【感想・ネタバレ】まとまらない言葉を生きるのレビュー

あらすじ

誰の人生も要約させない。あなたのも、わたしのも。

■推薦
「生きた心地」を求めていいんだ。
「ダメだ」の言葉に抗っていいんだ。
誰でも。言葉で。
――望月優大(「ニッポン複雑紀行」編集長)

強くて安全な言葉を使えば、
簡単に見落とすことができる。
だけど取り零された隙間に、
誰かが、自分が、いなかったか?
――はらだ有彩(『日本のヤバい女の子』著者)


■内容
偉い人が「責任」逃れをするために、「敵」を作り上げて憂さを晴らすために、誰かを「黙らせる」ために言葉が使われるようになったこの世界で、凝り固まった価値観を解きほぐし、肺の奥まで呼吸しやすくしてくれるような……そんな「言葉」との出会いは、まだ可能だろうか?

本書は、マイノリティの自己表現をテーマに研究を続ける文学者が、いま生きづらさを感じているあなたに、そして自らに向けて綴った、18のエッセイである。

障害者運動や反差別闘争の歴史の中で培われてきた「一言にまとまらない魅力をもった言葉たち」と「発言者たちの人生」をひとつひとつ紹介していくことを通して、この社会で今、何が壊されつつあるのか、人間としての尊厳をどのように守っていけるのかを考えていく。

■目次
まえがき 「言葉の壊れ」を悔しがる
第1話 正常に「狂う」こと
第2話 励ますことを諦めない
第3話 「希待」という態度
第4話 「負の感情」の処理費用
第5話 「地域」で生きたいわけじゃない
第6話 「相模原事件」が壊したもの
第7話 「お国の役」に立たなかった人
第8話 責任には「層」がある
第9話 「ムード」に消される声
第10話 一線を守る言葉
第11話 「心の病」の「そもそも論」
第12話 「生きた心地」が削られる
第13話 「生きるに遠慮が要るものか」
第14話 「黙らせ合い」の連鎖を断つ
第15話 「評価されようと思うなよ」
第16話 「川の字に寝るって言うんだね」
第17話 言葉が「文学」になるとき
終話 言葉に救われる、ということ
あとがき まとまらないを愛おしむ

■装画・挿絵
榎本紗香(しょうぶ学園)

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Posted by ブクログ

今、日本という国で少しずつ降り積もってしまっている、侮辱し、貶め、罵り、蔑み、差別する言葉の存在に気付くことを促し、その存在に警鐘を鳴らすことを試みた本。

著者は障害者やハンセン病患者たちと長年の交流を行ってきた。
その差別され抑圧されてきた当事者たちの「生(なま)」の言葉を多数引用し、その重みを示す。

戦争の歴史や優生保護法という差別を具現化した恐ろしい法律、ハンセン病患者隔離の事実、精神病を「治す」こと、ALS患者の体験、水俣病の背景など、事実を紹介することに留まらず、それに関する著者の経験の中にあった「言葉」に着目し、問題の正体と改善策を考えようとしている。

例えば、戦時中の障害者たちに向けられた『国の役に立たない「米食い虫」』という言葉は、現代社会に蔓延る「同調圧力」という言葉が表すものと比べ物にならないくらい、強烈な抑圧のニュアンスを内包していたに違いない。

「自己責任」、「遠慮」、「子どもの権利」、「期待」など、単なる言葉の意味ではなく、その言葉が社会に置かれたときに人々に捉えられるその言葉の感覚やリアルな温度感を、非常に細かく分析している。そしてそれは本当に的確だ。

著者自身のエピソードを絡めながら、ささやかな幸福や平凡な日々の暮らしの幸せを求め、声を上げ、社会と闘ってきた人々の姿を、著者の卓越した言葉を通して見ることができる。

将来の社会を冷たく尖ったものにしないために、「言葉を諦めない」ことを体現した本書及びその著者を、僕は心から尊敬する。
素晴らしい本です。

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2025年06月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

〈筆者の立ち位置〉
 ・ぼくの仕事は「言葉そのものについての研究」というよりも、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考えること」といった方がしっくりくる。 p20                              
 ・ぼくの専門は「非抑圧者の自己表現活動」。こう書くとなんだか仰々しいけれど、簡単に言うと、この社会の中で、いじめられていたり、差別されていたり、不当に冷遇されていたりする人たちは、厳しい境遇にいる自分のことをどのように表現するのだろうかーーといった問題について研究している。p20

〈気に入った章やエピソード、言葉の一部〉
 ・のび太のママにひとこと言いたい  p47
 ・「ダイバーシティ」ってなんだ? p62
 ・「生きる意味」は言葉になんてできない p92
 ・誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。特に、その「何か」が、漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ(「国家」「世界」「人類」などなど)。 p107
 ・初鴉「生きるに遠慮が要るものか」花田春兆句集『喜憂刻々』 p173
 ・「自己責任」の不気味さ p188
 ・「文学」とは何か
 ぼくなりに「文学とは何か」を説明しておくと、詰まるところ、「くまのぬいぐるみ」みたいなものだろうと思う。それがなければ「生命」を維持することができないわけでもないし、「生活」が成り立たないというわけでもないけれど、つらかったり、苦しかったり、寂しかったりする時に、そっと「自分を支えてくれるもの」というのが、この世界にはあると思う。それが存在してくれているという事実があるだけで、救われるような思いを与えてくれるもの。そうしたものの存在を信じようとする心の働きのようなもの。それが「文学」だと思う。もう少し正確に言うと、ばくという一個人は、そうしたものを「文学」として捉えていて、そうしたものの力を解明したいと思っている。 p224

