荒井裕樹の作品一覧
「荒井裕樹」の「生きていく絵 ──アートが人を〈癒す〉とき」「イミダス 現代の視点2021」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
「モヤ談義」に取り上げられていて、原著を読みたいと手に取った。
最近、ある知的障害のある知人で、本人と家族への相談なしに、支援学校から入所施設への転籍を決定された通知があった話を聞いた。
対象児の最善の利益を担当で検討した結果なのだろうが、本人(また同じく障害あると家族も)の意見を全く聞かずに支援計画が当然のように動くのはなぜだろう。
————-
この本は、
おかしい!と訴えたい 訴えていいよね、
という気持ちの渦にのまれたとき、
障害者をとりまく社会の歴史とともに考えをまとめやすくなる言葉がちりばめられていた。
「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならないのが我らの宿命である」横塚晃一
障害者の介護を身内が黙って引き受けることが美談であるような社会で、世間・他人様への遠慮は積もり積もって本人を追い詰める。
本人が背負っている重荷を、家族が態度次第で一層重くしてしまうとは。
障害も病気も特性も不登校も、
家族が他人に遠慮したり偏愛したりすると、蹴っ飛ばすような強さを培わねばやっていけないところまで追い詰めるということを覚えておかなければと思う。
「人が生きる意味」を人は誰しも簡潔に説明できない。自分が生きる意味を、思い悩み、大切な人と語り合うことはあっても、第三者から説明を求められる筋合いはない。
なぜ議論の行末に責任のない人たちが、ある特定の人たちの生きる意味について議論するのか。意味を求められるような社会問題にさらされるのか。
全くその通りだと思った。
そして、その章の終わりに、「それで、君はどうするの」という言葉がある。
私はどうするのか
を問う。
———
また、
「ある視点からすれはいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたい正常なのです」
という言葉は、
子育て中に鬱になったり家出したりと、自分を責める母親へ向けての言葉としても、覚えておきたいと感じた。
Posted by ブクログ
何が良くて何が悪いか。
立ち止まって考える時間をもらえないほど、
世の中に流されている感覚がある。
衝撃的なニュースに、群がる匿名の人たち。
みんなが言っていることなら言っていいんだっけ??
SNSのおかげで共感の文化が強くなりすぎていない?
一対一で面と向かって同じこと言えるのかな…?
言葉で救えることなんてないのかもしれないけれど、
「言葉を信じる」素通りしないエッセイに救われる時間。
答えがスッキリ出なくても、ぐるぐる考える時間。
同じようなことを「ん?」って思っている人がいると知る時間。
いわゆる「生きづらい人」「立場の弱い人」
と言われるけれど、どこを基準にしているのだろう?
実際に声を上げた人たちの話も組み込んであって
社会問題に疎い私でも大変わかりやすかったです。
「自分に関係ないから知らない」はすごく恥ずかしいことだと
最近やっと実感してきました
実際は「ここぞ!」というときに何も言えない。
どう言うのが適切? 相手を傷つけない?
と考えているうちに、
目の前から相手は消えていたりする。
自分がいい人に見られたいという思いがあるから言葉が出てこない。
自分や、家族に影響するとわかったら
たぶんサッと突き放してしまう。
言わなくて後悔した気持ちも、
言わなくてよかった場面もある。
何が正解かよくわからない。
だから考えることを放棄しないで、言葉を選んでいきたい
Posted by ブクログ
これもまた、相模原事件を受けて書かれたものといえるだろう。最近、あの事件がどのようにとらえられていた/いるのかに興味があって関連する本を何冊か読んでいる。そんなことでこの本を読んだ。けれど、それ以前から著者の荒井さんの本は読みたい本リストにしばらくの間入っていたはず。
障害者に対する差別や偏見、社会の対応について、よどみなくときに厳しく明確に言葉を紡ぐことができる人として受け止めた。自分は一応、障害者じゃないほうでいながら障害者差別はいかんと思っているんだけど、ではなぜ障害者差別はいけないのかと問われたり、自分が矢面に立つような場面にもしなったら毅然とした態度をとる自信がいまいちない。それは自分が障害をもつ当事者ではないというところがひっかかっているんだと思う。そこを超える何かをつかまないといけないんだけど、この本や荒井さんにはそのための示唆が仕込まれているような気がした。
相模原事件を起こしたU氏などは障害者は生きる意味がないと思っているようだけど、では自分に生きる意味があるだろうか。少なくとも自分としては愛し合う人も支え合う人もいない自分って生きてる意味があるんだろうかって最近思っている。一方で、大好きな人がいる障害者はそれだけで生きてる意味があるんじゃないだろうか、なんてことをふと思ったり。