アメリカの政治学者、サミュエル・ハンチントンの1993年の著書。
アメリカの主要大学数校で推薦図書に挙げられており、数ある歴史的名著と並んで比較的新しいこの本がどのように重要な意味を持つか興味深く、手に取った。
著者の主張は、「今後、国家間よりも文明間での争いが激化する」というもの。
そこには、西欧文明が優位であり普遍であるべきだという「傲慢さ」への戒めも込められている。
文明(Civilization)は様々なの意味を含む言葉だが、ここでは文化・宗教・価値観などを指しており、例えば「文明の利器」という言葉に含まれる技術的な意味合いはない。
『文明を定義するあらゆる客観的な要素のなかで最も重要なのは通常、宗教である』(p61)
とも述べられているので、文明≒宗教と理解して読んでも差し支えないだろう。
この上巻は、前半は理論の説明などアカデミックな部分が多く、中盤はやや反西欧の色が濃くて新書的な内容、
後半は今の国際情勢に繋がるような実用的な分析で、読みごたえがある。
さすがに大学の推薦図書であり、一文ごとに情報が次々押し寄せるので、読むのに体力が要る。
(集英社文庫はページあたりに字を詰め込み過ぎでもある)
(普通の読書がゆるい散歩ならこの本は軽く登山)
内容が多すぎてここにまとめるのは難しいが、一つ取り上げるならば、今のロシア=ウクライナ戦争を予言している箇所だ。
筆者は文明パラダイム論に基づき、共通の文明を持つロシアとウクライナという「国家間」の衝突は起きず、むしろウクライナ内部の宗教的対立、つまり東部・正教(ロシアと共通)と西部・カトリック(西欧と共通)という「文明間」の亀裂が生じる、と予言する。(p51, p295)
我々は今この議論の未来にいて答え合わせをしている。
現在進行中の戦争は国家間で争われているため、一見この主張は外れているかのように見える。
しかし実際には、ウクライナ西部のカトリック系住民と東部の多数派である正教系の住民が分裂しており、今回のロシア=ウクライナ戦争の根底は宗教戦争だと見る向きもある。
ウクライナ政府が、キリスト教の行事で最も重要なクリスマスの祝祭日を、正教の1月7日からカトリックの12月25日へ変更したのは、象徴的である。
今回の戦争は、歴史的なロシア=ウクライナ二国間の反目や、ロシア=NATOの対立を反映するほか、ウクライナ国内の宗教的対立も看過できない要因だ。
つまり、著者の予想は外れるよりむしろ当たっている。
または、1993年当時から既に今の事態が予測できたほど国際情勢は変わっていないとも言える。
さいごに、日本についての記述について触れると、
『日本では「和魂洋才」つまり「日本人の魂を持って、西欧の技法を学べ」であった』(p122)
『文化的に孤立している日本は、今後は経済的には孤立していくかもしれない』(p233)
などの記述から、執筆当時、少なくとも著者は、日本に西欧からの独立性を見ていたようである。
30年経って、今同じ状況とは思わない。
残念ながら著者は2007年に逝去されたが、現在版の『文明の衝突』も読んでみたかった。
下巻も楽しみに。
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以下、メモとして。
-文明は文化の総体だとされているが、ドイツではそうではない。文明は機械、技術、物質的要素にかかわるものであり、文化は価値観や理想、道徳的な社会の質にかかわるものだとした。この区別のしかたは、ドイツ思想界には根付いたが、それ以外の場所では受け入れられなかった。ドイツ以外は、「文化をその土台である文明と切り離したいと願うのは欺瞞だ」という意見に賛成している。(p59)
-西欧が世界の覇者となったのは、理念や価値観、宗教がすぐれていたからではなく、むしろ組織的な暴力の行使にすぐれていたからなのだ。(p78)
-人間は、理性のみによって生きていくものではない。社会が急速に変化するとき、自分は何者か、といった問いへの答えを求める人々に、宗教は魅力的な答を与えてくれる。(p164)
-日本では、第二次世界大戦での壊滅的な敗北により、文化的にも混乱の極みに達した。「宗教、文化などこの国の精神活動のあらゆる側面のうち、どの程度があの戦争に利用されたのかを今から知ることは非常に難しい。戦争での敗北は、この国の制度にとてつもない衝撃を与えた。彼らの心のなかで、すべてのものが価値を失い、捨て去られた。」(p179)
-物質的に成功したあとには、文化を主張するようになる。ハード・パワーがソフト・パワーを生みだすのである。(p187)
-イスラム復興は1970年の石油ショックで多くのイスラム諸国が富と影響力を一気に増大させたことによって火がついたのである。豊かな産油国の行動は「キリスト教の西欧をイスラム教の東方にとっての朝貢国にするという大胆な試みである」。(p201)
-ある次元のアイデンティティが別の次元のアイデンティティと衝突することもある。1914年にドイツの労働者は国際的プロレタリアートという階級に基づくアイデンティティと、ドイツ人でありドイツ帝国の一員であるという国家次元のアイデンティティのどちらかを選ばなければならなかった。(p220)
-ロシア文明は、13世紀半ばから15世紀半ばまで、西欧文明の歴史的現象に晒されることはなかった。その現象とは、ローマ・カトリック教、封建主義、ルネサンス、宗教改革、海外拡張と植民地化、啓蒙運動、国民国家の出現などである。
-(19世紀ロシアの)スラブ主義者と欧化主義者は、ロシアが西欧に遅れを取ることなく西欧とちがう道を歩めるかどうかを議論した。共産主義はこの問題をみごとに解決した。ロシアは西欧とはちがうし、西欧よりも進んでいる、というのである。(p247)
-トルコは湾岸戦争で断固として欧米を支持し、それによって欧州共同体への加盟が促進されると期待したが、そのような結果にはならず (p261)