この本で紹介されていた、科学的な自己啓発書は読んでいきたい。「スタンフォードの自分を変える教室」、「EQ こころの知能指数」とか。。
位置: 143
人間なんてどうせすぐに死んでしまうのであるから、毀誉褒貶のことなど考えず、その日その日を、自分のダイモーンに恥ずることなく生きよ。たとえ特殊な才能がなくたって、真面目に、一生懸命、親切心をもって同胞に貢献しながら生きることはできる。何か不幸に見舞われたとしても、それは宇宙の計画のうちなので、その計画の中で、自分が果たすべき役割が回ってきただけなのだから、泣き言言わずにその役割を粛々と果たせ。そうやって生きている限り、恐れるものなど何もない
位置: 357
このときの経験から、コヴィーさんは「スキルを駆使して他人を変えようとしても意味がない」という悟りを得ます。他人はあくまで外部世界であって、自分の思い通りにはならない。自分の思い通りになるのは、自分だけ。しかし、自分自身の行動を改め、自分が変われば、それに伴って自分を取り巻く外部世界も変わり始める。換言すれば、自分自身(インサイド) の変革が、周囲の世界(アウトサイド) の変革につながるという発想です
位置: 369
①主体的である ②終わりを思い描くことから始める ③最優先事項を優先する ④Win-Winを考える ⑤まず理解に徹し、そして理解される ⑥シナジーを創り出す ⑦刃を研ぐ(=人間の4側面〔肉体・精神・知性・社会との関係〕のグレードアップ)
位置: 403
人間とは「過去の選択の産物」であると言っていい。しかし、この現実には希望的側面もあります。つまり、人間には自分の意志で「他の選択肢」を選び取ることもできる、ということです。 人間は他の動物とは異なって、刺激に対する反応を自分の意志で選べるのですから、その特権を活用すればいい。
位置: 407
では、具体的にはどうすればいいのか? この点について、まず自分の身に降りかかる事柄、あるいは自分が関心を持つ事柄の中で、「自分にコントロールできること」と「コントロールできないこと」を分けなさい、と、コヴィーさんは言います。で、自分にコントロールできること、コヴィーさんの言葉では「影響の輪の中にあるもの」については、主体的に働きかけ、自分の力で良い方に変えればいい。そのちょっとした一歩を踏み出すことによって、状況というのはどんどん変わっていく。
位置: 411
たとえば、天気が悪いと、気分が落ち込む。で、暗い顔をしていると、友人たちもどんどん離れていく、ということがあります。でも、それじゃダメ。天気は自分の意志では変えられないかもしれないけど、その代わりに、自分の頭の中に晴れやかな青空を思い浮かべることはできるでしょう。それは、あなたの選択の結果であるから、あなたの頭の中の青空は、誰にも奪うことができない。そして、その自分の中の快晴を見つめ、それに従って快活に行動すれば、あなたの周りにいる人までつられて…
位置: 417
これがインサイド・アウトの革命であり、主体的な選択をする生き方であると。結局、人間にとっての自由とは、究極的には「選択の自由」のことなのでしょう。
位置: 469
すなわち、「今、あなたが悩んでいるのは、悩んでいる方があなたにとって都合がいいからだ」と。アドラーの心理学では、ある人がある特異な行動をとるのは、その行動がその人にとって何らかのメリット(=目的) があるからと解釈するんですね。
位置: 474
また哲人は、人間の悩みというのはすべて対人関係のトラブルが原因であり、そのトラブルは「自分の課題」と「他者の課題」を混同することに起因すると喝破したアドラーの学説を基にし、青年が親の期待に応えようとしていたずらに苦しんでいることの無意味さを指摘します。
位置: 497
まず私が感心したのは、アドラーが「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と喝破しているところ。そんな馬鹿な、と私も最初は思いましたが、よくよく考えてみると、その通りではないかという気がしてくる。少なくとも、私自身に関してはその通りではないか。
位置: 499
加えて「対人関係が悩みになる理由は、人は誰しも『自分の課題』と『他人の課題』を混同するからだ」というアドラーの見立ても、ものすごい洞察だと私は思います。
位置: 501
さらに、その悩みがトラブルに発展するのは、トラブルを起こすことによって何らかの利を得ようとする当事者の戦略ゆえだ、というアドラーの考え方(=目的論) も、えげつないほど人間の真実を衝いている。
