チャイナ ミエヴィルの作品一覧
「チャイナ ミエヴィル」の「クラーケン」「言語都市」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「チャイナ ミエヴィル」の「クラーケン」「言語都市」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
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Posted by ブクログ
この小説をSFという範疇で語るのは非常にもったいない。SF的なミステリであり、小説である。(昔風に言えばslip stream、伴流文学である)。
二つの都市国家が同じ地域を占めているという状況でも十分に特殊ではある。加えて、その二つの国家は『壁』という物理的なもので仕切られているわけではなく、お互いに相手を見ない(見えない)物として扱う事で並立させているというのだ。
このシチュエーションだけで相当な物である。
加えて、相手の国を侵犯してしまった(特殊な状況下なので頻繁に起る)場合、『ブリーチ』(漂白とでもいえばいいのか)というどちらの国にも属さない公権力が存在するという。さらに複雑な状況である。
この「見ない・見えない」ことでそれぞれ異質なものが共生するというのは、実は我々が暮らす現代社会の中にもあるように感じている。ただ見てしまっても『ブリーチ』されないというだけで…
いろいろな意味で背筋が寒くなった一冊。今年最後の最後で『今年の一冊』に決めました。
Posted by ブクログ
言語学の教科書では、まず言語名称目録観の否定、なんてことが書いてある。言語は実際の事物の名前のカタログではないということである。言語と事物が一対一対応することはなく、言語は言語で独自のシステムを形成しており、言語と事物は恣意的に結びつけられている。〈林檎〉が「リンゴ」と呼ばれるのはまったく何の必然性もないということである。うんぬん。
つまり言語は記号であり象徴であるということなのだが、事物と一対一対応しているような言語があったらどうする、とミエヴィルは考えたのではないだろうか。
原題は『エンバシータウン』、強いて訳せば「大使町」。作品の舞台となる都市である。
宇宙のあちこちに人類が植民している時代。空間には恒常空間、イマーと、通常空間、マンヒマルがある。これはドイツ語の「常に」と「時に」から来ているが、イマーはワープ航法を可能とする超空間のようなもので、イマーの中で意識を保っていられる特殊な素質を持ったイマーサーが航海士となって、超光速航法が可能となっている。ところが、通常空間における距離と、イマーを介した距離はまったく一致しないので、通常空間においては比較的近い惑星でも、イマーにおいては極めて遠い場所というのがあり、舞台となる惑星アリエカはそういう意味での辺境である。
アリエカ人はエンバシータウンではホストと呼ばれているが、「昆虫と馬とサンゴと扇がごっちゃになったもの」といった姿をしており、2つの発声器官で同時に喋るという奇妙なゲンゴを持っている。ホストのゲンゴを解析し、コンピュータで真似てみてもホストはまったくそれを言葉と解さない。そこに語る主体が存在しない場合、ホストはそれを言語と認識できないのだ。そこで、エンバシータウンではクローンで作られた双子に訓練と薬物と技術的なリンクでもって、ひとつの精神を持った存在となるようにし、ゲンゴを習得させる。彼らが大使である。大使は何人もいて、ホストとの意志疎通を担う。ホストは大使だけを知的存在と見なし、ゲンゴを喋れない普通の人間の言葉を解することはない。
ホストのゲンゴは上述のように、何かを象徴したり、代表象したりするのではなく、実際の事物そのものを示すだけなのだ。そんな言語が存在可能なのか極めて疑問だが、そういう設定なのである。だからホストたちは嘘をつけない。嘘をつけないので、大使たちが嘘をついてみせる嘘祭が毎年開かれる。ホストたちにとって嘘とはまったく驚異的なことなのだ。
パースの記号論では、通常われわれが用いている言語は、われわれ、事物、記号という三者関係からなるシンボルである。「あれ」「これ」といった記号は記号と事物と二者関係にあるインデックスである。しかるに標識のように、その記号そのものが何かを示すような記号がアイコンである。ホストのゲンゴは恐らくアイコンの水準にある。
「わたし」、アヴィス・ベナー・チョウはエンバシータウンでかつてホストの「直喩」にされたことのある女性で、イマーサーとなって「アウト」を経巡った末に、言語学者の夫と共にエンバシータウンに戻ってきた。そこに赴任する新しい大使、エズ/ラー。エズとラーと二人だからエズ/ラー。彼(ら)はエンバシータウンの宗主国である惑星ブレーメンから赴任してきた、異色の大使。クローン双生児ではない大使というあり得ない存在だったのだ。赴任のパーティーでエズ/ラーがホストに話しかけると、ホストは異様な反応を示す。エズ/ラーの言葉はホストたちに麻薬のような影響を与えてしまう。アリエカ中のホストがみな麻薬中毒者になってしまうのだ。われわれの言語が無意識を介してわれわれに影響を与えることはフロイトが示した通りであるが、ゲンゴは直接、ホストに影響を与えてしまうのだ。
ホストは生態を機械のように調整するバイオリグという技術を持っており、彼らの町はバイオリグでできている、肉の町である。バイオリグもまた中毒になり、ホストの都市が崩壊していく。
