河島思朗の作品一覧
「河島思朗」の「薔薇の名前[完全版]」「あらゆる創作のためのラテン語ネーミング辞典 ローマの神話から人名、文化まで」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
複雑な構造の書院をもつ修道院にて、謎の連続殺人がおこる。それを追いながら、様々な宗教談義を行う主人公達。日本で言うと京極夏彦の百鬼夜行シリーズみたいな感じかな、知識が弱くて詳しいことは分からないけど異端にまつわることが謎の根幹にあるのかも。と、思ってたら終盤の書院に居た謎の女とやっちゃって、その後それについての超文学的なレビューで全部吹っ飛んだ。たった一回の行為だったみたいだけど、相当素晴らしかったんだね。
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やさしい動きで、彼女の片手が、汗に濡れた私の身体に触れつづけていた。もはや安らぎではなく、炎の絶えたあとに、灰の下に残った火が、最後の輝きを放つかのように、私の奥深くで喜びが走った。いまでも私は、ためらわずに言うであろう。あれに似た喜びを味わうことが(私は夢のなかにいるかのようにつぶやいていた)、たとえ稀にでも(じじつ私にとっては、あのときが、唯一の経験であったが)、たとえ束の間であっても、また一瞬のうちに過ぎ去ってしまっても、この世で許された人間がいるとすれば、それは仕合わせな者であると。あのときには、あたかもおのれが存在しないかのように、少しもおのれ自身を感じることなく、存在そのものが稀薄になって、ほとんど無に帰してしまっていた。もしも死すべき身でありながら(私は自分に言いきかせていた)、東の間なりとも、私がいま味わったようなものを味わうことのできる者がいれば、この不正にみちた世界をただちに険しい目で見つめるであろう。
このおぞましい日常の生活に心を乱されて、死の肉体の重みを、感じてしまうであろう…・・・・そのように、私も教えられてきたのでは、なかったか?あの至福のなかで、私の全精神を忘却へと誘ったものは、たしかに(いまにして思い当たるのだが)永遠の太陽の発する輝きであった。そして、あれによって生み出された喜びが、人間の心を開き、押し広げ、人間を大きな存在へと変える。人間がおのれのうちに抱えた帳を、大きく開ければ、もはや容易には閉ざせない。それは、愛の剣によって切りつけられ、開かれた、傷だから。それ以上に甘く、かつ恐ろしいものは、この地上にはないであろう。
それにしても、太陽のもつ力はかくも強いものであるから、太陽はその光線によって傷を貫き、傷口を押し広げて、人間の心は開かれて眠れあがり、人間の脈という脈は切り開かれ、人間の力ではもはや思うままにおのれを動かすこともできなくなり、ただ欲望によってのみ動かされ、いま触れつつあるものによって精神は奈落の底へ燃えつきながら沈みこみ、いままでに生きてきた、そしていまも生きつつある、この現実によって、おのれの欲望もおのれの真実も覆いつくされてゆくのを見るであろう。そしてついに、おのれの喪失のうちで、呆然としているおのれ自身に、立ち会うのだ。
このような、筆舌には尽くしがたい、内奥の喜びに浸りながら、私はまどろんでいた。
Posted by ブクログ
p.14 "「推論などしない。三段論法の規則によれば、<二ツノ個々ノモノカラハ何モ出テコナイ>。二つの個々の事象からは、いかなる法則も引き出せないのだ。まずは、法則を知る必要がある。たとえば、触れた者の指をくすませる物質が存在するとか……」"
p.100 "「書物というのは、信じるためにではなく、検討されるべき対象として、つねに書かれるのだ。一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかではなく、何を言わんとしているのかを、わたしたちは問題にしなければならない」"
p.301 ”「これが紫水晶だ」彼は言った、「謙譲の鏡であり、聖マタイの純真と温和とを思い起こさせる。これが玉髄だ。愛徳(カリタ)の証であり、ヨセフと聖大ヤコブの慈愛(ピエタ)の象徴である。これが碧玉だ。信仰を讃え、聖パウロと結びつく。そして紅縞瑪瑙だ。殉教の徴で、聖バルトロメオを思い出させる。これが青玉だ。希望と観想を意味して、聖アンドレイアと聖パウロの宝石である。そして緑柱石だ。聖なる教義や学識や忍耐の証であり、聖トマスの徳性そのものである……これらの宝石の一つ一つが語りかける言語の、何とすばらしいことか」”
p.370 "「でも、どうして存在し得ましょうか、可能性を全面的に織りこんだ必然的存在などが? どのような差異が、それならば、あるのでしょうか、神と原初の混沌とのあいだに? 神の絶対的全能とその選択の絶対的自由とを肯定するのは、神が存在しないことを証明するのに等しいのではありませんか?」"
