本書は、福島の再生とエネルギー自立を描いた壮大な物語である。著者は東京新聞の経済部長であり、ジャーナリストの視点から、東日本大震災後の福島の挑戦や希望を綴っている。本書は、まるでプロジェクトXのような、困難に立ち向かう人々の姿と彼らの熱い思いを追った記録である。
まず、福島の原発事故後、菅義偉首相は2020年に「2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロ」と宣言し、安全を最優先としつつ原子力政策を推進すると表明した。これに続き、宮城県知事は2020年11月に東北電力女川原発2号機の再稼働に同意した。こうした国や県の動きは、クリーンなエネルギーとしての原子力の位置付けを示している。原発に頼らざるを得ない姿勢がある。
一方、福島県内の飯館村にはかつて6,500人が暮らし、3500頭以上の黒毛和牛を育て、ブランド牛として名を馳せていた。飯館村は2010年に「日本で最も美しい村」連合に加盟し、「手間ひまを惜しまず。丁寧に」を掲げた「までい」という村おこしを進めていた。しかし、2011年の大震災と原発事故によって、放射能汚染により畜産は壊滅状態となった。
この危機の中、故郷を取り戻すために立ち上がった人々がいる。飯館、喜多方、会津、土湯温泉を拠点に、自然の力を活用した再生エネルギーによる地域の自立を目指す取り組みが始まった。喜多方市の造り酒屋・大和川の第9代当主佐藤彌右衛門、飯館村の和牛農家・小林稔、外資系サラリーマンで被災から帰郷した千葉訓道、元居酒屋経営者の折笠哲也、奥会津書房の遠藤由美子、土湯温泉の加藤勝一など、多様な人々が参加し、それぞれの夢と行動力で地域を再生しようとしている。
喜多方市は、かつて蔵が2600あった酒の町として有名で、良質な軟水を利用した酒造や味噌作り、明治時代の養蚕・製糸業の歴史を持つ。男たちは「40代で蔵を建てられないのは男の恥」と語り、伝統と誇りを守りながら、喜多方ラーメンや酒造りを発展させてきた。大和川酒造は、飯館村の米を使った「おこし酒」(村おこしとお越しくださいという意味を合わせる)により、地域おこしと交流を深めている。
2003年から会津若松市の福島県立博物館館長の赤坂憲雄は、「東北学」を提唱していた。赤坂憲雄は2011年に、「国に頼っているだけでは、何も動かない。浜通り、中通りは原発事故の被害が大きくて動けない。だから、会津から福島県をなんとかすることが必要だ」と言って、佐藤彌右衛門と遠藤由美子と話をして、昭和蔵で会を始めた。佐藤彌右衛門は「福島はダメージを受けている。でも、白馬の王子なんてやってこない。誰かが助けてくれるなんて考えない方がよい」と熱弁した。
赤坂憲雄には「福島県自然エネルギー特区構想」があった。赤坂は「すべては東京中心の発想に基づき、中央集権で行われていた。福島で作られる電気も全て東京に送られている。典型的な植民地型の産業である。原発に頼らない、中央集権的なエネルギーではなく、福島に根ざした地産地消のエネルギー産業を作り出すことが必要だ」と考えていた。
土湯温泉では、東日本初の「バイナリー発電所」が建設され、温泉熱を利用したエコ温泉地として再生を図っている。2012年時点での日本の地熱発電潜在能力は2,300万キロワットであるが、実際に開発されたのは50万キロワットのみで、潜在能力のわずか2%にすぎない。アイスランドやフィリピンは、それぞれ28%、15%の発電を地熱でのエネルギーを利用している。エネルギーの多様性を示している。
会津若松市の居酒屋経営者・折笠哲也は、2012年に「会津太陽光発電」を立ち上げた。当初、雪深い会津では実現困難ともいわれたが、実際にやってみた。まず高さを雪との関係で2mの高さにして、パネルの角度を45度だと雪の滑りがいいが、発電量を最適角度は30度だった。会津における太陽光発電の最適な設計を追求した。彼らは、2013年に「会津電力」を設立し、社長には佐藤彌右衛門、副社長には山田純、常務に折笠哲也が就任した。会津電力は、太陽光だけでなく、樹木や水、地熱、風など多様な自然エネルギーの利用を目指しており、地域の自然資源を活かしたエネルギー産業を推進している。
2015年には、飯館電力も立ち上げられた。社長には和牛農家の小林稔、専務に千葉訓道が就任し、30人の村民の株主も参加した。飯館村伊丹沢太陽光発電所も運営を開始した。
これらの取り組みにより、会津電力は2020年2月時点で87の太陽光発電所を運営し、合計約6,089キロワットの電力を生産している。これは、一般家庭約1,832世帯分に相当し、地域自給の電力供給を目指す確固たる意志の表れである。
本書は、未来を切り拓く福島の人々の熱意と努力、その挑戦の軌跡を記録したものである。彼らの行動は、地域再生の希望を示し、自然エネルギーを軸にした自立の可能性を広げている。福島の未来は、彼らの魂と行動により、新たな希望の光をともそうとしている。