貴堂嘉之の作品一覧
「貴堂嘉之」の「移民国家アメリカの歴史」「大学生がレイシズムに向き合って考えてみた【改訂版】――差別の「いま」を読み解くための入門書」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
「貴堂嘉之」の「移民国家アメリカの歴史」「大学生がレイシズムに向き合って考えてみた【改訂版】――差別の「いま」を読み解くための入門書」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
Posted by ブクログ
クレーブクール
アメリカの随筆家。フランスのノルマンディーの小貴族の子に生まれ,青年時代カナダに渡って,英仏の植民地抗争に加わったが,その後ニューヨーク植民地に移り,1765年市民権を取るとともに,アメリカ女性と結婚,買い求めた農園で,平和で牧歌的農耕生活を始めた。そうした自分の体験と見聞を基に《アメリカ農民の手紙》(1782)を書き,そこで〈アメリカ人,この新しい人間は何者か?〉という有名な問いを発し,新しい環境で新しい理念と社会制度に生きる〈新しい人間〉というアメリカ人像を主張することによって,この後繰り返し書かれるアメリカ論の原点となった。78年,独立革命の混乱のさなか,王党派を支持した彼はヨーロッパに戻り,彼の〈アメリカの夢〉はいったん破れることになるが,独立後は再びフランス領事として渡米し,米仏両国の友好関係の発展に尽力した。
貴堂 嘉之
(きどう よしゆき、1966年 - )は、日本の歴史学者。専門はアメリカ政治社会史など。一橋大学大学院社会学研究科長・教授。アメリカ学会清水博賞受賞。東京大学大学院総合文化研究科非常勤講師、日本アメリカ史学会運営委員会代表、同学会編集委員会代表、ジェンダー史学会代表理事を歴任。東京都生まれ[1]。1989年東京大学教養学部卒業。1992年東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻修士課程修了。1994年コロンビア大学大学院歴史学部博士課程中退、東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻博士課程中退[2]。1994年東京大学教養学部助手。1995年千葉大学文学部史学科専任講師。2000年同助教授、サンフランシスコ州立大学アジア系アメリカ人研究科客員研究員。2002年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻歴史社会研究分野(社会史アメリカ)助教授。2010年同教授。2012年から2013年及び2013年から2014年まで東京大学大学院総合文化研究科非常勤講師[2][1][3]。2020年一橋大学大学院社会学研究科長・社会学部長[4]、一橋大学ジェンダー社会科学研究センター共同代表[5]。専門はアメリカ合衆国の政治社会史などで、2003年度に日本アメリカ史学会運営委員会代表、2007年度から2008年度まで日本アメリカ史学会編集委員会代表を務めた。2012年には『アメリカ合衆国と中国人移民―歴史のなかの「移民国家」アメリカ―』で東京大学博士(学術)の学位を取得。2013年同書でアメリカ学会清水博賞を受賞[2][6][7]。2015年世界遺産検定1級[8]。2020年から2022年までジェンダー史学会代表理事を務めた[5]。
「また、九月五日には、オバマ政権が導入した移民救済制度 DACA ( Deferred Action for Childhood Arrivals) を、半年間の猶予期間を経て廃止する方針を打ち出した。 DACAとは、子どもの時に親に連れられて米国に来た「不法移民」の若者(「ドリーマー」と呼ばれる)に対して、強制国外退去を二年間延期し、就労許可を与えるもので、約八〇万人のドリーマーの立場がいま危うくなっている。トランプは、「私は愛情と思いやりで DACAを解決すると言ってきた。しかし、我々は、職がなく苦悩する忘れられたアメリカ人に対しても愛情と思いやりを持たねばならない」と主張し、 DACAの廃止を「アメリカ人のための雇用を取り戻す」公約の一環と位置づけた。 こうしてみてくると、トランプ大統領の移民政策は、たしかに、アメリカが長年築き上げてきた移民受け入れの根本ルールの改変を試み、移民・難民を世界中から遍く受け入れる「移民国家」という例外主義 ( Exceptionalism) 世界史においてアメリカが特別の使命を背負った例外的な国だとする考え からの脱却を目指す動きにも見て取れる。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「では、トランプ政権下で起こったこの移民国家アメリカの混乱ぶりは、日本からみてどう映っているのだろうか。