位置: 510
「怒る」という行為が一つの選択肢(それも災いを引き寄せがちな選択肢) に過ぎないのであれば、その選択肢はもう一生選ばないという風に覚悟を決めたんです。そしてその上で、自分は自分の課題だけを念頭に、今、ここに集中し、自分なりに世の中に貢献していこうと心に決めた──そしてそう決めた瞬間から、私の人生は大分楽になりました。
位置: 1,016
愛が成立するためには、関連する双方が独立した存在であり続けなければならない。愛の対象である相手は、自分とは異なる価値観を持った別個の存在であるということを、双方が認め合うのが大前提。そしてこのような独立した二人の関係の中で自分が成長し、かつ相手の成長も促し、互いに応援しあえるような関係になったとき、健全で充足的な愛が始まるんですね。
位置: 1,019
でも二人の関係がそうなるためには、双方にとって相当な自省と継続的な努力が必要となることは言うまでもありません。いわば愛とは訓練の賜物なのであって、そういう訓練を 厭わず続ける覚悟がなければ上手く行くはずがない。その意味で、人生と愛はまったく同じです。成功のポイントは、成長するための努力を厭わないということ。
位置: 1,023
かくしてペック先生は、愛というものに対し、「それは成長しようとする意志である」と定義する。
位置: 1,045
ペック先生曰く、人が精神病を発症する原因からすれば、地球上に暮らすほぼすべての人間が精神病になってもおかしくない。おかしくないのに、大半の人はそうならない。で、その「そうならない」理由がよく分からない、というわけ。事実、こんなひどい環境、こんなひどい親、こんなひどい成育歴を持っているのに、精神病にならないどころか、すごく健全な人間に育つ人はいるし、そんな人は決して少なくない。それは一体、なぜなのか。
位置: 1,049
その理由をずっと考え続けた結果、ペック先生が下した現時点での結論は、この世には「 恩寵」というものがあるのではないか、ということなんです。じゃあ、その恩寵が誰によって与えられているのかというと、それは分からない。
位置: 1,054
その恩寵は、どうやら人間の「無意識」を通じてもたらされるらしいと。で、この無意識を通じてもたらされる恩寵は、万人に開かれているのだけど、少なからぬ人はこの恩寵に抵抗する。なぜなら、人間は怠惰だから。
位置: 1,306
フランクリンの『自伝』に出世欲を 煽られたアメリカ中の若者たちの誰も彼もが懸命に自助努力を重ね、仕事に励んだ結果、アメリカの近代化が急ピッチで進むことになったように、福沢諭吉の『学問のすゝめ』が340万部の大ベストセラーになったことによって明治期の日本に一大出世ブームが巻き起こり、野心に燃えた若者たちが首都東京を目指して上京し、学問を積んで政界・産業界に飛び込んでいった結果、日本の急速な近代化が図られたわけですから、日本の急速な近代化は、自己啓発本によって成し遂げられたと言っても過言ではない。
位置: 1,646
すなわちデール・カーネギーが考える究極の「人付き合いのコツ」があります。何だと思います? それは「他人の長所を心から認め、惜しみなく褒めること」です。デールが長年に亘る人間関係学の研究を通して発見したのは、人間にとって最も大きな喜びとは「他人から認められること」だ、ということでした。
位置: 1,887
自己啓発本は、それがどのようなものであれ、たった一つのメッセージしか発信していません。そのメッセージとは、 あなたは世界を変えることはできない あなたに変えられるのはあなた自身だけ ただ、あなたが変われば、あなたを取り巻く世界は変わるというもの。
位置: 1,989
ん。「人には親切に」というのは、誰でも言うセリフですからね。そんなこと分かっているよ、という話です。だけど、後半部分がスゴイ。 「あなたが出会うすべての人々は大きな戦いのさなかにあるのだから」。うーん、そうか……。 「大きな戦い」と言うのは、要するに人生のことですよね。人生というのは、日々、戦いなのだから。
位置: 2,069
ロビンズのアドバイスの趣旨は、「人間は、思考というよりも、快・不快の感情で動くのだから、快・不快の感情を理性的にコントロールすることができるようになれば、おのずと自分の思考と実行力を自分で支配できるようになる」ということであって、そのこと自体は決して間違ってはいないと思います。