というような話である。
ミエヴィルの作品のキーワードは「都市」と「二重性」ではないだろうか。『都市と都市』と『アンランダン』では都市自体が二重だった。エンバシータウンで二重なのはホストのゲンゴであり、大使という存在である。
ゲンゴがなぜ二重に発声されなければならないのかは、はっきりとした説明はない。われわれは言語の世界に入ることで二重化する。ゲンゴは恐らく最初から二重化しているのだろう。
また都市の崩壊というのも『『ペルディード・ストリート・ステーション』や『アンランダン』、あるいは短編の中でもよく出てくるイメージだ。辺境の閉塞した都市で、淡々と進む話は、崩壊する都市、崩壊する世界のイメージが侵食してくる。それをはねのけるかのように、ついにアヴィスが世界を救おうと戦う姿はペルディード・ストリート・ステーション』や『アンランダン』のように、心を熱くするものがある。
しかし、本書は恐るべき言語SF。主役はゲンゴなのである。
Posted by ブクログ
都市と都市、ヨーロッパのはし、バルカン半島のあたりにあると思われる二つの都市国家、ベジェルとウル・コーマは「地理的にはほぼ同じ位置を占める」。ほぼ同じ場所を占めるという紹介文の記述がまずわからなかった。いったいどういうことか。
それは『アンランダン』の裏ロンドンのように同じ場所だが異次元、というようなSF的に現実離れした設定ではまったくなく、実現可能だが政治的に現実離れした設定なのである。二つの国の国境はいわば双方の国民の心の中に画定されている。ベジェルの側からみると、完全にベジェルの土地である〈コンプリート〉な場所、まったく異国、すなわちウル・コーマの領土である〈アルター〉な場所、両者が混在する〈クロスハッチ〉する場所がモザイク状に入り組んでいるのである。
ベジェルの住人は目の前にウル・コーマの街並みがあり、ウル・コーマ人が歩いていても〈見ない〉ようにする。ときどき目があってもすぐに目をそらすように習慣づけられている。それを犯すこと、すなわち〈ブリーチ〉は重大な違反行為なのである。
私の住む3丁目は日本だが、4丁目は北朝鮮になっていて、そこは〈見ない〉ように生活する、5丁目の交差点は〈クロスハッチ〉していて、北朝鮮の車も通るけど、それも〈見ない〉ようにしながら避けて通る。というような感じか。
馬鹿げている? そうかもしれないが、外国人にとっては極めて馬鹿げていても、現地人には非常に大事なことって実はたくさんあるではないか。ミエヴィルはこの奇妙な二つの都市を現代に配置して、実際にありそうに思わせていくのである。ベジェルとウル・コーマが分裂する前の遺跡の発掘現場、愛国主義者、統一主義者などの政治集団などの道具立てのほかに、インターネットもあるしiPodも出てくる。
しかし全体の体裁はミステリーというジャンルを遵守する。私、すなわちベジェル警察のティアドール・ポルル警部補が、若い女性の他殺現場に到着するところから話がはじまる。ところが、まず被害者を知る者が誰もいない。やがてわかってくるのは、彼女がかつてベジェルに滞在し、その後、ウル・コーマに移った外国人で、ベジェルとウル・コーマの間にあるという伝説の第三の都市オルツィニーについて調べていたということである。
すなわち、殺人犯は、被害者をウル・コーマで殺して、ベジェルに遺棄したという〈ブリーチ〉行為に関わっていた可能性があるのだ。ベジェルとウル・コーマの権力のほかに、この〈ブリーチ〉行為を取り締まる〈ブリーチ〉という名の秘密警察のようなものが別にあるらしく、本件を〈ブリーチ〉で扱うようポルル警部補は監視委員会に要請する。
ところが、とってつけたように、犯人が合法的に国境を越えたという証拠が出てきて、〈ブリーチ〉は発動されない。ポルルはウル・コーマ警察に協力して捜査を進めるため、ウル・コーマに入国するはめになる。
総体局所的(グロストピカリー)にはすぐ隣のブロックにある〈アルター〉な地区に直接歩いて入ったらそれは〈ブリーチ〉である。そこで旧市街のコビュラ・ホールに行って、正規の手続きをふんでウル・コーマに入国すれば、〈アルター〉な隣のブロックに行くことができるのだ。しかしその際には、もはやベジェルのほうを〈見ない〉ようにしなければならない。隣のブロックは総体局所的には、隣にあるのだが、遠い異国なのである。こうした造語ももっともらしい雰囲気を作り出す。ベジェルの××街の位相分身(トポルゲンガー)はウル・コーマでは○○街だ、とか。
背表紙の紹介文に「ディック−カフカ的異世界」などとあるが、それはまったくの誤読であろう。ディック−カフカ的世界には超自然的なものが介入するが、ミエヴィルの世界には「不思議なことなど、何もないのだよ」。
読者をこの2つの都市の住人にしてしまう綿密な描写のあと、事態は急を告げ(どうやらオルツィニーについて調べているものが命を狙われるらしい)、それまでまるで超自然的存在であるかのように畏れを持って描写されてきた〈ブリーチ〉が登場する。第3部は〈ブリーチ〉。ポルルは〈ブリーチ〉へと入るのだ。〈ブリーチ〉へ入るということがどういうことなのか、ここでは述べないが、相互に〈見ない〉ことで成り立つ都市と都市のありさまに馴染んだ読者には、認識論的飛躍のめまいを感じさせるだろう。
終盤、「都市と都市」の特性を利用した犯罪の謎を解くポルルの活躍は、何とも見事に盛り上げられていて、しかもミステリの快感がある。さらにこの認識論的飛躍が深い陰影を添えるのだ。tour de forceの作品である。