先ずタイトルに触れねば…。
閨=寝室。厨=厨房、台所。の意味。
このタイトルに惹かれ、中身をパラパラ。いかにも大手広告代理店の女性コピーライターが付けそうなケレン味溢れるタイトル。プロフィールを見ると編集者。見立てはそうズレてない。そんな第一印象を抱き、読み始めた。
この随筆には、著者の様々な貌(かお) が登場する。
妻の、母の、働く女の『貌』。
笑い、泣き、怒りの『貌』。
女同士だから見せる『貌』。
時間によって移ろう『貌』。
様々な貌に去来する思いを練達な文章で綴る。そこには書く上での『マイルール』を課しているかのような強い矜持を感じる。
独善的なポエムや情緒過多には強い恥じらい、ポジショニングトークを頑として慎み、感情の発露にはアクセルとブレーキを巧みに踏み分けながら、絶妙に寸止めを利かせている。
実にええ塩梅な筆致にずんずん引き込まれ、読み終えた時には唸った箇所のページを折り込んだ、ちっちゃな三角形がたくさんできていた。
そのひとつを紹介すると…
〈夜半のひとり酒の情景描写〉
ひと口ぶんを砕いて前歯で甘噛みし、両手が空いた隙にワイングラスを取り出して、シャルドネ を注ぐ。パルミジャーノを左手に持ち替えたらシンク に寄りかかって、立ったままつぅと口に 含む。ダイニングチェアまでは四歩、さらに四歩ゆけば畳がある。しかし、その数歩がもどかしい。かじるという行為には、考えごとが似合う。箸もフォークも持たず、欠片を削り出し歯を立てている寄る辺なさが、短い夜の止まり木に、ちょうどいいのだ。
事象と心象の見事にクロスオーバーしている表現。
編集者という職業から得たものに加え、今風の言葉を借りるなら『意識高い系』であるからこそ感応・観察・洞察・想像を駆使し、心の動きを盛り込んだ情景描写へと昇華している。
向田邦子の文章が好きというだけあって、端々に憧れ感が漂う。山本夏彦に『突然現れてほとんど名人』と言わしめた向田邦子。庶民的なことを書いているのに、じゃあ庶民的かといえばそうでない凛とした佇まいがある。自立した生き方、暮らし方、人との距離感…といったところにほんのりとした『品の良さ』がまぶされている。
随筆の正体は『自慢話をひけらかすこと』と喝破したのは井上ひさし。確かにそういう面もある。
本書の中で語るライフスタイルは実にスタイリッシュ。関西弁で言えば『こじゃれた暮らししてまんなぁ』の一言に集約される。
そういう暮らしぶりも向田邦子の影響を強く受けていると推察できるが、むしろふたりに通底しているのは『含羞』。この恥じらいというセンサーがすごく似ているように思えてならない。
〈声高に語る〉〈言わなきゃ損〉〈人の話を聞こうとしない〉といった昨今はびこる浅ましい言動や振る舞いを見るにつけ、眉をひそめ、その場に居合わせたら即刻逃げ出したいタイプと見る。
かつて大人が折につけ口にした『はしたない』『みっともない』。このふたつが著者と向田邦子の『行動指針』になっているんではないかな。
大人には『どう大人としての振る舞うか』なんていうマニュアルはなく、自分なりの手本を見つけるしかない。手本がなければ、幼い頃に抱いた『あんな大人にはなりたくない』を思い出すしかない…。
久々に読んだ女性の随筆。
普段使いの言葉で書かれた穏やかな文章の潜む、キラリとしたりドキリとしたりする下りに出くわす度に『あゝ、もう少しで読み了えてしまう〜と思った一冊』であった。