位置: 2,074
ロビンズ曰く、人間というのは、まずある感情が湧き起こって、その次にその感情を表現するための言葉遣いが浮かんでくるわけだけれども、もしその言葉遣いが貧弱なものであれば、結果、元となった感情も貧弱なものになってしまう。 また逆に言葉遣いを豊かにすれば、感情も豊かになり、またその感情への対処法もより精密なものになっていくはずだと。
位置: 2,085
また、言葉の使い方一つで、絶望的な状況を希望の持てるものに変えることもできる、と、ロビンズは言います。たとえば「もうダメだ。八方塞がりだ!」と言ってしまったら、それは確かにもうおしまいかもしれない。 だけど、そういう言葉遣いをせずに、「やれやれ、ちょっとばかり大きな宿題を抱えたようだが、頭をひねればなんとかなるだろう」と言い換えれば、同じ状況にもうまく対処できるかもしれない。 少なくとも、何とか対処してみよう、という気にはなるでしょう。だから、「感情をコントロールする手段として、言葉遣いに注目するのは非常に有効なのだ」と指摘するロビンズのアドバイスは、実際、とても有効だと私は思います。
位置: 2,135
上司は適切な説明もせず、部下が自分の思い通りに動くだろうと勝手に期待しがちだが、部下の方は自分が何をすればよいか明確に把握できず、結局、自分の判断でことを行い、それが上司の思っていたことと違う場合、その時点で られて意欲を失ってしまう。実際、そういうケースは実に多い。
位置: 2,138
1分間で読み上げられる程度に短くかつ明確な指示を紙に書き出し、その紙を部下と共有することで、双方了解の下、何をすべきかを確実に示すことが必要となる──これが本書の最初の教えです。
位置: 2,141
大体、いい感じで仕事が進んでいるなと思ったら、すぐに1分間だけ褒める。これが第二の「1分間褒める」という教え。
位置: 2,148
るのは部下の行動を るのであって、部下の人間性を るのではない。 だから、1分間 った後、必ずフォローして、「君の人間性についてはまったくOKである」ということをちゃんと伝える。これがり方の重要なところ。
位置: 2,191
ニューソートというのは、英語で書けば「new thought」、すなわち新しい考え方ということですが、ではニューソートが現れる前の古い考え方とは何かといいますと、これは伝統的なキリスト教の考え方のこと。
位置: 2,193
特に宗教的に純粋なピューリタンが建国したアメリカではカルヴァン主義と呼ばれる厳粛なキリスト教の考え方が広まっていましたから、絶対的な神の前では被造物たる人間など無価値なものでしかなく、また人が死んでから天国に行けるか、それとも地獄に落ちるかは神が定めた運命であるとされていました(予定説)。無論、このような宗教観の中では、人は自分の運命を神の恣意的な意志に委ねるほかなく、畏れの中でビクビクしながら生きていくしかなかった。
位置: 2,197
18世紀のスウェーデンにエマニュエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg, 1688-1772) という天才的な科学者兼神学者が現れたところから、状況は大きく変わっていきます。スウェーデンボルグは旧来のキリスト教教義を全否定し、それに代わって独自の聖書解釈に基づく斬新なキリスト教概念を打ち立てるんです。
位置: 2,200
スウェーデンボルグのキリスト教概念は、異端的ではあれ、真に画期的なものでした。そもそも神とはどのようなもので、どのような姿形をしているかという根本概念からして、スウェーデンボルグの神学は従来のキリスト教のそれとはまったく違います。
位置: 2,206
スウェーデンボルグ曰く、神の実体とは形のないもので、しかも宇宙に遍在するものであると。そして神はその形のない本体を使って宇宙を創造した。すなわち万物は神の一部ということになる。で、神がこのようなものであるという前提に立ちますと、人間もまた神の本体を分かち持つものであるわけですね。だから、無価値なものであるはずがない。否、それどころか人間の創造こそ神の究極の本願であり、神は自らの作った人間を深く愛している。
位置: 2,437
自分自身を改善するということは、 真の意味での自己犠牲を払うということにほかなりません。真の自己犠牲とは、心の中からあらゆる悪いものを取り払い、そこを良いものだけで満たそうとする作業です。
位置: 2,675