p.394 一人の修道僧を毒殺したくなった
p.439 "SF小説はおおむね純粋なロマンスである。ロマンスとはどこかよその場所の物語だ。"
p.497 "エーコは何度となく、『薔薇の名前』を書いた直接の動機は、モーロ事件にあった、と述べている。"
驚くべきことに、著者自身の手になる登場人物の素描がある。まさしくイラストである。また建造物の地図や外観図がある。学生時代にTRPGを準備していた時のことを思いだす。NPCを描き、地図を描き、シナリオを書いたものだった。
旧版と完全版との差異はなんであろうか。上巻の序文で著者が述べるところによれば、本筋ではなく、ラテン語からの引用などにとどまるようだが、訳者による「旧版解説」によれば改版のたびに改訂があったようだ。「『薔薇の名前[完全版]』刊行にあたって」では、原著2020年版には大小さまざまな修正が施されたと記されている。
内容を覚えていないにしても、せっかくの再読なのだから、それと分かるようなら差異を楽しみたい。そう考えて下巻の補足資料的な部分から読み始めたが、正解だったかもしれない。
アークナイツへの影響。ウンベルト、アドソ。ミケーレ。ブルネッロ。登場人物の名や地名を借用。「聖山降臨1101」の物語の構造は、神の実在を疑うというモチーフにおいて類似している。現実の国家を記号化した架空の国家を配置する方法も、アフリカノ果テに謎が残されている点も、ひょっとしたら。
エンドフィールドへの影響。エンドフィールドはデータの遅延ロードを実装してマップ間の移動を高速化した。そのうちのひとつがNPC。ロード完了していない間、NPCは灰色のマネキンとして表現される。どこかで見たような表現ではあるがロードに適用された例は初見のような気がして新しいと感じた。下巻p.128にその発想の元ネタと見えなくもない表現がある。"人間の姿も、初めは灰色の亡霊のように、霧のなかから現れて、見分けがついてくるのだった。"
奈須きのこへの影響。キアラという名と存在は『薔薇の名前』から引用したのかもしれない。迷宮は小川マンションの構想に影響を与えたかもしれない。
京極夏彦は影響を受けただろうか。謎の核心という小さなプロットに、本編とは無関係、関係はあっても迂遠な知識を厚くコーティングしていくやり方に影響を受けただろうか。
ドラゴンランスへの影響。知への渇望。レイストリンとアスティヌス。
推理小説の中には、構造的な弱点を持つ作品がある。核心となる箇所がそうである場合、かなり致命的で、呆れること必至。
迷宮のルール。北方に「ANGLIA」「GERMANIA」などともっともらしい説明をつけているが、そう読むためには、部屋に割り当てられた記号を二度使用せねばならぬこともあり、好きに読めてしまう。「アフリカの果て」を示せれば良いので、雑に仕上げたのかもしれない。
謎解きを中途で切り上げることがしばしばあり、時間稼ぎを感じる。
五日目の口論。宮崎駿か押井守かという有様。こんなんあったら覚えてそうなものだが、ハイティーンだった読者はそういうことに気付けなかった。まったく覚えがない。
探偵が事件の進行を止められない状況はミステリのお約束だが、探偵役に本業をもたせて、探偵業どころではないとするのは悪くない言い訳だと思える。
ノリツッコミふうに笑わせようとする試みがある。
『ムーンチャイルド』を思いだす。クライマックスにおいて、これまで語られてきたことは些事であり、未だ語られぬ重大事のために、主人公は些事を捨てて去る。ぶん投げも極まれリエンド。キリスト教の重大事の前には(読者にとって重大事である)僧院の惨劇は些事でしかないという構造。
信仰とは推し活で、推す対照は神ではなく、自らの信仰に対する考え方である。推し活者の一部がそうであるように、信仰の持ち主の一部も狭量である。公式に語られていない説を作り出すこともある。解釈にこだわる。自信の信仰の強固な裏付けとして、神と神に関わる権威を引用する。発言が正しいかどうかではなく、権威の発言であることが重要なのだ。権威の引用には記憶力が有用である。ザ・人文。
クライマックス。アドソの悪夢。本筋で醸し出せなかった猟奇成分を補おうという意図か。くどいほどに長く続く。
探偵には命の危機は訪れない。訪れるのは謎に対する敗北の危機。この物語はそれを慎重にコントロールしている。
彼には企みなどなかった、間違ってそれを発見してしまった。ウィリアムは事件をそのように総括する。では、殺人が発生するたびにホルヘが黙示録の一節を呟いていたことを、読者はどう受け止めればよいのだろう。
未だに分からないことだらけだが、神秘のベールはもはや感じない。分からないことは装飾に過ぎないと理解したから。寂しいことだが、これも再読が持つ価値であろう。