幕末の黒船来航から今日まで、アメリカの動向に特別の眼差しを向けてきた日本人は、移民国家アメリカの歴史をどう理解し、何を学んできたのだろうか。 アメリカは言わずと知れた世界最大の移民受入国である。連邦政府が移民統計を取り始めた一八二〇年から二〇〇九年までの一〇年ごとの移民数を示した図 0‐ 2にあるように、約二〇〇年で移民総数はのべ約七五三六万人に達する。ハーバード大学の歴史家オスカー・ハンドリンは、アメリカ史の古典『根こそぎにされた者たち ( The Uprooted) 』(一九五一年)の冒頭で、「私はアメリカの移民の歴史を描こうとし、移民こそがアメリカ史そのものであることがわかった」と書いている。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「アメリカ史は長らくこの「移民の歴史 =アメリカ史」という等式を自明のものとし、移民が主役の国、アメリカは「抑圧されし者の避難所」という自画像を核心に据えてきた。昔も今も、「アメリカとは何か?」という究極の問いへの答えの一つは、移民が作り上げた「移民の国 ( a Nation of Immigrants) 」という例外主義的な国民国家像なのである。 日本でも、日系人史を中心にアメリカ移民史研究には豊かな蓄積がある。しかし、移民国家アメリカの全体像を見据えた歴史がどこまで研究され、学ばれているかと言えば、それはかなり断片的なものとの印象がある。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
貴堂嘉之先生の「移民国家アメリカの歴史」は、近代世界システム下でのグローバルな世界史として米国移民史を解き直す良書。
「筆者は高校世界史の教科書執筆に関わっているのでよくわかるが、教科書の場合、紙幅の関係もあり、書きたいことをすべて書き込めるわけではない。アメリカ合衆国がそもそもいつ「移民国家」となったのか。植民(者)、移民、奴隷、難民はそれぞれどう違うのか。独立宣言や合衆国憲法に謳われている自由や平等の理念と、移民国家としての成り立ちはどのようにつながっているのか。合衆国市民の市民権は法律上どのように定義づけられ、なぜ「出生地主義 ( jus soli) 」の原則が採用されるのか。こうした移民国家の根幹に関することは教科書では描けていない。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「学生たちに授業でアメリカ移民史を話していて常々感じるのは、トランプ政権下での移民問題をめぐるゴタゴタをむしろ反面教師のように捉え、日本政府が移民・難民の受け入れに厳格な政策を採ってきたことを評価し、移民国家アメリカの問題を自分たちとは切り離して、学生たちが理解しようとする傾向である。 しかし、一九九〇年の入管法改正以来、すでに日本は一三〇万人を超える実質的移民を受け入れてきており、多文化社会化は現在進行形である。現在まで、日本政府は移民政策を採らないとしつつ、外国人材を受け入れ続けているが、そうした社会統合政策を欠いた施策が今後も通用するとは思えない。かつては戦後ヨーロッパ諸国も、「私たちは移民国家ではない」と主張したものの、大量の出稼ぎ外国人労働者を受け入れ、その多くは労働契約が切れても帰国せず家族を呼び寄せ、定住する結果となった。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「筆者の立場をあらかじめ明確にしておけば、少子高齢化が進む日本社会は遅かれ早かれ、移民受け入れを宣言するときが必ず来ると考えている。国籍や人種、民族、ジェンダー、セクシュアリティなど、多種多様な背景をもつあらゆる人々が「共生」する日本社会をつくりだすには何が必要なのか。その共生の技法の学びにも、アメリカ移民史ほど豊かな気づきの機会を与えるものはないはずだ。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「もうひとつは、これまで神話化されてきた「移民国家」像を歴史的にしっかりと検証し直し、ヨーロッパ中心の「移民国家」論が前提としてきた「移民」概念や分析枠組みの問題点を修正するうえでも、アジア系移民史が重要な役割を果たすと考えているからである。 「移民国家」の神話とは何か。これについては第一章で詳述するが、一例として、ヨーロッパ人によるアメリカ文明論として知られている、ヘクター・クレヴクール(一七三五─一八一三)の『アメリカ農夫の手紙』(一七八二年)を取りあげておこう。 フランス貴族の家に生まれ、カナダを経てニューヨークに移住したクレヴクールは、アメリカで結婚し子どもをもうけた。