文章中に紹介されているいくつかの本(例えば『おんなとして、CPとして』)と筆者の他の本を読みたくなった。

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2025年04月29日

Posted by ブクログ

病気や障害を持つ人たちとのエピソード・言葉が読んでいるとなんだかグサグサと刺さってくる、言葉と社会を哲学している感覚。
「生きる意味」や「生きた心地を削る言葉」、「誰かや国のために役に立つこと」、「理不尽に抗う方法」、「自己責任」などなど印象の残る言葉がとても多かった。
当たり前の日常が当たり前じゃなくなったときに、自分が社会を見る目がどう変わるのか、考えるきっかけにもなる。

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2024年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

障害、病、公害、育児、ジェンダー、差別、社会、言葉。正直なところ大学生の自分には、この本で綴られた言葉を真に理解することはできなかった。それも当然なのかもしれないと思う。この本にある言葉はどれも、社会の中で我が身を燃して戦い、全身全霊を生きて、生きて、生き抜いた人々の言葉だ。

まさに、要約しようもない人生が詰まっていた。自分はこの社会で生きながら、こうした人たちを見ずに生きてきたのだと痛感する。ただ、遠くから眺めているだけの人間にすぎない。このままでは、いけない。もっと声を聞きたい、言葉を知りたい。

文中で紹介された、脳性マヒの男性が読んだ詩が心に残っている。
『母よ 不具の息子を背負い
幅の狭い急な階段を
あえぎながら這い上がる母よ
俺を憎め
あなたの疲れきった身に
涙しつつかじりついている
この俺を憎め』
この詩を忘れない人間でいたい。胸に留め人生を送りたい。

その人をその人のまま、私を私のまま、どうすれば何も取りこぼさずに関われるのだろう。誰も区切らないことの難しさ、しかしそれを目指し続けることの、言葉に出来ない力。
誰も要約せず、生きたい。そういう人でありたい。

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2024年08月29日

Posted by ブクログ

【目次】

まえがき:「言葉の壊れ」を悔しがる

第一話 正常に「狂う」こと
第二話 励ますことを諦めない
第三話 「希待」という態度
第四話 「負の感情」の処理費用
第五話 「地域」で生きたいわけじゃない
第六話 「相模原事件」が壊したもの
第七話 「お国の役」に立たなかった人
第八話 責任には「層」がある
第九話 「ムード」に消される声
第一〇話 一線を守る言葉
第一一話 「心の病」の「そもそも論」
第一二話 「生きた心地」が削られる
第一三話 「生きるに遠慮が要るものか」
第一四話 「黙らせ合い」の連鎖を断つ
第一五話 「評価されようと思うなよ」
第一六話 「川の字に寝るって言うんだね」
第一七話 言葉が「文学」になるとき
終話 言葉に救われる,ということ

あとがき 「まとまらない」を愛おしむ

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2024年08月04日

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読み進めるにつれ、世の中の理不尽や想像し難いほどの差別に悔しさと怒りとが入り混じり、気付いたらページが終わっていた。ここ数年感じていた自己責任という言葉への疑問と怒りにも触れられていて少し胸がすく思いがした。

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2024年06月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

”「言葉が壊されてきた」と思う。
(中略)日々の生活の場でも、その生活を作る政治の場でも、負の力に満ちた言葉というか、人の心を削る言葉というか、とにかく「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて、言葉の役割や存在感が変わってしまったように思うのだ。”

”「言葉が壊される」というのは、ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた、ということだ。
(中略)
対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対立をあおったりする言葉が、なんのためらいもなく発せられるようになってしまった。”

誰しも一つや二つは頭の中に思い浮かぶことがあるんじゃないでしょうか。SNSを流し見しても、ニュースを聞いても、特に最近は毎日そんなことばっかり。

”「壊されたもの」というのは、強いて言えば、言葉の「魂」というか、「尊さ」というか、「優しさ」というか、何か、こう、「言葉にまつわって存在する尊くてポジティブな力めいたもの」なのだけれど、…”

この本では、そんな言葉の力を考えさせられるような言葉がいくつか紹介されているんですが、少しでも著者の伝えたかったこと、「まとまらなかったけど大事なこと」を汲み取れているといいな、と思います。

言葉は「壊されてきた」かもしれないけれど、少なくともこの世界のどこかでは「尊くてポジティブな力めいたもの」を宿した言葉は生まれ続けているんだろうと思います。ただ、そういうものを鼻であしらう冷笑文化みたいなものが、特に言葉でのやり取りを中心とするネット上には根付いている感じがします。ネットの時代である今、そういった価値観はどんどん広まり、言葉のきちんとした受け取り手が十分に存在しなくなっているのかもしれません。そして何かを受け取ると同時に発信されるのはどんどん冷ややかな言葉になっていく。

”言葉には「降り積もる」という性質がある。放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる。そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく。”

きっと、言葉の扱いや扱う言葉に問題のある人間が増えたことで、言葉そのものに宿るものにも問題が増えている。そして人間は言葉を使ってものを考える生き物だから、そうした言葉で思考することによって、さらに言葉の扱い・扱う言葉に問題が生じていくんでしょう。

自分で使っている言葉はどうかと振り返ると、人に対しては結構気をつけているものの、自分に対しては降り積もらせたくない言葉を使ってしまっていることもあるなと思います。

