になる言葉で、社会によって作られた性別(社会的性差)を意味します。
・(江戸時代)企業体としての家の財産、詰まり家産を守り次世代につないでいくことでした。家産は当主個人の所有なのではなく、文字通り家の財産だったので、当主の役割は家産を管理する管財人の役割だったといわれています。重要なのは、このように家を代表するとされた当主は、家全体を支配する権力を法により保障されていたわけではないという点です。
・江戸時代の家における夫婦は一体ではなく、妻はイングランドの妻とは異なり、かなり独立性を保って自分の職分を果たしていました。こうした妻の独立性は、家に関わるほかの事項についても見ることができます。
そもそも女性たちは、結婚後も自分の姓を変えることはありませんでした。
・江戸時代の女性と夫婦関係の状況を見た上で確認しておきたいのは、当時の女性が自分の財産所有権と離婚の権利を持っていたことです。通常この二つの権利は、女性の解放を見る際の重要な指標とされています。
江戸時代の日本の女性は、イングランドの女性より解放されていたといえるのです。
・明治おける家父長制の二つの潮流
→中国に由来する父系による家族を目指す流れ。(王政復古)
→西洋に由来する、男性である夫が権力を持つ父権的家父長制ともよべる流れ。
・社会全体の大きな構造として女性差別が作り出されていくことに関係しているのは、(明治時代に)西洋の法概念が導入されて家族関係が法により規定されるようになったこと、そして、その中で男性たる戸主の権利が法によって認められたことだと思われます。
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日本の江戸時代,案外いけてるのではと見直した.キリスト教の弊害というよりキリスト教を巧みに使った男たちの支配だったというべきだろう.わかりやすく歴史を整理してあり,フェミニズムというのは本当に最近になってのことだと知った.
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録画しておいたNHK「アナザーストーリーズ」を見た。
取り上げられていたのは、女子差別撤廃条約に批准するため国内法を整備した女性官僚、俳優浅野ゆう子氏、そして男女雇用機会均等法一期生の女性たちだった。
私も彼女たちの意志を継ぐものとして、後輩に道を作りたいと思う。
さて、本書ではホッブズの意外な点に驚かされた。
ホッブズといえば、リヴァイアサン。
教科書に載っていた白黒の王冠を被った王のような、怪物のようなものが描かれた版画を覚えている人もいるだろう。
ロックやモンテスキューに比べると、ちょっと古い人、というイメージがあったのだが、こと女性の権利に関しては全くホッブズを理解していなかった。
「社会契約」によって守られていたのは男性のみで、女性はそもそも契約の主体である「人間ですらない」というのはショックだった。
アリストテレスから続く「女性=無能力」の思想は西洋に根深く、だからこそ女性たちは権利を勝ち得た。
一方日本では、江戸期においては女性が一定の独立性を持っていたことを考えると、次第に女性の権利が奪われていったのは何故か。
本書では明治政府の施策に原因をみる。
そしてその施策によって作られた「伝統」は今も女性を縛るが、時代は動きつつある。
男女の別なく、互いを尊重し、協力し、自分らしく、善く生きることは誰にとっても生きやすい世界だと思う。
本書は日本と西洋を同一に語らず、しかも断罪しない点がよい。
私のように感情に任せるのではなく、淡々としかし単調ではない論理の詰めかたは素晴らしい。