独立戦争中にイギリスに渡り、アメリカ体験をもとにロンドンで出版したこの書簡集にて、彼は「ではアメリカ人、この新しい人間は、何者でしょうか」と問い、ヨーロッパの封建的な体制や伝統から解放された新しい自由の地で、すべての人々が一つに融け合う移民たちの社会的坩堝として、アメリカを描いた。 アメリカ移民史においては、この移民たちの楽観的な社会統合、すべての人々が同化しアメリカ化していくという見方を「クレヴクール神話」と呼ぶが、これがまさにアメリカ合衆国の「国民の物語」として長らく語り継がれてきたのである。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「ではアメリカ人、この新しい人間は、何者でしょうか。ヨーロッパ人でもなければ、ヨーロッパ人の子孫でもありません。したがって、他のどの国にも見られない不思議な混血です。私はこんな家族を知っていますが、祖父はイングランド人で、その妻はオランダ人、息子はフランス人の女性と結婚し、今いる四人の息子たちは四人とも国籍の違う妻を娶っています。偏見も生活様式も、昔のものはすべて放棄し、新しいものは、自分の受け入れてきた新しい生活様式、自分の従う新しい政府、自分の持っている新しい地位などから受け取ってゆく、そういう人がアメリカ人なのです。彼は、わが偉大なる「育ての母」の広い膝に抱かれることによってアメリカ人となるのです。ここでは、あらゆる国々からきた個人が融けあい、一つの新しい人種となっているのですから、彼らの労働と子孫はいつの日かこの世界に偉大な変化をもたらすでしょう。 (『アメリカ農夫の手紙』第三の手紙、一七八二年)」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「物語の最後で、主人公が安アパートの屋上から自由の女神を眺めつつ口にするのが、「坩堝」という言葉である。「アメリカは神の坩堝」、「ヨーロッパのあらゆる人種が融けあい、再形成される偉大な坩堝。 ドイツ人もフランス人も、アイルランド人もイギリス人も、ユダヤ人もロシア人も、すべて坩堝のなかに溶け込んでしまう。神がアメリカを造っているのだ」と。 序章でふれたフランス人作家クレヴクールの『アメリカ農夫の手紙』(一七八二年)が、同じ坩堝論に連なる古典として読み直され、注目を浴びたのは、まさにこの時期のことである。また坩堝論の系譜でもう一人忘れてはならないのは、『アメリカ史におけるフロンティアの意義』(一八九三年)で有名な歴史家、フレデリック・ジャクソン・ターナー(一八六一─一九三二)である。 ターナーは、フロンティアでこそ、アメリカ独自の個人主義、機会の平等、デモクラシーが生まれたと唱え、「フロンティアはアメリカ人にとって、複合的な国民性の形成を促した。 フロンティアの坩堝 ( Crucible) のなかで、移民はアメリカ化され、解放され、国民性も特性もイギリス人とは異なった人種へと融合されていった」と主張した。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「こうして世紀転換期に登場する「坩堝」という国民統合の比喩の系譜をたどることができるが、序章でも指摘したとおり、坩堝に参入できる集団はヨーロッパ系白人に常に限定されていた。南北戦争から半世紀が経ち、人種隔離体制が完成するこの時期に、南北戦争は「奴隷解放のための戦争」の意義を失い、「白人同士の兄弟喧嘩」へと読み換えられ、退役軍人らによる南北和解が急速に進んだ。この南部白人と北部白人の和解がヨーロッパ系移民を含む白人限定の「坩堝」論の受容を後押しし、新たな国民創生の物語を誕生させた。それが、一九一五年に公開された大人気映画『国民の創生』( D・ W・グリフィス監督)である。クー・クラックス・クランが救世主となり国家が再生されるという、史実にもとづかぬ偽史に、国民は熱狂したのである。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「国民的詩人となったラザラスの詩への賞賛は、自由の女神像の人気とも連動した。自由の女神像の来訪者は一九四〇年以降に急増し、ブームは戦後にまで続いた。エリス島の連邦入国審査施設が役割を終えて閉鎖された一九五四年当時でも、およそ八〇万人の来訪者があった。女神像の足下には国立移民博物館の建設計画が進められ、数年後にこの博物館は完成し、名実ともに移民国家アメリカの象徴として、移民出自の国民の記憶を公式に管理する場となった。 第二次世界大戦後ふたたび移民の波がアメリカに押し寄せてくると、一九六五年、リンドン・ジョンソン大統領は、ラザラスの「新しい巨像」の理想に忠実たらんと、それまでの移民制限を撤廃する。彼は自由の女神像の下で新法案に署名し、ラザラスの詩にふれ、「その最も素晴らしい伝統」に立ち返ると宣言したのであった(第五章参照)。