素晴らしい。
「人生は自分次第だなんて、大嘘である。」
帯の文章。
宗教であれ、哲学であれ、文学であれ、脳科学であれ。
結論としては、自由意識、的なものは存在しないのではないか。というところに突き当たるようだ。
今起こっている、目の前の出来事に、丁寧に、誠実に向き合うことは、自らを大切にすることであって、重要ではあるが、少し俯瞰的にみれば、自由にその態度、アプローチを選んだ、ということでもないのではないかということに気がつく。どこか、割り切れない考え方だという気はするが。
「私たちが現代に不安を覚えるのは、制御不可能な世界を制御しようという思いが頭から離れないからかもしれない。そのような執着は、欠陥のある世界観に由来し、私たちはその世界観のせいで、確実性の追求という達成しえない試みから抜け出せなくなっている。そのような追求は必ず、失望という結果に終わる。」p313
「不安」「執着」
正に、仏道の諸説明で使われる言葉、内容。
様々な立場、角度から、この世を解明しようとしていることを、目にして、自分の頭の中も整理されていくという気持ちよさを味わえた。
「私たちは、偶然の巡り合わせを些細なこととして片づける。真実よりも生存を優先する認知プロセスを持つ私たちの心は、因果関係の理解の仕方を単純化して誤解を招きやすいものの有用なかたちでそれを行うように進化した。私たちは、1つの結果には1つの原因を求める傾向がある。原因と結果の間に、単純明快な一直線の関係(小さな原因は小さな結果を生む一方、大きな原因は大きな結果を生むという関係)を想像しがちだ。そして、ランダム性と偶然性の役割を一貫して割り引き、理由などないときに理由をでっち上げ、不確実なものや未知のものを嫌うことが多い。」p90
「確率の言い表し方は、大きく2つに分けられる。著名な科学哲学者のイアン・ハッキングの説明によると、多くの確率は「頻度型の確率」と「信念型の確率」とに分類できるという。
頻度型の確率は主に、ある結果がどれほどの頻度で生じるかに基づいている。(中略)
信念型の確率は(中略)手に入る証拠に基づき、特定の主張あるいは未来の結果についてどれほどの自信があるかを示している。」p149
「私たちは、適度の量の不確実性を喜んで受け容れる代わりに、偽りの確実性にしがみつく。私たちの世界の多くは、今やほとんど誰も理解できないような複雑なモデルに基づいて動いている。ただし問題は、そうしたモデルの影響力があまりにも大きくなったために、それらがモデルであることを私たちが忘れうる点にある。モデルは、物事を意図的に単純化したものであって、そもそも、元のものを正確には表してはいない。地図は、そこに記された土地を移動するときに役に立つものの、土地そのものではないのと同じだ。モデルの使用には利点があるが、それと引き換えに難点もある。フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、それをじつに簡潔に言い表している。「単純なものはすべて偽りだ。複雑なものはすべて使い物にならない」。縮尺が1分の1の地図を欲しがる人などいない。」p160
「エッセイストのマリア・ボポーワが思い出させてくれるとおり、「現実に驚嘆し、心奪われて暮らすのが、この上なく幸せな生き方だ」。どれだけ多くの人が、現代生活という回し車に囚われてひたすら走り続け、驚嘆から覚めて心が空しくなってしまっているだろうか? そうした支配や制御という偽りの偶像など忘れ、不確実性の中に存在する美しさに接して驚嘆するべき時が来た。目を向ける先さえわかっていれば、だが。」p313
「何から何までコントロールする必要はない。それでかまわないのだ。」p318
「奇妙に思えるだろうけれど、良い種類の不確実性というものもある。そして、そのおかげで私たちは人間らしい人間になれる。考えてほしい。今後見舞われる心痛の一覧表から、自分自分がこの世を去る日時を正確に記したカレンダーまで手に入り、自分の人生で何が起こるのかを絶対確定に知ることができるならば、あなたはぜひ知りたいと思うだろうか。(中略)
私たちはヒトという種として、自らが完全にコントロールできる確実な世界を好むと考えたなら、それは自己欺瞞となる。実際には、私たちは秩序と無秩序の間の健全なバランスを渇望しており、偶発的収束性を持つこの世界に満足している。(中略)し、自分自身の中の自由奔放な面や勝手気ままな面や予測不可能な面も褒め称える」。もし何もかもが構造化されていて、秩序正しければ、人生は退屈で単調になるだろうが、その反面、純然たる無秩序は私たちを破滅させるだろう。」p320
「不確実性の素晴らしさを認めるというのは、現在のあなた個人の行動が最適化された未来をどのように生み出しうるかにはあまり重きを置かず、あなたのために生み出された現在を享受するのにもう少し重きを置くことを意味する。その現在とは、それぞれの音を奏でる無数の個体から成るオーケストラによって何十億年にもわたって演奏され、このまったく唯一無二の偶発的な瞬間に最高潮に達した、人生のシンフォニーなのだ。
自分がそのシンフォニーの指揮者ではなく、その中で鳴り響いている1本の弦にすぎないことを認めると、謙虚になれる。それが事実であるおかげで、私たちは何か広大で未知のものの中に置かれる。私たちは、自分がどこへ向かっているのか、そしてなぜここにいるのか(仮に理由があれば、だが)、知ることはできない。そこから、この世で最も重要な言葉へと導かれる。それは、「わかりません」という言葉だ。(中略)
良い社会というのは、私たちが不確実なことを受け容れ、未知のことを大切にする社会だ。そうするためには、日常生活の一日一日を探究や素朴な楽しさや愉快な驚き――偶然の巡り合わせーで必ず満たさなければならない。そして、やることリストに組み込まれた気掛かりな未来が、せめてほんのひとときでも、現在の喜びの感情によって心から拭い去られるようにしなければならない。」p322