せっかく降り積もるなら、生きるということを楽に、楽しくさせてくれる言葉がいいですよね、と自戒の念を込めて。

そしてこの本は、力のある優しい・勇気をくれるような言葉の紹介はもちろんなんですが、言葉の扱い方も教えてくれている気がします。

”田中美津さんの言葉(「いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの。」)と、「なんでもかんでも責任転嫁」という言葉と、ふたつを並べてみた時、自分が生きていくためにはどちらの言葉が必要だろう。もう少し踏み込んで言おう。もしも自分が苦しい思いを強いられた時、「自分で自分を殺さないための言葉」はどちらだろう。”

そして、想像力の使い方。

”「誰か」を憎悪するのにためらいのない社会は、「私」を憎悪するのにもためらいがないはずです。”

”誰かの一線を軽んじる社会は、最終的に、誰の一線も守らないのだから。”

「誰か」には「私自身」や「家族」「友人」もなりうるという想像力を働かせれば、自ずと人に対する自らの態度・用いる言葉も変わっていくのかもしれません。

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2024年06月03日

Posted by ブクログ

誰かを傷つける言葉の
引き金が軽くなった現代に
刺さる内容。
著者が出会った障害者などの
言葉がとても重く響く

安易な自己責任論が
どういう未来を子どもたちに
残すのかみんなで考える必要がある

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2024年05月06日

Posted by ブクログ

言葉について、深く丁寧に考察されています。

安易にまとめない。やさしく言い換えない。
発せられた言葉そのものを尊重し、大切に扱っていく。

個々のエピソードに心揺さぶられ、まとまらない言葉の愛おしさを想いました。

最後に述べられている、「要約」することと、「一端を示す」ことの違いについての考察がまた、心に響きました。

言葉を扱っていく上で、何度も何度も振り返りたくなる本でした。

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2023年07月08日

Posted by ブクログ

いい本だった、心に響いた、深い、
どれも薄っぺらくてこの本の感想を書くのには
相応しくないと思う。
(自分で書いていて)
それだけ言葉の力は大きい、
そして言葉を発することは生きることに繋がっている。
どんな言葉を選んで使うのか、
自分の感情や思考にピッタリの言葉。
それだけでなく、世の中の思想についても。
「人権の尊重」尊重を、別の言葉にする
もっと適切で思想まで想像できるもの。
また、障害者や被害にあった人たちへの言葉。
心ない言葉が人を傷つける、言っている側に
自覚はない、だから怖い。
いつ私が人を傷つけてしまうとも限らない。

「刻まれたおでんはおでんじゃないよな」
その言葉の中に含まれてる想い。
「自己責任」ですべて片付けてしまうモヤモヤ。

この本を読んで
「私は○○には偏見がないから」と
あえて言うことに違和感をおぼえたり、
「役に立つ人」というモノのような扱いをしてる
ような言葉に、イラッときたり、、
そんな細かいことが、指にちょっとささった
トゲみたいに、ちくっとする、
そんな自分でもいいやと思った。

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2023年06月30日

Posted by ブクログ

遅ればせながら読みました。素晴らしい本でした。

言葉が必要な人たちに限って、言葉が奪われていく。

心ある人たちに対して、心ない言葉が投げつけられていく。

言葉の破壊や凋落を憂いながら、言葉の意義や可能性への希望も忘れないように、この本は折に触れて何度も読み返していきたいと思います。

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2023年06月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

まとまらない言葉を生きる
「言葉が壊されている」そんな危機感?焦燥感?を抱いた文学者が書いた本。
人の、主には障害者たちの生き様をのせた言葉、その言葉が出るに至った背景などのエピソードを紹介することで、何か簡単には言葉にできないはずのものが端的に効率よく要約されてしまう、という現象に抗っている。
地よいのは、著者の言葉がとても平易であり、言葉を壊している人(あるいはそういう時代の趨勢のようなもの)への批判というより、自分の中に生じた違和感について深掘りしていくスタイルだということ。
個人的に印象的だったのは「障害者に生きる意味はない、という言葉に抗おうとすると、障がい者の生きる意味についての立証責任が生じるような気がしてしまう」という点。そうではなく、障害者と健常者(なるもの)が、共に生きられる社会について考えることが大事だと。そもそもだれかの生きる意味など、他人に解説されるものではないはずなのに、障害者に対してはそれをしてしまう、という指摘にも、確かにそうだと唸った。
それから、自分も医療業界にいる人間として、患者の人権を奪うような様々な事象を目の前で見るわけだが、それに対して言葉を用いて反駁しようとする(他人に共有しようとしまいと)という努力を失っていたと気付かされた。言語化するということは、そのことに自覚を促すことであり、無関心というダークサイドに流れ落ちるのを食い止める働きがあるように思う。

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2025年10月17日

Posted by ブクログ

タイトル通り、感想をまとめることも非常に難しいのですが、読んで良かったと思える本でした。

自分自信を概ね「マジョリティ」側であることを自覚した上で、たくさんの「マイノリティ」に触れてきた筆者だからこそ持てる視点と葛藤がほんのりとあたたかく、それでいて居心地悪く響いてくる内容でした。

「弱者」を弱者たらしめているものは一体何なのか。
「自己責任」と他人に向けて吐いた言葉は自分を呪う。
内容はとても重たく、考えさせられるものばかりなのですが、筆者の柔らかい言葉遣いのお陰でサラサラと読めました。

