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良いことも悪いことも縁
人間の理性への過信
竹村牧男
1948年東京都生まれ。東京大学文学部印度哲学・印度文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科(印度哲学)博士課程中退。東京大学文学部助手、三重大学人文学部助教授、筑波大学教授(哲学・思想学系)を経て、東洋大学学長就任。2020年3月、退任後は同大学名誉教授。博士(文学)。名誉教授(筑波大学)。専門は仏教学、宗教哲学。著書に『唯識三性説の研究』(春秋社)、『西田幾多郎と鈴木大拙』(大東出版社)、『入門 哲学としての仏教』(講談社現代新書)、『日本仏教 思想のあゆみ』(講談社学術文庫)などがある。
入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書)
by 竹村牧男
縁起という言葉は、よく聞いたことがあるであろう。ただそれは、縁起でもないとか縁起が悪いとかいうように使われるのを聞いたということかもしれない。この縁起とは、いったいどういう意味なのだろうか。いろいろな要因が重なり合って何かのことが起きることを縁起といって、しかもそれは悪いことに限られて理解されるようになったりして、そのように用いられるようになったのであろうか。もちろん、仏教の説く縁起は、悪いことだけではない。良いこともふくめて、すべての現象(出来事) にわたっている。そういえば、こいつは春から縁起がいい、ともいってきた。まさにこの縁起の思想こそ、仏教哲学の中核にあるものだ。それは、関係主義的世界観といってよく、おのずから実体(自己によって自己の存在を支えているもの) にもとづく世界観をくつがえすものとなる。
もう少し縁起について詳しく述べると、じつはこれは単なる因果関係で世界を説明するものでもない。因・果にさらに縁を加えて世界を見ていくものである。つまり、因というのは、直接的な原因、縁というのは間接的な条件であって、この直接的な原因と間接的な条件とがあいまって、はじめて果がありうる、ということなのだ。このことはよく、つぎの 喩えで説明される。
何かある植物の 種子 があるとしよう。この種子は、それだけでどこかに保存されているだけでは、ただそのままである。しかしこれを水につけ、土に 蒔けば、しばらくすると、芽が出てくる。やがて大きく育って花も咲かせ、実を結ぶことにもなるであろう。このとき、種子はまさしくその花などの因である。しかしこの因が、土に埋められ、水分や養分が与えられることによって、結果が現れることになる。その水分や養分次第で、結果がどうなるか変化してもくる。立派な花が咲くか、貧弱な花しか咲かないか、ちがいが出てくる。その水分や養分…
たとえば、ある人がたいへんな能力を持っていたとしよう。しかしチャンスがなければそれを生かすことはできない。逆にいくらチャンスがあっても、その人に持てる力がなければ、やはりそのチャンスはものにできない。だから自己の能力も、いつか訪れるチャンスに向けて、着々と磨いておくべきなのだ。…
世界をこのように見るということは、非常に科学的というか客観的というか、事実を事実として見つめたものといえよう。ここには、世界を勝手に操る神はいない。超越的な主宰神を認めてはいないのである。かといって、すべてはすでにもとより決まっているという決定論、運命論でもない。因において、自己の意志を発動していくことによって、縁とあいまっていくらでも果を変えていけるのであるから。またここにはすべては偶然という、やけくその諦観もない。仏教はけっして、しらけ・あきらめ・ふてくされ、ではないのである。人間の幸不幸も、自分とまわり次第なのだ。そこで縁も大きいが、因こそ主たる力を発揮するのだから、やはり精進ということが大切なのである。それにしてもこの縁起という思想は、古代の思想としてはじつに近代的でかつ永遠の真理…
こうして、仏教は多数のダルマの縁起によって世界を説明しようとした。自我や物を素朴にあるとは見ず、冷静に分析して、現象世界の法則性を割りだした。そこに実体的存在を徹底して否定していく存在論の立場があり、超現代的な視点が示されている。その思索は、まことに透徹しているというべきであろう。
ともあれ、大乗仏教は、常住の存在は一切認めず、本体を持たずに現象しているかぎりの存在によって世界は成立しているという。しかもその現象かぎりの世界のなかに、自己自身を保ちつづけるものを探究して、百法を提出した。こうして、徹底した実体否定の哲学が完成する。これはもう、まったく現代哲学を先取りしていたと言わざるをえないものである。
