あらすじ
誰の人生も要約させない。あなたのも、わたしのも。
■推薦
「生きた心地」を求めていいんだ。
「ダメだ」の言葉に抗っていいんだ。
誰でも。言葉で。
――望月優大(「ニッポン複雑紀行」編集長)
強くて安全な言葉を使えば、
簡単に見落とすことができる。
だけど取り零された隙間に、
誰かが、自分が、いなかったか?
――はらだ有彩(『日本のヤバい女の子』著者)
■内容
偉い人が「責任」逃れをするために、「敵」を作り上げて憂さを晴らすために、誰かを「黙らせる」ために言葉が使われるようになったこの世界で、凝り固まった価値観を解きほぐし、肺の奥まで呼吸しやすくしてくれるような……そんな「言葉」との出会いは、まだ可能だろうか?
本書は、マイノリティの自己表現をテーマに研究を続ける文学者が、いま生きづらさを感じているあなたに、そして自らに向けて綴った、18のエッセイである。
障害者運動や反差別闘争の歴史の中で培われてきた「一言にまとまらない魅力をもった言葉たち」と「発言者たちの人生」をひとつひとつ紹介していくことを通して、この社会で今、何が壊されつつあるのか、人間としての尊厳をどのように守っていけるのかを考えていく。
■目次
まえがき 「言葉の壊れ」を悔しがる
第1話 正常に「狂う」こと
第2話 励ますことを諦めない
第3話 「希待」という態度
第4話 「負の感情」の処理費用
第5話 「地域」で生きたいわけじゃない
第6話 「相模原事件」が壊したもの
第7話 「お国の役」に立たなかった人
第8話 責任には「層」がある
第9話 「ムード」に消される声
第10話 一線を守る言葉
第11話 「心の病」の「そもそも論」
第12話 「生きた心地」が削られる
第13話 「生きるに遠慮が要るものか」
第14話 「黙らせ合い」の連鎖を断つ
第15話 「評価されようと思うなよ」
第16話 「川の字に寝るって言うんだね」
第17話 言葉が「文学」になるとき
終話 言葉に救われる、ということ
あとがき まとまらないを愛おしむ
■装画・挿絵
榎本紗香(しょうぶ学園)
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Posted by ブクログ
〈筆者の立ち位置〉
・ぼくの仕事は「言葉そのものについての研究」というよりも、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考えること」といった方がしっくりくる。 p20
・ぼくの専門は「非抑圧者の自己表現活動」。こう書くとなんだか仰々しいけれど、簡単に言うと、この社会の中で、いじめられていたり、差別されていたり、不当に冷遇されていたりする人たちは、厳しい境遇にいる自分のことをどのように表現するのだろうかーーといった問題について研究している。p20
〈気に入った章やエピソード、言葉の一部〉
・のび太のママにひとこと言いたい p47
・「ダイバーシティ」ってなんだ? p62
・「生きる意味」は言葉になんてできない p92
・誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。特に、その「何か」が、漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ(「国家」「世界」「人類」などなど)。 p107
・初鴉「生きるに遠慮が要るものか」花田春兆句集『喜憂刻々』 p173
・「自己責任」の不気味さ p188
・「文学」とは何か
ぼくなりに「文学とは何か」を説明しておくと、詰まるところ、「くまのぬいぐるみ」みたいなものだろうと思う。それがなければ「生命」を維持することができないわけでもないし、「生活」が成り立たないというわけでもないけれど、つらかったり、苦しかったり、寂しかったりする時に、そっと「自分を支えてくれるもの」というのが、この世界にはあると思う。それが存在してくれているという事実があるだけで、救われるような思いを与えてくれるもの。そうしたものの存在を信じようとする心の働きのようなもの。それが「文学」だと思う。もう少し正確に言うと、ばくという一個人は、そうしたものを「文学」として捉えていて、そうしたものの力を解明したいと思っている。 p224
文章中に紹介されているいくつかの本(例えば『おんなとして、CPとして』)と筆者の他の本を読みたくなった。
Posted by ブクログ