たくさんの本や言葉が紹介されていて、次に読むリストがどんどん膨らんでしまいました。

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2025年05月06日

Posted by ブクログ

「まとまらない言葉」というタイトルに惹かれて購入。病気、障害を持つ人たちのエピソードをもとに、筆者が感じる「言葉の違和感」を突きつける作品。説明が難しいのだが、優しくも刺さる言葉が並ぶ。言葉を大切にしたい、でも私はどこまで向かい合うことができるだろう。

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2025年04月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

簡単にまとめられない言葉や感情、どうやっても伝えることができない、理解してもらえないだろうと思うことがままあります。
本書は言葉について注意深く繊細に語ろうと努力した本というふうに感じました。理解を求めるというよりかは、著者自身が出会って考えさせられたり、人生が変わっていくきっかけになったり、お守りになったりしたような言葉について書き留めている印象がありました。

p13何かをきれいにまとめようとすると、そこからスルリと落ちるものがある。(略)「伝えられることの総和」が目減りする。

p27「生きづらさ」の重さ比べをしても決して楽にならない。むしろ、結果的に「黙らせる圧力」を高めてしまうだけだ。(略)「黙らせる圧力」は黙っていても弱くはならない。これに抵抗するためには、ぼくたちは何か言葉を積み重ねていかなければならない。

p28ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたいが正常なのです。

p198「理不尽に抗う方法」をしらなければ、「理不尽な目にあう」ことに慣れてしまい、ゆくゆくは「自分がいま理不尽な目にあっている」ことにさえ気づけなくなる。

書き留めておきたい言葉が目白押しで、何か折れそうになったり、理不尽な目に遭ったときには思い起こしたい言葉ばかりでした。
このところ読んできた本とリンクするような内容で自分はそういう言葉を求めていたのかなと感じました。

第5章の「地域」と「隣近所」については、身内をグループホームへ入れたばかりの身として考えさせられました。
グループホームが街中にあれば「地域生活」になるのか。⋯確かにそういうことではないですね。
共生、交流、住み分け。この視点はないものでした。この視点を身内としては忘れないで見守らなくては、と思いました。

「希待」「生きた心地」「言葉の壊れ」考えるキーワードがてんこ盛り。
自分はあまり一度読んだ本を読み返さないですが、これは手元において時折読み返したい一冊です。

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2025年02月17日

Posted by ブクログ

率直にいえば、簡単に読んでいいような本ではないと感じた。そして、感想を書くのがとても難しかった。

私は、本書は『短い言葉や伝わりやすい言葉が重視されがちな現代において、短くできない言葉が存在しないものとされることや、本来の意味が理解されず言葉が軽く扱われていることに対して警鐘を鳴らすもの』だと理解した。
著者は「被抑圧者の自己表現」を専門としていることもあり、各エピソードは障がい者に関する内容も多くなっている。

特に第七話『「お国の役」に立たなかった人』を読んでいて、現在も同様の状況になっているのではと恐怖を感じた。
この章では、戦時中、”お国の役に立た”ず迫害の対象となった障がい者たちがさらなる迫害を受けないためにどういった言動をとればよいか考えた末、自発的に戦争を賛美するという行動をとった(そう表明することでその瞬間だけは世間からいじめられなかった)とある。
誰だって迫害されたくない。そういう心理を利用して、自発的に考え方を変えさせるようになっていくと、それはもう強権的な社会となってしまう。
同調圧力が強い日本では、特に誰か同じ立場の人が主張している内容に賛同してしまう人も少なくない。私も100パーセント他人の意見に左右されないとは言い切れない。それってとても危険なことで、自分の意見を持つこと、そしてそれを恐れずに発信していくことの重要性を改めて痛感した。とはいえ、言葉にするのは簡単で、痛感した内容をどう行動にしていけばいいのかはまだわからない…。

そして終話『言葉に救われる、ということ』にある『ものすごく言葉にしにくいことだが、相模原事件に関して、事件を起こした人物が行ったことに理解も共感も納得もできないとした一方で、自分と「地続き」のところを生きているという実感がある(できる限り内容を崩さないように記載)』と記載した著者は自分の深いところまで見つめている。それはとても難しいことで、(簡単な言葉で申し訳ないが)それができる著者はすごい人だと改めて感じた。そして自身が障がい者と関わり、自分の凝り固まったイメージをほぐしている、ということは自分の弱い部分を見つめなおすことで、相当苦しい思いをされたのでは、と勝手に想像した。

会議内容や本を要約するなど、”タイパ”を重視する人が多い世の中になってきたと思う。スピード感が重視され、回答は”早いこと=いいこと”になりつつあることにも危機感を感じる。もちろん恩恵は私も受けている。しかし、それは本当に正しい回答なのか、乱暴に言葉をつぎはぎしただけではないか。常に考えながら過ごしていきたい。

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2025年02月09日

Posted by ブクログ

どこから読んでも良い。
読みやすいが考えさせられる。
人そのものが現れてしまうような文章は読んでいて私が現れてくる。
この書籍はそういうもの。
「まとまらない」に留まることは現代社会においてすごく大切だと思う。