いるのである。「仏教は言語哲学である」、といってもさしつかえないのではないかと、いつも思うほどだ。 たとえば、かの八宗の祖師とうたわれた龍樹
自分の対象を内に持って、その対象を感覚・知覚しているものが唯識の識なのであるから、この識とは単なる心でも主観でもない。色が見えている事、音が聞こえている事、推理や判断などがおこなわれている事、その事そのものが唯識の識なのである。だから、識はむしろ事と見るべきなのだ。この事を、相分・見分を 具える識というかたちで理論化しているのだ。したがって唯識ということは、本当は唯事というべきなのである。唯心というよりも唯事なのであり、唯識の世界観とは事的世界観なのである。 それは素朴な物心二元論・主客二元論などをはるかに超えた、ばりばりの事的世界観なのだ。じつにモダンではないか。
それはともかく、仏教は心というものを、かなり深く掘り下げている。いろいろある仏教のなかでも、心の問題を問うには、やはりまずは唯識の見方を見ていくべきであろう。そこでは、意識下の世界さえをも究明し、しかも理論化して表現しているのである。
そもそも、仏教にもいろいろあることについて、あらかじめもっと説明しておくことが必要であったかもしれない。しかしこの本の主題は「哲学」であるから、あまり歴史的事情に深入りしはしないつもりだ。ともかく仏教には、小乗仏教と大乗仏教があり、インド大乗仏教の二大思潮に、龍樹に発する 中観派と 弥勒・無著・世親 に発する唯識派( 瑜伽 行 派) とがある。
さて、第七識を末那識というが、末那はサンスクリットのマナスを音写したもので、そのマナスは、考えるものといった意味だ。それも自我があると考えてしまい、いつもその我を執着しているものだ。いつもというのは、たとえば寝てもさめてもである。眠ってしまえば、意識は起きない。しかしそのときも末那識ははたらいていて、自我に執着しつづけているというのである。そればかりか、さめているときで、他人によいことをしようと思ってそうしたり、修行しようと思って実際に行に励んだりしたとしても、その場合、意識は善の心になっているものの、それでもその下で末那識は自我に執着しつづけるという。あるいは事実そうなのかもしれない。
この指摘にはほんとうに鋭いものがある。「情けは人のためならず」という句は、どうもこのことを意味しているようである。他人に情けをかけるのは、自分のためだというのだからだ。もちろん、この句の意味は、情けは人のためによくない、人のためにならない、といった意味ではない。 とすれば、人間のおこなう善はすべて偽善だ、ということになるのであろうか。しかし仏教は必ずしもそうは見ていない。意識が書を選択し実行することは大切なことで、その意識の自覚的な選択が、末那識をも変えるようにはたらいていくと見ているのである。 我執 の末那識がはたらいているから何も善をすべきではない、というのではなくて、末那識がはたらいているからこそ意識上に善を選び取り実践していくべきだというのだ。
それはともかく、その末那識には、四つの根本煩悩や八の随煩悩(大随煩悩) がいっしょにはたらいているという。四つの煩悩とは、我愛(貧)・我慢・我見・我 痴( 無明) のこと。無明があって、我に執着し、我が有るという見解が生じて、我を守ろうとする。こういう心がいつもあって、それがいつも意識をいわば汚しているというのである。意識の地平の我執は、意識下から、つまり無意識のうちに絶えず生起してくると、唯識は明かしていることになる。だから人間は、やっかいなのだ。とはいえ意識はそれを離れて、自由に善を理解し選び取ることもまたできるのだから、やはりすばらしいではないか。人間、捨てたものではない。
ともあれ、曼荼羅においては、つまりあらゆる他者をも、自分の心のなかに抱いているということなのである。それら諸仏・諸尊が、自己の心のなかではたらいていて、自己という一箇の命をまっとうさせているということなのであろう。
というわけで、心を掘り下げていくと、そのような世界に出てくるということを、仏教徒は知っていた。レンブラントの絵の光よりももっと大きな広がりが、宇宙そのものがそこにある。なお、この曼荼羅についても、あのユングはしきりに関心を示していた。