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「ケネディによる移民史の出版企画は、全米最大のユダヤ人団体、名誉毀損防止同盟 ( Anti -Defamation League) が執筆を持ちかけたことで始まった。その際、ハンドリンにも声がかかり、ハンドリンは自分の教え子のアーサー・マンに下書きを依頼したため、『移民の国』はハンドリン流の移民史が下敷きとなっているのだ。 ケネディの『移民の国』は、全七章からなる壮大な移民叙事詩であるといえよう。ちなみに、ハンドリンの『根こそぎにされた者たち』の副題は「アメリカ国民を作った大移住の叙事詩」である。『移民の国』は、移民の「貢献」がアメリカを作ったという論点を柱にして、アメリカが世界的にもめずらしい平等社会であることの要因として移民国家を指摘したアレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』(一八三五、四〇年)や、アメリカを代表する詩人ホイットマンの「諸国民からなる国民」の引用など、これでもかとアメリカ論、文化論で立論を補強する。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「人が国境を越えて移動することは、人類の歴史上、日常的に繰り返されてきた。世界史上、この人の移動が本格化し、大洋を渡るようになったのは、一五─一六世紀の大航海時代に入ってからのことである。その後、すでに各海域に形成されていた航路をつなぎあわせながら、ヨーロッパ資本主義のグローバルな拡大、いわゆる「近代世界システム」の展開があり、ヒト・モノ・カネの流通網が形成され、それら流通網の拠点に領事館などの外交施設が開設されていき、近代的な外交関係が成立していった。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「ただし、サンフランシスコではもともと人種・エスニシティ別の棲み分けがあまりなされることなく、階級別に分化が進んだとされる。唯一、弁髪をたらし本国での暮らしを再現した生活を送るチャイナタウンだけが、異彩を放っていたといわれる。それ以外は、市を二分する大通りであるマーケット街の南側に貧しい労働者階級の混住地区が形成され、富裕層は丘の上のノブ・ヒル地区という具合に棲み分けが行われた。 このノブ・ヒル地区に大邸宅を構えたのは、大陸横断鉄道の建設で巨万の富を得た、「ビッグ 4」と呼ばれるスタンフォードらであった。ちなみに、この地区はチャイナタウンの西側に隣接する地域であり、この富裕層が住むノブ・ヒル地区の大邸宅と、対照的なチャイナタウンの阿片窟などをめぐるスラミング(スラム街をまわる観光)がサンフランシスコ観光の定番となった。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「共和党急進派の政治思想は、自由労働イデオロギーや独立宣言にもとづく自然権思想、平等主義に則っていた。万人が「自由人の有する自然権」を有するとの憲法論を展開し、独立宣言に謳われている「生命、自由、および幸福の追求」の権利をすべての人に基本的人権として保障する、普遍的な権利保障を目指したのである。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「戦後社会における日系人の社会的上昇において、この二世兵士の功績が果たした役割は決して小さくないものの、勲章に飾られた軍服を着た日系人とその家族にとって、第二次大戦とは何であったのか。戦場の英雄ダニエル・イノウエは、ハワイへの帰路、立ち寄ったサンフランシスコで理髪店に入り、亭主に「ジャップの髪は切らないよ」と言われ、本土の戦友の行く末を案じた。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「 「移民の国」アメリカは、長らく移民法上は、「難民」と「移民」を区別せずにきた。ピルグリム・ファーザーズについては第一章で取りあげたが、宗教的迫害を逃れ信仰の自由を求めてアメリカにやってきた彼らは、「移民」というよりは「亡命者」や「難民」と位置づけられる存在である。また、自由の女神像の台座に刻まれたユダヤ系の詩人エマ・ラザラスの詩では、自由の女神像は「亡命者の母 ( mother of exile) 」と呼ばれ、政治的・宗教的迫害から逃れてきたすべての人々の避難所とアメリカを位置づけていることも、すでに第一章で述べた。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「 戦後のアジア系移民の歴史は、たしかに全体としては、主流社会からの偏見を克服し、社会的成功を勝ち取る「成功物語」としての側面を持っている。