ではその行動とは何かと言えば、今いる場所で、今していることに全力を注ぐ、ということ。 もしあなたが社会人であるならば、今の職場でその日にできる仕事を最大限の熱意をもってやりなさいと。
位置: 2,927
クーエの自己暗示法の一番重要なポイントは、「努力をする必要はない」ということではありません。
位置: 2,987
しかし、そのことは逆に言えば、自己イメージさえ改善すれば、その人の人生そのものが改善されるということにもなる。 自己イメージの改善とは、要するに劣等感の排除、ですね。では、どうすれば自己イメージを改善し、劣等感を排除できるのか。この点に関し、マルツが勧めるのは、劣等感の元である「過去に失敗した自分」と「現在の自分」を別人と考えること。
位置: 2,993
しかし「失敗した自分」は「過去の自分」ですから、厳密に言えば「現在の自分」とは別人です。だから、「自分は(過去に) 失敗した」と認識するのはいいけれど、「だから自分は失敗者だ」と自己規定するのは正しくない。
位置: 3,376
心理学の第一勢力は、「行動主義心理学」です。行動主義心理学を説明するのに一番分かりやすいのは、例の「パブロフの犬」でしょうか。
位置: 3,379
行動主義心理学では動物が刺激に対してどういう反応をするかを観察することによって、動物の在り様を科学的に解明しようとします。で、行動主義心理学では人間も動物の一種と見なしますので、パブロフの犬の実験で得られた知見は、当然、人間にも当てはまると考える。「刺激に対してどういう反応を示すかを観察していけば、人間性の本質は分かる」というわけ。
位置: 3,405
さて、人間を対象に人間の本質を探る心理学ということになりますと、先行研究としてはフロイト流の精神分析学がドーンと存在しているわけでありまして、マズローの分類によれば、この精神分析学が心理学の第二勢力ということになります。
位置: 3,409
フロイト流の精神分析学が主な研究対象にしていたのが、精神の病を抱えた人たちだったから。 彼は病的な人間ではなく、健康な人間の研究がしたかったんです。
位置: 3,422
ドングリを適切な環境の中に植え、光と水を十分に与えてやれば、自然に発芽してぐんぐん育っていくように、人間もまた適切な環境の中に置いて育ててやれば、誰もが自分の内部にある善なるものを自然に発露しながら素直に成長していくはずだと。 で、このように内部にある善なるものをごく自然に発露していくことをマズローは「自己実現」と呼び、自己実現した人間のことを「自己実現者(self actualizer)」と呼んだんですね。
位置: 3,464
番目の欲求は何かと言いますと、「愛」です。これは男女の愛のことだけを言っているのではなく、もっと広い意味での同胞愛のこと。要するに「仲間が欲しくなる」ということですね。人間は一人では生きられませんから。で、「愛(=仲間) が欲しい」という欲求が満たされたとき、次にどんな欲求が生じて来るかというと、「尊重」です。
位置: 3,470
人間にとって5番目の、すなわち最高次の欲求である「自己実現欲」なんですね。「『なるべき自分』に何としてもなる」という欲求。これが満たされれば、その人は人間が抱き得るすべての欲を満たしたことになる。
位置: 3,484
アブラハム・マズローが『人間性の心理学』という本の中で唱えた「欲求5段階説」というのは、その根っこのところに「人間というのは、基本的に善なるものである」という信頼感がまずあって、その上でその素晴らしい個々の人間が、それぞれの内面の自然な発露によって「なるべき自分」になっていく(=自己実現していく)、その過程を説明するものだったんですね。 その意味で、マズローの提唱した「ヒューマニスティック心理学」は、極めて自己啓発的だと言っていい。
位置: 3,489
マズローの自己啓発思想における「自己」とは、単に一人の人間を指すだけのものではなかった、ということ。マズローは「なるべき自分になった人」、すなわち自己実現者が増えていけば、それは社会の形をも変えるだろうと考えていたんです。
位置: 3,501
だからマズローの思想というのは、短期的には個々人の幸福を考えるものであったとしても、究極的には社会改革の方向性を持っていたわけ。
位置: 3,534
チクセントミハイで、どういうときに人は幸せになるかということを考えて、彼なりの結論を得た。それによりますと──ここがマズローと違うところなのですけど──本当の幸せというのは、達成するものではないと。 目標を達成した瞬間にだけ訪れるものではない。そうではなくて、人間にとって幸せとは「過程」にある、と喝破した。