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2024年08月15日

Posted by ブクログ

p.3 日々の生活の場でも、その生活を作る政治の場でも、負の力に満ち満ちた言葉というか、人の心を削る言葉というか、とにかく「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて、言葉の役割や存在感が変わってしまったように思うのだ。

p.8 こうした議論の打ち切り方は「議論の際は根拠を示して丁寧に説明すること」と教室で叫び続けているぼく
からすれば「学生に見せられない議論」そのもので、教育に関わる者の一人として耐えがたいものがあった。
更にいえば、「〇〇と言ったことはない」といった発言や、いわゆる「ご飯論法」といった議論の仕方も、恩師から「学者の発言に時効はないからな」と教わってきたぼくにとっては「!」で頭がパンクするくらいに衝撃的だった。
日本語には「影質を取る」という慣用表現がある。あまり耳慣れないけど「言葉質」という表現もある。この「質」は「人質」の「質」。言葉は本来「質」になりえるくらい大事なもので、発言者自身の言動をも縛ってしまうほど重いということだ。
人と人が議論できたり、交渉できたりするのは、言葉そのものに「質」としての重みがあるからだ。でも、いまは言葉の一貫性や肩頼性よりも、その場その場でマウントを取ることの方が重要らしい。とりあえず、それさえできれば賢そうにも強そうにも見えるのだろう。でも、「言質」にもならない言葉で国や社会や組織が運営されているのって、考えてみれば怖くて仕方がない。

p.12 短い言葉では説明しにくい言葉の力」だ。
言葉には、疲れたときにそっと肩を貸してくれたり、息が苦しくなったときに背中をさすってくれたり、狭まった視野を広げてくれたり、自分を責め続けてしまうことを休ませてくれたり•••・・そんな役割や働きがあるように思う。

pp.26-27 冒頭でぼくが書いた「危機感」というのは、実はここに関わってくる。「言うのは簡単」だけど、「言えば言うほど息苦しくなる言葉」が社会に溢れて、こうした「生きづらさを抱えた人」を黙らせようとする圧力が急速に高まってきているように思うのだ。
言葉には「降り積もる」という性質がある。放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる。そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく。
「心ない言葉」なんて昔からあるけど、ソーシャル・メディアの影響で「言葉の蓄積」と「価値観の形成」が爆発的に加速度を増してきた。しかもその爆発を、誰もが仕掛けられるようになってきた。
それが怖い。
「誰かを黙らせるための言葉」が降り積もっていけば、「生きづらさを抱えた人」に「助けて」と言わせない「黙らせる圧力」も確実に高まっていくだろう。
Aさんが直面した「心の病」も、「弱い」「甘えてる」「怠けてるだけ」なんて言われることが多い。本人も「心の病」で休職した同僚のことをそう言っていた。でも、そうした言葉が積もり積もって、本人がその「圧力」に潰されそうになってしまった。
忙しくて疲れていれば、「こっちだって大変なんだけど」と愚痴のひとつもこぼしたくなる。毒づきたいときだってある。ぼくだって、そんな感情と無縁で生きてるわけじゃな
い。
でも、「生きづらさ」の重さ比べをしても決して楽にはならない。むしろ、結果的に「黙らせる圧力」を高めてしまうだけだ。
こんな「圧力」を高めてはいけない。理由は「生きづらい人が可哀想だから」じゃない。
「可哀想」というのは、「自分はこうした問題とは無関係」と思っている人の発想だ。
こうした圧力は、「自分が死なないため」に高めてはいけないのだ。

pp.48-49 アニメでは『ドラえもん』が大好きで、金曜日(いまは土曜日)の放送前は、わざわざトイレを済ませてからテレビの前に座った
ただ、この不粉の名作にも苦手なキャラがいた。のび太のママと学校の先生だ。どうしてこの二人が苦手なのか、当時のぼくにはわからなかったけど、たぶん、勉強も運動もできないのび太と自分を重ね合わせて、二人を無意識のうちに敵認定していたのだと思う。
大人になった現在、『ドラえもん』を見直してみても、やはり、この二人の言動には疑問が湧いてくる。
なぜ、玉子さん(のび太のママ=野比玉子)は、まだ小学生の息子にあんなにお使いやら留守番やらを命じるのだろう。
なぜ、「勉強しなさい」「宿題やりなさい」と言うばかりで、わからないところを教えてあげようとしないのだろう。
なぜ、怒るか怒らないかの基準がのび太の個々の行動の是非にあるのではなく、その時の自分の気分にあるのだろう。
なぜ、自分のテンションで唐突にご馳走を作っておきながら、息子の反応がイマイチだと機嫌を損ねるのだろう。

学校の先生は先生で、どうしてのび太の0点の答案をクラスメイトに晒すのだろう。
どうして、のび太が0点を取るたびにのび太のことを怒るのだろう。
どうして、自分の教え方が悪いのかもしれないと立ち止まって考えないのだろう。
どうして、授業の組み立てや教材の選定を再考しないのだろう。
と、疑問を書き出すととまらない。
でも、きっと玉子さんは玉子さんで、野比家の中で多くのことを背負わされているにちがいない。父親の存在感が希薄な家庭の中で、ときどき玉子さんが奇声を上げながら家計簿を付けている様子が描写されたりすると、なんだか普通の家庭に潜む深刻な闇めいたものを感じてしまう。
先生は先生で、「権威」といったもので子どもにマウントをとらないと、「先生」としての立場を守れないと嫌なに肩じているのだろう。あるいは、大人が子どもにマウントをとることを「教育」だと肩じて疑っていないタイプなのかもしれない。だとしたら、彼は彼で悲しい人生を歩んでいる。
でも、少し考えてみてほしい。