障害、病、公害、育児、ジェンダー、差別、社会、言葉。正直なところ大学生の自分には、この本で綴られた言葉を真に理解することはできなかった。それも当然なのかもしれないと思う。この本にある言葉はどれも、社会の中で我が身を燃して戦い、全身全霊を生きて、生きて、生き抜いた人々の言葉だ。
まさに、要約しようもない人生が詰まっていた。自分はこの社会で生きながら、こうした人たちを見ずに生きてきたのだと痛感する。ただ、遠くから眺めているだけの人間にすぎない。このままでは、いけない。もっと声を聞きたい、言葉を知りたい。
文中で紹介された、脳性マヒの男性が読んだ詩が心に残っている。
『母よ 不具の息子を背負い
幅の狭い急な階段を
あえぎながら這い上がる母よ
俺を憎め
あなたの疲れきった身に
涙しつつかじりついている
この俺を憎め』
この詩を忘れない人間でいたい。胸に留め人生を送りたい。
その人をその人のまま、私を私のまま、どうすれば何も取りこぼさずに関われるのだろう。誰も区切らないことの難しさ、しかしそれを目指し続けることの、言葉に出来ない力。
誰も要約せず、生きたい。そういう人でありたい。
Posted by ブクログ
”「言葉が壊されてきた」と思う。
(中略)日々の生活の場でも、その生活を作る政治の場でも、負の力に満ちた言葉というか、人の心を削る言葉というか、とにかく「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて、言葉の役割や存在感が変わってしまったように思うのだ。”
”「言葉が壊される」というのは、ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた、ということだ。
(中略)
対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対立をあおったりする言葉が、なんのためらいもなく発せられるようになってしまった。”
誰しも一つや二つは頭の中に思い浮かぶことがあるんじゃないでしょうか。SNSを流し見しても、ニュースを聞いても、特に最近は毎日そんなことばっかり。
”「壊されたもの」というのは、強いて言えば、言葉の「魂」というか、「尊さ」というか、「優しさ」というか、何か、こう、「言葉にまつわって存在する尊くてポジティブな力めいたもの」なのだけれど、…”
この本では、そんな言葉の力を考えさせられるような言葉がいくつか紹介されているんですが、少しでも著者の伝えたかったこと、「まとまらなかったけど大事なこと」を汲み取れているといいな、と思います。
言葉は「壊されてきた」かもしれないけれど、少なくともこの世界のどこかでは「尊くてポジティブな力めいたもの」を宿した言葉は生まれ続けているんだろうと思います。ただ、そういうものを鼻であしらう冷笑文化みたいなものが、特に言葉でのやり取りを中心とするネット上には根付いている感じがします。ネットの時代である今、そういった価値観はどんどん広まり、言葉のきちんとした受け取り手が十分に存在しなくなっているのかもしれません。そして何かを受け取ると同時に発信されるのはどんどん冷ややかな言葉になっていく。
”言葉には「降り積もる」という性質がある。放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる。そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく。”
きっと、言葉の扱いや扱う言葉に問題のある人間が増えたことで、言葉そのものに宿るものにも問題が増えている。そして人間は言葉を使ってものを考える生き物だから、そうした言葉で思考することによって、さらに言葉の扱い・扱う言葉に問題が生じていくんでしょう。
自分で使っている言葉はどうかと振り返ると、人に対しては結構気をつけているものの、自分に対しては降り積もらせたくない言葉を使ってしまっていることもあるなと思います。
せっかく降り積もるなら、生きるということを楽に、楽しくさせてくれる言葉がいいですよね、と自戒の念を込めて。
そしてこの本は、力のある優しい・勇気をくれるような言葉の紹介はもちろんなんですが、言葉の扱い方も教えてくれている気がします。
”田中美津さんの言葉(「いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの。」)と、「なんでもかんでも責任転嫁」という言葉と、ふたつを並べてみた時、自分が生きていくためにはどちらの言葉が必要だろう。もう少し踏み込んで言おう。もしも自分が苦しい思いを強いられた時、「自分で自分を殺さないための言葉」はどちらだろう。”