位置: 3,549
フローを得る可能性のある活動というのは、まずその活動の目標自体が明確で、それに挑戦する自分の能力がその目標達成へのチャレンジにふさわしいものである必要があるんですね。
位置: 3,572
もう、日常の生活にフローを持ち込むしかない──チクセントミハイが唱道するのは、そういうことです。 最もつまらないとされるような仕事ですら、そこに心的エネルギーを注ぎ込めば、それはフローになり得る、というのがチクセントミハイの考えです。 たとえばベルトコンベアーをつかった組み立て作業といった単純作業でさえも、やり様によってはフローする作業に変えることができる。どういう手順でやれば最も効率よく組み立てられるか、1分間に最高、何個組み立てられるか、などの自分なりの目標を持ち込めば、そういう作業ですら一つのチャレンジになると。
位置: 3,581
結局、人生というのは、もともとがカオスなんですね。当然、放っておいたらそれはカオスのままであって、意味も何もない。 だから重要なのは、そのカオスの中に積極的に意味を作り出すこと、なんです。それを作り出す過程と努力の中にこそ、人間の幸福はあると。だからこそ、幸せになりたかったらカオスに身をゆだねるのではなく、そこに意味を生み出しましょうと。
位置: 3,699
ダイアーは、人間の能力に大した差などないと主張しています。時間さえ十分にかければ、誰でもどんなことでもマスターできる。だから「私は算数・数学の勉強に十分な時間を割かなかった」というのは正しい言説かもしれないけれど、「私には算数・数学の才能はないんだ」と考えるのは誤り。自分の能力は、遺伝でもなければ他人から規定されるものではなく、自分自身で選択するものなんです。
位置: 3,719
「感情は常に選択の結果だ」と喝破すれば、今後、何かの折にむらむらとある感情が湧き起ってきたとき、その感情に身を任すか、それとも別な感情を選択するか、その判断ができるようになる。 で、その判断を基にして、常に自分本位の選択をしていけば、過去の過ちからも、未来への不安からも、他人の評価からも、また自分自身の感情からも自由になれるはず。
位置: 3,744
ダイアーの言う「自分本位の生き方」に、メリットが多いのも事実。となると、ケース・バイ・ケースで彼のアドバイスを部分的に取り入れる、というあたりが、この本の賢い使い道なんじゃないかと私は思います。実際、そのように割り切って考えれば、ダイアーのアドバイスには聞くべきところが沢山ある。特に「現在を生きろ」という主張と、「感情は選択できる」という主張に関しては、その通りだと思うし、もしそれを実行できたら、人生は大いに改善されると思う。
位置: 3,787
個人主義が広まると、「自分の生き方は自分で選べる」という自由が個人に与えられるようになります。無論、そのことはいいことでもあるのですが、この種の自由を人々が手にした途端、アメリカに「鬱の時代」がやってきた。 共同体のバックアップがないという状況において、個人としての人間は、人生における各種挫折を全部自分一人で引き受けなければならなくなる。その重荷が、多くのアメリカ人をして、鬱に陥らせていたんですね。
位置: 3,812
でも、こうした悲観主義者特有の説明スタイルは、もちろん後天的に学習したものですから、変えようと思えば変えられる。 悲観主義は克服できるんですね。本書の原題が Learned Optimism すなわち『学習された楽観主義』となっているのは、その意味です。つまり、楽観主義は学習によって後天的に身につけられると。
位置: 3,825
ただ、楽観主義で事を行なった結果、引き起こされる事態がさほど深刻なものでない限り、楽観主義でやった方が良いということは確実に言える。
位置: 3,888
本書でいう「強み」というのは、まさにそれです。「そうしないと気が済まない」とか、「どうしても、そういう行動をとってしまう」という類のこと。 だから、「強み」自体に良い/悪いはないんです。たとえば「頑固」というのは、その人の生来の気質であって、ひょっとすると悪いものかもしれないけれど、それを「強み」として職業に活かすことはできる。イギリスのチャーチル元首相だって、「わしは絶対にヒトラーの前に屈したりせん」という頑固さがあったから、ドイツに勝ったわけだし。
位置: 4,024