p.107 誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。
特に、その「何か」が、漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ(「国家」「世界」「人類」などなど)。第六話で触れた相模原事件の実行犯にも、同じような問題が見て取れる。
「誰かの役に立つこと」が、「役に立たない人を見つけて吊るし上げること」だとしたら、ぼくは断然、何の役にも立ちたくない。

p.125 とりあえず入試に関して言うと、「差別」は不当に「されるもの」であり、「区別」は不利益が生じないように「してもらうもの」(例えば「拡大鏡の使用」など)。
「不利益の生じる区別」は「差別」だし、そもそも属性を理由に「不利益」を押しつけることは許されない。
「差別と区別は違う」というフレーズは、「それは差別だ!」と批判された側が思わずロ走るというパターンが多かったように思う。でも、SNSなんかを見ていると、この問題に直接関係ない人まで野次馬的に使っているようなところがあって、なんだかここでもモヤモヤが収まらなかった。
そもそも、「男社会」が作ったムードに女性の人生が左右されるのは差別だと思うのだ
けれど・・・・・.。

p.154 心の病」に関して言うと、「治す」という表現には慎重になった方がいい。
「治す」という言葉には、「悪い部分を取り除く」というニュアンスがある。外科手術の対象になる病気や、抗生物質や抗ウイルス薬が処方されるような症状の場合、「治す」というのはわかりやすい。病気の原因になった「悪いもの」を取り除いて症状をなくすこと
だ。
では、「心の病」の場合はどうだろう?
「心」は自分の根幹に関わる大切なもの。でも、とてもあやふやなもの。だから「心の病を治す」となると、「自分の心には悪い部分があって、それを取り除いたり、精したりしなければならない」ということになり、少なからず自己否定の要素が入ってしまう。
つまり、「心の病は治さねばならない」と考えすぎると、「治らない自分はダメなんじゃないか」と、更なる自己否定のきっかけをつくってしまいかねないのだ。
それから、「心の病」について突き詰めて考えていくと、「そもそも病んでいるものは何か?」といら問題に行き当たる。
例えば、無茶苦茶な職場でハラスメント被害にあっている人がいたとする。学校でいじめられて苦しんでいる子どもがいたとする。家族の歪んだ関係(虐待やネグレクトなど)に悩んでいる人がいたとする。
そうした人が、心身に不調をきたして精神科を受診したとする。医師に診察してもらって、入院したり、療養したり、服薬したりしたとする。その成果もあって、それまで苦しんでいた症状(職鬱感など)が軽くなったとする。
でも、その人を苦しめていた職場や学校や家族が、以前のままの状態だったとしたら?
その人は引き続き、そこで生きていかなければならないとしたら?
それは「治った」と言ってしまっていいのだろうか?
そもそも、「心を病む」って、その人の「心」が問題なのだろうか?
むしろ、その人を取り巻く「環境」が問題なんじゃないのか?
その人を取り巻く人間関係とか環境が病んでいて、それが立場の弱い人を通して噴出している、ということもあるんじゃないのか?
でも、それは個人の力じゃどうにもならないんじゃないのか?
それなのに「心を病んだ人」は、「弱い」とか「だらしない」とか言われなきゃいけないのか?
そもそも、「誰かにとって望ましくないような心の在り方」を指して、「心の病」と呼ん
でいるってことはないだろうか?
これらもろもろをひっくるめて、「心の病」って何なのだろう?
それが「治る」って何なのだろう?

p.156 癒し」は、昨今の「癒レブーム」の影響で、「ちょっと心地よいこと」という意味で使われているけど、(造形教室)の「癒し」はそれとはぜんぜん違う。
例えば、自分の力ではどうにもならないような苦しい境遇に置かれた人がいたとする。

もう「生きること」を諦めたくなるほど、つらかったとする。
でも、自分で自分を支えながら、誰かに支えられながら、何かに支えられながら、なんとか、どうにか、それでも、今日という日を一日、生きていられたとする。
「癒す」というのは、ぼくなりの言葉で翻訳すれば、この「なんとか」「どうにか」「それでも」とつぶやくときの、そのつぶやきにこもった祈りに近い感覚だ。
<造形教室)には、そんな思いをアートに込めた人たちが集まって、日々、絵筆を握っている。とても不思議で、とても素敵な空間だ。
そもそも、ぼくらは「病気から回復すること」を指し示す言葉として、「治る」以外の言葉を持ってない。でも、「治る」という言葉には「社会が求める標準体=健常者に戻ること」というニュアンスが混じっていて、そこがどうしても気になってしまう(そもそも、治らなかったら社会参加しちゃいけないのか?)。
「病気」には、人それぞれのドラマがある。同じように、「回復」にも人それぞれのドラマがある。いろんな種類の「回復」がある。
「症状もきれいさっぱり消えてパーフェクト」という回復もあれば、「症状はなくならないけど、以前よりは良い」とか、「なんとかやっていける」といった回復もある。
「身体は動かなくなってしまったけど、新たな人間関係に恵まれたから、まあ悪くないかな」と言う回復もあるだろうし、「最悪だった頃に比べれば、まあまあかな」といった回復もあるだろう。これら以外の回復のあり方だって、色々と存在するはずだ。だとしたら、「回復」を意味する言葉も、もっとバリエーションとかグラデーションがあればいいのに、なんて思う。こうした言葉がもっと豊かになれば、この社会も、もう少し緩やかに、優しくなるような気がする。