このような曼荼羅模様は、仏教だけにあるのではない。むしろいたるところに存在していよう。キリスト教やイスラーム、あるいは民間宗教などにもあるものである。しかしあの密教の両界(金剛界・胎蔵界) 曼荼羅ほど、緻密で美しいものはないのではなかろうか。そのエッセンスを抽象的に表わしたのが、前田常作さんの絵画で、曼荼羅は現代アートにも通じている。そういうわけで、マンダラは現代の一つの有力なトピックとなっている。
その密教の究極は、じつは自己の心に、あらゆる他者が生きているということである。
以上、仏教のさまざまな心の見方を見てきたけれども、本当に多彩・深遠で、しかも思いがけない切り口を持っているものである。心の奥なる世界ということで、読者は無意識の世界の情景が解明されることを期待していたかもしれないけれども、心の奥底はじつは、今・ここの現実世界そのものなのであった。禅者はしばしば、つぎのように言っている。「至り 得 帰り来たれば別事無し。 廬山 は 烟 雨、 浙江 は潮」と。
というわけで、我々の自己は、身体と環境が循環・交流する総体、あるいは身体を焦点に主体と環境が交流・交渉するその総体であると見るべきだということになるが、そうだとすると環境も自己自身にほかならないということになる。自然は自己を支える他者なのではなく、自己そのものにほかならないということである。桜ももみじも、岩も滝も、すべては自己なのである。さらに環境の病は、自己の病なのである。このような、自然環境も自己であるという了解から、環境に対する何か新しい姿勢が生まれはしないであろうか。
そのように唯識思想では、環境も自己であるというかたちで、我々の人間(生きもの) と世界とを記述している。その唯識の考え方、特に人人唯識と阿頼耶識の考え方には、常識によるかぎりは、なじめないかもしれない。しかし身体は環境と循環・交流してはじめて生命を維持しているのであり、身体と環境はセットとしてとらえて、そこに一個の生命を見出すべきだという思想・哲学は、今日ふたたび見直されてよいものではないかと思われる。
草も木もそのまま仏である。山も河もそのまま仏である。そういう思想なのである。それっておかしい、と思うかもしれないが、天台の止観行のなかでの洞察としてこのことが言われているのであって、我々は謙虚にその意味するところを汲んでいくことが必要であろう。しかも、自然は仏である、とすれば、礼拝の対象になってくるし、そこにとても新鮮ないのちの実感が生まれるかもしれない。
今、我々が生きているこの時代では、もはやニーチェの言った「神は死んだ」ということが、ほぼ常識の時代なのであろう。ポスト・モダンの時代というのは、絶対者がなくなってしまった時代のことだという。すべての価値は相対化され、多元化して、ただ多種多様な価値の戯れの時代になってしまった。我々はそのくりかえし反復してやまない大波小波のなかで、思想のサーフィンに興じるほかないのかもしれない。絶対なんてくそくらえというところか。 けれども、宗教の世界では、絶対者という存在がしばしば語られてきた。神とか仏とか、霊性(スピリチュアリティ) などなど。では、宗教における本当の絶対者とは、どのような存在と考えられるべきなのであろうか。それにはなんらかの意味や確かさはあるのだろうか。こういう問題を考察していくのは、宗教哲学の世界である。ちょっと時代にあらがって、もう一度その辺を見直してみようと思う。
しかしながらこの仏はもと、ごくふつうの一人の国王であった。はるか昔のことであるが、世自在王仏という仏がこの世にお出ましになったのに出会い、自分もそのような仏になりたいと発心し、四十八の本願(修行のはじめに立てる誓願) を立て、測りしれない長遠の修行を経て成仏を果たし、西方に極楽浄土を完成した。その成仏はすでに 十 劫 の昔に起こった出来事だという。以来、未来永劫、人びとを救済してやまない存在なのだというのである。その成仏においては、当然、彼の本願が成就されたはずである。その本願の内容は、簡単に言えば、どんな人びとをも仏という存在にならしめるということである。そのことが、人びとにとっての苦しみからの真の解放、救済になるからである。その具体的な実現は、みずから建立した仏国土=極楽浄土に人びとをひきとることによってであった。極楽浄土に往って生まれることが、往生ということである。
西洋の思想の基本は、おおむね実体論的立場であったろう。実体というのは、自ら自らの存在を支えるものであり、常住不変のもののことである。西洋の立場では、プラトンのようにイデアを実体として見るか、デカルトのように精神と物質を実体と見るか、あるいは自然科学のように原子を実体と見るか、何を実体と見るかにちがいはあっても、ほぼ世界の根本に常住の実体があるという見方だったといえるかと思う。 しかし今日、イデアのような形而上学的実体の存在は疑われ、否定され、あるいは原子もそのさらに究極の果てには何も実体的存在は見出されないなど、もはや実体論はあらゆる方面で崩壊しているといわざるをえない。加えて、要素還元主義に立つ科学と、それにもとづく技術が、環境汚染、環境破壊をもたらしたことから、今日ではむしろ全体性や関係性へのまなざしが要求されてきている。