白人層よりも平均所得が高い日系人はその象徴であり、「モデル・マイノリティ」としてステレオタイプ化されたことはすでに述べた。 しかし、アジア系アメリカ人を十把ひとからげに成功者として捉えるのには無理がある。インドシナ難民はみな全米平均より貧困率が高く、とりわけモン系は最貧層に位置している。「不法移民」はヒスパニックばかりでなく、その一〇─一一%はアジア系だということも忘れてはならない。「アジア系」とは誰なのか。その問いは、常にアジアの戦後の映し鏡なのであり、彼ら抜きに、移民国家アメリカは語れない。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「一九六五年移民法改正後のアジア系移民が急増する第二幕の歴史までみたところで、もう一度、二〇世紀初頭に登場した「坩堝」論に って、その後の国民統合モデルを整理しておこう。 第一章で詳説したように、「坩堝」論とは同化主義を基本とする枠組みで、移民たちがヨーロッパから持ち込んだ民族性を捨て去り、「単一のアメリカ」へと移行するモデルである。しかし、「新移民」の大波を迎え入れた米社会には、エスニックな文化を肯定的に評価する文化多元主義 ( pluralism) が登場する。この思想を米社会に広く知らしめたのは、ユダヤ系哲学者ホレース・カレン(一八八二─一九七四)である。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「カレンは、一九一五年に発表した論文「民主主義対坩堝 米国国民性の研究」で、民主主義は文化の尊重を保証するものであるとし、「アングロ・コンフォーミティ」や「坩堝」の同化論モデルを牽制し、移民の非同化を攻撃する移民排斥運動を批判した。彼は、移民集団をオーケストラの楽器に喩え、異なった音色を持つ楽器(エスニックな文化の固有性)がメロディを奏でて全体として美しい交響曲( =アメリカ)が生まれるように、移民は母語や民族文化を捨て去る必要はなく、それぞれの文化を保ちながら、アメリカニズムという主流社会のイデオロギーで統一されるのだとした。これに類似したモデルが、個々の野菜が素材としての味を維持しながら、全体として「サラダ」( =アメリカ人)ができあがるとするサラダボウル論である。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
「ユダヤ教では、まず神の絶対的な戒律としての律法があり、それを犯す人間の律法違反の罪がある。そして、そのような罪の贖い(ゆるし)のためには、供犠が必要となる。供犠とは、簡単に言えば「生け贄」のことである。そうした生け贄を神に差し出して、自分たちが犯した罪に対する罰を代理して受けてもらい、その代わりに自分たちは神からの罪のゆるしをもらう。こうした贖罪論は現代のキリスト教会でも広く共有されているが、もともとは律法違反の罪の贖いをめぐるユダヤ教の法律的な議論であった。 ユダヤ教における律法違反の罪とは、厳密に言うと、一つ、二つと数え上げることができる複数の「罪々」である。それらの「罪々」を贖うために、何らかの供犠、代償が必要とされる。旧約聖書によれば、人間の「罪々」は、贖罪の儀式のなかで子牛や山羊の血を神殿の祭壇に振りかけることによって贖われる。たとえば、旧約聖書の〈レビ記〉では、そのような儀式の次第が事細かに述べられている(とくに 16章 11─15節)。イエスが十字架上で流した血を「究極の代償」として理解する「イエスの贖罪」という考え方は、こうしたユダヤ教の贖罪論の延長線上にある。」
—『パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)』青野 太潮著
「アジア系で最も著名な政治家は、これまでにも言及してきたハワイ州選出で元四四二部隊のダニエル・イノウエであろう。連邦議会で五〇年近く議員を務めたイノウエは、ウォーターゲート事件追及の陣頭指揮をとるなど、民主党上院の重鎮議員として活躍した。二〇一二年に八八歳で亡くなったが、ハワイで育ったオバマ大統領は弔辞で、マイノリティである自分が政治の道へと進むきっかけを与えてくれた人物だったと語っている。二〇一七年四月より、ホノルル国際空港は「ダニエル・ K・イノウエ国際空港」へと名称変更されたことも付言しておこう。 政界に進出しているアジア系は、日系、中国系、インド系だけではなく、モン族出身者、ラオス出身者、ベトナム出身者からも、若手政治家が生まれてきている。 マイノリティの人権を擁護し、社会正義を追求する社会運動においても、アジア系アメリカ人の活躍はめざましい。序章でも取りあげたフレッド・コレマツは、アメリカで最も名の知れた市民権活動家の一人である。」
—『移民国家アメリカの歴史 (岩波新書)』貴堂 嘉之著
Posted by ブクログ
「今」全ての日本人が読むべき本だと思った。