p.225 も、それでも「文学」が軽んじられるのは寝覚めが悪いから、ぼくなりに「文学とは何か」を説明しておくと、詰まるところ、「くまのぬいぐるみ」みたいなものなのだろう
と思う。
それがなければ「生命」を維持することができないというわけではないし、「生活」が成り立たないというわけでもないけれど、つらかったり、苦しかったり、寂しかったりする時に、そっと「自分を支えてくれるもの」というのが、この世界にはあると思う。
それが存在してくれているという事実があるだけで、救われるような思いを与えてくれるもの。そうしたものの存在を肩じようとする心の働きのようなもの。それが「文学」だと思う。
もう少し正確に言うと、ぼくという一個人は、そうしたものを「文学」として捉えていて、そうしたものの力を解明したいと思っている。

p.231 きっと、人には、人の体温でしか温められないものがある。その体温を、単なる「温度」として捉えるのか、それ以上の何かとして捉えるのか。この何かとして受け止めようとする力が「文学」なんじゃないか。

p.244 もともと、ぼくは自己肯定感(この言葉も「?」という感じだけれど)が低くて、「正しく立派で役立つ存在でありたい」という願望が強い。でも「~でありたい」という願望は、同じ歯車で「未完成の自分」という引け目や焦燥感をかき立てて、「~であらねばならぬ」と我が身にムチを打ってくる。
でも、その「正しい」「立派」「役に立つ」といった価値観自体、誰が作ったものなんだろう。これを追い求めて、本当に幸せになれるのだろうか。障害者運動家たちから、そうした「疑う感覚」を学んだように思う。
「正しく立派で役に立つ自分であらねばならぬ」という出所のよくわからないプレッシャーは、いまもぼくの中で消滅はしていないけれど、確実に楽にはなった。「そもそも『正しい』とか『立派』とか『役に立つ』って何だよ」と、舌打ちくらいはできるようになった。
そうした舌打ちができるようになるにつれて(舌打ちすることを自分に許せるようになるにつれて)、他人に対する要求水準もゆるやかになってきた気がする。
それまでのぼくは自罰感情と他罰感情が正比例するような生き方をしていて(簡単に言えば「俺はこんなにがんばってるんだから、みんなこれくらいして当たり前」「俺はこれくらいできるから、みんなもこれくらいできて当然」という感じ)、あのまま妄層的に突っ走っていたら最強にマッチョな自己責任論者になっていただろう。そして何かの眠きをきっかけにして、我が身を焼き尽くしていたんじゃないかと言う気がする。

p.245 言葉を諦めないために
ぼくの凝り固まった価値観をほぐし、肺の奥まで呼吸しやすくしてくれたのが、この本で紹介した運動家たちとの出会いであり、言葉との出会いだった(本当はもっとたくさんあるけど、もうこれ以上、紹介する余力も能力もいまのぼくにはない)。
変な言い方だけれど、ぼくは自分が経験したことを、それほど「珍しい悩み」だとは思っていない。むしろ、この社会でマジョリティとして生きる人は、多かれ少なかれ、この種の苦しみを抱えているんだと思う。ただ、それを素直に「つらい」「しんどい」と認めるのは意外にむずかしい。
素直に「しんどい」と認められない強張りを、優しくさすって温めてくれたり、時にはガツンと叩いてひびを入れたりしてくれたのが、これらの言葉だった。無意識のうちに自分で自分をムチ打っていることに気づかせてくれた、という感じだろうか。




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2024年07月25日

Posted by ブクログ

感想さえもまとまらない
終話がとてもいい
荒井さんの「自分の言葉」がいちばんいい

まとまらない日々が愛おしくなる
生きるのに遠慮はいらないんだ

自分以外の誰かに対して硬直した像を押し付けることと、自分自身を堅苦しい像に閉じ込めることは表裏一体
そもそもその像って正しいの?

「自己責任」と言い捨てることで、他人の痛みへの想像力を削いでいく

速く慌ただしくなった社会で、膨大な出来事はどこか遠くで起きたことになる
人間の在り方とかを考える時間も取れてない
流れてしまう毎日

黙ることで逃げる
近くの人も思いやる余裕のある余裕がない
うわべだけの言葉

本当に大切なことは何か?
大切な人を思いやること、思って思って、不器用でいいから、言葉と行動で励ませる人になりたい

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2024年01月14日

Posted by ブクログ

タイトルとまえがきから、
政治家に顕著に見られる「日本語の乱れ」について
掘り下げる本なのかと思って読み始めた。
違った。

障害者の声、ハンセン病患者の声、
届かない弱者の声を取り上げた本だった。
といってもテーマが一貫しているわけではない。
少数派が声をあげることに意味があることを訴える部分、
これを読んだときは、ひとつ前に読んだトランスジェンダーに
共通することから、本が本を呼んだのかなあと思ったり。

でもそればかりではなかった。
「川の字に寝るって言うんだね」とぽつりとつぶやいた方から見える
らい病患者に対する親戚の冷たさ。いないことにするから、と。
相模原事件で私が持った違和感はこの親戚と共通するのではないか。

などなど、思わぬ方向に話が進み、
それはそれで考えさせられるものではあったが、
。。。これが「まとまらない」だったのかと、
なんだかもやもやする。

前の本と合わせ、
マイノリティが声をあげていい、言葉を発していい時代になっている、
それだけは確かだし、大事にしたい。
それで締めくくることにしよう。

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2023年12月13日

Posted by ブクログ

言葉が壊されている、まえがきで得心する。
SNS等言葉に触れる機会は増えているのにどれも空虚だと感じていた。
どんな境遇の人も排除されることなく安心して生きられる世の中にする為、今こそ立ち止まり考えなければならない。