ところが、仏教はとうの昔から、縁起こそが真理だと説き、関係論的立場に立ちつづけてきたのであるから、きわめて先進的であった。じつは当時のインド哲学の大半は、やはり実体論的世界観であった。しかし釈尊は覚りの眼からみて、世界は縁起によって成り立っていると見ていた。いかに釈尊の覚りがたしかなものかが、うかがえるではないか。
しかもその縁起ということ、つまりは関係ということについて、後にはどのようにそのことが成立するか、詳しく究明されていった。今日の世界観は関係主義的になってきていると言われるけれども、では関係するとはどういうことなのか、理論的な究明はなされているであろうか。ただ世界はリゾーム状になっているといっても、その内実はなにも分析されていない。ところが仏教は単に縁起を謳うだけでなく、後に見るように、その構造・論理を詳しく解明しているのである。
その説明が、「若し一無ければ即ち十成ぜざるが故に。即ち一に全力有り、故に十を摂するなり」にある。一がなければ、十は成立しえない。一があればこそ、十が成立しうる。このことは、理解しうるであろう。ということは、一が 有力 であって、十は 無力 であるということになるわけなのである。このとき、無力のものは、有力のものに 摂 められてしまう。ここは、華厳の論理の一つの要点であろう。摂めるといっても、物理的に摂めることは、我々凡夫の眼にはとうてい見えない。しかし、肉眼には見えなくても、そこに有力・無力の関係があるときは、無力のものは、有力のものに摂められているのだというのである。これは、いわば論理的な関係といえばよいであろうか。しかしこの見えない関係はたしかに成立しているというのである。
こうして、有力の一(本数) は、無力の十(本数) を摂めることになる。ということは、十は一の中に入るということである。こうして、「一が中の十」が成立する。もちろん、これとまったく同じ論理で、一の中に二もあるし、三もあるし、……ということになる。結局、有力の本数は、他の無力の末数のすべてを摂めているのであり、同じことを別の方向から表現すれば、本数の中に末数が入り込んでいるというわけである。
これに対し、一本のたるきが家という全体であると言っている。いわば、構成要素の一つが、全体そのものだというのである。一体それはどうしてであろうか。家は、たるき一本がなくても、完成しない。その一本のたるきがあればこそ、家は完成する。ということは、家の成立は、ひとえにその一本のたるきにかかっているということになる。そこで、そのたるき一本こそが、家全体を作っているということにもなる。したがって、たるきが家にほかならないというのである。
よく世界という言葉が使われる。世界というと、地球上のすべての国を思うだけでなく、一つの秩序ある存在の広がりを想起したりする。つまり、ある空間としての領域を心に描くことが多いであろう。しかし、世界という言葉は、もともと仏教の言葉で、世は時間を意味し、界は空間を意味するものである。たとえば、過去世・未来世・現在世と、 三世 といったりする。そのように、世(ローカ) は時間に関係した言葉である。一方、界は、たとえば結界などともいう。その意味の界の原語は、シーマーである。やくざがここは俺のシマだ、というのは、このサンスクリットから来ているらしい。昔のやくざは学もあったものである。もっとも、世界というときの界の原語はダートゥであり、この場合の界は、領域つまり空間の意味になる。そこで、世界というのは、本当は空間だけのことなのではなく、時間をもふくんでいることになる。時空のすべてを世界というわけである。
この運動の否定の根本にあることは、過去も未来も存在せず、あるといえるのは現在しかないという事態である。過去は存在しない、未来も存在しない、では現在は存在するかといえば、少なくともその現在は対象的に把握することはできない。つかまえたときは、もう過去になってしまうし、つかまえるその作用の先端に現在があるはずだからだ。
このことについて、禅宗には、面白い話が残っている。 徳山 というお坊さんがいた。日本の禅宗の主な宗派には、臨済宗と曹洞宗とがあるが、その臨済宗の宗祖・臨済は喝で有名であった。どんなときでも、あたりかまわず、喝と叫んだ。この臨済に対し、棒使いで有名だったのが、徳山である。「言い得るもまた三十棒、言い得ざるもまた三十棒」、といっていたというほどである。