モラル・ライセンシングが発動しそうになったら、『そもそも私は何のためにこのような行動をとろうと考えたのか?』という、原点に戻るような問いを発しなさい」とアドバイスしています。
位置: 4,106
EQを5つの側面で捉えています。その5つとは、以下の通り。 (1)自分自身の感情をモニターできる能力 (2)感情を制御できる能力 (3)自分を動機づける能力 (4)他人の感情を認識する能力 (5)人間関係をうまく処理する能力
位置: 4,203
つまり、ネガティヴなこと1個につき、ポジティヴなことが3個もしくはそれ以上あった場合、人間の感情は上昇気流に乗り、どんどん積極的になれる。
位置: 4,219
だから、ネガティヴな感情の中でも悪い性質のもの──たとえば「ひがみ」とか「ねたみ」とか「委縮」とか、あるいは「嫌悪」とか「侮蔑」など──をなるべく減らすよう心掛け、その一方でポジティヴに物事を捉えることを心掛ければ、3対1の比率に近づけることは可能だ、と、バーバラさんは主張しております。
位置: 4,225
本書の中でバーバラさんが提唱しておられる方法は幾つかあって、「ネガティヴな感情に反論する」というのもその一つ。 これは「認知行動療法」と呼ばれるものだそうですが、たとえば「もうダメだ! 身の破滅だ!」というネガティヴな感情が湧き上がってきたら、即、冷静に反論する。「本当に、このことが身の破滅を引き起こすのか? そもそも身の破滅って、何?」
位置: 4,230
あと、今自分がやっていることに精神を集中させるというのも、ネガティヴ感情の闇に引き込まれることを防ぐという意味では相当良い方法らしい。
位置: 4,237
自分の得意なことは何かを知り、その得意なことを活かすようなことを考えるとか。
位置: 4,238
定期的に「親切デー」を作り、その日には他人に親切にすることを心掛ける、という方法もある。他人から親切にされるといい心持ちになることは言うまでもありませんが、逆に自分が他人に親切にすると、他人から親切にされたとき以上にポジティヴな気分になれるそうで、「親切デー」というのは、そのことをうまく利用した方法なんです。
位置: 4,249
悪いことはどうしたって起こるよ」という前提の上で、それでもポジティヴの比率を上げて、幸せになれるという可能性を提示したわけですから、方法論としてリアリティがあります。
位置: 4,475
プラトーを愛さなかったら、それはすなわち人生を愛さないというのと同意だと、レナードは言っております。 なんとなれば、人生というのは常に何かへの途上なのだから。
(「プラトー」:ここでは、練習や運動の進歩が一時的に停滞する状態:学習や練習を続けているにも関わらず、進歩が鈍くなる現象を指します)
位置: 4,510
まあ、「プラトーを愛せ、なぜならそれが人生だからだ」という一点については、世の(自助努力型) 自己啓発本の要点を一言で表現しているようなところがあって、それは評価できるんじゃないかと私は思います。
位置: 4,618
ヒッピー・ムーヴメントは、1968年をピークに尻すぼみとなります。カウンター・カルチャーは、既存の文化に対する破壊的対抗物ではあったものの、それ自体として自立する独自文化を建設することができなかった
位置: 4,620
1970年代に入り、ヒッピー・ムーヴメントに絶望したアメリカの若者たちは、無軌道な集団生活を通じて既存の価値観の「破壊」を図るのではなく、より個人的な「解脱」を追求するようになる。いわゆる「ミー・イズム」の誕生です。
位置: 4,622
ミー・イズムの登場と共に、社会全体を変えるとか、そういう大それたことは最早目指さないけれども、個人のレベルにおいて精神的な解脱をし、社会から超然とした存在になりたいという願望が生まれてきた
位置: 4,626
キリスト教以外のところに何らかの精神的拠り所を求める必要が生じるわけですが、そこで登場したのが東洋思想、すなわち「禅」なわけ。1970年代のアメリカでは、多くの元ヒッピーたちが、禅に精神的解放の方途を見出そうとしていたんですね。まあ、絶対に禅でなくてはならないということでは必ずしもないのですが、とにかく自分より一歩先に解脱して 涅槃 に到達したと思しき超越的指導者を求めていた。
位置: 4,989
アメリカでは第二次世界大戦後の1950年代になってから、女性の務めとは「良き妻/良き母」であることで、その活躍の場は家庭だ、という風潮が広まっていくんですね。