内容はタイトル通り、もちろん「ヘイトに抗するアメリカ史」である。
なぜトランプ元大統領が一部のアメリカ人に熱狂的に支持されたのか?逆差別は本当に差別なのか?BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動について、移民問題について、ヘイトはなぜこんなにも根強いのか?…などなど、ニュースでよく見る、けどなぜそんな運動が起こっているのか深くはわからない、そんな疑問だらけのアメリカ史におけるさまざまな問題を、アメリカ史に詳しい専門家たちがさまざまな視点から詳しく、分かりやすく論じる。
このさまざまな視点から「ヘイトに抗するアメリカ史」について学べるのが本書の良い点の一つである。
そして、ヘイト問題…人種差別などはアメリカなど、日本人の感覚としては遠くの別の国で起こっていることだと思いがちだ。が、そんなことはない。
日本人は差別をしていないのか?日本に蔓延る無意識の差別についても、論じられている。
そして長い歴史の中で、アメリカは日本にとって切り離せない重要な存在である。アメリカ史と日本史におけるヘイトについて同時に考えることはとても重要なことだ。
そこが全日本人に本書を読んでほしい理由である。
「今」読んでほしい理由は、本書が今年の4月に出版されたばかりで日々移り変わる歴史の最先端まで取り上げて論じられるからである。
トランプ政権の4年間についてはもちろん、現バイデン政権についてなど、本書に出てくる事例は百年以上過去のものから、ほんの最近までニュース取り上げられているものまで。幅広く考察を促してくる。
最後に本書の良い点をあげると、読みやすいということである。
教科書のつもりで書いた、ぜひこの分野を学ぶ高校生などにも読んでほしいといったメッセージがあり、非常に読者に読んでもらおう、そしてこれらの問題について考えてもらおうという強い願いが込められている。
ニュースやネットで話題になった身近な問題を取り上げており、(少なくとも私には)そんなことになっているとは知らなかった!な事実が述べられており、これは知っておかなくちゃ、と食い入るように読み込んだ。
各章の最後には、執筆者による論題にまつわる「読書案内」と「ディスカッションポイント」が載っている。読書案内により、執筆者が紹介する他の書物からさらに多くの情報を得ることができ、ディスカッションによりさらに理解を深められる。読書会を開いたり学校の授業に取り入れたりしてディスカッションすれば、とても有意義だろう。
本書においてのカギは「人種」「民族」「国籍」といった概念であり、視点であるという。
改めてこのカギを胸に、章ごとに少し要約と感想、もしくは引用を、書けるところだけ書いていこうと思う。(読んでからしばらくして書いたので記憶がかなり薄れている部分があり、また散文だが容赦願いたい。備忘録がてらなので。)
…本書を読んで思ったことは、よくネットやテレビで「日本は遅れている」というが、本当に日本だけが遅れているのだろうか?ということだ。
もちろん遅れていると思う部分はある。だが、進んでいるとされている国は本当に進んでいるのか?嫌なところに目を瞑らずに誠実に取り組んでいると言える国はどれほどあるのだろうか?と思った。
もうすぐ日本では選挙が始まる。少しでも「進んでいる」国に…シーソーが平らになる国になるために、私たちに何ができるだろう?
序 「ヘイト」の構造を歴史的に問い直すために
兼子歩(明治大学准教授)
アメリカ社会におけるマジョリティの人々は、それ相応の権力や機会やリソースを獲得する当然の資格(エンタイトルメント)があると思っている。
それが得られないとき、彼らにとって恩恵を得る資格なき者(非白人、移民や難民申請者、フェミニスト、LGBTQ、アジア諸国など)によって奪われたと思い、自分たちが「被害者」だと認識する。
このマジョリティ側が抱くエンタイトルメントの感覚は歴史的に培われたものである。その感覚の正当性を歴史的に、そして批判的に検証していく。
第1章 差別と「逆差別」は同じ差別なのか?
――誰が誰をどのような力で抑圧しているのかを見極める
大森一輝(北海学園大学教授)
権力構造ー差別される弱き立場の人々と、無意識に恩恵に預かっているマジョリティの人々ーを、シーソーで表現している。
弱い人々は実にたくさんいて、シーソーの片側は常に地面にめり込んでいる。立場が強くなるほど人数は少なくなり、シーソーのもう片方は常に上がっている。
シーソーはこの状態からなかなか変わることがてきず、下の人々は上に這い上がることができない。
さて、この前提のうえでマイノリティを助ける制度を作ることは「差別」になり得るのか?
たとえば富裕層がお金の力で大学に入ることにはそんなに批判が出ないが、マイノリティが入学できるよう枠を作ると批判が出る…
シーソーを平らにするにはどうしたらいいのだろう?
