日本の財産家。生き方、考え方が素晴らしい。自分もこうありたいと思ってきた。目標になる。
逝く水の如く生きたいと私も中学生の頃思ったが、この著者も同じように考えていたことに感慨を覚える。水は荒海、大河、小川等様々な姿があるが方円の器に従うところが気に入ったらしい。かつ澄み、かつ濁り、しかし自ら貫くべきものを貫いている。何事にも一切悲観せず、常住坐臥で過ごす。
給料の1/4を天引き貯金し、それがまとまった金額になれば然るべき所に投資する。貯金は雪だるまの芯と同じ。
貯金生活で一番障となるのは、虚栄心である。
何事にも時節を待つ。あせらず、怠らず、時の来るのを待つ。2割利食い、10割益半分手放し。
金を増やすだけで、減らさぬのを世間はやっかむかもしれぬが、自分は少しでも増やし、少しでも多くし、それをできるだけ効果的に使おうと苦心しているのであって、今にして金儲けが止められぬのもその志が大きいからである。
金儲けは理屈ではなくて実際である。計画でなくて努力である。予算でなくて結果である。となると、やはり根本的な心構えの問題となる。
失敗なきを誇るなかれ、必ず前途に危険あり。失敗を悲しむなかれ。失敗は成功の母なり。災いを転じて福となさば、必ず前途に堅実なる飛躍がある。
失敗の教訓を生かすか生かさないかは、実にその人の大いなる試金石であって、1度や2度の失敗ですっかり闘志を失ってしまって、何事にもすぐこれは大変だ。厄介なことだ。苦しい面倒だ。できそうもないなどと弱音を吐くようになってしまったら、もうおしまいである。
どんな小さな理想でもよろしい。それが一度実現すれば、それはその人の人生の現実となる。しかもその現実を土台として、第二のより高き理想が現れてくる。
世の中で1番ありふれて1番真剣なのが、金儲けの道である。それだけに不正でない方法、不正でない努力で金儲けに成功できる者は、どこか常人の及ばない偉さがあると、私は信じる。
人生は生ある限り、これ全て向上への過程でなくてはならない。もし老人の故を持って安穏怠惰な生活を送ろうとするならば、それはとりもなおさず人生の退歩を意味するものである。70歳で任務を務め果たしたように考えるのは僭越でもあり、軽率でもあり、人生への冒涜である。先哲先賢は、臨終の朝までいずれも道を極めることを怠らなかった。
年の功といえば、人生にとって、体験ほど尊いものはない。体験はすべての知識、学問、考察に勝る人生の収穫である。生きた知識、生きた学問、それがすなわち体験なのである。
人間は活動するところ、そこに必ず新しい希望が生まれてくる。希望こそは人生の生命であり、それを失わない間は人間も無駄には老いない。
いかなる最後を求めるか。生きられるだけは生き、日に新たなる努力を楽しみつつ、知らるる名に残り、伝わる精神に生きたいと念じている。