しかも道元のすごいところは、この時を今( 而今) 以外の何ものでもないと見すえているところである。さらにその今は、自己と切り離せないことを明らかに指摘しているのが、もっとものすごいところである。たとえば道元は、山を登るということが、どのように考えられるべきか、独得の考察を展開している。ふつうは、山を登っていったとき、ある山がありつづけていて(固定した空間が存在していて)、そこをふもとから頂上へと時間のなかを経過しつつ上がっていくと考えるであろう。変わっていくのは自分だけで、山は不動である。静かなること山の如し、である。そうして、ふもとを登っていた頃は、時間的には過去に去っていったと考える。この考え方は、じつは山がずっとありつづけているという、その先入観のもとで成立している。ずっとありつづけている山の、前にあった分は過去の領域に入っていったという、無意識の考えがそこにある。
しかし、よく考えれば、山の前の分は過去のどこかにありつづけているわけではないはずである。いつも登っている人の現在に山の全体はあり、その現在の山がそのつどあるだけであって、どこかに去っていった山がなおあるということはないはずである。いつもいつもその人の現在に山はあり、それ以外、山はないにちがいない。だから、山はいつも今にあって、どこかに去っていくということはない。現在に存在があり、その存在以外に時はない。時間が去っていくというのは、この事実をもとにして、そこにおいてそのつどの現在を同時空間上に直線的に並べて、そのうえで過去は去った、未来はまだこない、とか言っているのみなのだ。だから意外と時間とおもっているものは、空間的そのものなのである。本当は山は去らない、ゆえに時間も去らない。時間が直線的に去っていくと思うのは、錯覚だということを思うべきだ。そう、道元は説くのである。
この考え方は、いわゆる永遠の今という考え方である。いつも今しかない。その今が、今・今・今……とつづくのみだという考え方である。もっとも、ここで〝つづく〟というのも、すでに同時空間上に投影しての言い分であろう。永遠の今以外に、時間はない。そこに立てば、老いることも死…
おどろくべき深さの哲学が、日本の仏教にはあるではないか。日本人の哲学的センスも、なかなかのものではないか。 いったい時間論において、モダンの考え方とはどういうものであろうか。さほど現代の先端に注目すべき新たな時間論があるとは思えないが、たとえば現代よりはやや前のベルグソンは、純粋持続といった。これは論理というよりもむしろ事態の記述にすぎないようにも思える。ただ、その純粋持続をさらに哲学的に表現すれば、絶対現在の時間論となるであろう。ここで思い合わせられることは、仏教が超モダンなのは、仏教が何か特殊な立場を標榜しつつ未来を先取りして先端を行くからというより、仏教が永遠の真理を体得しそれを表現してきたからだ、ということである。
この十世という時間の把握は、華厳独得のものである。仏教ではよく三世というが、それはいうまでもなく、過去・未来・現在である。しかし過去のある時点をとればそこを境に、それ以前・それ以後があることになる。私の誕生の瞬間を過去の現在とすれば、それ以前は過去の過去であり、それ以後は過去の未来ということになり、過去に三世があることになる。未来のある時点を未来の現在とすれば、それ以前が未来の過去、それ以後が未来の未来となり、未来の三世があることになる。こうして、過去・未来・現在にそれぞれ三世があることになり、全部で九世があることになる。この総体を一世と見て、全部で十世あるということになる。華厳宗では、このように時間を見ているのである。
これまで、「存在・言語・心・自然・絶対者・関係・時間」という主題をとりあげ、仏教思想のなかにその追究のあり方を尋ねてきた。これらの主題はすべて、我々の世界の根源的な問題である。しかし仏教はこれらについて、どこまでも掘り下げていく思索を展開していた。仏教には、まぎれもなく「哲学」があることが知られたであろう。それもきわめて精緻な論理的な究明があることが知られたことと思う。しかもそれらは、西洋の哲学史において、ようやく現代にいたって自覚されたことであったり、いまだ自覚されていない深みであったりして、じつに新鮮であり先端的であることもうかがえたことと思う。