これはアメリカでも言えることだが、日本でもいまだ少なくなく起きていることだと思う。
ちなみに私が中学生の時通っていた塾の講師は、「お前は男女差別なんかされたことないだろう?」と言った。当時はなんともいえないモヤモヤだけで言語化できなかっが、今なら差別はある。と根拠を持って言えるかもしれない。
第2章 ともに生き延びるということ
――不可視化の暴力と先住民族の抵抗
石山徳子(明治大学教授)
つい去年の話、「スッキリ」という番組でアイヌ民族に対する差別発言があったという報道は、まだ記憶に新しいのではないだろうか。
私は報道で後から事情を知ったが、リアルタイムで番組を見ていた人は、どう感じたか思い出してほしい。
実際にアイヌ民族に対して「犬だ」などと差別・揶揄していた歴史があり、そのことを思い出して辛くなったという男性の声も本書には載せられている。
アメリカ史に話を移すと、アメリカやカナダなどは、元々先住民がいた所を侵略し国家を築いた歴史がある。「セトラー・コロニアリズム」、入植者植民地主義などと訳されるこの言葉。
定住した侵略者はどこにもいかず、先住民への支配と抑圧は今なお続いている。
この状況で先住民たちへの保障や贖いはどうすればいいのか。目を背けてはならない問題だ。
第3章 黒人奴隷制の歴史を問い直す ――奴隷制と人種資本主義の世界史
貴堂嘉之(一橋大学教授)
奴隷制や奴隷の歴史を紐解くのはなかなか難しい。
本章では、アメリカ合衆国の一六一九プロジェクト・奴隷制と啓蒙思想家たち・奴隷制の世界史・人種資本主義という視座・現代奴隷制への架橋、という題材を扱い理解を深めていく。
第4章 負けた戦争の記憶
――南北戦争後の南部における「失われた大義」と人種・ジェンダー・階級
兼子歩(明治大学准教授)
南北戦争の歴史について、南側の男たちの、戦争によって失われた「男らしさ」についてなどが印象に残った。
第5章 記憶の抑圧と歴史の書き換え ――タルサ人種虐殺を例に
坂下史子(立命館大学教授)
1921年のタルサ人種虐殺について、本書で初めて知り衝撃を受けた。タルサは地名で、その辺りは黒人のウォール街と呼ばれ栄えていたという。白人暴徒がそのグリーンウッド地区を襲撃し、たくさんの黒人が虐殺され、地区は焦土と化した。さらに驚くべきは、2021年にバイデン大統領が初めて暴動ではなく虐殺だと認めた点だ。
実に百年。それまで誰も虐殺とは認めなかったのだ。実際当時黒人たちを殺した白人に特に重いお咎めはなかったらしい。タルサ人種虐殺にいたるまでの背景などを本章では解説してくれている。
記憶の抑圧と歴史の書き換えーそれは現在進行形でいろいろな形で行われている。これを阻止するためには、事実を知り、忘れないで声を上げ続けることなのかもしれない。
第6章 「ヘイト」の時代の「アメリカ・ファースト」
──排外主義への誘惑
南修平(専修大学教授)
○○ファーストと言えば、私が最近(といっても割と前だが)聞いたのは都民ファーストという言葉だろうか。
○○ファーストという言葉は極めて利便性が高いとある。
なるほど、たしかにファーストと呼ばれた人たちは自分たちを特に認められた気分になって政治家にとって操りやすいものになるだろう。
本章では、アメリカ・ファーストと叫ばれた時代とその経緯について論じている。
読み終わって改めてこの○○ファーストという言葉のそれ以外に目を向けない排他的な感じに、違和を覚えた。
第7章 アジア系ヘイトの歴史と現在 ――コロナ黄禍論とアジア系の体験から見るアメリカ社会
和泉真澄(同志社大学教授)
コロナ禍社会となってもう2年ほど経つが、コロナ流行当初は、アジア人差別が欧米で苛烈化したのはまだ最近のことのように思い出せる。
トランプ元大統領がそれを差別的に流布したのも。
日本人である私もアジア系民族として、見逃せない章。
第8章 刑罰国家化時代の移民行政 ――「非合法外国人」と「外国人犯罪者」という移民像
佐原彩子(共立女子大学准教授)
名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事件はまだまだ記憶に新しいし、ニュースで見た時の憤りの気持ちもまだ残っている。
移民や外国人は犯罪を起こしがちである、という見方は、アメリカでも日本でも根強い。
この認識を国家レベルで見直していかないとウィシュマさんのような悲劇はたくさん繰り返されるだろう。
第9章 辺境都市から先進都市へ
――グローバリズム時代のオレゴン州ポートランドとその歴史的背景
土田映子(北海道大学准教授)
知らなかったし、あまり馴染みのない地域なのだが、オレゴン州は黒人人口がかなり低いー歴史上、黒人が排他されてきた地域らしい(少しずつ増えてはいるとのこと)。
そして黒人以上に、アジア系移民は異物的存在であったようだ。その立場から今アメリカで暮らしている彼らのことを思うと頭が下がる。
日系アメリカ人など、イメージはあるが朧なのでもっとちゃんと知っていきたいと思う。
第10章 クオータはなぜ嫌われるのか ――割当と平等をめぐるアメリカ現代史
南川文里(同志社大学教授)
まず章題を見て思ったのは、クオータって何?だった。クォーターではないらしい。
クオータとは、何らかの選抜を行う際に、マイノリティや不利な立場にある集団を対象に、一定数の割合を用意するしくみを指している。とのこと。
なるほど、イメージが掴めた。たしかにクオータは日本でも嫌われている…容易に誹謗中傷を受ける所を想像できてしまうくらいだ。
アメリカでもどうやら評判はよくないらしい。この辺りは一章の逆差別の概念と通ずるものがあるのか?