位置: 5,021
こうした「フロイト心理学」の結論、すなわち「女性の本来の道は家庭にあって、夫に従順に従い、子供を産むこと」という言説は、女性誌などによっても盛んに広められ、これが第二次世界大戦後のアメリカ人を、なかんづく女性たちを、「洗脳」してしまったと。
位置: 5,024
かくしてアメリカ1950年代も末頃になると、アメリカ女性の平均結婚年齢は20歳を下回るようになります。女性の大学進学率もドンドン落ちて、1920年には47%であったものが、1958年には35%にまで下がる。またせっかく大学に進学した女子学生も、1955年には60%が結婚を機に、あるいは結婚の邪魔になるという理由で、退学するようになっていく。
位置: 5,030
女性誌が主婦を持ち上げるのには、経済界の要請もあっただろう、とフリーダンは見ております。と言うのも、主婦はその家庭の主たる消費者だから。アメリカの購買力の実に75%が主婦の手にあるとなれば、主婦を家庭に閉じ込め、そこで彼女たちが感じる閉塞感を、モノを買う行為に昇華させようという企みが、アメリカの経済界に生じたのも当たり前。
位置: 5,285
その後1970年代に入ると、女性の社会進出の傾向が飛躍的に進むのですが……それに伴って女性の身に何が起こったと思います? 答え:女性の貧困が進んだ──です。女性が社会進出して、男性と同じように給料をもらうようになったのだから、女性はリッチになったのだろうと思うでしょ? でも、事実は逆です。
位置: 5,288
つまり、社会に出たのはいいけれど、やはり当時としては職場における性差別がひどくて、女性が外で働いて得られるサラリーは男性に比べて少なかったんです。 しかも同じ条件の男性社員と比べて出世も遅く、地位の面でも限界があった。いわゆる「ガラスの天井(グラス・シーリング)」という奴。
位置: 5,533
この「エゴ」というのが、人間の苦しみの素なんですね。でまたやっかいなことに、「エゴ」というのは、実に巧みな戦略をもって人間を陥れるのだと。
位置: 5,535
たとえば、エゴは人間の耳もとでささやいて、愛を「交換条件」に変えてしまう。「自分は相手のことをこんなに愛しているのだから、相手も同等の愛を返してくれて当然だ」という風に。こうなると、たちまち愛は束縛の泥試合になってしまって、自分も相手も苦しくなってくる。そうやって、本来美しいものであったはずの愛を、憎しみの素に変えてしまうわけ。
位置: 5,845
実際、エゴは「形との同一化」によって人を騙します。思考上の幻である「私」が、実存在の私と同一物であるかのように騙す。そしてその上でエゴの作り出す様々な幻想を、あたかも本当のものであるように思わせようとする。 たとえば思考上の「私」は、実存在たる私を、様々な抽象概念と同一化しようとします。「私は『男性』だ」とか、「私は『アメリカ人』だ」とかいう具合に。
位置: 5,850
私は会社でいい仕事をし、評価されている」とか、そういう過去や現在の名声とも同一化させようとするし、「いいクルマに乗っている」、「素敵なバッグを持っている」など、所有物との同一化もさせようとする。このように我々は、いわばエゴの差し金で、我々自身のストーリーを作り上げ、またそのストーリーを自ら信じて、「それこそが自分だ」と思ってしまうわけ。これが地獄の一丁目なんですね、トールに言わせると。
位置: 6,046
まず、お参りをする際、本書の(ガガさんの) 教えに従って、まずは自分の名前を名乗ってから、願い事をするわけですけれども、「自分の本当の願いって何だろう?」と考えるようになったんですね。
位置: 6,048
そうするとね、以前のように「仕事が上手く行きますように」とか「お金持ちになれますように」というようなことを最初に祈ることができなくなりました。そうではなくて、まずは自分の健康と家族の健康、そして親友たちの健康を祈るようになったんです。私と私の愛する人たちが、とにかく健康でいること──これが自分にとっての一番の願いであることに気づいたから。仕事が上手く行くとか、お金持ちになるというのは、そのことに比べたら二の次だということが、私にもようやくわかってきたと。
位置: 6,170
それから、現代アメリカでは「鎮痛剤」が万能薬のように用いられ、「痛み」を忌避する風潮が強いけれども、本来痛みというのは、人間にとって非常に有意義なものなのだ、ということ
(↑海外のゲームでのペイン・キラーの乱用は目に余ると常々感じていた)