もちろん、歴史的に早く認識していたからといって、だから優れているというわけではない。しかし西洋でも論じられてくるようになったことにおいて、その「知」はけっして局地的・局時的なものではなく、むしろ普遍的で悠久の時を貫く真理を語っていることが推察されるのではなかろうか。
元来、哲学とは、「知(ソフィア) を愛すること(フィロ)」であるという。「知」を愛するのであれば、おのずから古今東西の「知」のあり方を探求し、人類の「知」の集積の前に謙虚でなければなるまい。このとき、哲学は西洋だけにあるのではなく、仏教などの東洋思想にも存在していることを見逃すべきではないであろう。日本には哲学がないとも言われるが、けっしてそのようなことはなく、今まで見てきたように、特に鎌倉期頃までは、まさに独創的で深い哲学も大いに唱導されていたのである。とりわけ天台宗や真言宗においては、世界観の体系的な探求に関わる議論がさかんになされていた。
言うまでもないことであるが、私はただ仏教は哲学であるということだけを主張しようとしているわけではない。仏教はもとより宗教であり、生死の問題の解決こそを一大事とするものである。その 己 事 究明を事とする宗教としては、一方で煩悩 深重 の自己がいかに救われるかという切なる想い・願いに応えるものがある。そこには、深い信心、すなわちどうしようもない自己の自覚と、超越者に抱かれていた事実の自覚という信心を、その超越者の側からともに恵まれるというような不思議もある。あるいは身心の行法を通じて対象的知を透脱するなかで自己が無限に開かれ、と同時に今・ここにおけるこのかけがえのない生を十全に生き抜くことが実現したりするであろう。
そういう立場からいえば、仏教は単なる哲学ではない、単なる知ではない、という意見も高く唱えられて当然であろう。私もただ仏教は哲学だということのみをいうつもりはない。仏教は宗教であることが根本であり、あるいはそこからまた、倫理や道徳に出てくる可能性さえ、展望できるであろう。その意味では、「宗教としての仏教」や「倫理としての仏教」なども、当然、一つの明らかにすべき主題となる。
この仏教思想の現代社会における意義を再確認するために、ここで、現代という時代の状況について、ざっと概観してみよう。近現代史を概観すれば、今やキリスト教やマルクシズムといった精神的・文化的一元的価値が崩壊し、思想・価値観の多元化が進んできた。絶対というものはなくなったという、ポスト・モダンといわれる状況である。ひと頃は万能と思われた科学もまた、その絶対的な価値を失ってきている。科学技術は結局、種種の問題をひきおこしてきたし、主客二元論にもとづく対象論理と要素還元主義を特質とするその科学的知では解明しきれないことも多々あることが、広く認識されてきたからである。今や人類を覆う一元的価値のようなものは、存在していないことであろう。
このように見れば、現代は多元化の時代であるとまず見ることができよう。キリスト教の唯一絶対の正しさが疑われてきたことは、人間の理性の発展によるものであろう。マルクシズムが破綻したことは、歴史が論理だけでは進まないことを物語っている。科学が 隘路 に陥っていることは、理性偏重の果ての結果であろう。 結局、精神的・文化的一元的価値の崩壊は、ほぼ、人間の理性に対する過度の信頼の末の問題である。一方、新たな経済的・制度的一元的価値すなわち競争原理も、上述のようにアトム(原子) 的個人観、効率至上にもとづくもので、やはり人間の理性(合理性) への無反省な信頼にもとづくものである。要は、人間の理性への過信が、今日の種種の問題を生みだしているといえよう。人間の理性への信頼の過程を近代化といえば、現代は近代化のもたらした種種の矛盾が噴出している時代だと言えると思うのである。
宗教の世界では多くの場合、個人は個人では完結せず、なんらか個人を超える存在によって成立し、その個人を超えるものへの畏敬の念を有していることが多い。しかも、他者もまたその同じ超越的存在のなかに成立し、そこにおいて自他は本質的に共同体的存在であることも自覚される。それも人間だけでない、他のいのちあるものにも、同一の構造を見る。それゆえ、自他間の深い共感も成立し、むしろ共苦にもおののいて、弱者への配慮はおのずからのこととなる。このことはやがて、抑圧や不公正に対するプロテストとして行動するものとなるであろう。