クオータにどのような印象を持っているか、どのようなクオータなら受け入れられるか、調査データと共にクオータへの感情について論じられている。
第11章 ミレニアルズとZ世代 ――あらたな世代政治の誕生とアメリカ社会
梅﨑透(フェリス女学院教授)
日本でも団塊世代やゆとり世代など、なんちゃら世代と名称があるが、アメリカにもあるらしい。
初めて知った。ベビーブーマーズ世代とかサイレント世代とか、章題にあるミレニアルズ世代とかZ世代とか(Z世代はいつのまにか日本でも呼ばれるようになったなぁいつからだっけ?)。
世代ごとの特徴や、いまこの新たな世代はアメリカで何をしようとしているのか。
少し希望が見えた、気がする。それを繋ぎ止める努力はいるよね。
第12章 国際人権レジームとアメリカ例外主義 ――国際人権の歴史のなかのアメリカ、そして日本
小阪裕城(釧路公立大学講師)
今回、本章はちょっと私には難しくて(時間もなかったので)途中リタイア。また機会を作って読みたいところ。
第13章 アメリカ人権外交の欺瞞 ――不可視化されてきたアメリカの暴力
三牧聖子(同志社大学准教授)
「あなた方に彼を助けてくれるようお願いします。あなた方に私を助けてくれるようお願いします。
あなた方に私たちを助けてくれるようお願いします。あなた方に私たちアメリカの黒人を助けてくれるようお願いします。」
冒頭のこの文章で息が止まった。
ミネアポリスの警官によって殺害されたジョージ・フロイドの弟フィロニスによる訴えらしい。
アメリカでは黒人への警官からの暴力・殺人が多いとは聞いていたが、こうして真に迫った訴えをきくと、何も知らなかったことを自覚させられる。
アメリカは中国ウイグル自治区について人権侵害だと訴えたが、中国からはアメリカだって人のこと言えないじゃないかダブスタだ(意訳)と返されたらしい。
どっちもどっちで嫌気がさすが、日本も外国人実習生の扱いなどを見ると、例外でないことにも嫌気がさす。(ちなみにウイグルの事に関しては批判すべきだと強く思っている。いや全部だわ。)
つまり、強引にまとめると他人事ではない。
さらにアメリカはイスラエルを支援しているが、BLM運動が高まる中、イスラエル警官がパレスチナ人を不当に殺した。
またテロとの戦いにドローンを使っているが(核なき戦いを訴えたオバマ政権時も)、そのドローンによりアフガンなどで民間人が亡くなっていて一応謝ってはいるが、止める気はないらしい。
うーむ。
第14章 声を上げる理由・耳を傾ける理由 ――被爆者運動と日本社会
川口悠子(法政大学教授)
一番読んでほしい章。
最後には、太平洋戦争時に、日本に原爆が落とされたことについて。そして原爆被害者が声を上げ続ける理由について。
しかし、原爆に関しては被害者であるが、日本人もまた、アジア圏での民間人の虐殺などを働いた罪を背負う加害者でもある。
本章で引用されていた、栗原貞子による「生ましめんかな」という原爆の悲惨さをうたった詩に衝撃を受けた。
またその詩をうたった栗原は当初被害者の立場からベトナム戦争に反対していたが、国際会議に出席した知人から「韓国の人たちや東南アジアの人たち」から「ほんとうに目の前で」、「日本にもう一度原爆が落ちればいいんだ」と言われたことを聞き、「ほんとうに衝撃を受けた」そうだ。
実際にこうやってきくと(薄々そう思われても仕方ないと思っていたので)衝撃を受けるほどじゃないけど、やはり胸にくる。読みながら申し訳ないと思った。
衝撃を受けた栗原は日本の加害性に目を向け、「軍都広島の市民として侵略戦争に協力した加害者としての自身の責任を問う」作品として「ヒロシマというとき」という詩を書いた。
この内容もまた衝撃的である。「わたしたちの汚れた手を/きよめねばならない」。この詩人の詩集あるか調べて、あったら読んでみようかな。
また日本は非核三原則を掲げながら、核兵器を搭載した米軍艦船が日本を通過することを密かに認めていたうえに核を保持しないという規約に調印していないとのこと。これは衝撃的だった。一片も予想だにしていなかった自分が愚かだと思った。詳しく事実を見ていきたいところである。
原発も3.11からそれなりに経って、結局多く稼働している現状を見ると、仕方ないにしてもこの国はなんだろう、と無力感に苛まれる。
どうしたらいいのだろう。