そして、想像力の使い方。
”「誰か」を憎悪するのにためらいのない社会は、「私」を憎悪するのにもためらいがないはずです。”
”誰かの一線を軽んじる社会は、最終的に、誰の一線も守らないのだから。”
「誰か」には「私自身」や「家族」「友人」もなりうるという想像力を働かせれば、自ずと人に対する自らの態度・用いる言葉も変わっていくのかもしれません。
Posted by ブクログ
まとまらない言葉を生きる
「言葉が壊されている」そんな危機感?焦燥感?を抱いた文学者が書いた本。
人の、主には障害者たちの生き様をのせた言葉、その言葉が出るに至った背景などのエピソードを紹介することで、何か簡単には言葉にできないはずのものが端的に効率よく要約されてしまう、という現象に抗っている。
心地よいのは、著者の言葉がとても平易であり、言葉を壊している人(あるいはそういう時代の趨勢のようなもの)への批判というより、自分の中に生じた違和感について深掘りしていくスタイルだということ。
個人的に印象的だったのは「障害者に生きる意味はない、という言葉に抗おうとすると、障がい者の生きる意味についての立証責任が生じるような気がしてしまう」という点。そうではなく、障害者と健常者(なるもの)が、共に生きられる社会について考えることが大事だと。そもそもだれかの生きる意味など、他人に解説されるものではないはずなのに、障害者に対してはそれをしてしまう、という指摘にも、確かにそうだと唸った。
それから、自分も医療業界にいる人間として、患者の人権を奪うような様々な事象を目の前で見るわけだが、それに対して言葉を用いて反駁しようとする(他人に共有しようとしまいと)という努力を失っていたと気付かされた。言語化するということは、そのことに自覚を促すことであり、無関心というダークサイドに流れ落ちるのを食い止める働きがあるように思う。
Posted by ブクログ
簡単にまとめられない言葉や感情、どうやっても伝えることができない、理解してもらえないだろうと思うことがままあります。
本書は言葉について注意深く繊細に語ろうと努力した本というふうに感じました。理解を求めるというよりかは、著者自身が出会って考えさせられたり、人生が変わっていくきっかけになったり、お守りになったりしたような言葉について書き留めている印象がありました。
p13何かをきれいにまとめようとすると、そこからスルリと落ちるものがある。(略)「伝えられることの総和」が目減りする。
p27「生きづらさ」の重さ比べをしても決して楽にならない。むしろ、結果的に「黙らせる圧力」を高めてしまうだけだ。(略)「黙らせる圧力」は黙っていても弱くはならない。これに抵抗するためには、ぼくたちは何か言葉を積み重ねていかなければならない。
p28ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたいが正常なのです。
p198「理不尽に抗う方法」をしらなければ、「理不尽な目にあう」ことに慣れてしまい、ゆくゆくは「自分がいま理不尽な目にあっている」ことにさえ気づけなくなる。
書き留めておきたい言葉が目白押しで、何か折れそうになったり、理不尽な目に遭ったときには思い起こしたい言葉ばかりでした。
このところ読んできた本とリンクするような内容で自分はそういう言葉を求めていたのかなと感じました。
第5章の「地域」と「隣近所」については、身内をグループホームへ入れたばかりの身として考えさせられました。
グループホームが街中にあれば「地域生活」になるのか。⋯確かにそういうことではないですね。
共生、交流、住み分け。この視点はないものでした。この視点を身内としては忘れないで見守らなくては、と思いました。
「希待」「生きた心地」「言葉の壊れ」考えるキーワードがてんこ盛り。
自分はあまり一度読んだ本を読み返さないですが、これは手元において時折読み返したい一冊です。
Posted by ブクログ
著者は文学者で、
「言葉が壊れてきた」と思うという問題意識からこの本を始めています。
著者は、「被抑圧者の自己表現」を専門としており、本書で交えられるのは、様々な障害者や、社会的弱者とされるような人たちに対して、あるいはそのような人たちから発せられる言葉やエピソードです。
2010年代以降特に、憎悪、侮蔑、暴力、差別に加担する言葉がやけに目に付くようになった、
そういった壊れた言葉に触れる場や頻度、スタイルが明らかに変わってきた、と危機感をもつ。