そのようにおそらく宗教の多くは、個人主義や競争原理などの根底にある、理性重視の立場、二元対立のなかでの一方の取捨、分割と支配の立場、対象論理などとは根本的に異なる原理と世界観を表現している。 もちろん仏教の哲学には、豊かにそうした思想が展開されていた。理性偏重からは見えなくなってしまった世界のあり方が、そこには豊かに表現されているであろう。それは、関係主義的世界観であったり、生即死、現実即実在、罪即救済などの洞察であったりして、人間存在の深みに根差したいのちの讃歌となっている。その多くは、疲弊しきっている「現代社会」のより人間的な方向への改編案に、重要な手掛かりをもたらしてくれるにちがいない。
おそらく、今、日本で仏教というと、ただちに想起されるのは、念仏や唱題、もしくは坐禅などの仏教ではないだろうか。いわゆる鎌倉新仏教の、易行としての一行を選択したあり方の仏教である。けれども、それらが出てきた背景には、奈良時代や平安時代の仏教があった。法相・華厳や天台・真言の仏教があった。そこには、たいへんな哲学の営みがあった。その深い世界観は、これまで見てきたように、現代にもつながる、むしろ超モダンな、しかも考え抜かれたものなのであった。
もちろん、鎌倉時代以降の易行ないし信心の仏教の、じつは思想的に驚くほどの深さも、また見逃すことはできない。しかしながらそればかり追っているうちに、奈良・平安の仏教の 雄渾 なコスモロジーを語る深い哲学を忘れてしまったら、少々もったいない気がする。特に混迷を深める時代には、もう一度、ものごとを根本から考えてみなければならないはずである。宗派性をとりはらって、本質に迫らなければならないはずである。
私はふつうの家に生まれ、少年の頃も仏教とはまったく無縁のなかで育ってきた。それがいつしか仏教の勉強を志すようになり、以来、もはや四十年くらいは経っていることになる。大学に入る前の頃から、書物などの影響により、仏教の世界に憧れを持つようになったのであった。今、四十年も過ぎてしまったのだと思うと、この間、じゅうぶんに研究に打ち込むことも乏しく、いまだ佳境に到達しえていないことをしみじみ嘆くしかない。 しかしそれでも、仏教のものの見方・考え方に出会い、さまざまな新鮮な知見に出会えたことは、本当に幸福に思う。仏教思想に出会わなければ、このように深い真実に迫った自己と世界の見方を得ることはできなかったであろう。それらを得たことによって、私の心の持ち方は、どれほど豊かになったかしれない。少なくとも、これらを知った場合と知らなかった場合とでは、この一回限りの人生に雲泥の差があったことであろう。
私は、仏教学の世界にはいるが、ほとんど自分の関心、問題意識にひかれるままに、仏教思想に取り組んできた。したがって、私が取り組んできた分野はいささか多岐にわたってしまっているが、およそをいえば四つの領域に分類できよう。一つは、唯識思想研究である。二つは、『大乗起信論』および華厳思想研究である。三つは、禅思想および日本仏教研究である。四つは、西田幾多郎・鈴木大拙 の宗教哲学研究である。これらを貫く立場は、宗教的救済ということへの主体的関心にもとづく哲学的研究といえようか。
思うに、仏教はとりわけ哲学的な宗教である。そのことは、私が現在、奉職している東洋大学の学祖、 井上円了 博士のつぎの言葉に明らかである。 「すでに哲学界内に真理の明月を発見して、更に顧みて他の旧来の諸教を見るに、耶蘇教の真理にあらざることいよいよ明らかにして、儒教の真理にあらざることまたたやすく証することを得たり。ひとり仏教に至りては、その説、大いに哲理に合するを見る。余、ここに於て再び仏典を 閲し、その説の真なるを知り、手を拍して喝采して曰く、何ぞ知らん、欧州数千年来、実究して得たる所の真理、早くすでに東洋三千年前の太古にありて備わるを」(『仏教活論序論』)。
円了博士は、少年ともいえる頃から、キリスト教、儒教、西洋哲学と、真理を探索して彷徨していたのだった。そして、ようやく西洋哲学の世界に、それを見出したと思ったのであった。しかしそれは、もともと仏教にあったではないかと気がついたというのである(なお今日から見れば、キリスト教にも深い真理がたたえられていると思われるが)。こうして、円了博士においては、哲学と宗教(仏教) は一つのものの両面と見られるのであった。
そのように、仏教は哲学でもあるのであるから、私は今後とも、仏教を哲学として研究していきたいと思う。すでに本書にも述べたように、たとえば、縁起の思想は関係主義的世界観であり、空の思想はあらゆる実体論批判を果たし、かつ無の絶対者の思想などとも一致し、その言語観はウィトゲンシュタインやソシュールを先取りしたものであり、唯識の阿頼耶識説はフロイトやユングの深層心理説よりはるかに深いものであった。これらの仏教の「知」は、現代哲学とじゅうぶんに深く対話しうるものだと思うのである。