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2023年08月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

著者は文学者で、

「言葉が壊れてきた」と思うという問題意識からこの本を始めています。

著者は、「被抑圧者の自己表現」を専門としており、本書で交えられるのは、様々な障害者や、社会的弱者とされるような人たちに対して、あるいはそのような人たちから発せられる言葉やエピソードです。

2010年代以降特に、憎悪、侮蔑、暴力、差別に加担する言葉がやけに目に付くようになった、

そういった壊れた言葉に触れる場や頻度、スタイルが明らかに変わってきた、と危機感をもつ。

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2025年09月24日

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期待という言葉にはときに、重さを感じてしまう。
「希待」という表現はやさしくて温かいと思った。
言葉の力を信じて、言葉を探し続けたい。

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2025年09月14日

Posted by ブクログ

被抑圧者の自己表現。
もっと癒やされる『言葉』の話かと思って読み始めたら、最近の世にはびこる強い言葉(誰かの生きる気力を削ってしまうような)について考えるエッセイが詰まっていて、重たい読み口で驚いた。今、言葉がどんどん壊れてきている、ということをいろんなエピソードで伝えてくれる。障害者運動や差別、戦時中の話などもたくさん出てきて、他者を抑圧する圧力の話が続く。政治色も強め。
世の中と闘った運動家の方々の『言葉』はパワフルですごいんだけど、そちらはそちらで別の強さがあって当てられてしまうというか…(運動家の方々の言葉やエピソードがたくさん出てきます)。
言葉、めちゃくちゃパワー持ってるくせにすべての感情を伝えられるわけではないし、発した人と受け取る人で思いがすれ違うこともあるし、もう喋るの怖いんだけど!??と思っちゃった。
もう喋るのがつらい……となってたけど、終章で著者の過去を読んですこし気が軽くなった。人は変われる。要約できない毎日を大切に、これまでよりも言葉の力を考えながら言葉を発していくしかないなと思った。

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2025年06月11日

Posted by ブクログ

著者は障害者文化論を専門とする大学准教授。ハンセン病、ALS、水俣病患者や障害者らと対話し、障害者運動や反差別闘争の歴史の中で言葉の意味を考えてきた。
この本で著者が訴えているのは「短い言葉では説明しにくい言葉の力」
安易で浅はかな要約を徹底的に嫌い、社会的弱者やマイノリティの人たちが発する言葉の意味を重く受け止め、彼らの立場になって考える。
エッセイ形式で読みやすいが、内容はとても深く重いものがある。

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2025年05月07日

Posted by ブクログ

刺激が強かった。。
この本は差別のある世界の要約本ではなく、一端を示している本だ。
一端というか三端、四端くらい示していた。

差別してる人ってだいたいが悪気なんてなくて、頼んでない善意を押し付けてきて、「これだけやってあげたんから」って当たり前のように相手の一線を越えてくるケース多くあると思う。

それを止めてもらうには「わかってもらう」アプローチをする必要があると思っていたけど、怒っていいんだよなと思った。
むしろちゃんと怒らないと相手は自分の想像の範囲内でしか解釈しなくて、いつまでたっても状況は変わらない。

本当に一人ひとり色んな事情を抱えていて、それを全て理解することなんてできないし、する必要もない。勝手に解った気になって相手をジャッジしないことが大事だと思う。といってもこの社会がそうさせてくれないから難しいんだけど。

タイトル通り、まとまらない。。。

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2025年04月12日

Posted by ブクログ

言葉についての本だと思ったが、ほとんどが被差別者の話だった。これはこれで大事な話だけど、思ってたのと違うというのが率直な感想・・。
厳しい環境にさらされた人たちの言葉にならない思いが表現されていて、何もしていないのに責められている感じがする。理解しているよ、と安易に言うのも、理解できない、と言うのも違う気がして、気持ちの逃げ場がなく、読むほど辛い気持ちになる。

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2025年02月24日

Posted by ブクログ

まえがきの勢いが、勢いはあるけれど読み易く、述べていることにも共感できたので楽しみに読み進めていたが、途中から筆者が主としている障害者運動の話ばかりになり、その活動の方々の紹介の様な視野が狭まった印象となってしまったのが残念だった 。
それを踏まえていま筆者が考えているところだけを筆者の言葉で綴ってくれたらそれでよいと思った 。想像する人となりや話し方に好感をもてたから尚更だった 。

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2023年11月19日

Posted by ブクログ

文学者が書く言葉についての話。
とにかく文章が美しくすらすら読める。著者がいろいろ感じて思うところがあるのだが、ちょうどいい言葉が見つからずまとまらない。その感じががんがん伝わってくるし大事なことだし感想を書こうと思うが簡単には言葉にできない。
今まで考えたことのない問題をつきつけられ心が揺さぶられる。他人の痛みへの想像力をなくしてはいけない。

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2023年09月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

正直に言うと、序盤は作者の言い方というか言葉に「ん?」と感じることがあって、うまく言えないけど、「~縁がないという方のために、説明しておこう」とか。あくまで個人的な感じ方なので、いい悪いを言ってるのではなく自分はそう感じたという正直な感想。
ただ、後半はとても心に刺さる詩や言葉を紹介されていて、花田春兆さんの言葉で「評価されようと思うなよ。~」とかなるほどな~と思いました。

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2023年07月17日

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